第2話

精霊と人間


この広大な世界樹において、人間の地位は“低い”などという物ではない。

どんなに地位の低い者であっても、少しくらいは法という力に守られているものだ。最低限権利などのルールがあって、差別を無くそうという動きもある。


しかし、人間はその限りではない。


そもそも、人間にとって、人権などというものは存在しない。精霊達を守るのは『精霊権』という精霊独自の法律で、その法律の守る範囲に人間は含まれていないのだ。


では、何が人間を守るのか。


端的に言って、基本的に人間を守るといった法律は存在しない。

家系のルールや、一族のルールは考慮されていないが、国全体の定める法律に、人間の項目は全く存在していない。

人間は精霊達にとって奴隷以外の何物でもなく、それ以上でもそれ以下でもない。

労働を強要させられ、品物として売買される。気を失うまで働かされて、病にかかった者は捨てられる。

そこに一滴たりとも情といったものは存在せず、あるのは道具や機械に対するそれ。

消耗品の道具を無表情に扱い、壊れた後は新しい物に買い替える。

機械を知らない精霊達にとって、人間はなんとも扱いやすい万能ロボットだろう。六百年前人間が使っていたロボットよりも精密で、多少は自分で判断できる。違うのは意思…心の有無くらいで、機械より価格が安い点更に良いとこ尽くめだ。


そんな地位にある人間が、いきなり精霊達の園に同じ階級で放り込まれたらどうだろうか。

同じ年で、同じ学生で、同じ学校に人間を放り込まれた精霊達は、その未知との遭遇の中心にいた。

例えてみれば、ハーバード大学に天才チンパンジーが入学するようなもの。

幾ら天才であって、算数が理解できるといっても、所詮猿は猿でしかない。

どう足掻いても人間以上の地位には立てないし、そもそも同じステージに立ててすらいないのだ。住む世界も違う。

だから人間は自分でも知らず知らずのうちにその猿を見下してしまうだろう。興味本位で優しくしてみる人間も、怖いもの見たさで、ちょっかいを出してみる人間もそうだ。

最初は仲良くなる為に、バナナでもあげてみることだろう。それはもう餌付けという行為に等しい。その時点でバナナをあげた人間はその猿の事を見下しているし、他の人間もそれを悪いとは思わないだろう。


ここ精霊学校にて、魔法を使えるというエルの存在も、人間が精霊になって、猿がエルになっただけの違いでしかない。


「あ、あの…貴方が魔法を使えるヒューリさんですか?」


早くも奴隷と呼ばれたエル。ヒューリという言葉は、人間の蔑称ということをこのショートヘアの少女は知らない。


「…そうですが、何か用でも?」

「え、えぇ…いや、別に…」


しかし、この猿は言葉を喋る。


予想外に冷たい返しと無表情な顔に圧倒され、思わず顔を逸らす桃髪の少女。可愛らしい顔が動揺に染まり、カチューシャのリボンが揺れた。

エルはその対応になにも言わず、読んでいた本に目を戻す。腰掛けている椅子が、エルの体重の変化にギシリと声をあげた。

エルがいる場所は既に教室。鉄と木でできた机を見た時には、意外と精霊にも加工技術はあるんだな、と驚いてしまった。

だが、そもそもこの学校自体巨大な植物でできているのだから、そう思っても仕方が無い。

全く文明を感じられないのは、世界樹では当然の事なのだ。


「貴様」


本の続きを捲ろうとした瞬間、頭の上から再度声がかけられた。

痛んだ真っ白な髪を揺らしながら、エルは顔をそこにあげる。

その先には、少し青みがかった銀髪をした、女顔の青年がいた。


「…なんです… か……、は?」


目を細めて本を閉じるエル。すると、突然その目を丸めて、少しだけ身体を横に倒した。

青年は少女の前に立って、鋭い目付きで睨みつける。

女と見間違えてしまう程、中性的で綺麗な顔立ちが、これによって少し冷たい印象を受ける容姿となる。が、エルが驚いたのはそこではない。

少年の頭からぴょこりと生えている二対の何か。柔らかそうな毛に覆われて、何処かとても愛らしい。


「ここにおられる方をなんと心得るか。奴隷ごときが、立場をわきまえよ」


青年が何かを言っているが、エルの耳には全く入ってこない。

おや、よく見てみれば後ろの方にも何かが生えているではないか。

これはなんだ?獣の尻尾?


