第20話



「……元々、イルマに『剣を振るえ』と言ったのは余であった。……今では、ほんとうに後悔しているが」


 年代を経過していぶされたような金色。鈍い輝きを放つ玉座。

 僕が想像していた玉座よりも、だいぶ小さい一人掛けの椅子。

 脚は細いし、背もたれや肘掛けには赤いクッションが入れられているみたいだけど、あんまり重厚感はない。


 そこに座るマルクス・レックス・ザントクリフ・ユニウス・レイアは遠い目をしながら、僕とニックに語りかけていた。


 どうも、マルクス伯父がニックに僕を連れて来いと言ったらしい。

 ニックはイルマに対して「僕の仕事を見るのも、オルの勉強さ」なんて言っていたけど。


 僕が数えで七つを迎えて以来、ときどきこんなことがあった。

 話題はだいたいいつも同じ。


「オルレイウス、本日もとくと聴くがよい。……そなたの母の暴虐の数々を」

「暴虐、ですか」

「暴虐だ」




――そうして、マルクスは昔の話を語り始めた。

 いつもの話の続きだ。ここまでの話のあらすじを簡潔にいうとこうなる。



 時は遡り、三十二年前。

 当時のザントクリフ王であり、マルクスの父でもあったエイナル・レックス・ザントクリフ・マテウス・レイアにひとりの赤子が産まれた。

 イルマと名づけられたその女の子は、マルクスにとって二十も齢の離れた妹だった。


 ザントクリフ王エイナルは、齢四十にして初めて授かった女の子を、それはそれは溺愛した。

 父親からの愛情を目一杯受け取ったイルマはすくすく育つ。


 縦にも、横にも。


 五つになるころには、夜な夜な王宮のキッチンに忍び込み、盗み食いをするようになった。

 さらには、父王に願って王族どころか貴族にさえふさわしくない《調理技能》さえも習いだした。


 もっと美味しい食事を。


 幼いイルマの食にかける情熱は常軌を逸していた。

 父エイナルはイルマのすることなすことすべてを肯定した。


 とどまるところを知らずに肥えていく幼い妹を見てその将来に危機感を覚えた太子マルクスは、妹のしつけを買って出ることにした。


 夜食の禁止。

 調理場への立ち入り禁止。

 おかわりの禁止。

 立ち食いの禁止。

 拾い食い禁止……。


 食事作法に通じた者を教師として雇い入れ、徹底的にイルマを管理した。

 給仕や側用人たちにも、イルマに過剰なカロリーを与えないように厳命した。


 が。


 まず、家庭教師が癇癪を起したイルマに殴られ。

 次に、イルマにほだされた側用人たちがマルクスを裏切って食事を与え始めた。


 さすがのマルクスも妹の放漫と手管に呆れて、自らイルマを叱責した。

 家族の者から甘やかされたことしかなかったイルマは父王に泣きついた。


 結果、マルクスが父に叱責された。

 なんとか父王を説得することで、イルマに運動をさせることを約束させた。


 イルマはさぼった。

 長距離走を。

 中距離走を。

 短距離走を。

 円盤投げを。

 やり投げを。


 呆れ果てたマルクスは、ふたたび妹を叱責した。

 イルマはふたたび父に泣きついた。


 結果、マルクスは今度は父の手によって廃嫡されかけた。

 歯を食いしばり、父に許しを願ったマルクスが見たものは。

 父の膝の上に乗せられた、というよりは両腕で抱きかかえられた、ほとんど球体のような体型のイルマのにやけ顔。


 マルクスも肚を括った。

 もう、妹だとは思わない。イルマは貪婪どんらんの化身である。

 イルマを真人間にしなければ、父王は唆されてなにをするかわからない。この国が危ないかもしれない。


 そこでマルクスは、父王にさえ抵抗できる家庭教師を探すことにした。

 そんなものがそうそういるわけがない。

 しかし、神々はマルクスにひとりだけ適格者を遣わした。


 《ルエルヴァ共和国》《最上位トップ・冒険者アルゴノーツ》にして《剣聖》保持者。

 ドルギアス・ゴーグ。


 当時、四十に差しかかろうというドルギアスは《冒険者》としても《剣士》としても脂の乗りきった年齢だった。

 その彼が、たまたま《ザントクリフ王国》を通りかかった。

 聞けば、《ギレヌミア人》の元へ出向いて剣の修行をしていたのだとか。


 マルクスは大枚はたいてドルギアスを引き留め、イルマの家庭教師とした。



――今日のマルクスの話の本題はここからだった。

 と言っても、だいたいイルマが太り始めるところから毎回話し始めるから、耳にたこでもできそうなのだけど。



