第68話



 別に、僕が旅立とうと思ったことに深い理由はない。


 確かに、僕がこの国に残るというだけのことで、また厄介ごとが起きる。

 そんなに大きな責任を負えないんじゃないか、そんなふうに腰が引けたことも事実だった。


 でも、それ以上に僕が頭を悩ませたことは、僕自身予想だにしていなかったけど、アウルスを傷つけようとした僕の覚悟についてだった。


 あのとき、動揺していた僕は縋りついただけだったんじゃないだろうか?

 みんなの視線に怯えて、僕の責任ではないと思いたかっただけなんじゃないだろうか?


 僕の求める正しさとは、多数決で決まるものだったろうか。

 あるいは、誰かを殺すことによって大勢を救うことだったろうか。


 僕は少しだけイルマに感謝していた。

 あそこでアウルスを傷つけていれば、きっと彼の居場所は消えてしまっていた。


 僕の頭は《技能》で表されるよりも悪く、僕の心は自分で信じていたよりも遥かに弱かった。


 そんなちょっとした、そして、しょうもない事実に気づいたのは、マルクス伯父に選択を迫られたとき。

 僕が育てて来たと思っていた芯は、アンリオスと一緒にとっくに去っていったんだ。


 僕は僕が思うほどには勇敢じゃなかった。

 そして、僕がそれほど強くもなかったことはイルマの手によって証明された。


 だから、僕はここにいちゃダメだと思ったんだ。

 正しいとか正しくないとかいう以前に。

 そんな自分を許せるとか許せないとかでもなくて。


 僕は僕自身の力で挑まなければならない。

 それが、僕にいろいろなものを注いでくれるすべてに対して僕ができる唯一のことだろう――


 なぜだか、すっかり治っているはずの、イルマに打たれた体のあちこちが未だに痛むような気がした。



 今年もまた雪が多かった。

 雪化粧を施された長大な《人馬ケンタウルスとニコラウスの壁》はまるで白いコンクリート壁のようで、どこか僕を押し止めようとしているようにも見えた。


「オル? 忘れ物は無い?」

「もう五回目ですよ、イルマ」


 いつになく心配してくれる毛皮のコートに身を包んだイルマをなだめる。


 大丈夫だ。

 僕の背中には多少の荷物。

 腰にはイルマから貰った剣。


 そして、左手にニックが《魔法》で育てた糸杉から作った杖。

 ニックの《魔力》が籠っているそうだ。


「坊ちゃん、爺いは、爺ィはあ……」


 涙ぐむガイウスの落ちそうな肩を叩いて慰める。


「……オルレイウス」


 なぜか跪いて僕の手の甲に接吻をし続ける従兄のルキウス。


「オル、そろそろ行こう」


 ニックが苦笑と白い息を交じえてそう言った。



 新年の一夜目の昼。

 北の森の《人馬ケンタウルスとニコラウスの壁》の南側。

 アガルディ侯爵領だというのに、僕の見送りをしてくれる人たちはそれだけだ。


 僕は今日で十二歳になり、初めて生まれ故郷から旅立とうとしている。

 僕とニックはこれからエレウシスたちに挨拶をして、北の森を抜けるまでは彼らが僕だけを送り届けてくれる。


「オルレイウス、一日も早い帰還をおっ!!!」


 なぜか一番号泣しているルキウスのコートの胸倉をイルマが片手で捻じりあげる。

 イルマより頭ひとつだけ高い程度のルキウスが、今は宙に浮いている。


「あんたはどおして昔からなよっちいのっ! ほんとうに義姉ねえさんの血を引いてるの?! 《戦士》の旅立ちに涙を見せるんじゃないっ!!」

「叔母上え、しかしながら此方こなたの溢れる愛が……」

「誰が、おばあだっ!!!」


