第2話 スキル確認

 俺が巻き込まれたのは、要するに異世界トリップ、という現象である。

 マンガや小説の定番だったのだが、そのとき俺はちょうど寝起きで、頭の処理がうまく追いついていなかった。

 寝ている間に召喚されたのだから、肝心のトリップシーンも見ていなかったし。

 最初はまだ夢の中だと思ったため、俺はその場で二度寝を決め込んだ。


「こら、目を覚ましなさい……いいかげん目を覚ますのです、勇者よ……」


 普段、妹が叩いても蹴っても起きない俺の背中を、見知らぬ女の子の手が揺すってくる。

 その声が妹の口調ではないことは明らかだったし、

 柔らかな手つきも妹の物とはずいぶん違って優しかった。

 いくら寝返りを打っても、転がっても、回り込んではしつこく揺すってくる辛抱強さがあった。

 まあ、そもそも俺に妹はいない訳だが。

 少なくとも、妹がいる世界にトリップした可能性はなさそうだ。

 そんな戯れ言を考えながら、俺は不承不承、ようやく起き上がった。


 とにかく、目が覚めたときには、俺はすでに異世界にいた。

 ひとくちに異世界と言っても、ぱっと見ただけでそうと分かる物がある訳では無い。


 ぐるりと見回しても、俺を召喚したらしきシスターさんと、

 本棚ばかりの薄暗い部屋しか見当たらなかった。


 仮に「ここが本当に異世界なのか?」と問われても困るレベル。

 自信を持って「ああ、これ確かに異世界だわ」、と納得させられるような証拠に乏しい気がした。


 たとえば、中世ヨーロッパ風の、魔法使いが好みそうなインテリア類。

 あくまで好みそうなだけで、日本にいても海外から取り寄せる事だって出来るだろう。

 異世界っぽいテクノロジーが、欠片も見当たらない。

 あとは邪悪なイメージの漂う、不気味な本の背表紙。

 俺をぐるりと取り囲むように描かれた輪っかの図形と、さらに離れた場所に燭台が数本。

 ……なんとも地味な異世界である。


 その地味さは、俺に洋ゲーの世界観を彷彿とさせた。

 細部までリアリティにこだわったグラフィック、臓物の飛び散る血なまぐさい戦闘、骨太のストーリー展開。

 俺では生き残るのにも苦労しそうな、ガチンコ系の異世界、といった雰囲気が漂っている。

 ひょっとしたら水飲んだだけで腹下して死ぬくらい、無駄にリアルに忠実かも知れない。


 そんな雰囲気を肌で感じ取って、この世界はヤバいな、と思った俺は、もう一度横になった。

 もう一度、誰か別の世界の住人が横から俺を召喚してくれることを、切に願った。

 俺みたいなクズを召喚してくれる奴が他の世界にいるか、はなはだ疑問だが。


「もしもし、勇者よ、また眠いのですか?」

「チェンジ……」

「チェンジ? どうしたんですか? 具合でも悪いんですか?」

「俺なんて呼んでどうすんだよ、なんの役にも立たねぇよ、だからチェンジ……どうせ未知の病原菌に冒されて死ぬのがオチだって……」

「病気ですか? 大丈夫です、この世界にいろんな人が召喚されたけど、病気にかかった人はひとりもいませんよ?」


 俺が胡散臭そうな目をやっても、シスターさんはにこにこ微笑み返すだけだ。


「……色んな人が召喚されたって?」

「はい。色んな世界から召喚されています。学者さんから戦士さんから魔法使いさんまで、沢山です」


 そんなに沢山の世界から人が集まって、それで病気がひとつも無いというのはおかしい気がする。

 それだけ多くの病原菌も持ってきているはずだ。

 俺はふと、思い当たった。

 つまりここは、地球とは異なる原理で動いている世界なのだ。

 異世界召喚ファンタジーの定番、召喚された人間に、特別な能力が備わっているという、あれである。


「つまり、召喚された勇者は不死、あるいは元の世界の何倍もの生命力を宿していて……病気にすらならないって事か……」

「あ、いえ。特別に体が頑丈になるとか、そういう人はいませんよ?」

「……そうなのか」

「はい、前に召喚された学者さんが、この世界、びょーげんきんが少ないって、言ってましたよ。外が寒すぎて死んじゃうんですって」

「外が寒すぎて死ぬ? うそマジで? この世界そんなに寒いの? ……やべぇ、ジャージしか持ってねえよ、俺も寒いの苦手なんだよな……」

「ゆ、勇者よ、寝ないでください、まだ冒険ははじまってもいませんよ?」


 そして再び眠りにつこうとする俺を、なんとか起こそうとするシスターさん、という構図に戻った。

 ますます地味な世界に嫌気がさしてきた。


 だが、体力が元のままでも、知能はどうだろうか。

 記憶能力が格段に向上したり、特別な予知能力に目覚めていたりするかもしれない。

 現に、このシスターの言葉がなぜか俺には分かる。

 さらに俺は普通に日本語で話しているつもりなのに、口からはいつの間にか、すらすらと異国の言語が出ている。

 これこそ不思議な力に目覚めている、と考えるべきでは無いのか。


 ためしにその辺の本を手にとって、ぱらぱらと捲ってみる。

「……!? ええっ!?」

 見たことも無い文字の羅列……これほどの文章量、英語でさえ、頭が痛くなって、とっくに投げ出しているはずだ。

 だが、どういう訳かすらすらと読める。読めてしまう。

「読める……読めるぞ……!」

 まさにラピュタ王のような全能感に俺は打ち震えた。

 なるほど……つまりこの世界の勇者の立ち位置は、恐らく『頭脳派』なのだ。

 識字率の低いこの中世風ファンタジー世界で、元いた世界の知識を駆使し、『異端の改革者』として名を馳せ、国家を平定に導いてゆく……そういう展開なのだ。


「あ、それは、この世界の言語そのものが特別な仕組みで出来ているから、どの世界から来た方でも読めるみたいですよ?」

「えっ、ど、どういう事だ? 意味は分かるが訳がわからないんだが……」

「ええと、この世界は時空を飛び越えるのに、必要な力がとても少なく出来ているらしいです。だから私たちの言語も、召喚魔法を元にして作った《召喚言語》というのを一般的に使っていて、だから、なんでしたっけ、のーしんけーがこーふんすると、対応する意味のでんきしんごーをどこからか呼び出すとか。……私も詳しくはないんですが、以前、召喚された学者さんがそう言ってました」

「どうでもいいけど、召喚された学者の知識にそこまで頼ってていいのか……ああそうか、つまり、『異端の改革者』はすでに大勢いる訳ね……」


 だったら、俺の頭脳派としての役割もここでは期待できまい。

 いくら知恵を絞ったところで高校生、学者に勝てるはずもないだろう。


 この《召喚言語》というのは便利な物で、どこの異世界から来た人間でも、極端な話、動物でさえも、ある程度の意味が理解できてしまうらしい。

 むろん動物に正確な発話ができる筈はないので、ネコとおしゃべりする事は出来ない。

 かく言う俺も無意識に喋っているが、正確な発音が出来ている訳では無いので、けっこう訛りがあるという事だった。


 ガチンコ系かと思ったが……どうやら、ゆとり仕様。

 それがこの世界に対する、俺の第一印象だった。

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