 ドルギアスをイルマに引き合わせたマルクスは言った。


 剣を振るえ、と。


 もちろん、イルマは承服しなかった。

 当然のようにドルギアスの管理下から逃げようとした。

 しかし、その希望は叶わなかった。


 ドルギアス・ゴーグは当時の人族、いや、すべての種族において最強レベルの個体。

 粗暴な《ギレヌミア諸族》地域から単独で生きて帰ることが適うほどの武人。

 赤子のイルマはすぐに捕らえられた。

 イルマは、マルクスが感心するほどドルギアスに逆らった。


 仮病を使い。

 側用人に泣きつき。

 父王へと書付を送り。

 癇癪を起こしてドルギアスに殴りかかることはもちろん。

 灯りも持たずに王宮の窓から飛び降りようとさえした。


 が、ドルギアスはそのすべてをいとも容易く粉砕した。

 そんな日々を送るうち、雇い主のマルクスにドルギアスが言った。


「あの娘には間違いなく、天稟てんぴんがある。……正式に我が弟子にしたいが、どうか?」


 ドルギアス・ゴーグは、最高位の《剣聖》であるとともに、偏屈なことでも名が通っていた。

 一度も徒弟をとったことがない、最強の《冒険者》。

 それがドルギアスに対する《大陸》共通の認識だった。


 そのドルギアスが、初めて徒弟をとるという。

 しかも、それが放漫にして豊満な妹のイルマ。

 マルクスは手放しで喜んだ。


――それが、決定的な間違いだとも知らずに。



 ある日、ドルギアスはイルマを逃がした。

 逃げたイルマは案の定、父王へと訴える。ドルギアスという名の教師の非道さを。

 ザントクリフ王エイナルは迷ったすえに、ドルギアスを処罰するとイルマに約束したらしい。

 その日のうちにドルギアスの元へ騎士小隊が送られる。


 だが、彼らは全員復命しなかった。

 そして、彼らの帰還を待つエイナルとイルマの元、マルクスを随えたドルギアスが玉座の間に現れた。

 激怒する父王を無視し、蒼褪あおざめるイルマに向かって、ドルギアスは語りかけた。


「これが、一人前の《剣士》にして《冒険者》というものだ。我が歩みを阻む者などいない。我が剣を受け止める者などいない」


 イルマが大きく目を見開いて、《剣聖》ドルギアスを見つめていた。


「どうだ? お前もこのようになりたくはないか?」


 ドルギアスの言動に幼いイルマは魅了されたらしい。

 すぐさま父王に願って、ドルギアスの徒弟となった。


……イルマにはドルギアスの言うように天稟があったらしい。

 凝り性のイルマは、そのうち《剣術》そのものに憑りつかれていった。

 寝食を忘れることはなかったが、それの時間は切り詰められ、早朝から日没までドルギアスが与える試練を克服していった。


 それは、一年ほど逗留したドルギアスが国を去ってからも変わらなかった。

 日々のほとんどすべてを研鑽に費やし、十二になったイルマに敵する者は国内にいなくなった。


 肢体は成長し、体型は均斉の整ったものとなり、美しいとさえ言われるようになったイルマに父王は喜んだ。

 それはもちろんマルクスの希望に適ったものでもあった。

 だが、イルマの傍若無人ぶりはマルクスの予想の斜め上どころか、予想の横腹を垂直に突き破っていった。


 野人のように食事をむさぼり、国内の貴種に対してはもちろん来賓に対してもタメ口。

 礼儀など一顧だにしないその振る舞いが逆に正直とみなされて、国民と父王からの支持は絶大。

 貴族たちの悲鳴と陳情はマルクスに集中した。


 だが、日々進歩を続けるイルマをマルクスが止められるわけがない。

 衆目のあるところで、昏倒させられた数も両手の指では足りないほど。

 幸い、マルクスの前妻には一歩譲っていたから、マルクスは妻と行動を共にするようにした。


 ある日、イルマが十五になったころ。その美貌を聞き知って、隣国から縁談が持ち上がった。

 マルクスは「これだ!」と考えたそうだ。

 さすがに嫁にやってしまえば、イルマに悩まされることもない。


 しかし、父王は即、断った。


「イルマは余が死ぬまで、嫁にやらん」


 言い切った。

 それにイルマも賛同した。

 当然だ。イルマは自分が強くなることと、美味い食事を食べることにしか興味が無い。


 危機感を募らせたマルクスは周辺諸国に噂を流した。

 《ザントクリフ》に美貌の姫がいる、と。

 しかし、彼女は腕が立ち、男勝りで勝気だ、と。飼いならせる者は英傑だけだろう、と。


