23代:アッシュ帝紀中編 -即位-

 皇帝の死。

 それは専制国家にとって重大極まりない問題である。

 ただし、今回の場合に限って言えば、皇帝の死そのものは、なんの問題もなかった。ほとんど「バーチャル皇帝」と化していたとは言え、暴君は暴君。死んでこれ幸いというものだ。その国葬では、各国からの弔問客が、不謹慎ではないか、と眉をひそめたほどに、家族をはじめ、首相も貴族らも明朗快活であった。

 むしろその後のほうが、みな深刻であった。歴代どの皇帝においても共通するのが、死んだあとの後継問題であった。

 フン帝国においては、二兄弟や、三兄弟の後継争いというのが、たまに起こる。

 それぞれの支持者は、応援する候補者に自分の将来をかける。多くの場合、候補者に対する真の忠誠心などない。

 だが、候補者が敗れた時は、ろくなことにならない。

 出世の途を失うくらいならまだいい。新しい皇帝が残忍だったりすると、巻き添えを食って処刑されたり、族誅されることだってある。

 今回の場合、後継候補の3人の皇子は、どれも性格破綻者ではなかった。一方で、兄弟仲良く政権を支え、政策を進めるということもなさそうである。3人共、能力はある。誰がなっても帝国の繁栄と安泰は継続しそうだが、歴史を見ると、皇帝になってから豹変した人物がいないわけではない。

 すでに支持勢力が形作られつつあった。

 長男ジランを支持するのは中下級の貴族と平民からなる官僚層。何しろ銀河最大級の国家であるため、中央政府の官僚だけでも大変な数になる。これに各地の惑星政府、地方政府も絡むと大変な勢力であった。

 次男ムードを支持するのは、大貴族。特にその師弟たちであった。大貴族は代々の皇帝によって力をそがれていったことや、領土拡張に伴う平民の数の増大で、相対的に弱体化しつつあった。とはいえ、非民主的な法制度上や、武力においては、まだまだ一定の力を保っている。

 3男アッシュは、勢力としての支持母体は小さかったが、潜在的な支持者の数では二人の兄を凌ぐほどにあった。しかも階級的にまたがっているのが特徴と言える。つまり、縁戚関係のある大貴族や、政治的安定性を求める政治家や学者、地方領主ら貴族たち、中立性を好む軍人層、そして帰国時のイメージなどもあって彼を帝国のアイドルとして見がちな一般平民。

 政策目標においては、ジランとムードに違いはない。どちらも、銀河帝国樹立が最終目標である。

 しかしその「色」は異なっていた。

 ジランは行政機構的な意味合いでの統一国家を目指していたのに対し、ムードは権威的な意味合いでの統一国家を目指していた。その違いは、銀河帝国計画の方針の違いでもある。ジランは経済力を背景に、外交力で各国を取り込んでいき、緩やかな国家連合を経て、実質を伴った段階で銀河帝国を樹立し統一国家とする考えであった。それに対しムードは、先に「銀河帝国」を建国した上で、その武力による併合と権威に基づく朝貢関係の確立によって統一へ持っていくべきだと考えていた。

 アッシュはといえば、政策的な目標はない。そもそも彼は皇帝になろうと思ったことすらなかった。

 彼が描く国家像がないのだから、当然、党派も形成されない。

 だが彼にそれを求める人も少なからずいた。

 ジランとムードの権力争いが強まる中で、アッシュに期待する人々の中に、アッシュに明確なビジョンを示すべきだという人が増え始めたのである。

「仮にお考えになってみる、というのはどうでしょう」

 ある日、アッシュの相談を受けたレティオラは、そう答えた。

「仮に?」

「はい。それをお示しになるとか、それで政策を進めるとかではなく、仮にアッシュ様がこの帝国を受け持つとしたら、という前提でお考えになってみて、その結果をもって、皆様にお示しするかどうかもお決めになればよいのではないでしょうか?」