 ルキウスがイルマに頬を張られているけど、まあ大丈夫だろう。

 彼だってレイア家の男子だし。


 僕の国外退去にもっとも反対しそうだったイルマにも、ニックがうまく言った。

 僕が修行に行きたがっている、と。


 むしろ自分もニックを連れてついて行くとイルマが言いだして大変だったが、それではマルクス伯父に恨まれる。

 ニックは《戦士》の修行は独りで行うものだろうと説き伏せ、イルマを落ち着かせた。


 伯父が見送りに来なかった理由は言うまでもない。

 イルマがいるからだ。


 それよりも、アークリーとコルネリア、そしてアウルスの姿さえ見る時間がなかったのが、残念で仕方ない。

 この際、臣下だどうだなんていう話なんか関係なく、彼らの元を訪れるべきだった。


 きょろきょろしている僕に気がついたのか、ニックが僕の肩を叩いて南を指さす。


「ほら、オル。やって来たよ」


 そっちには雪の中を猛進する馬車が一台。

 ちゃんと舗装されてもいない轍を、がたがた言わせながらその馬車はこちらに向かって来る。

 僕は思わずニックの顔を見上げた。


 にっこり笑うニックの顔。

 なんて粋なはからいなんだ。

 そう思った僕の思考は、馬車から飛び降りた人物を見て停止した。


「オルレイウスっ!!」


 それは桃色のひらひらしたドレスをまとった女の子。

 長い赤茶の髪は編まれていて、彼女が動くたびにふわりと浮かび、頭の上には小さなティアラ。

 大きな目にはこれまた大きなオレンジの瞳。

 真っ白な息とバラ色の頬に、ふっくらとした唇。


 すらりとした体型の、美少女。

 だけど、なぜか僕の背中には悪寒が走っていた。


「誰……?」


 僕の呟きに、息を弾ませながら駆け寄ろうとしていた少女は足を止め、そして泣き出す。


「ひどいわっ、オルレイウス……っ! わたしと暫く逢ってくれなかったからって……っ!」

「……もしかして、クラウディア……?」

「そうよっ! オルレイウス!」


 僕は思わずニックの顔を見た。

 ニックも首を傾げている。


 当然だ。

 だって、かつてのクラウディアは玉ならぬ球のようなお姫様だったのだから。

 体重だって僕の三倍ぐらいはありそうだった。


 その彼女が今では年下の僕よりも軽そうに見える。


「オルレイウス、わたしがどれだけ貴方を恨んでいるか……」


 まん丸な目に涙を溜めてそう言う彼女は、誰がどう見ても美少女ではあるだろう。

 だけど、僕の体は昔のように彼女に拒否反応を示していた。

 そう、僕が彼女を避けていたのは体重のせいではない。


「わかりますか……わたしの心臓の高鳴りが。貴方は、跳ねる鼓動を抑え込んでいるようだけど、それは間違いだわ」

「ニック、早く……」


 僕は慌ててニックの袖を引いた。

 彼女がゆっくりと僕らのほうに近づいて来るからだ。


「オルレイウス、いつまで貴方は貴方の心を裏切るの? ほんとうは、わかっているのでしょう?」

「お、落ち着きなさい、クラウディア」

「あら、義叔父上おじうえ様? むしろ、お義父とう様とお呼びするべきかしら? ふふっ」


 彼女の言葉にニックも引け腰になってる。


「子どもは何人欲しい、オルレイウス? ねえ、何人?」

「ニック、彼女と会話をすることは不可能です!」

「そんなことは無いわ、可愛いオルレイウス。やっと愛を囁いてくれる気になったのね? でも、わかっているわ、わたしたちの前に言葉など無為だもの。貴方になら、すべてを捧げられるのよ? わかっているわよね、わたしと貴方は生まれる前から結ばれているということが」