 周辺地域から広く、英傑と呼ばれる者らが集まる。

 そして、イルマに求婚という名の決闘を挑んでは、次々と返り討ちにあった。


 そうこうしているうちにイルマも十七。

 マルクスは口を酸っぱくして言った。


 結婚しろ、行き遅れるぞ、と。

 うるさいとしか答えなかったイルマも、マルクスが妻にそう言わせる段になって、若干折れた。


「……義姉さまがそこまで言うなら。……だけど、少なくともあたしより強い男でないと……」


 マルクスは「ここだ!」と考えた。

 今度は周辺諸国のみならず、グリア地域全体に向けて呼びかけた。噂を流すなどという迂遠な手段は用いない。


「求婚者を集う! 美貌の姫! ただ強い! 姫を組み伏せた強者には、姫を自由にする権利を与える!」


 波濤のごとく押し寄せる男たち。

 だが、マルクスの思惑に反して、彼らの多くはイルマを襲わなかった。

 最初の数人が返り討ちにあった時点で、彼らは徒党を組み出し、それぞれに強者を担ぎ上げ出した。


……どうも、イルマが彼らの想像を超えて強かったらしい。

 有力者に彼女を与えて、金銭などのおこぼれに与ろうというやからまで出た。

 仕舞いには、イルマを無視して徒党同士で小競り合いまで起こす始末。


 一方、なぜかイルマは大人しかった。

 求婚者たちの勝手な争いに見て見ぬふりを貫いていた。

 まるで意気消沈しているようだった。そんな様子がひと月も続く。


 マルクスがその様子を見て少しばかり反省したほど。

 いくらなんでも盛大にぶち上げすぎただろうか……と。


 が。ある朝。

 マルクスは側用人に叩き起こされる。

 なんだ? と問えば、泡を食った顔で王宮の壁を指さすばかり。


 マルクスは側用人に引きずられるようにして、王宮を飛び出し、城壁の外へと回った。

 吊るされていた。逆さ吊りだった。

 イルマの求婚者たち。そのおのおのの徒党の首領たちが、壁から吊るされていたのだ。


 壁から引き上げられた彼らはぼこぼこに腫れ上がった顔で、口々にこう言った。


「……国に帰る」


 こうして求婚者たちのすべてが《ザントクリフ》からその日のうちに出ていった。

 求婚者たちの口は重く、下手人の名どころか、なにをされたかさえ言わなかった。


 ただ、イルマだけが気持ちよさげに笑っていた。


 こうして、マルクスのイルマを嫁にやる企みは頓挫した。

……はずだった。


 《ザントクリフ》に怒涛の勢いで押し寄せる新たな求婚者たち。

 確かに、この地においては口が重かった被害者たちも、故国においてはそうではなかったらしい。


 《ザントクリフ王国》には一頭の獣がいる。

 《戦豹パンテラ》――……イルマがそう呼ばれ出したのはそのころからだ。


 が。ある朝。


 マルクスはイルマ付きの側用人に叩き起こされる。

 側用人は泡を食って、マルクスに一枚の紙きれを差し出した。

 そこにはイルマの汚い文字が躍っていた。


「きりがないから、くにをでる」


 それを見せると父王が倒れた。

 そして、そのまま逝ってしまった。その遺言は、なんと。


「……イルマが、帰ったら、領地と侯爵位を……」




――西日が差し込む玉座の間。

 それに照らされた赤い顔でマルクス伯父は僕に告げる。


「……わかるであろう、オルレイウス。イルマの危険性が」

「あの、伯父上? 伯父上も悪」

「よいか?」


 僕の主張を無視して、マルクス伯父は続ける。


「この二年、二年もの間だ。……イルマが大人しすぎる」


 マルクス伯父が自分の両肩を抱きしめる。

 若干震えているように見える。


「オルレイウス。そなたも心するがよい。おそらく、イルマは――」


 そのとき、玉座の間への訪れを告げる衛兵の声。


「姫殿下、ご来訪にございます」


 震えていたマルクス伯父の顔が急に緩んだ。


「通せ。……クラウディア、よいところに来た!」

「父様。それに、叔父上様に……オルレイウスも」


 玉座に通された少女――赤茶の髪色。まん丸の目。子供らしい丸顔に、僕とふたつしか変わらないのに僕の三倍は体重がありそうな体格。伯父に駆け寄っていく背中の肉がドレスによって変形して盛り上がっている。

 僕の従姉のクラウディアが、僕の顔を見てわずかに顔を上気させた。


「お邪魔でしたかしら?」

「そのようなことがあるわけはないぞ、クラウディア! ……オルレイウスもそなたに会いたがっておった!」


 え?