 つまり自分の中だけのバーチャル的な国家像を考えてみるということか。

 ワンクッション置くということである。

「でもなあ、自分は兄たちのように、将来のビジョンもないからなあ」

「お兄上様方のような、銀河帝国計画というのは目標にはなさらないのですか?」

「レティオラも我が帝国が将来、銀河帝国になるのを望むのかい?」

「いえ、わたくしにはそのようなことはよくわかりませんので……でも、」

「でも?」

「すでに決まってしまったことなのでしょう? みながそれを目指しているというのであれば、あえてそれを否定するのは難しいのではないかと」

「それはそうなんだが……」

 高い目標を掲げて見せることは、人々をまとめる良い手段ではある。

 しかし、銀河を統一するという事自体、そんなに必要なことだろうか。

 地球という一惑星、太陽系という一星系から、人類は銀河へと進出した。それから数千年の時を経て、銀河の6割に広がった人類は、それぞれの地域で独自の文化を築き上げていった。多種多様な星間民族が生まれた。生物としての人間はまだ共通しているが、それでも言葉や思考や技術や文明は大きく異なる。我がフン帝国の主体を構成するフン民族もまた、地球から離れて以降に生まれた民族だ。かつて惑星フンベントに入植した人々から生まれた「民族」である。

 それを今更一つにまとめて、どんな意味があるのだろう。

 銀河統一と言えば聞こえはいいが、それを人々が本当に求めているのであろうか。

 

 

 巨大な邸宅の正門入口に高級車が近づいてきた。正門をくぐり邸宅の玄関前車寄せまで進むはずだったが、急にブレーキを掛けて停車した。人影が正門そばの路上に現れたのをAIが気づいたのだ。助手席の護衛兵ガイスト中佐がアームレストから銃を取り出す。護衛とは言っても、アッシュの立場ともなれば高級士官である。

 高級車が停車すると、男が駆け寄ってきた。

 門を守っていた警備兵が後を追ってきて腕をつかもうとした。助手席のドアも半分ほど開き、ガイスト中佐はドアを盾にして銃を構える

「アッシュ! おれだよ!」

 男が両手を広げて叫んだ。

 高級車のリアドアが開いて、アッシュが出てきた。

「危険です、出ないで!」

 ガイスト中佐が少しだけ後ろ振り返って叫ぶ。だが、アッシュはそのまま車を降りた。大きく目を開く。

 そこに立っていたのは、アッシュにとって懐かしい顔であった。

「まさか、ウスタジュ? ウスタジュなのか?」

 男はニカッと笑った。

「久しぶりだな、アッシュ!」

「ウスタジュ! ははっ! 久しぶりじゃないか!!」

 警備兵らが不審な顔で二人を見たので、アッシュはこほんと咳をすると、

「すまない。彼は地球時代の友人なんだ」

 中佐はドア影から慎重に立ち上がる。まだ銃を構えたままだ。

「大丈夫ですか?」

「うん。心配ないよ。彼なら大丈夫だ」

 中佐は銃を下ろした。だが車の中には戻らない。

「OK、OK。いいよ、身体検査でも何でもしてくれ!」

 男は陽気な口調で言うと、両手をさらに上げた。

 中佐がアッシュの方を見た。アッシュが苦笑いしてうなずくと、中佐は腰から簡易スキャナーを取り出した。そして男に向かってかざす。画面に男が映る。レイヤーを切り替えると、服の内側、体表、体内と映し出される。怪しげなものは見えない。