「……獣精霊か…」


ユグドラシル精霊学校がある、リーズアリア王国。その隣に、ドグマフ帝国は存在する。

リーズアリア王国に次ぐ戦力を持ち、金属の加工ができる鉄の国とも呼ばれ、加工貿易が盛んな貿易大国でもある。

そんなドグマフ帝国に住む精霊のうち、最も多く存在する獣精霊。主に猫型と狼型に分かれ、高い身体能力をもって帝国を守る警護役。

対象の護衛や暗殺に非常に優れ、発達した五感を武器に敵を排除する戦いの精霊。その点、魔力回路が発達しておらず、魔法を使うにはあまり向いていないのが欠点。

エルの目の前にいる青年は、どうやらその一人らしい。この髪の色からして、おそらく狼型だろうか、尻尾も猫に比べるとふさふさしていて大きい。

エルも話には聞いたことがあったが、見るのは初めてだった。


「貴様、聞いているのか?」

「…イフリート家のサラ様ですね。確か、ドグマフ帝国の王女様、だったか」

「わぁ、良く勉強しているんですね」


両手を顔の前で合わせ、満面の笑みで感心する少女。

名前をサラ・イフリートという彼女は、ドグマフ帝国の王女であり、世界樹でも有数の権力を持っている正真正銘のお嬢様である。

炎精霊で炎を操る術に長け、シャイラ・ウンディーネに並び立つ魔法の才を持つと噂されているが、その可愛らしい笑顔の裏に隠された実力は、今だ誰も見ることができていない。


人間と王女の会話に、だんだんと集まってくる野次馬達。

先程していた生徒代表の話は置いておいて、どうにもこちらが気になった。


「そんな貴方は何者で?」

「質問を許可した覚えはないぞ」

「サラ王女の付き人、いや護衛でしょうか……人間をあまり馬鹿にしないでくださいよ。同じ立場同士、仲良くしましょう」


その返答の瞬間、エルの周りはザワザワと騒ぎ出した。

精霊の騒がしさに対しエルは少し顔を顰めたが、これは実に当然の事。皆それぞれエルの評価をしているのだ。

エルは始業式に現れた、唯一魔法の使える人間。奴隷程度の地位だと言えど、気にならない筈もなく、自分の家にいる奴隷と照らし合わせ、その人格を探っていた。

たとえどんな精霊でも、少なからず興味が出るのは当然である。相手が人間だからと言って、無下にする必要もない。これからの対応はここで決める、少なからず、三分の一はそう考えていた。

