帽子を深くかぶる少女は教授と。
7osan
第1話 少女と竜の昔話
ああ、諸君、感嘆を覚えたことはあるかね。古文でいう「けり」の詠嘆活用だ。なぁ、諸君、諸君は私の講義を聴きに来てくれているぐらいは、甲斐性がある素晴らしい人間だと認めざるを負えないが、それでも言わせてもらう、諸君らはこの素晴らしい大学に入学した。つまり、諸君らは「点数の取れるクズ」ということだ。何? クズとはなんだと? 言葉どおりの意味だ。蛙鳴蝉噪に泣きわめく諸君らの昼食風景。生産性のない恋愛や余暇――しかし、諸君らを馬鹿にしているのではない、諸君らはもとからバカである、諸君らはもとからクズの集合体で他ならない。つまるところ、今から私が諸君らに御高説を一説、説いてやろうというわけだ。感謝したまえ、崇めたまえ。別にクズのポリマーである諸君らに崇めてもらわずとも、私のやる気は変動しないから気にせず、いつも通りに足を崩して、お菓子でも頬張り、窓から差し込む春の日差しに身をやつし、小春日和を楽しみたまえ。私のお話は諸君らのお茶請けとして、頬張ってくれたらいい。
これは私の昔の話になるのだが、私には一人の溺愛する少女がいた。諸君よ勘違いしてはならんぞ、私は決してロリコンでもペドフィリアでも超ロリガイア論を提唱する、トンチキな科学者ではないし、決してコミックROなんて購入したことはない。それでだな、話をもとにもどそうじゃないか。
その一人の少女の紹介を手短に済ませよう。何? 私の紹介は、だと? なぜ諸君がすでに私が主人公の話だということに気付いて、さらに、今現在の私が主人公ではなく、過去の、麗しき鼻梁が整った顔立ちをしていた、光源氏もルイ十六世、あ、諸君、ここで小話をはさむのだがルイ十六世は幼少期にその時代特有の教育方針に従って、従者たちに「おちんちんぶらぶら」を毎日のようにしていたらしい。しかも、従者たちも王族だろうかなんだろうか、幼き子たちの若き海綿体をもてあそび、おちんちんびろーんとかしていたと言うではないか! つまりだな、当時の性教育とか育児とかは適当ではないのだが、性に関して寛容であった…というより、大人の性と子供の性を切り離して考えていたのだろうという話だ。さてと、また話を戻すぞ、諸君よ。
光源氏も、ルイ十六世も、伝説の英雄ギルガメスだって、私の当時の美貌には敵わなかったのだよ。それが、私の紹介だ。さてと、本題の少女の説明に入ろうではないか。この少女、頭にいつもフードをかぶっていたのだよ。それも目元まで隠れそうなぐらい深く深くかぶっていた。私も彼女の目を見たのは数回しかない。彼女はとある研究機関に入れられていた。αと呼ぼうか、その研究機関を。αはいわば当時の表向きは戦争孤児の養護施設、そして裏では研究機関αとして活動していた。なんだって? なんで一端の大学教授である私が、そんな異世界中二病設定の世界と接点があるかだって? そんなもの、当時の私に聞いてくれ。当時の私は自由気ままに世界を放浪するライダーだったのだよ。これが私のさらなる紹介だ。
αにはたくさんの子供がいた。戦争で親を亡くした子供、生まれたときから戦場で、親という概念すらも戦火の渦に呑まれ消滅してしまった少女、愚かにも旧時代の石器よりもましだが、それでも敵対勢力に傷すらつけることのできない、もはや非殺傷武器となってしまった火薬式突撃銃を振り回し、「父の敵、母の敵!」と意気込む、命知らずの、いや、純情で無垢な憎悪を持つ少年もいた。彼は少年兵に立候補すると言っていたかな。
――そして、さぁ、諸君らお待ちかねのメインヒロイン、私の溺愛し耽溺し寵愛する、
白と私が出会ったとき、彼女の担当をしていた研究者がいた。彼の名前も教えておこう。彼の名前は天延といったかな? 彼の名前は、諸君よ、覚えずともよいからな。私はこの胸糞悪い名前を許さないために忘れていないだけだ。さてと、話を戻そう。私と白が出会ったとき、この研究者天延はライダーである私に一つの話をしてきた。端的に話をすれば、「力を貸してほしい。敵を打ち破るために、ライダーである君の力を借りたい」だそうだ。無論、血気あふれていない私は全力で拒否した。そりゃあもう、出会い系にうっかり携帯のメールアドレスで登録しちゃって、うっかり電話しちゃった子から全力で逃げるぐらいの勢いだった。なんせ当時の私の精力は強かったからな。え? 話が違う? すまないね、歳をとるとこう、二転三転してしまうのだよ。ささ、話を戻そうか。
諸君! 端的に申そう。私はロリコンだ! この「白」という一人の少女を一目見た瞬間から好きになってしまった。無限の愛情がわき出てきたのだ。ライダーというその日暮らしの根無し草。親不孝者の、国家の反逆者たちと言われていた、私が、だ。当時の私は寂しかった…ではないと思う。家族はいた。むしろ、ライダーである以上、家族以上の仲間がいた。しかし、私は「白」という少女を欲した。故に私は加担したのだ。彼女を救うためにと言えば聞こえがいいが、彼女を苦しめることになってしまった。当然だろう、諸君? 胡散臭い戦争兵器を開発する研究者が、少女を実験体とし、いくらかの肉体改造を加えていないはずがないだろう? 戦争孤児を救う救世主など、戦乱の渦に巻き込まれた世界には存在していないのだよ、いつの時代も。ナチ党が政権を握っていたドイツ帝国でも同様のことがあったらしいではないか。つまり、どこの人間も考えることは同じなのだ。諸君らよ、まじめに聞いてほしい。諸君らが一人の少女、少年を救いたい。しかし、それは彼女らに無限の苦しみを与えることになる。苦しみだけではなく、悲しみを与えることになる。そして、戦火は収まらず、血を吸い上げて立派な花が咲くほど、大地が血の海になるのだ。どうする? 私は彼女を助けるために力をかした、その天延という研究者に。彼に比べたらフランケンシュタイン博士なんて、よっぽどあまちゃんに見える。ドイツ帝国のメンゲレ医師よりもよっぽど極悪非道人だった。そんな彼が、何を言ったか? それからの話を続けよう。