「大丈夫だろ? 爆弾も、銃も、何ももってないぜ。サイボーグですらないからな。中まで見られるのはちょっと恥ずかしいけどね」

 中佐は映像を見てうなずくと、警備兵らに合図した。

 警備兵らはアッシュに敬礼を施すと持ち場に戻った。

「歩いて入ろう。車はもういいよ」

 中佐はうなずき、ドアを閉めると車のボディを軽く触った。車はゆっくりと動き出し、邸内へと入っていった。

 アッシュがウスタジュと歩きだすと、中佐が後ろから付いてきた。銃はしまったが、いつでも取り出せるようにしているようだ。

「ウスタジュ、すまない。彼の任務なんだ」

「いいよいいよ、それくらいあってもらわないとね。でもさすがアッシュだ。大帝国の皇子殿下らしいぜ」

「相変わらずだな。でも、こういうことはあまりしないほうがいいよ。有無を言わさず射殺されることだってあるかも知れない」

「ちょっと驚かそうと思ってね、でも次からは気をつけるよ!」

 そう言って笑う。

 実際は、正式に面会を要請したのだが、相手にされなかったので、こういう手段を採ったのだが、それは言わなかった。

 邸宅の敷地に入ると、ウスタジュはその広さと、建物の大きさに驚いた様子だった。

「こいつはすげーな」

「見た目だけさ」

「見た目でも十分だぜ、こいつは」

 応接間にウスタジュを通すと、二人は座った。

 間もなくレティオラがお茶を運んできた。

「レティオラちゃんじゃないか。すっかり美人さんになって」

「お久しぶりでございます。ウスタジュ様」

 いやはは、となぜかウスタジュは照れ笑いをした。

 レティオラが下がると、アッシュはお茶を一口飲んでからウスタジュを見た。

「今、君は何をしてるんだ?」

「企業を経営している。今回フン帝国に来たのも、ビジネスが目的だ」

「星間ビジネスに取り組んでいるのかい」

「まあな。これでも従業員3000人を抱えている。拠点も14の国家に置いているしな。まあまあの規模の会社だ。年間利益も、そうだな、この国の通貨フンダルでいうと、どれくらいかな。5000億くらいにはなるだろう」

「すごいじゃないか。夢がかなったんじゃないか?」

「まだまださ。俺はこんなもので終わる気はないぜ」

「さすが。君は大学の頃から、上の上を見て走っていたな」

「おうよ。もっともっとやるぜ」

「それだけの会社の経営者が、車の前に飛び出したりするなよ」

 ウスタジュは笑い声を上げて謝った。

「それにしても驚いたよ。いつ来たんだ?」

「3日前さ。商売であちこち寄ってから来たんだ」

「どこに寄ってきたんだい」

「そうだな。ここに来る前だと、ハイヘヴン星系へ寄ってきたんだよ」

「ハイヘヴンと言えば、メリスボーンの?」

 メリスボーン共和国。かつてフン帝国を蹂躙した銀河最大の国家だ。今は跡形もない。

「そう。惑星ケロノビスだ」

「メリスボーンは多数の小国に分裂したと聞いているが」

「そうだよ。4割位はフン帝国領になっているじゃないか」

「そうか、そのあたりの地理はよく知らないな」

「まあ、こんだけでかいと無理もないか。ケロノビスはヘラス連邦という国家の首都になっている。3つの星系を領土とする国家だ。恒星間国家だが、かつてに比べると小国だな」

「どんな感じだった?」

「壮大な廃墟だったぜ」

「廃墟……」

「極超高層ビルの林立していた巨大都市の残骸が広がっている。まあ、小国とは言え、恒星間国家の首都だ。ちゃんと整備されているところもあったが、大部分はほったらかしだな。天を衝くようなビル群が半分かた壊れたり、黒焦げになってたり。修復や再開発しようと思えば、それにかかる費用だけでも、たかが3星系国家程度では捻出するのも無理な話だ。もっともこれほどの壮大な景観は銀河でもなかなかお目にかかれない。観光地にはなっているよ」

「そうなのか」

「あの瓦礫の下に、何億もの人間の死体が埋まっているので、壮大な墓地と言えなくもない」

「何億か」

 フン帝国では救国の英雄であるベリゾンだが、彼が母国を救うために行った奇襲作戦で、多くの市民が殺されたのである。向こうにしてみれば、フン帝国は非人道的な国家だろう。

「気にすることはない。それが戦争というものだ。メリスボーンだって多くの帝国人民を殺戮してきたわけだろう?」

「まあ、そうだが……」

「メリスボーンも名乗りこそ共和国だったが、実質は7つの家が交代で政権を担う門閥専制国家だった。フン帝国と政治システムも、規模も、軍事力も、思想も、どっこいだろう。戦争でやっていることは、お互い様というところなんじゃないか」