第一印象は悪くない。

他の人間に比べて、どうやら少し賢いようだ。他国の王女の名前を知っていて、傍にいる獣精霊が使用人であることも理解しているらしい。

大多数の精霊が知っていることでも、人間が知っているというのは珍しい。それに獣精霊を相手に喧嘩腰でいるなんて、なかなか度胸がある。

賢くて勇気がある。それが最初の評価だった。

そして次に評価されるのは、おそらく文字の読み書きと計算力。


世界樹の人間がどれだけ下に見られているか、良く分かる光景だった。


「貴様……ふん、あまり関わらないことだな。サラ様に汚いものは見せられん」

「ヒイロ、なんてこと言うんですか。ヒューリの方が汚いなんて、言っちゃダメです」

「…すいません、サラ様。お手を煩わせてしまいました」


ヒイロと呼ばれた青年は、サラの言葉によって口を閉じる。それから軽く頭を下げ、サラの後ろ側に回った。

おそらくサラは人間を見たことがないのだろう。話には聞いていても、奴隷が王女の目に入ることなど、普段の生活ではあり得ないのだ。

だからでこそヒューリという蔑称を平気で使ってしまうし、誰もそれを咎めない。

ドグマフ帝国の王女など、一番敵に回したくない精霊だからだ。


「まぁあの人間も気になるけどよ、俺はどうしてもあの精霊が頭から離れないぜ」

「あぁ、今年の生徒代表だろ?綺麗な精霊だったなぁ…アリスさん」


ふと、エルは耳を傾ける。

今年の生徒代表とは、紛れもなくアリス・サンライトの事だろう。

年頃の彼らにとってはエルの存在より気になっているのか、彼女の話題は耐えることがない。

精霊には珍しい金色の髪。百人中百人が振り向く美しい容姿。欠点という欠点がなく、強いてと言えば胸が少し小さい位のもので、批判する言葉があまりにも浮かばない。

まさに完璧な精霊。誰もが彼女とお近づきになりたくて、勇気を出して話しかけた。


「あ、アリスさん!初めまして!僕は…」

「邪魔」

「えっ」


しかし全員悉く返り討ち。

どんなに格式高い家の子でも、彼女の前には紙切れ同然。

なかなか辛烈な言葉を投げつけて、心を木っ端微塵に砕いて行った。


「うわぁ…さっきのミラサイト家の時期当主だぜ…」

「マジかよ…領地いくら持ってると思ってんだ…」

「まぁあのイオラ・サンライトの娘だからなぁ…」


サンライト家の影響力は、ここリーズアリア合衆国にとってはあまりにも大きい。

大戦中の英雄、光の賢者と称えられたイオラ・サンライトの名は今や世界中に轟き、一夜にして敵の主力部隊を壊滅させたという歴史は、忘れるにはインパクトが強すぎる。


アリスはどこへ向かっているのか、並み居る精霊を掻き分け歩き続ける。

その動作も実に優雅で、凛とした表情が美しい。

実のところただ苛々しているだけであったが、周囲はそう認識してしまう。


そうして、アリスはエルの前に立つ。


「エル。私の荷物は?」

「……?指定の場所に、置いておきましたが…」


何故か苛ついている様子のアリスに、少し戸惑いながら返答するエル。


その瞬間、広い教室に響き渡る軽い破裂音。


「…え……は、何を…!?」


思わず狼狽してしまうエル。

破裂音のようだったあの音は、エルが左頬を叩かれた音だった。


「この馬鹿っ!これから始めての授業だってのに、教科書置いてきてどうするのよ!幾ら探してもないじゃない!」

「…え…アリス様が置いておけって言ったんじゃないですか」


突然の事態に混乱を隠せず、目を白黒させながら言葉を続ける。

平手打ちをされる理由も分からないし、感情の変化の乏しいアリスが、こんなにも怒り狂っている理由が思いつかない。


「教科書くらい持ってくるでしょ普通!」


それくらい気遣えよ!と声を荒げるアリス。

彼女は確かに荷物を部屋にもって行けと命令した張本人で、とても理不尽な怒りだった。


「な…なんだと……!?」

「……はぁ、私がなんだってこんなこと」


アリスが何かを呟いたが、エルの冷静な判断力は既に溶解しており、その声は届かない。

顔を上げてアリスの顔を睨み、とうとう腕を振り上げた。


「このっ…精霊がぁ!!」


音を置き去りにして身を乗り出し、女と言えど御構い無しに、彼は全力で顔を狙った。

人間であることに誇りを持っているのなら、とてもしないであろう道徳を無視した行動。

それは彼がまだ子供であって、口より先に手が出てしまう程短気な性格であることの証明であった。


ゴウッ!