彼は「君の乗っている彼を貸してほしい」と一言言った。諸君らには分かるまい。私にとってこれが何を意味しているか。ライダーとしての誇りを捨てろと言っているのだ。ライダーにとって自らの竜を他人に貸す、竜に私の認めた人間以外を乗せる、これらの行為はすべて矜持がない、そして盟約違反は、盟約を交わす私たちライダーに苦痛を発すると同時に、信頼関係にも亀裂が生じる。しかし、私は無論承諾した。なぜだと思う? 諸君らは自らの救いたい少女を助けるために自らが傷つくことを是非とするかは知らないが、私は是とする。故に、私は彼の話の続きを聞いたのだ。当時の私は若かったのだ。目は二つ付いていたが、実際機能している眼なんて一つも付いていなかった。
「では、彼女を乗せてあげてくれ、まずは彼女を竜に慣れさせてやってくれ」と彼に言われた。私は疑問にも思わなかったのだ。彼女のため、それだけで十分であった。諸君らよ、この中には紳士淑女の集まりのため、こんなことを言うのは無粋かもしれないが、彼氏彼女を互いに大切にしたまえよ。少なくとも後悔はしまいよ。それで後悔するなら、諸君らは当時の私と同じだということだよ。ランプンツェルの忌み子姫と彼女を愛した王子を見てもそう思うだろうよ。忌み子ラプンチェルンは王子と逢瀬を重ね、そしてそれを知った魔女に二人を繋ぐきっかけであった髪を切り落され追放され、魔女にその事実を告げられた王子は失意のあまりラプンツェルンのいた塔から落下し失明するが、最後に二人は再会し、そしてハッピーエンドにありきたりな愛しの彼女の涙が失明した目にかかり、再び光を見ることになった王子とラプンツェルンは双子の子供とともに森の中で幸せに暮らしたんだ。いいか、ラプンツェルンのようなクソビッチでさえ、愛するものを手に入れ、そしてそれに後悔せず、必死に生きたからこそ終わりが迎えられたのだ。終焉とはある意味幸せなのだよ。さ、どうでもいい話を置いといて、本題に戻ろうか、諸君。
私に課せられた命令も諸君らに教えておこう。私は天延に協力という形で命令を受けていた。その一つが先ほどの「彼女を乗せて、慣れさせること」そしてもう一つが、「彼女を乗せたまま、前線に赴き、数回の戦闘を繰り返すこと」そして、この二つの命令のどちらにも「彼女を殺さないこと」というものが付いた。無論、私は彼女を、「白」を殺すつもりなどなかった、救うためにしていたのだから。今でも覚えている、私が彼女を救いたいと天延に言った時の彼の厭らしい猛禽類の羽毛をかぶった唇の傾き方を。諸君らにもいるだろう、胡散臭い話を講義の初めから終わりまで終始一貫して延々と話し続ける豚小屋の豚よりも鳴き声がうるさい害虫が。無論、私はそんな虫ではないがね。
命令を受け、私と白は常に二人で行動した。さすがにトイレとお風呂と寝るときは隔離されたが、それ以外はすべて一緒だった。フードを深くかぶるせいで視野の狭い白はしょっちゅう転びそうになっていた。また、実際に転ぶことも結構あったなぁ、可愛かったんだぞぉ、「ふにゃぁ!」とか奇声を発するんだ。そうしているとまるで普通の年相応の、いや、ちょっと甘えん坊の子猫みたいな子供だった。他にも微笑ましい、私と白のドキドキ☆アバンギャルドなアバンチュール数日間な話をしたいんだか、如何せん、講義の時間が過ぎてしまいそうだ。続きを話そうか、諸君。
数日間未だ竜には乗らずにαで過ごした。しかし、その間私はずっと疑問だったことがあった。白の深くかぶったフードだ。私はそれでは前が見にくいよと何度かフードを冗談で触ろうとしたのだが、とてつもなく拒絶された。中に入ると三位一体を起こして世界から拒絶されるという海洋のトライアングルよりも拒絶された。ああ、今思い出してもあれは諸君ら全員に拒絶されて、講義をボイコットされた時よりも深く傷ついた。それ以来、彼女のフード、隠される頭について冗談さえしなくなった。それが、問題だったのかもしれないね、この歳になってこうして、若輩者たちに聞かせていてふと気づいただけだがね。ありがとう、諸君。
そして、白を私の家族よりも近しい相棒、家族、戦友、友、彼に乗せることになった。彼は私よりも博識でさらに世界を知りたがっていた。血の気の多い竜族の中ではかなりの穏健派で何より、人間を愛していた。それに、博識で私より多くの国と地域を回ってきている。そして、私とともに数百万年の時を超えてきた。私は畏怖を込めて、また親愛の印として彼に「識竜イブン」と名付けていた。外見はそうだな、言葉ではとても表せる様ではないのだが、一般的な西洋竜を思い浮かべたまえよ諸君。イブンは碧玉色の鱗を持ち、ああ、逆鱗というものは存在してなかったな。イブンはその逆鱗がある部分をなでてやると犬のように喜んだものだよ。ほら話を信じるかどうかは諸君ら次第だから、私は諸君らの異質なもの、汚物を見る目を今ばかりはないものとして話を進める。
イブンは碧玉色の鱗を持ち、尻尾は太く先端から尾の中腹まで金剛石のように鋭く尖った棘が斑に生え、光を幾重にも反射する結晶の尾で幾万もの同族を、人類を、敵対するものを屠ってきた。翼膜はしなやかで風を大きく掴み、トランポリンのごとくそのうえで跳ねることだってできた。彼はすごく怒ったがね。四本の腕からはそれぞれ立派な手に五本の指が生え、全てに金剛石の爪が生えていた。よく彼をからかったらその五本の爪で器用に私を挑発してきたものだったよ。人間がよくやるように手のひらを上に小指から波打つように招き入れる動作をしてくるのだよ? とってもおかしいだろう、それが私の竜なのだ。そして、彼の顔はどの竜族の同種よりも、いや、竜族全体でみても最高のイケメンだったよ。人間の言葉を使って表現すると至極滑稽だと思うがね。まぁ、諸君らに伝われば幸い至極だがね。何はともあれ、これが、ライダーである私の友だということを覚えておいてくれ。