「まあ、確かに……」

 アッシュは曖昧にうなずいたが、聞きようによっては、ウスタジュの発言はフン帝国を侮辱していると取られても不思議ではない。それに気づいているのかいないのか、ウスタジュは続ける。

「国家というのは、市民を守る城壁のようなものだが、一歩間違えると、その市民を皆殺しにしてしまう。だからといって、国家の存在そのものを否定することもできない。人が集まり、社会を作るようになったら、それは自然と国家になるからな。制度だの法律だの体制だのは、みな後付で決まる」

「なんか不思議だな」

「なにがだい」

「君は実業家なのに、政治家のような発言をしている」

 ウスタジュは苦笑して、

「政治家と言うよりは、政治評論家かな」

「もしかして、僕のところに来たのと関係あるのかい」

 ウスタジュは苦笑のまま、

「そう見えるようじゃ、俺もまだまだかな」

 とやや自嘲を込めてつぶやいたあと、

「いろいろ噂は聞いてるぜ」

「え?」

「皇位継承のことさ。先の皇帝が亡くなってからもう日が経つが、いまだ帝位に誰が就くか定まっていない」

「噂になってるのか」

「そりゃまあ、銀河最大の国家だからね。遠く地球にも噂は流れてきているよ」

 そう言ってから、プッとウスタジュは吹き出した。

「なんだい?」

「いや、学生の頃を思い出してさ。俺もフェルナードも君の国のことを知らなくてさ、君から聞かされてびっくりしたときのことを思い出して」

「あれには僕も正直びっくりしたよ。考えてみれば当たり前だけど、まさか自分の国を知らない人がいたなんて、って驚いたさ」

 そう言ってアッシュも笑った。懐かしく感じる。まだそれほど時間が経っているわけでもないのに、遠い昔のことのように思えてしまう。

 笑いが収まると、ウスタジュはやや真剣な面持ちで親友を見た。

「悩んでいるようだな」

「ん? まあね」

「君の兄さんたちは、すでに方針も決め、勢力も築いている。だが、君は未だに方針を示していない」

「僕は、帝位を継ぎたいと思ったことはないよ。でも、周りが勝手に僕の答えを求めてくるんだ。僕はどうしたいのか。皇帝になった時、どういう政策で帝国を動かしていくつもりなのか、と」

「ある意味じゃ、健全ではあるな」

「どういう意味だい?」

「そうやって、国の将来像を求めるってのはさ。市民がそれを一切考えようともせず、求めようともしないで、ただ政治家の方針に盲目に従ってるような国は、銀河のいたるところにある。そんな国は、いざという時、市民レベルで社会が崩壊していくだろう。それに比べれば、皇帝候補が自分の方針を掲げて争うのは、決して悪いことではないさ」

「そうだろうけど、その選択肢を選ぶ権利は、市民にあるとは思えないよ」

「一見すればそうだが、どんな体制でも、最終的に決定権をもっているのは市民さ。どんな専制主義であれ、国民の同意なく何でもできるわけじゃない」

「まあ、そうだけど……」

 アッシュは黙り込んだ。

「君自身が帝位に興味がなくとも、人々は君の出す答えを待っている。酷な言い方かもしれないけど、君の立場はそういうものだ。お兄さんたちと皇帝位を争うかどうかはともかくとして、君自身の答えは出さないといけないだろう」

「……」

 レティオラと同じようなことを言う。だけど、彼の言うことは間違っていない。

 ウスタジュはカップを持ち上げると、お茶を飲んだ。さすが、出すお茶の品質も素晴らしい。そんなことを思う。レティオラちゃんに、もう一杯おかわりを頼みたいな、などとも思ったが、口には出さなかった。

