オルガニゼイションF フリーライド・フリクション

波野發作

第1話 ダブダブラー(前編)

 地球人高校生名伊黒准こと宇宙名イークロン・プレビアが昇降口で靴を履き替えているとき、後ろから何者かにフルネルソンをかけられた。かけられた瞬間に誰にかけられたのか察しはついたのだが、気づかないフリをした。気づかないフリというか、技をかけられていないかのようにガン無視を決め込んだ。しかし、グイグイと力を込められて、ついに音を上げた。

「イタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイイタイ!!」

「痛いよねえ? 効いてないのかと思ったよ」

「イタいですマジで」

 解放されたイークロンが振り返ると、背後から技を仕掛けたのはやはり宇宙人留学生安藤先輩ことアント・ニーオ王子だった。この男、イークロンの先輩であるが、同時に雇い主であり、上官でもある。ややこしいが、まあ彼らにも彼らなりの13万文字分ぐらいの事情があるのだ。


「中尉、バイトしないか」

「大尉ですサー。バイトっすか。今度はどこ攻めるんすか」

「あ、いや、傭兵じゃなくてさ……」

 アントはもごもごと声が小さくなった。

「傭兵以外のバイトがあるんですか?」

 それならムダに命をかけなくても済みそうだ。イークロンは少し話を聞いてもいいかなと思った。ただ、このアホ王子の持ってくる話なのだから、最大限の注意は払うべきであるとも思ってはいた。


 イークロンは実のところ、宇宙人のアルバイトはちょっとやりたかった。貸本宇宙船の稼業は順調とはいえまだまだ維持費とトントンで、最近はちょっと燃料が値上がりしていて赤字スレスレだった。内装も少し手を入れたくもある。外装を少しずつ「まとも」なものに取り替えたいとも思っていた。地球の通貨ではなく、銀河標準通貨で給料がもらえるなら、それは願ったり叶ったりだった。


「まあバイトというかモニターなんだけどさ」

「モニター?」

「そそ。いろんな新商品とか新サービスとか試して、レポート返してっていう感じ」

 地球にもよくあるパターンだ。以前に他のメンバーと一緒にやったことがある。ギャラは雀の涙程度だったが、その品物が貰えたりノベルティやクーポンが手に入るので、まあまあやりがいはあった。宇宙人の未知のアイテムが試せるのならノーギャラでもちょっと美味しいんじゃないだろうか。


「興味ない?」

 イークロンは、少し考えるフリをしてから、

「なくもないですが」

と、答えた。アントはニカッっと笑うとイークロンの肩をパンパンと叩いて、

「そうこなくっちゃ」

と喜んだ。イークロンは若干の不安はあったが、それはいつものことなのでと早々に諦めた。そもそも昇降口で王子に目をつけられた時点で、すでに状況は不可避であったのだから。


 ◇


「これなんだけど」

 土曜日の朝7時にイークロンのアパートに押し掛けてきたアント王子は、まだ半覚醒の哀れな被験者に見慣れない文字のラベルが貼られた目薬サイズの小瓶を突きつけた。地球人には見慣れない文字だが、テンピリア星で訓練を受けたイークロンには読めた。

「んー、〈ダブダブラー〉?」

 読めるが、意味はわからない。脇に添えられた「試供品」は意味が分かった。なるほど、これが昨日言っていた「商品をテストするだけの簡単なお仕事」のその商品か。


「ほー。読めるのか。こっちは?」

 アント王子はくるっと裏返して、逆面の説明書きを見せた。上半分が使用方法、下半分が注意事項のようだ。傭兵の業務とは関係のない見慣れない単語が多いので、正しい翻訳はできないが、なんとなくの意味はわかった。

「えーと。①これはレーションをダブリングするリキッドです。……つまり食糧を増やす薬ってこと?」

「そうみたい」

「そうみたいってなんか不安ですサー」

「まだ使ってないんだよ」

 まあ、使ってないからこっちにモニターを振ってきたんだろうけど、とイークロンは思ったが、使用方法の続きを読んだ。

「②増やしたいレーションにこのリキッドを一滴垂らします?」

「そうそう」

「③五分後にレーションが増えます」

「そうそうそう」

「どっかで聞いたことがあるような話ですが」

「まあとりあえず試してみよう」

 そう言うとガサガサと包みを開けて中からハンバーガーを取り出した。正しくはまだ10時前なので、アントが買ってきたのはソーセージマフィンだが細かいことは言いっこなしだ。アントはさっさと小瓶の薬品をハンバーガーに振りかけた。