その私の友と白が初めて顔を合わせた。私は彼が白を認めるかが心配だった。竜というのは気に食わないものを屠る性格だった。彼もそこだけは例外ではなかった。あくまで穏健派というのは好き好んで殺しには出向かない、それだけのことだ。彼と白は長く互いを見つめあっていた。白の半分しか見えない黒い眼と、彼の碧玉色の鱗とは対照的な群青色の深い大海の色をした眼が見つめあっていた。異様な雰囲気だったよ。私が妻の出産に立ち会ったとき以上に異様だった。私は二度とこの立ち会いはしたくないと思ったものだ。え? どっちかって? どっちもさ。
長い沈黙の後、彼は私に白を乗せろと促してきた。どうやら、認めることは認めたらしい。あとはこの先の戦闘でどうでるかだ。私たちはともに竜に乗り、竜と人間との争いが激化する第一前線へと向かった。たしか、第一前線は、今の東京あたりではなかったかな? 諸君らに聞いても知らないだろうし、どうでもいいことか。なに? 知りたい? ありきたりな話さ。東京にある日突然大穴が穿たれ、そこから竜が飛び出してきたのだ。そしてそこからは言うまでもなく、食物連鎖のその頂点を奪い合う醜い戦いが始まったわけだ。ちなみに、私の家族内ヒエラルキーは妻、娘、娘、息子、ぺん太(鶏)、ボブ吉前(セキセインコ)、犬小屋、私だ。頼むから、学校ぐらい私が上位にたってもいいだろう? さて、懇願はこれぐらいにして、話を聞きたいだろう、諸君。あ、退屈だったら出て行ってくれても、単位は絶対やらないが、かまわない。さ、続ける。
第一前線は当然、竜族の圧勝だった。今考えても思う、バカな人類だったと。あんな魔法を使い、天を舞う、巨大な生物を当時の人間が持っていた戦略兵器、重火器、銃器で倒そうなんて。どれも魔法の前に撃墜され、鱗に弾かれ、毒ガスでさえ恐るべき体内循環機能で無効化され、細菌兵器でさえ竜の王者の雄叫びには無効化された。幸いにして人類に光があったのは、竜族の中にも人間と同じく勢力争いがあったということ。人類を滅ぼそうとする血の気の多い奴ら「暴王竜」一派とイブンが属する「聖王竜」一派。そしてこの「聖王竜」一派が人類に、そして全国に展開するαをまとめ上げている中心機関Aへと助力したためここまで持ち堪えていた。とはいえ、「聖王竜」一派は人間界へ逃げ込む際に多くが「暴王竜」一派に喰われ殺され数がだいぶ減り、さらに脆弱な人間を守る事で精一杯で、後退の一途を辿っていた。しかし、前「聖王竜」の長が黄金に輝く自身の肉体をなげうって、大穴に強力な干渉魔法結界を展開し、「暴王竜」一派の進行も一時停止となる。しかし、それでもなお、結界を超えてくる竜は存在した、そしてたった数頭でも十二分に人類を駆逐していたものだったよ。だがね、多くの血が流れ、時が流れ、人類は成長した。人間の手を使って竜を殺す術を得たのだ。諸君もいずれもしかしたら出会う機会があるかもしれないな、この生物進化の決定的瞬間へと。ミッシングリングを自分の記憶の中だけにとどめることが出来る喜びを諸君らにも教えてやりたいぐらいだ。
第一前線へと飛び立った私たちは、一頭の「暴王竜」と向かい合っていた。人類が竜との戦闘を開始して三十年と五ヵ月だったかな。忘れたよ。まぁ、細かい数字なんてどうでもいいよなぁ、諸君! その竜の名前は「アンクセン」と言ったかな。「暴王竜」一派の中でもかなりの大型種で、第一前線で任についていたドラゴンベレー部隊全八百万が死亡し、準対竜戦略兵器「天使の
アンクセンと私たちの戦いが始まったのだよ、そこで。血の第一前線。今でも忘れない。もともとライダーである私は戦い慣れていたにしても、お荷物をしょっているわけだからね。必死だったさ。当時の私は強かった、しかしそれでも人の、最愛の人の命を背負うのは辛く、重たいものだった。ここからはちょっと実況放送のようになるが勘弁してくれ。諸君らに私たちの死闘を伝えたいのだ。では、聞いてくれたまえよ。ここも割と大事なお話だ。
まず初めにライダーである私の武器は大鎌だ。イブンは三大元素、炎、氷、風の魔法を使役していた。またもともと彼は医竜族出…、おっといま机をガタとした君。私の講義中に医龍を読むとはいい度胸をしているね。ま、続けよう。
彼は医竜族、医者みたいなものだよ。血統的に補助魔法、回復魔法を多く使えたみたいでね、私みたいな前衛ライダーにはうってつけの相棒だったわけだよ、そういった理由でもね。
アンクセンは私たちに気付き、巨大な咆哮をあげ、そして急襲を仕掛ける。アンクセンは典型的な補助闇魔法を使役する堕竜族だと彼は言った。その言葉をその場に置き去りにするかのように加速し急旋回! 振り落とされないように二人とも必死にしがみつく。後ろを取られ、後方から無数の死霊を放ってくる。死霊の数匹は死体を貪る鴉に向かい、鴉の小さい足、翼、首を五匹の死霊がつかみ、同時に引っ張り丁寧に五等分してしまった。鴉のおままごとセットのように小さい臓物が地面にまき散らされる。その様を見て高笑いする死霊たち。白はその光景を見て、吐き気をもよおし、吐いてしまう。風圧に流され、吐瀉物が飛んでいくのが滑稽だったのを思い出す。イブンの治癒が発動し、落ち着いた様子の白の背中をさする。ついでにお尻も少し触った気がしなくもないが、私はロリコンではない。え? すごい余裕そうだって? あたりまえだろう? 私はライダーだったのだぞ?
死霊を度重なる旋回と急加速、急停止で困惑させ、アンクセンの後ろを取る。後方に死霊を放つがイブンの業火で焼きつくし、霧散させていく。埒が空かない展開に苛立ちを隠せない私が彼に一つお願いをする。お願いを聞き入れ、小さく喜悦のうなり声をあげ急加速。吹き飛ばされないように彼は優しく白を胸に抱きいれる。私は彼の首元にまたがり、身を任せる。アンクセンの横に並んだイブンはアンクセンに変哲もない体当たり。それでも一瞬姿勢を崩したアンクセンに通り風をぶち当て、さらに姿勢を崩したところに捕縛氷槍を精製され、アンクセンの翼膜を貫く! 貫かれ、重力に負けて落下するアンクセンに私が飛び乗った。そう、やっと私の出番である! 耳を今一度動くかどうか試してみたまえよ、諸君!