 飲み干したカップをやや名残惜しげに見たあと、それをそっと置くと、アッシュの顔を見た。

「君の中にはもう、答えがあるんじゃないか」

 アッシュは顔を上げた。

「……」

「どうだ?」

 ウスタジュは顔を近づけてきた。

「あるにはある……」

「言ってみろ。俺にだけこそっと言ってみろ」

 アッシュは少し沈黙した。

 そしてつぶやいた。

「帝国議会を創設する……」

 ウスタジュは笑みを浮かべた。アッシュの答えは、ウスタジュの意中にあるものと同じだったのだろう。それでも、

「……なるほど、議会か。具体的に聞かせてくれないか」

 アッシュはうなずくと、説明を始めた。最初は霞がかかったように曖昧だった構想も、喋ってるうちに形がはっきりしてきた。

 これは国政に携わる議会である。いまもある委員会や賢人会議などではない。すべての国民に直結するシステムでその代表者たる代議員を選出し、彼らをして国政に係る案件を討議させ、結論を出す。その結論を皇帝が承認し、その方針に基づいて行政機関が国政を運営する。そうなれば、あらゆる星系の、あらゆる惑星の住民に同等の権利が与えられる。すべての民族が帝国の臣民として国政に参画する体制、それを成し遂げてはじめて、銀河の人々にとっての国家、すなわち銀河帝国なのではないか。

「いいじゃないか、なかなか具体的だ。俺は企業を経営しているが、企業は経営者による独裁的なトップダウンのほうがやりやすい。責任を取るものが必要だからな。会議の多い会社は大きくはならないと言うが、会議は時間がかかり、結論を曖昧にし、責任逃れにつながるからだ。だが国家は違う。国民のすべての多種多様な権利を活かすためには、最低でも国民の意見が示される国政議会の存在は必須だろう」

 ウスタジュの言葉に、アッシュはうなずいた。

 でも、不思議といえば不思議だ。

 なぜいままで、この考えがこの国には生まれなかったのだろう。

 この数百年、専制主義でこの国は保たれてきた。議会も選挙もない。貴族制度が強い力を持っている。いくら宇宙社会が多様的な世界だとは言っても、多民族を支配する星間国家で議会制民主制度が育たなかったのは奇妙と言えば奇妙だった。

 それを言うと、ウスタジュは少し考えてから、

「この国は、最初期から皇帝と輔弼内閣に分担して運営されてきた。皇帝は権威的象徴として存在し、実際の政治は、輔弼内閣が責任機関として機能した。その下に官僚機構が整備され、官僚機構には平民も参画できる。このシステムがうまく機能したんだろう。たとえ内乱になっても、基本はこの体制が変わるわけじゃない。変わるのは、人だ。皇帝や、首相が変わる。ある程度の統一的な社会であれば、これで十分維持することができたんだろう」

「そうだね。君のいうとおりだ」

「しかし、このシステムは、多民族化すればするほど無理が生じてくる。多分に、これまでは新たな民族を吸収する度に、新貴族が生まれてきたのだろう。そうすることで民族を統一化していたんだと思う」

 そのとおりだとアッシュも思った。貴族にも王朝初期の頃からの家もあれば、ヴィデット帝時代に加わった国を出自とする家もある。ただ、多少の認識の差はあるが、同じ貴族として扱われている。新旧貴族間での対立などもない。地位も、古い家ほど高いというわけではなく、比較的新しい貴族でも公爵などの地位に就いている家もある。

 貴族化した時点で、もとの民族や、出自は解消されてしまうのだ。それがこの国を巨大化させてきたとも言える。

 だが……、

「銀河帝国ともなると、そういう訳にはいかないだろうな」

「というと?」

「銀河帝国というのは、フン帝国ではないからね」

「でも、フンダ王朝じゃないか」

「そうだけど、フンダ家の国家ではなく、遍く銀河の国家ということになる。ニュアンスが違うと思う」

「つまりフン帝国へ吸収するのではなく、銀河という領域の帝国に加わる、というわけか」

「そう。そうなると、帝国臣民とすることで民族を統一させるという概念は通用しなくなるだろう」

「たしかにな。だからこそ帝国議会を作る、ということになるわけだ。多民族が、多民族のままで、しかも同じ地位で帝国の体制に参画する」

 アッシュはうなずいた。自分の中ではっきりと形ができてきたのが分かる。ウスタジュとの会話は、彼になにかの答えを求めているわけじゃなく、彼を通じて、自問自答しているようなものだった。