――そう、彼女の恐ろしさはここだ。


 マルクス伯父がなにを彼女に吹き込んだのかはわからない。

 彼女がどうして、そう思うようになったのかもわからない。


 けれど、彼女の濡れた瞳は昔からずっと重々しく僕を貫いている。


「恐れてはいけないわ、オルレイウス! わたしへの思いに、胸の高鳴りに正直にならないとっ!!」

「姪っ!! あんたは気持ち悪いのよっ!! うちの子に近寄るなっ!!」

「あら、お義母かあ様! わたしたちの間を裂こうとしても、無駄ですことよ!」

「義母と呼ぶんじゃないっ!!」


 イルマがルキウスを振り回しながら、クラウディアに詰め寄る。

 そう、イルマはマルクス伯父の子どもたちの中では、クラウディアが一番キライだ。

 しかし、クラウディアは《戦士》ではない。

 イルマとて、まったく心得の無いクラウディアに鉄拳を見舞うわけにはいかない。


「待ってオルレイウス! わたしをどれだけ焦らすつもり?!」

「あんたはもう黙りなさい!!」

「……おば、うえ、……首……しま」

「お嬢さまっ! 王太子殿下が御隠れになってしまいます! 老僕めの息も止まってしまいます!」


 そんな喧騒を背中に聞いて、僕とニックは白く染まった《人馬とニコラウスの壁》の切れ目を通った。



「騒々しいことだな、友よ」


 その声と共に姿を現したのは栗毛の馬体を持つ《人馬》、エレウシスだった。

 明るい茶色のヒゲを三つ編みにしている彼は、アンリオスとはちょっと違ったあずき色の瞳で僕らを見つめる。


「……騒がしくしてすまないな、エレウシス」


 ニックの言葉に彼は首を振った。


「小さき友の旅立ちだ。大目に見てやろう《大公》」


 こんなはずじゃなかったんだが、とニックは小さく溢して、僕を彼の背に乗せた。


「ほんとうにいいのですか、エレウシス?」

「ふんっ、頭領の友を背に載せぬ理由などない」


 彼はアンリオスみたいに鼻を鳴らすとそう言った。


「そうだ。オル」


 思い出したように僕の背中に声がかかる。

 振り返ると微笑を浮かべるニックがそこに佇んでいる。


「最近、この森がなんと呼ばれているか知っているかい?」


 僕が首を振ると、ニックは微笑を深めて口を開く。


「《アンリオスの森》、だそうだよ」


 さやさやと冬の冷たい風が吹く雪化粧をした常緑の深い森の中に、気まぐれみたいに差した木洩れ日が踊る。

 少しだけ胸が締め付けられるような、少しだけお腹の底が温かくなるような。


「悪くない」


 呟いたのはエレウシスだった。

 ニックは言葉が出て来ない僕の顔を見て微笑むと、頷きながら告げた。


「……行き先は憶えているね?」


 僕は黙ったまま頷いた。

 《以遠海ビヨンド・オーシャン》を臨む最北の街。

 そこまで行けば、ニックの古い知り合いがいるらしい。


「なら、大丈夫だろう」

「では、行こう。我らの友よ」


 その言葉と共にエレウシスが駆けだした。

 僕はかつてアンリオスと共に駆けた森を、また風のように駆け抜ける。

 凍える頬の冷たさ。流れ去る白い息。


 その森のただ中で、ニックはいつまでも僕の背を見送っていた。



 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百十一年、ザントクリフ王国歴千四百六十八年、ディースの月、二夜


 オルレイウスがこの国を出てからもう一夜だ。

 そして、私のこの日記帳もそろそろ終わりのページを迎えようとしている。


 オルの友人たち、アークリーとコルネリア、ついでにアウルスは彼の見送りに間に合わなかった。

 《泥まみれ》のケットがアークリーを救い出すために思わぬ時間を取られたようだ。


 彼らがやって来たのは、オルがエレウシスの背に乗って去ったすぐあとだったのだから、残念でならない。

 それでも、やって来た途端に、アークリー・ウォード・アドミニウス・ガステールは気の抜けたような笑みを浮かべてオルを追うと言った。

 私は《人馬ケンタウルス》に追いつくのは無理だろう、と言うと彼は笑いながら続けた。


 友は王族で、供のひとりも連れないのは相応しくない、と。


 彼は端からオルの国外退去に付き合ってくれるつもりだったようだ。

 そして、彼は我もと叫ぶコルネリアとアウルスを引き連れて《アンリオスの森》の中へと消えた。


 まあ、オルレイウスには頼りになる友人たちがいて良かった。

 オルは街道の上を北上していくはずだから、彼らが街道を行けば追いつくことだろう。


 この国も、もう一年ほどで十分に落ち着くだろう。

 そうしたら、私もオルレイウスの後を追って《以遠海ビヨンド・オーシャン》を渡ろう。

 あそこならば、おそらく《アプィレスス》の手も及ぶまい。


 オルがあそこで何を感じるかはわからないが、私の息子ならばきっと大丈夫だろう〉


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