 イークロンはハンバーガーの脇に目覚まし時計を置いて、時間の経過がわかりやすいようにした。二分半が経過したが、特に異変はなかった。四分経過してもまだ何も起こらない。そして五分が経過した。


 ◇


 小瓶を見ると使用方法の真下に注意事項として「ダブリング後のレーションはASAP食べろ」と書いてあった。それだけだった。

「すぐに食べろと書いてますね」

「そうなんだ。じゃあ食べよう」

 アント王子とイークロンはハンバーガーを一つずつ食べた。


「あれ?」

「どうした中尉」

「俺は大尉ですサー。ダブダブラー使ったのはどっちですか?」

「どっちって?」

「いや、この薬品をかけたのは、今の2つのうちのどっちかって」

 アントはきょとんとした顔をして、イークロンをじっと見つめた。

「なんです?」

「今使ったっけ?」

 あれ? イークロンはダブダブラーを使ったのかどうか自信がなくなっていた。そういえば最初からハンバーガーは2つあった気がする。


「レシートありますか?」

「あるよ」

 アントがめんどくさそうに財布からレシートを取り出した。お買い上げリストにはハンバーガーは2つと記されていた。つまりハンバーガーは最初から2つあったのだ。しかし、2つとも食べてしまったので実験を続行できない。


「これじゃテストできないじゃん中尉」

「え、すいませんサー」腑に落ちないがとりあえず謝った。大尉だってば、と言うのはもう止めた。

「わざわざ2つ買ってきたのに。まったく」

「なんで2つ買ったんですか?」

「そりゃ貴様と2人で食うからだろ」

「王子が自分の分まで買ってくれたんですか?」珍しいことがあったものだ。むしろそっちの方が天変地異の前触れだ。


「言われてみればなんでそんなことしたんだろ」

 アントは考え込んだ。物忘れが激しい(特に男に関しては超テキトー)王子なので、これ自体は気にならないが、イークロンはこの「違和感」に底知れない恐怖を覚えはじめていた。

「まあ、貴様に頼み事をするんだからそのぐらい気を使ったのかもしれんだろ。俺だって多少の社会性はあるんだよ」

「ありえないですね」

「ありえないとか言うな」


 アント王子がハンバーガーを二つ買う条件は一つだけだ。自分で両方食う場合だけだ。しかし、さっきは2人で食べている。テンピリア軍で、仮に戦場で上官のレーションを横取りしたらその場で処刑される。しかし、アントは怒りもしなかった。やはり話がおかしい。


「地球の有名なマンガにこの薬品によく似たエピソードがありましてね」

「へえ」

「使い方も効能もだいたい同じ薬品で栗まんじゅうっていう和菓子を増やそうとして欲張って失敗して増え過ぎちゃうって話なんですが」

「そんでどうなるの」

「増殖が止まらなくて、最後は宇宙に飛ばすっていう」

「根本的解決になってないな。宇宙はそんなに広くない」

「まあ作り話ですから」

 よく似た話ではあるが、あっちはマンガ、こっちは現実だ。あのレベルの問題であれば、この薬の開発時にすでに想定されているだろうし、場合によっては事故も発生していると思われる。それでこの時点で銀河が滅んでいないところを見ると、同様の危険性はないとも考えられる。あるいは単に被験者が少なくてまだ問題になっていないだけなのだろうか。栗まんじゅうに関してはその原理も含めてさまざまな議論がされており、その議論にムダな時間を費やすことが栗まんじゅう問題として社会問題になったこともあるとかないとか。


「いずれにしても」

 アント王子が言った。

「これをテストするにしてもまたハンバーガーを用意しなきゃならんよな」

「ですよね」

「ハンバーガーを用意しなきゃならんよな」

「……」

 イークロンの部屋にしばしの沈黙が流れる。窓の外をバイクが通り過ぎる。鳥のさえずりも聞こえてくる。アントが再び口を開いた。

「ハンバーガーを」

「わかりましたよ! 買ってくりゃいいんでしょ!」

「いや」

 アントが珍しく合理的な提案をした。

「店でやろう」

 イークロンは、ポンと手を叩いた。本当に珍しく合理的な提案だったからだ。


〈後編へ続く〉



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