墜落の衝撃をアンクセンで吸収し、無傷着地。離れて体制を立て直し、大鎌を構えなおす。アンクセンも死霊たちに氷槍を引き抜かせ、目の前の私に目線を合わせる。「
弱者を見る、圧倒的暴君の瞳をしたアンクセンを汚泥の底から見上げるように私は鼻で笑っていた。そして、アンクセンへと突進。死霊をすり抜け、上空から振り下ろされる尻尾を大鎌で受け流し回避、さらに接近、竜爪による猛撃が右から、左からと交互に繰り出され、全てを大鎌でアンクセンの手にひっかけその威力で回転し回避する。サーカス団のようにくるりくるりと回避を繰り返していると、アンクセンの口腔から黒い光が漏れ始め、黒炎を察知。イブンの補助風壁により上昇、口を開かせる前に、大鎌をアンクセンの鼻頭から下顎まで貫通させ、縫いとめる! 魔法を緊急停止させ、虫を払うしぐさで口元に大鎌にぶら下がる私を取ろうとするが、触れられる前に、自信を中心として弧を描くように半回転。アンクセンの口先を縦に引き裂く。激痛に怯んだアンクセンの目玉に大鎌を突き刺し、眼球ごと眼窩に大鎌をひっかけ、また遠心力で半回転。目玉を抉りだしながら上空に跳躍、鎌の先端に引っかかる眼球を上空で旋回するイブンへ放り投げ、彼がおいしそうに目玉を食べてしまう。私は、落下運動に入り、アンクセンの首元へと急襲する。回転運動をし、回転数を上げ、切れ味を単純加速で増していく。怒気で逆立つ黒色の鱗を叩き割り、内側にあるやわらかい肉を大鎌で引き裂いていく。首が両断され、大量の大気を押しのけて落下する。最後の力を振り絞り、アンクセンの鋭い爪が私のすぐ後ろまで迫っていたが、一歩間に合わず、音を立てて地面に落下した。大鎌を空に向かって振り上げ合図をだす。歓喜の声を上げ、上空からイブンが白をつれて降りてきた。とまぁ、こんな風にあっさりと私が暴王竜アンクセンを倒したんだな、諸君。あがめたまえよ? これがなければ諸君らは今頃ここにいないんだから。――うるさい。ほとんど識竜イブンのおかげじゃないですかーとか言うな。単位がほしくないのか諸君らは! まぁいい、聞きたまえ。
私が疲れて座っていると、イブンから白が降りてきて、蒼白な様子でアンクセンの頭を触るのだ。そして私が残してやったもう片方の目の瞼を閉じてやっていた。私は異様な光景だと素直に思ったよ。そして、その時だ、宿主を失った死霊が白を襲ってきたのだ! 私は一瞬間に合わず、死なせてしまうのか! と心した。しかし、白に死霊が掴み掛ろうとするとき、何かぞわぞわしたものを感じたと思ったその瞬間に、死霊たちは消えてしまった。宿主を失った死霊は、次の宿主が決まるまでその場を彷徨い、殺戮を繰り返すか、魔力切れを起こさせるか、先ほどのように結晶化させるかしかなく、それ以外では消滅しないのに、だ。しかし、面倒事にはことごとく見て見ぬふりをする当時の私。当然、何事もないようにαへと帰還したのだよ、その時はね。今思えば、やっぱりすでに覚醒していたのだなと思うがね。さ、もう半分は終わった。あと少しだ。本来ならば、ここでの白の行動原理と、心境を当時の私との関係性、竜との関係性を考察して、レポート提出を求めたいのだが、割愛しよう。お話したいのだ、まだまだ。
さて、初陣を終えた後私たちはより親密になった。白は身体を、命の主体を私に預けるようになった。それでもフードのなかは見せてはくれなかったがね。ま、そういう女性の聖域があるっていいと思わないかい、諸君よ。諸君らにもあっただろう? ホットパンツに喚起した時代が。絶対領域のオプションに喚起した時代が。まさにそれ! だよ。白の力ずくで取ればそれまでだけど、彼女がすごく見せないように健気に頑張っている、まさに手塩にかけた聖域! そこが、それこそが最高の甘美なる御褒美的意味合いの強いローヤルゼリー配合の栄養剤となるのだよ、私たちのな! さぁ、話を続けようか!
それから私たちは何度か戦闘を行った。巨大な竜も、小さく素早い竜も相手にした。白はイブンに守られ、私が白を守った。イブンは腹を痛めて生んだ愛娘を守るように守り、私も同様の気持ちで彼女を守り通した。それこそ、どっちも性別は男なのに、母性本能のように白を守った。ある意味充実していたよ。好きな人を守れ、戦いに明け暮れる。潤いと渇きを同時に満たす、それでいて衣食住が保障される、不満のない生活だった。だけどね、私は一つの不満があったよ、広辞苑に載る「安定」という言葉の意味の不足にね。あそこに「長続きしないこと」と乗せるべきだとね。
アンクセン以降初の大型種がまた結界を超えて第一前線に出現したのだ。血の気の多い私は歓喜した。しかし、この歓喜虚しく、かなりの老竜で天延からは捕縛命令が下った。しかたなく、捕縛氷槍で翼を奪い、地面に縫い付け、αに回収させた時のイブンがした気高い竜に似つかわしい苦い顔が今でも思い出せる。諸君よ、判断とは常に間違えるものだ。私でさえ、間違いを犯していた。続けよう。ここからは少しおもしろく無い話、かもしれないね。
第一前線から帰還すると天延は私の白を連れて行った。それから数日が、数週間がたった。白は帰ってこなかった。αの研究ブロックに乗り込み、天延を問いただした。何をした、とね。天延は答えた。君に最後の命令をしよう。それが終われば白を救う権利をあげよう。私は二つ返事で了承した。これ以上耐えられなかった。若き私は正常な思考はできない。愚かな。愚かな…! すまない諸君。私は大丈夫だ、続けよう。
数日後、私はαの巨大ホール、模擬戦闘や対竜殲滅兵器の試作が行われる場所へと連れてこられた。あ、ちょっと明るい話をしようか。つい先日、養豚場で育ったみたいな妻と、精肉工場にもうすぐ出荷間近な娘を二人ほど連れて郡山ホールに行ってきたんだけどね、うちのブタ、そろいもそろって弓道してるんだよね。それで、何を思ったか「地球ロリガイア理論」の講演会を聞きに来たのに、「城下町にふさわしい心・技・体を磨くための本格的武道場施設を見に行きたい!」とか言うの。私としては、奈良に城っていう概念があったことに驚きを隠せないわけだよ。それこそ古語の「けり」の詠嘆活用を今一度したくなったね。口調変だけど、ほんと、私のその時の頭の中身を見せてあげたいよ。だんだんでろでろになっていく私の脳味噌をさ、それこそ豚のみそ焼きにしてやろうかと考えたものだよ。さて、もう続き話したいから簡潔に話すけど、そのあと弓道場からの誤射で精肉工場に出荷されて、終わり。ごめん、諸君。本当にごめん。次回の講義はロリガイア理論にするから、心配しないでくれたまえよ。さ、私と白と竜の話に戻ろうか。