 マルクス伯父の言葉にクラウディアの顔色がさらに赤くなる。


「まあ! オルレイウスったら……」


 熱い視線を送られて、僕は引き攣った笑みを返し、ニックを見た。

 ニックは無表情を決め込んでいる。


「そんなにわたしに逢いたかったの? ……なんて可愛い子」


 イルマも太っていたというけれど、レイア家の女の子は太る呪いでもかけられているのか?

 肉が乗って一本線が入っている手首をくねらせてクラウディアは僕に微笑みかけた。


「父と同じく、余もなかなか女子に恵まれなかったが……このように玉のごとき娘、そうはおるまい。のう、オルレイウス?」

「……はい」


 僕は玉よりも球という言葉を必死で飲み込んだ。

 僕の祖父のエイナルもイルマを大層可愛がったそうだけど、マルクス伯父にその教訓が生かされているとはとても思えない。



……こうして、僕の日常は過ぎていく。

 イルマの訓練を受けていたほうが良かった。心からそう思う。




 〓〓〓



〈――ルエルヴァ共和新歴百六年、ザントクリフ王国歴千四百六十三年、ゲネイアの月、六夜


「なあ、ニコラウス。クラウディアもその気だ。……オルレイウスとクラウディアの婚約を」


 オルをひとりで帰したあと、マルクスが突如そう言った。

 私は、それよりも、と前置きをして《グリア諸王国連合》の動向に関して、さらに農耕地の話題を振る。


 相変わらず年々、気温は下がっており、麦の生育は思わしくない。

 おそらく、今年も冬の終わりと共に開墾を行わねばなるまい。

 開墾を行ってすぐに、麦を植えられるわけではない。


 土をかき混ぜ、空気に触れさせねばならない。休耕地の回転も少しばかり変えなければならないだろう。

 土地は休ませねば、栄養が尽きる。私の経験からの結論だ。


 このようなことは《宮廷楽師》の仕事ではない。だが最近、宮宰が臥せっている。

 必然、マルクスは長命で経験を重ねている私に頼るようになる。


 太子のルキウスにも相談すべきではないか、と主張すると。


「ようやく二十歳を迎えたばかりの若造に、国政など荷が重い」


 などとマルクスは言う。

 レイア家の血統とはこのようなところにまで影響を及ぼすのだろうか?

 マルクスから聞かされた、イルマの父・エイナル王と似たようなものではないか。


 《ギレヌミア諸族》の活動は活発化しているようだ。

 《グリア諸王国連合》も警戒を強めている。

 戦線からそれほど遠くない《ザントクリフ》には糧食の供与が強く求められている。


……いずれ、兵力の供与も求められるだろう。

 マルクスはイルマに行かせる気満々のようだが。


 イルマならば、オルに戦場経験を積ませると言って連れ出さないとも限らない。

 ただでさえ、オルの《魔法》修学速度は落ちている。

 ここで、二年も三年も戦地になど行かせるわけにはいかない。


 オルが《学術系技能》に秀でていても、生死が関わる戦場に長期間置かれれば、《魔法》の学習から離れることになり、《魔法》についての知識を忘れることもあるだろう。

 私も付いて行くことができれば問題はないのだろうが、マルクスが許すまい。


 イルマに伍する戦力を持つ私が、イルマのいない《ザントクリフ》から離れることは許されない。

 せめて、ほかに頼りになる《戦士》や将軍がひとりでもいればいいが、この国はいかんせん戦闘経験が無さすぎる。

 ほかに期待することは酷というもの。


 大きな戦力として期待できるはずのレイア家の男子も、マルクスとルキウス以外は他国へ婿へと出されてしまって国内にはいない。

 王や太子が戦線に立って万が一があれば、この国は終わる。


……《ギレヌミア人》との接触も遠い先のことではないだろう。

 オルが成人するまでもてばいいのだが……〉

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