オズのこどもたち

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序章 昔、僕らが終わった日の話

 世界が揺らぐその風景を、僕は今でもよく覚えている。


 今にも壊れそうなほどにぼろぼろな鉄柵は、鍵の壊れたマンションの屋上と眼下の世界を分けているたったひとつのものだった。一段高い場所に設置された給水タンクの縁に腰をかけると、世界はとても小さく、時には大きく見えたものだ。

 夕方。次第に暮れていく空と共に、町には明かりが灯り始める。

 遠くまで並ぶ同じような町並みの、どの明かりも僕たちのために用意されたものではない。それが、何よりも寂しかった。

 ――寂しい。

それだけが、その頃の僕たちに用意された感情だった。


 やがて、太陽は遠くの山の稜線に白い光だけを残して、景色の向こうに沈んでしまう。


「……帰ろうか」


 僕の隣に座っていたドロシーが、ぽつりと呟く。

 給水タンクの置かれた高台の縁に座っていたライオンの僕も、柵に寄りかかって景色を見ていたブリキの少年とカカシの少女も、その言葉にうなずいた。


 また明日。

 その言葉は、もはや告げる必要もない。


 今日このときが僕たちにとっての終わりだ。

 ただ、それだけのことだ。



* * *



 その建物は随分と小さく見えた。

 鎖でぐるぐる巻きにされた入口は、持ってきた工具を使えばいとも簡単に開いてしまう。

 僕はため息をついた。

 あの頃は絶望的に感じたことも、今思えばなんてことないものだった。

 幼いということは、それだけで幸せなものだ。

 それだけで、罪なものだ。


「行こうか」


 ドロシーが扉を開けた。

 時が流れても、彼女は変わらない。

 長い薄茶の髪は、照り付ける昼の日差しの中でまるで金色の光のように見える。記憶の中と同じ白い肌や薄紅色の唇に、僕は妙に安心していた。

 髪や肌と同じで、瞳の色素も薄い。榛色はしばみいろの大きな瞳で、ドロシーは僕を怪訝そうに見やる。


「…………どうしたの」


 なんでもないと僕は首を振る。そんなやりとりすらも僕は懐かしく感じて、少しだけ唇の端を上げた。彼女も、微笑む。


「行こうか」


 今度は僕がそう言った。ドロシーが頷く。


「約束覚えてるのかな、皆」


 格子状になっている鉄の扉は、嫌な音を立てて開いていく。

 僕の手が触れるたび、昔は緑色だった塗装がぽろぽろと剥がれて落ちる。汗で湿った手のひらに張り付いたかすをその度に払ってはいたのだけれど、きりがないから止めてしまった。

苦労している僕を見て、ドロシーは涼やかな笑い声を上げる。


「……何」

「ううん、何でもない。きっと皆、覚えてるよ。何たって、ライオンが忘れなかったんだから」


 その言葉に、僕はどっと顔を熱くする。

 随分と酷い言い草だと思った。


「僕は今まで一度も、忘れたことなんかない」


 そう言ってやりたかったけれど、何故だか言葉にならなかった。

 ドロシーの笑顔は魅力的だ。目の前にすると、いつも言いたかった言葉は宙に浮いてしまう。

 僕の努力の甲斐もあって、扉は無事に開いた。

 ドロシーには一度も触らせていない。それは彼女の仕事じゃない。手を汚して、汗を流すのは僕だけでいい。


「行こうか」

「三回目だよ、その言葉」

「そうだっけ? なら、早く進もう」


 僕は一歩を踏み出した。

 その階段は建物の外側に作られている。昇る人間が落ちないように、螺旋状の非常階段をぐるりと鉄の柵が覆っていた。

 取り立て珍しいわけではない。同じようなものはどこにでも存在する。ただ、だからといって見落としていいものでもない。そのフォルムは、僕たちを魅了するのに充分すぎた。屋上に続いているとあれば尚更だ。

 管理会社の手落ちか、それとも怠慢か。屋上と階段を遮る、これまた格子状になった扉の鍵は、その頃からすっかり腐食して崩壊寸前だった。

 昔は、ここが取り壊されることになるなんて思いもしなかった。それが再会の約束を果たす時期に重なるなんて、運命というのは不思議なものだ。

 それとも、だからこそ僕たちはこうして再び会う約束をしたのだろうか。

 子どもの頃の小さな世界。小さな社会。押し潰されそうなほどに黒くて深い思い。

 僕たちは、暇さえあれば屋上にいた。四人だけの、それは小さな世界だった。

 昔の話、今も続いている過去の話だ。

 僕とドロシーとカカシとブリキの世界の話だ。

 成長した僕たちは今日、それを確かめに行く。


 ――――僕たちは繋がりを失っても生きていけたのか、どうか。

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