ホールに私と識竜イブンの一人と一匹がいた。そして、中央に設置された巨大な檻。人間を閉じ込めるものではなく、隅々に竜の骨や技術が使用された、竜を生きたままに捕えるための檻。一瞬、私たちを大人しく檻の中にぶち込みたいのかと思ったのだが、そうでもないらしい、先客がいたのだ。諸君らもお気づきだと思う。あの時の生け捕りにした老竜だった。諸君よ、現実は小説よりも奇なりという言葉があるだろう。あれは少々変だ。現実は小説よりも凝った演出が無くて簡潔に物事が起こり得るから奇妙に思えるのだよ。現実の未来とは予測しやすい。それ故に小説よりも奇妙な結果になるのだ。あの言葉は小説をよく読む読書家が言うとすごく一致する。複雑怪奇な思考を常に張り巡らし、それを現実の事象に考慮し答えを導こうとする。実際の殺人はサスペンスよりも単純な動機だ。実際のノンフィクションはフィクションより味気の無いものだ。だから、事実、起こり得ることは君が便器に座って用を足す、その動作で起こり得る。続ける。
老竜といえども「暴王竜」一派。無論、暴れずに大人しくしているというのは異常な光景である。たとえ年老い、何かを悟って鞍替えを考えているとしても、ここまで静謐さを保つのは不愉快だった。私は老竜に向かって言葉を投げかけた。殺意の咆哮だけが返ってきた。空気が振動し肌をちくちくと刺激する。イブンも静かな威嚇を切り返すように発していた。両竜の威圧感が大気をどかしたようで、私は息ができなくなった。その重たい静謐を砕くように大きな檻の扉が開いたのだ。私は大きく肩を落とし、息を吸ってはいて前に向き直った。諸君、ここから先は聞きたくなくなったら寝たふりをして、音楽再生機で何か楽しい曲でも聞いていたまえ。文句は言わない。
檻から出てきた巨大な体躯を有する一頭の緑灰色の竜。鱗の表面は所々剥げ、翼膜には虫に食われたように穴が穿たれていた。前足は指が数本欠け、後ろ足は肉がそぎ落とされ、完全治癒しなかったのか生々しい傷跡が残っていた。傷跡から見える血管の脈打つ姿が、老いても暴虐をしようという太古からきっと変わらぬ意志を示していた。その意志の並々ならぬ圧力を発する部分があった。老竜の頭へと目線を移した時だ。私は堪えきれぬ吐き気をもよおし、嘔吐した。若き私は未熟だったのだ。宝物のように大事だったものの惨劇に脳が、心が耐えきれなかったのだ。
老竜の頭。下顎から一人の人間の身体の首から下が力なく垂れ下がっていた。真っ白のローブには私が見ていたものと変わりなく純白で、場に不似合いな爽やかな風がローブの裾を揺らしていった。老竜が頭を動かすたびに慣性に従ってゆらりゆらりと空中を舞う、奇怪な光景だった。諸君らは分かるか? この異形さが。老竜の下顎には髭ではなく、牙ではなく、人間が生え、その人間はまだ生きているような血色であったのだ。血も出ていない、完全に融合しているという表現が似合った。大きく口を開け、咆哮する老竜の口腔の中に微かに光が差し込み、口内がうっすらと視認できた。そして私はまた吐いた。口腔の中に見えたのはぶら下がる人間に足りない頭部。そして、彼女、「白」の顔だった。そしてまた一つ人間倫理をブチ壊す事態が見えた。諸君なんだと思う? 諸君らにはきっと想像がつく人間とつかない人間の二種類に分かれるだろうね。分かった人に、単位を…やめだ、続けよう。
静かに目を閉じて、小さく口をキュっと釣り上げて微笑む彼女の頭部から無数の一本一本がまるで自我を持っているかのような動きをする、赤ちゃんの腕ぐらいの太さの触手が生えていたのだ。そして、その触手が目覚め、窮屈だった彼女の頭部から解放され、大きく伸びをするかのように咆哮する老竜にお構いなく口腔内から眼球潰し、咆哮が悲痛な叫びに代わるのを待たずに老竜の全身へと触手が肉を掻き分け、臓器を掻き分け、中枢神経から末端神経まで、脳味噌のニューロン回路を制御し、シナプスまでも自らの意志で制御できるようにしてしまったのか、すぐに大人しくなった。彼女はその間、意識がないのか変化のない冷たい微笑みをしていた。すぐ上では無数の触手が蠢いているのに。それがまた異様で、すごく私は死にたくなった。救えぬ絶望と、彼女のスカーフの中に隠されていたものの、人知外れの物体に。脳内キャッシュが制御しきれない。死ぬかと思った。ま、今こうして軽々しく諸君に話せるぐらいには平気になったんだけどもね。
三度目の嘔吐がわきあげたが、すでに吐くものがなかった。私は口を拭い、イブンにもたれかかり、臆病な意志を固めて固めて、ちっぽけな希望を作った。老竜を倒し、彼女を救い出すと。どうにかなるだろうと。継ぎ接ぎだらけの楽観主義者にその時だけはなろうと決めた。そうやって戦うことにしたのだよ。諸君らにもいつか来るから、覚えといたらいい。継ぎ接ぎだらけの楽観主義の作り方を。もっとも、自分で作るしかないのだけどね。
私は久しぶりにまじめに竜にまたがったと思うよ。ライダーとして久しぶりに戦わねばならないと覚悟した。大鎌ではなく、識竜イブンの牙で作った竜槍を持ち、イブンの背に乗せてもらった。イブンの首筋にやさしく口をつけ、ともに戦うことを決めた。イブンが呼応するように大きく羽ばたいた。老竜も大きく羽ばたいた。触手の力か何かは分からないが、先ほどよりも精悍な顔つきになり、若返っているように見えた。鱗は輝きを取り戻し、体は深緑を思わせる黒緑色になり艶やかさを体現していた。空洞が空き、触手が蹂躙したあとの眼窩には二つの目が復活していた。一本の雄々しい角が頭部の皮膚を破り生え、さらに角の周りを触手が絡まるように巻きつき、巨大な角へと変貌する。欠損していた爪は触手が束になり補い、生々しい傷跡にも触手が巻きつき、皮膚や鱗を形成し、一体化する。そんな中、変化がなく依然としてぶら下がる白の身体があった。それが希望だったのか絶望だったのか分からないが、私は彼女を救うことだけを考えて、自分がどこぞの王様から魔王討伐を命じられた一端の勇者だと思い込んででも、この場を打破するだけの勇気を振り絞った。
老竜が大きく口を開け、巨大ホールの天蓋に大穴を穿った。大穴を穿つのは束となった触手の群れ、その時私はこの老竜にはもはや魔法を使うだけの脳は残っていないのかと錯覚していた。