 ウスタジュは、おそらくアッシュのことを心配して訪ねてきたのだろう。彼なりにアッシュの立場を想像していろいろ考え、もし必要ならアドバイスするつもりでいたのではないか。アッシュには彼の思いやりが十分伝わった。

 もちろん、商用というのも本当だった。

「俺の商売の領域は、主に地球経済圏だ。だが、ここにはライバルも多い」

 そうだろうな、とアッシュは留学時代を思い出す。地球は歴史上の惑星と言うにしては、商売の盛んな土地柄だった。

「そこでだ、俺が目をつけたのが、このフン帝国さ。もちろん君のことが頭にあったからだが、フン帝国の経済圏は、非常にでかい。しかし広い銀河の中では、地球経済圏とは重ならないし、流通が内部還流している」

「内部還流?」

「わかりやすく言えば、フン帝国経済圏内作られたものは、フン帝国経済圏内だけで消費されてるってことさ」

「なんとなくわかってきたぞ。君は地球圏とフン帝国圏の間の中間貿易をしようっていうんだろう」

 ウスタジュは、ニヤッと笑った。

「さすが、俺が見込んだだけの男だ。大帝国の皇子様は伊達じゃないな」

 アッシュは苦笑した。

「もちろん、両者には共通する品目も多々あるが、一方でそれぞれ独自の技術、文化、商慣習からなる品目も多い。この中には、相手側の経済圏へもっていけば、十分需要が見込めるものもある。両方共市場がでかいだけに、輸送費を引いても、利益は十分見込める。しかもまだライバルはいないからな。独占だ」

「すっかり実業家だね。しかも、そんなに広い経済圏を視野に入れているとはさすがウスタジュ」

「言ったろ、俺はまだまだこんなもんじゃないぜ」

 そう言ってふんぞり返ったあと、顔を寄せてきた。

「俺としてはだなアッシュ。君が次の皇帝になってくれたら、俺は御用商人という地位を手に入れられるだろ。そしたら、さらなる事業拡大を目指すことができるというわけだ。銀河系で最高の商人になれる。どうだ、いいとは思わねえか」

 御用商人になれることは、疑ってもいないらしい。

「君は僕を使嗾する気かい」

「そうしたいところだが、他ならぬ親友だしな。君の人生は君に任せるさ」

 ウスタジュはそういいつつも、アッシュに帝国政府貿易部門の責任者を紹介してほしいと頼むことは忘れなかった。

 ウスタジュとの話し合いのあと、アッシュはレティオラに自分の考えを伝えてみた。

「私にはよくわかりませんけど、すべての人の願いが伝えられる場所があれば、それは素敵だと思います」

「そう思うかい」

 レティオラはうなずいた。

「それでもし、人々が僕を皇帝に推戴するようなことになったら、君はどう思う」

 アッシュがそんなことを言えるのは、レティオラくらいだったろう。他の人が聞けば、やはり帝位に野望をいだいていたか、などとあらぬ疑いを持たれるだけである。

「アッシュ様が、それを望むのであれば、私は……」

 レティオラは、自分の本音を表したことが一度もない。心の中ではどう思っているのだろう、とアッシュは気になっていた。

 自分が皇帝になったら、レティオラは喜ぶだろうか。それとも……。

 ひとつ言えることは、自分はもう、自分の感情だけで動くことはかなわない、ということだった。婚姻政策も進み、兄弟間の勢力争いも避けられない状況の中、この世界から逃げることはもはや不可能だった。それはレティオラを守るという意味においても言える。彼女を守るには、自分はこのまま権力を強めていくしかないのだ。

 アッシュが、自身の政策を公式に表明したのは、そういった心理的な葛藤の結果だったのだろう。

 彼は表明の中で、次のように述べたのである。

「我が帝国が、真に銀河帝国としての道を進むのであれば、いままでのような、フン帝国、フンダ王朝としての自意識を捨てなければなりません。あまねく銀河人民全てに於いて、共有できる価値観を築かなければ、銀河帝国は成立早々に自壊、消滅してしまうでしょう」