しかしそんなエルの攻撃は虚空を切る。

驚愕に顔を染めるエル。その瞬間、渾身の右ストレートが、エルの顔面に吸い込まれた。目の前の少女のように華麗に避けることはできずに、エルは無様に吹き飛ばされる。

彼女の華奢な身体からは想像がつかない程重い攻撃。

エルは机やら椅子やらを巻き込んで、木造の壁にぶち当たった。


「う、ぐっ…なっ…!?」


驚異的な速さで回復した彼は、頭を振って正面を向く。

咄嗟に左腕を盾にするエル。パァンという音がして、なんとか二発目を防ぎ切った。だが、間髪入れず三発目がエルを襲う。

彼はそれを右足を上に上げることによって防御し、そこに留まった右腕を取る。しかし、その瞬間ガラ空きになった脳天に回し蹴りが叩き込まれた。


「ぐうっ…調子に乗るなよ…!!」


右足で床を強く踏みつけ、そこに魔法陣が広がる。

おぞましい程黒い魔法陣。

しかし、それが完全に構築される前に、魔法陣はガラスが割れるような音と共に消え去った。


「ッ…止めるな…ヒューズ。ここで精霊を全員殺してしまえば、それで万事解決…」


『やめろエル。成功するわけないだろ。ここで暴走するともっと風当たりが強くなるぞ』


ふと正面を見てみると、エルに対して怪訝な表情をした精霊達がズラリ。

畏怖か、非難か、嫌悪か、軽蔑か。

様々な表情をした精霊達は、唯その誰一人として彼に好意的な視線は向けてはいなかった。


「…ちっ」


吐き捨てるように舌打ちを残して、服の埃を払うエル。


彼を見つめる精霊の視線は、酷く冷たい物へと変化した。主君に暴言を投げかけ、あろうことか手を出した。


エルの信用は最底辺へと失墜した。







「これで良いかしら?」

『…ま、いいかなぁ』


誰もいない廊下の一角。

アリスは耳に何かを当て、壁を向きながら誰かと話していた。


『しかし酷いぜアリス嬢。別に怒らせろとは言ってないんだが』

「なによ。人間と精霊の地位の差を思い知らせてやれって言ったのはあんたじゃない」

『なんで手が出ちゃうんだよ』


この明らかに不自然なアリスとエルの喧嘩は、ヒューズが仕込んだものであった。

精霊を恨んでいるエルは、実のところ箱入り娘と大差ない状態だ。幼い頃から『教育』を受け、やっとの思いで魔法を習得したエルは、精霊と会った経験はあまりにも少ない。育て親であるヒューズからの話を聞いて、殆ど無意識の内に精霊を嫌っているエル。

その程度の価値観では精霊に刃向かうなんて到底不可能と考えたヒューズは、ここで一つ精霊に悪い印象を与えて、『恨み』をもってもらおうと考えた。無論、あまりアリスを信用し過ぎないようにと、牽制の意も含まれていたのだが…

しかし、ヒューズは侮りすぎていた。エルの喧嘩っ早さがここまでのものだということ、そして、アリスが天才すぎるということも。


まさか、とヒューズは溜息を吐く。

いきなり喧嘩をはじめて、教室でハイレベルな殴り合い(一方的とも取れる)なんて予想もしていなかったのだ。


だが、結果としてはあまり予定と違わない。嫌うという範囲が広くなっただけで__具体的には、エルが精霊を嫌いになるのと、エルと精霊の仲が悪くなるのと、その程度の違い__寧ろ嬉しい誤算とも言える。

エルが嫌われることによって、精霊はエルを悪者の様に扱ってくれるだろう。それによって、こっちからなにか手を打たずとも勝手にエルは精霊を嫌いになる。

といっても、やはり嫌われすぎると計画に支障が出かねんのでやめて欲しかったが。


『まぁ結果オーライとするか。ありがとさん、アリス嬢』

「うん、まぁそこは良いんだけどさぁ」


カチャカチャと手に持つものを弄りだすアリス。

そして再度耳に傾け、小さな針金を取り出してヒューズに問うた。


「勿論これは分解しても良いのよね?」

『結構貴重__』


__ブツゥッ。


ヒューズの声は聞こえなくなり、針金を使って器用に分解を始めるアリス。

ヒューズの手元に残るものは、今や世界でただ一つの骨董品となってしまった携帯電話。


「まぁ、予想はついてたさ」


そんなオーパーツに、アリスが興味を持たない筈もない。

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精霊学校ユグドラシル @ebi0818

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