天蓋に一つの大穴が開き、穴の周辺から瓦解を始める。地面へと落下する無数のコンクリ片、鉄筋、鉄片。人間大はありそうな巨大な破片が降ってきても私たちと老竜は微動だにしない。自動展開される氷剥結晶壁が砕かれながら破片を防ぎ、無数の触手が的確に一個一個の破片から老竜を守る。イブンが静かに魔法数種同時詠唱をし始め、私も攻撃態勢を取る。無数の触手がそれに反応するかのように宿主を守ろうとする。準備が整った。私はそう確信した。始まるのだと、これからどちらかが死ぬ戦いを始めるのだと心した。
私は、イブンの首元に再びキスをした。
大地を疾走する巨躯。翼をたたんだ天空の覇者が地上を駆け、老竜へと突進する。自らの牙を氷で覆い、極寒の凶器となった氷剥牙で大きく首に齧り付く。本来の二倍近い長さを誇る上下の牙が首を貫通し、氷の牙に触れる周囲の体組織を壊死させていく。鱗は白く粉をふき、銀色の砂のようにさらさらと風に流されていく。悲鳴を上げる老竜を確認するまでもなく老竜の上へと飛翔、体組織や鱗が壊死した首の一部分を狙って竜槍を突き刺す。腐乱した肉に何の抵抗もなく突き刺さり、そのままイブンが超高圧に圧縮し、瞬間的に一○○○気圧を作り出し圧搾する風監を、竜槍を媒体として展開。老竜の首が呆気なく気圧に押しつぶされ肉や血管が完全につぶされた状態で周囲に飛び散る。が、無数の触手が竜槍を弾き飛ばし、触手が伸び頸椎を修復。頸椎を取り囲むように巻きついていきすぐさま体組織と一体化をし、細胞分裂を繰り返す。ものの数秒で首が修復された。
空中にとんだ竜槍を手に取り、イブンの背へと着地。イブンが威嚇をしながら距離を取った。速攻で事態を収拾しようと思ったが敵わなかった。私たちに思い知らされる桁違いの再生能力、竜が本来持つ再生能力をはるかに凌駕していた。彼女の顔が老竜の牙の隙間から垣間見え、私たちの精神をさらに圧迫していった。
老竜が跳躍、超低空の位置から
老竜がもがきだし、触手が統制を失い、イブンはその隙に脱出。落下する私を背に乗せ、捕縛氷槍を老竜中心に球描くように多重展開。先ほどのうっぷん晴らしということらしい。一糸乱れぬ統制で同時に老竜へと向かう槍の群れ。一部統制を取り戻す触手が迎撃するが、防ぎきれずに右前足、顎先端、腹部、尻尾数か所に被弾。足は絶対零度によって即座に壊死し、崩れ落ちていく。顎は砕かれ彼女を守るように結集する触手が見えた。腹部に刺さった氷槍は即座に対熱魔法によって溶かされ壊死を防ごうとするが、老竜の口から緑色の血液が吐かれ、臓器の機能低下及び、穿孔が確認された。尻尾は虫食いにあったように削られ腐り、壊死していき、触手が巻きつくように修復へと蠢いていた。
イブンが追い打ちのように突進し、一歩出遅れた老竜も突進する。巨躯と巨躯がぶつかり合い、大気を揺らす。振動に大きく揺れる白の身体が首から千切れそうで恐ろしかった。前足と前足が絡み合い、後足と後足が蹴り合い、イブンが首に噛みつくのを老竜が振り払い、禍々しい大角でイブンの肉を、顎を抉り、左眼窩を砕く。怯むことなくイブンは大角を氷剥牙で砕き、老竜が折れた角でイブンの頬を殴打し、大角の根元から抉り取るようにイブンが大口を開け、大角を根元から千切り引き抜き、尻尾に勢いをつけ老竜を強打、大地へと叩き落す。
初速を与えられた落下物となり、大地に轟音を立てながら落下した老竜は立ち上がろうにも足は砕け折れ、肉がずり落ちていた。触手が巻きつくことで骨を補助し、肉を形成しようやく立ち上がる。折れた角の断面からは無数の触手が腐肉をあさる蛆虫のように蠢いていた。私とイブンも大地に着地する。異変に気付くイブンが捕縛氷槍を圧縮風砲にて加速させ、老竜の蠢く角の断面へと打ち込むが、触手に弾かれ、そして蠢く触手を分け出てくる何かが見えた。気味の悪い粘液を垂らし、黒緑の触手とは対照的な真っ白な顔と真っ白なローブから伸びる手足。顔は相変わらず無垢な笑みを、あどけない笑みを浮かべていた。年相応の花の咲く庭園ではしゃぎ回る、小学低学年ぐらいの女の子の笑顔だった。ただ先ほどと違ったのは、眼球から血が涙のように流れ出ていたことだった。筋肉収縮が無いのか、目は見開かれたままで、槍先が水晶体まで突き刺さった眼球は私に見せつけるかのように彼女の目に存在していた。まるで当てつけだ、私は目を伏せイブンの首を殴った。雄々しく一枚一枚が鎧のように固い鱗は私の拳を逆に傷つけるだけだった。諸君、自分のしたことに責任を持ちたまえ。そして寛大でありたまえ。寛大であることはどのような艱難辛苦さえも乗り越える。逆境を乗り越えるには乗り越えるだけの駄賃となる余裕が必要なのだ。伊能忠敬だって幾マンもの逆境を乗り越えてきただろう、というよりも彼の場合、物理的逆境を多く乗り越えてきたのだがね、坂道的な。すまん、ちょっと話の流れを変えすぎた。もどろう。
老竜の額を座するように白が浮き上がってきたのだ。そして、彼女は見開いた。そこから彼女の有痛性の絶叫が続いた。諸君らに話すとこれだけで済むのだが、現実はもっとひどかった。諸君らも想像してほしい、透明な箱に諸君らは詰め込まれている。その箱の目の前に諸君らのそうだな、一番好きな人がいる。ここでは仮に、少女としよう。少女は複数の男性に囲まれ手足を拘束され、ライトアップされた木製の椅子の上に手錠で拘束され、足は紐で椅子の脚に結ばれて、一人の男が少女の真っ白な足を指先から太もも、果てには陰部まで舐めあげる。少女は悦に浸るよりも恐怖に怯えている。涙か、汗か、顔からは無数の液体が流れ落ち…っとここにはまだ紳士淑女が在籍していたね。諸君らの皆が下種でクズで外道なら、もっと程度のしれた話をできるんだが、まあ、抑えようか。本筋のお話を進めよう。もう、クライマックスは近い。
触手が白の身体を這いずりまわりが、それでも聖処女のように微笑みを続ける彼女を私は痛ましく見ていた。イブンが悟ったようにもう、殺すしかないと諭すが私には頭で考えることが出来なかった。ただ、呆然と立ち尽くすしかできない。いくらイブンという識竜がいても、彼女を救うことはできない。その無力感が今一度襲ってきたのだ。諸君らにもあると思う。二度潰されるということが。一度は希望を取り戻し、頑張ろうと心に決めるがそれすらも徹底的に壊され、潰され、絶望の淵に立たされどうすることもできず、呆然とすることが。私はその時、そうだったのだ。
イブンが動き、白との完全な融合を終えた老竜の攻撃を避ける。数秒だろうか、数分だろうか。私は頭の中で白とお話をした。私の想像か、それとも彼女と意識がつながったのかどちらかはわかなかったが、いろんなお話をした。
白が好きだった白菜の食べ方の話、鍋がいいよねとか、白菜のくたくた煮も好きだとか。コンビーフの話、ドックフードと同じ味がして、人の食べ物じゃない、こんなもの食べるやつは頭がいかれてるとかいう。咀嚼音の話、せんべいを食べている音を聞くと、やわらかい団子も硬い気がして歯を勢いよく噛み合わせて、舌をちょっと噛んだ、おっちょこちょいな白。ローブの話、よく白がローブをはためかせ、私の前に仁王立ちしては掛け声とともにローブをめくりあげ、残念かぼちゃぱんつはいてます、とか言っていてかわいいかったこと。いろんな話をした。そうして、最後に白は泣きながら一つのお話をしてくれたんだよ。ここから先の話は、事実を再現するために彼女の口調を私の声で再生するという吐瀉物なみの惨状が目に見えるだろうが、どうか、生後六○ヶ月の少女が拙い口調で、喋っていることを想像して脳内補填してくれたまえよ。
『一人の少女がいました。少女はいつも草花の生い茂った草原で遊んでいます。白いローブを着て、真っ白な髪の毛を長く伸ばし、腰ぐらいに白いシュシュで束ねて。そこに一人の男の人が来ました。有体に言えば、「ゆうかいはん」です。ゆうかいはんは彼女を誘拐しました。そうして、ひと月がたち、少女はいつもフードをかぶっての生活を余儀なくされました。連れてこられて数年がたったある日、人と竜が訪ねてきました。ゆうかいはんは汚らしい笑みをして、彼らを招き入れました。私は次の実験が始まるのかと、物置でびくびくしていました。その尋ね人はお話が終わった後、少女の元に来て、少女の頬を撫でました。私はとっても心地が良かった。きっとうすうすながらもあなたは気づいていたのでしょうね。頭のことを。あの時、頭を触れなかったときそう思いました。少女とその一人の旅人とその竜との不思議な生活が始まりました。少女はいっつも旅人にくっついて行動を共にし、時にはあの人類の叡智を超えた存在である竜にすらやきもちを焼かれてしまいました。たくさんある真っ白のロープの一つに端が焦げて黒煤けた色になったのがあるけど、あれはあなたが見ていない時にイブンさんがやきもち焼いて、火を噴いてきたのよ? おもしろかった。しばらくして少女と旅人と竜は戦場へと赴きました。そうして一匹の竜を倒しました。少女はただ、旅人の竜の背にしがみ付いていました。怖くて仕方なかったのでしょう。でも、これも研究です。少女に、また旅人に拒否権はありませんでした。それから数回の戦闘が行われました。泡沫に時が流れ、少女はゆうかいはんに連れて行かれ、「最後の実験」をすることになったのです。目が覚めることはありませんでした。そして次に旅人さんとその少女が出会うのは、寂しいホールの中心でした。イブンさんが凄まじい怒号をあげ、竜眼は慈悲にあふれていました。私はやさしく微笑んだつもりだったのですが、届かなかったのかな? それから体を蛆虫が這いまわるような悪寒に襲われ、少女は自分の惨状に気付きました。受け入れられず、心から叫びました。だけれども声は出ませんし、頭の違和感を確かめようにも手足は動きません。目の前には汚らしい口腔と黒い歯石、腐臭を放つ淀んだ涎、後頭部にはぬるりとした生ぬるい風があたってました。少女はすべてを見てました。あなたたちがぼろぼろになって、私の眼球に槍が投げられて。そうして今、私がこの老竜に取り込まれていることも、当然、私の脳に触手たちが私の意志とは別に蠢いていることもすべて知っています。けれども、幸か不幸か、私には触手たちの感覚はありません。なんでしょうか、きっと帝王切開をされる妊婦たちが麻酔をかけられ、意識が覚醒した状態で腹の中をぐちゃぐちゃと触られる感覚です。しかし、それ故に私は怖いのです。私はおもちゃではない。悲鳴の上げれないおもちゃではない。触手たちに体中を弄られ、頭に寄生されようとも、私は…いいえ、殺してください。きっと、ゆうかいはんのやることです。私はいずれ正気なんて保てなくなります。陳腐な話です。いや、必然ですね。いつもこうなんです。操られたマリオネットなんて言ったら聞こえがいいですが、操られた敵を救うことがなぜできないのか。簡単ですよ、救われることを拒否するのです。死ねば幸せだった記憶だけで人生が終わります。でしょう? 「幸せ」、でしょう?』
『ですから、さぁ…殺してください。
――私はね、当時、とても弱い。諸君らにこんな話をしていられる心の余裕なんて人参もなかった。アオミドロぐらいしかなかった。情けを懸けることは正義かと問われれば私は答えられなかっただろう。私は殺すことにすごく躊躇した。白に与えた愛情はすべてこの時の悲劇を大きくするためだったのかと、白に与えた思い出はこの時に絶大な威力を発揮するために植え付けたのかと、そんな自分が嫌になった。考えた。すごく考えた。諸君らの脳のキャパを優に超える演算速度で幾通りもの最上のパターンを選出した。どれも、白は死んだ。私は泣いていた。どうしようもないのだ。確信してしまった。決めたならば、するしかないと怯える心を奮い立たせた。諸君らもきっとそんなときがあるよ。これは年長者からのアドバイスだ。世の中は自分が行動した分だけ変化すると覚えておきたまえ。さて、話を戻そう。
同じ話を聞いていたイブンが真っ先に最大出力の捕縛氷槍を氷の檻を作るように展開し、射出。格子状に、的確に、老竜の身体を射抜き、触手の動きを限定し、私が白の元へと行きやすい状態を作り出す。私は戸惑ったが、老竜と触手が暴れ、氷の檻は着実に崩れていく。時間に呑まれるように白の元へ飛び移り、白に触れる。頬は初めて触った時のようにほあほあと暖かかった。諸君らに年長者として味わわせたくないものが二つある。欲に溺れたときの女の味と愛娘の首を絞める時の感覚だ。
私は全力を持って白の首を握りしめた。少女の未発達の首は容易くつぶれ、七つの椎骨がパンゲアの離散のように離れていくのが手にとって分かった。鋭利な骨で傷つき内部出血。少女の白い肌が赤色に内側から染まっていく。私は手を離せなった。白の顔から笑みは最後まで消えなかった。
老竜の動きと触手の動きが止まり、白の眼球を形成していた触手も分解され眼孔のみが取り残された。ずるりと白の身体が老竜から剥がれ落ち、首を握っていた私ごと一緒に落ちていくのをイブンが優しく受け止めてくれた。地面に降り立ち、ようやくゆっくりと手を離していく。止められていた血が一気に口からあふれ出し、白の唇を血化粧に染めた。頭部からは動きを止めた触手が数本、白の脳から直接連結され生えていた。私は静かにハンカチを取り出して、頭を隠してやった。イブンが大きく空に吼える。涙の流れない竜の慟哭だ。私には声を出すことも涙を流すこともできなかった。ただ、微笑む白の頬を人差し指で撫でることしかできなかった。数時間後、天延がにこやか顔でやってきたのを今でも覚えているよ。諸君にもいるだろ? 最高に爆散させたい笑みを持つ頭部が。それだよ。
天延は鼻歌を口ずさみながら私に一言だけ言ったのだよ、なんだと思う? 「どうぞ、持ち帰ってくれ」と満面の笑みでね。私は殴ることも殺すこともしなかった。イブンもただ、瞳で見つめているだけだった。私は白を抱き上げ、イブンに乗って去ろうとしたが天延が思い出したように私に近づいて、白へと手を伸ばした。「忘れていたよ、これはもらうよ」そういって、白の触手の生えた脳味噌を鷲掴み、素手で引きちぎり、持ち去った。さまざまな血管が糸を引き、糸に引っ張られるように眼球が奥へと少し引っ込こみ、それから大量の血があふれ出した。私は唖然としていた、「さてと、これで用事はないよ。さあ、帰った帰ったぁ! はは」と言い、脳を振り回す彼に! 哀切も憤怒もすべて忘れてしまった。ただ無様な敗北者として巨大な竜に乗って静かな草原へと飛び逃げるしかできなかった。諸君よ、あと少しでこの講義も終わる。ご清聴ありがとうと、先に言っておこう。
草原に小さな穴を掘って、脳がなく眼球の欠けた少女の遺体を埋めた。たくさんの白い花を投げ入れて「白」という名前に沿うように真っ白な埋葬をしてやった。竜槍を墓標として地面に突き刺してやった、白を守ってくれるように。イブンが私に頭をこすり付けてくる。心配してくれているのだ、彼は優しい竜だった。イブンにキスし、また旅に出ようといった、彼は小さく嘶いた。墓から離れ、いざ旅に出ようとしたが、私の足は墓へと走り出していた。そして、墓の前に座り込み、泣き始めた。子供になったように泣いた。ぶつけるようにもぶつける力がないために、ひたすら泣き続けた。目をこすり、涙を手で拭った。次第に涙を拭うこともせず、目をつぶって流し続けた。
それから数分後目をゆっくりと開くと目の前に大きな影が出来ていた。そして、背中にどばどばと液体の当たる感触がした。髪の毛も濡らされていく感じがした。地面に落ちる水滴は真っ赤な色をしていた。次第に流れ落ちていく水滴の量が増え、滝のように流れ出した。私はとっさに理解できず、イブンが大声を上げて叫んだ。早く、私の下からでろ! と。私はとっさに竜槍を引き抜いてイブンの下から抜け出した。そして全容を理解した。一本の巨大な槍がイブンの背中を貫通し、先端が腹部からはみ出していた。周囲には氷の破片が散らばり、防御魔法も展開した形跡があるも薄い紙を貫くように粉砕されたに違いない。減速さえすることがなかった巨大な槍を身体で受け止め、私を守ったのだ、優しき竜よ。私はその場に崩れ落ちた。何も考えることが出来ない。最愛の人を失い、友を失う。私はどうしたらいいのかと、音のない声で叫んだ。諸君らにもあるだろう、どうしようもない気持ちの流動だ。制御できぬ、理解できぬ、自らの中に迸る本流なのに、制御できないのだ。
私が立ち尽くしていると、二本目の槍がイブンの頭部を貫き、大地へと縫い付けた。眼球が潰れ、脳を破壊し、上顎を穿ち下顎を穿ち、イブンの心臓の音が消えた、死んだのだ。一人と一頭の墓がここに意図せずしてできてしまった。私は無心になった。きっと当時の私はブッダが涅槃に入った時のような静寂と冷静さと、そして憤怒を覚えていたよ。四苦という概念を考えた彼は天才だとも思った。しかし、争わないその姿勢には甚だ嫌気がさす。だがね一番嫌気がさすのは当時の自分自身だったよ。
私は恐れて逃げ帰った。走って走って逃げた。丘を下り、町に逃げ込み、竜槍を湖へ投げ捨て、全てを放棄した。「白」という少女を助けられなかったことを、天延という怪物を、そしてしばらくの旅を共にした友を。すべてから逃げ、放棄した。諸君らも時機に理解する。人の弱さを。高く積み上げた積み木を破壊された時、人は逃げるのだ。高く積み上げた外壁が破壊され、侵入された時人は内に逃げ込むのだ。白という少女を破壊され、友を破壊され、目の前には巨大な槍が無慈悲にそびえ立つ光景が広がる。畏怖ではない、純粋な恐怖だ。人間の遺伝子に刻まれた生命本能に則った恐怖なのだ。仕方がない。それを屈服させるほど私は老熟していなかった。私は逃げたんだ。それだけだ。
とまあ、こういう終わり方で腑に落ちないかもしれないが、これで終わりなんだ。諸君よ、今までの話で何を学んだが、何を知ったか、それを八百字以内でまとめて提出しろとは言わない。老人のつまらないお話に付き合ってくれたことに例を言おう。もっとドイツの人体実験の話とか、再生細胞の育毛効果とか、亜鉛摂取による弊害とかそういったくだらない話をすればよかったと思うが、まあ、たまにはいいだろう。ん? 諸君なにか質問かね? ああ、なるほど、それから先「世界」はどうなったか、か。いい質問だ。
簡単な話さ。英雄が悪を滅ぼしたんだ。別の話ではない、終わりの話さ。ただ、私が主人公ではないということさ。私は友を「天使の杖」で失い、敵を「天使の杖」でブチのめしただけさ。それぐらいでは世界は変化しなかった。救ったのは自殺癖のある少年少女五人組。次にその話をできるといいね。どうせ、私の育毛奮闘記なんて聞きたくないだろうし、マテオ=リッチと伊井直助の地図作成バトルとかも聞きたくないでしょう? はは、まあ、そろそろいい時間だ。終わろうか。久しぶりに鬱屈した今を抜け出せた気分だよ。昔に、昔の光を浴びていた時を思い出す。それでは、本講義をこれで終わる。諸君よ、解散だ。
あー、あー。終業チャイムがなり、五分経過したというのに、未だにデカい尻を持ち上げて移動しようとしない諸君らよ。まったく、思い出話をすると記憶と性格まで当時に戻って口調が変わってしまうのが難点だと思わんかね。まぁ、私にも諸君らと同じようなクズで愚鈍な時代があったと考えれば月並み程度の親近感が湧いて好感度もあがろうよ。人間万事塞翁が馬にケセラセラとルビをふられた時の気分だよ。ケセラセラとケセランパセランだってきっともとは一緒なんだと考えるのだよ諸君。それが世界調和の礎だ。甲斐性のある諸君らだったが、本講義によって不精になること間違いなしだと私は思うね。歳をとるというのは悪いことではない、諸君よ、脈絡のないことだがそれだけ覚えておくと人生楽しいぞ、きっとな。
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