 そして、

「そのために、私は一つの案を提示します。それは、帝国議会の創設です。すべての人民が有権者となり、国政選挙を実施して代議員を選び、その代議員の話し合いによって、国策を、法律を、制度を定めていく。国家政策を担う議会です。それは皇帝のためではなく、人民のための議会でなくてはならないのです。皇帝は議会を招集し、議会の決定事項に従い、代議員をして内閣を作り、それをもって万民の上に君臨するのです。帝国に属せば、権利を得られる。機会を与えられる。そういう価値観を共有できて初めて、銀河帝国は銀河人民を包括して存在意義を保つことができるのです」

 異論はあるだろうな、と自覚せざるを得ない。

 綺麗事だ、とも思う。

 もし仮に、議会が皇帝の存在を拒否したら、そのときは皇帝制度はなくなってしまうのか。銀河帝国は、銀河共和国になるというのだろうか。

 だが、これしか道はないと思った。

 統治上の都合から、ほとんど妄想の類であるバーチャルシステム内で誕生したこの壮大なる銀河帝国計画は、現実に合わせて軌道修正しなければならない。妄想のままでは、計画どころか、国家までが崩壊してしまう。兄たちの構想ではだめなのだ。現実的な政策をもって初めて、銀河帝国は、バーチャルから、リアルな形へと姿を表すのだ。

 それは長い年月をかけることになるかもしれない。

 激しい抵抗も予想される。

 だが、もし人々が、帝国臣民も、他国の市民も、それを受け入れるとなれば、どんな抵抗にも対抗できる力になるだろう。

 そう考えてアッシュは、最後にこう付け加えた。

「この案を、すべての臣民に、そして全ての銀河市民に対し、諮ってもらいたい。決めるのは私ではない。決めるのはすべての人々です。その答えが否、というのであれば、私はこの案を取り下げ、そしてこの国を去りましょう。もし是とするのであれば、私とともに、行動していただきたい」

 否、という答えになる可能性も、十分にあるだろうな。

 保守派も、逆に帝国を否定する人々も、この案には賛同しないだろう。

 だが、それならそれでいい。あとは、自分と、レティオラの身の安全を図る方法に全力を注ぐだけだ。

 アッシュは、決意を固めた。もう後戻りはできない。

 帝国の主要メディアを通じて発表された、アッシュの提案は、大きな波紋をもたらすことになった。

 特に二人の兄の拒絶反応は、予想されたものだった。

 ただし微妙に異なっていた。

 長兄ジランは、フン帝国を基礎とする連邦国家から、徐々に統一帝国へと進めていく考えであった。

 次兄ムードは、フン帝国の権威のもとに、最初から銀河帝国として他国を吸収していくというものである。

 いずれにせよ、フン帝国というのは、絶対条件であった。

 それに対し、アッシュが示したのは、あたらしく銀河帝国を作る、というのに等しい。もちろん、それを進めていくのは、フン帝国であり、フンダ皇帝家であるのだが、構造が違っていた。人民主体での銀河帝国なのだ。その上に皇帝は君臨する。皇帝が人民を支配するのではないのである。

 ジランやムードにとって、これは全く受け入れがたい提案であった。

 ただ、ジランは、表立って批判を展開しなかった。

 メディアの要求に応じて短い時間だが会見したジランは、帝国議会構想については評価を示した。自分の構想にも組み込める余地があったからだろう。実際、広大な銀河を統治するとなれば、ある程度の地方自治は認めざるを得ないし、それらを一元的に支配するには、自治組織の代表を集めた議会制度は必要である。

 一方で、国政選挙と、人民主体の議会制度については否定してみせた。

「人民の民主主義が理想の一つであることは理解できる。またそういう政治体制の国が多数あることも承知している。だが現実的に可能であろうか。膨大な数の人民すべての要求を取りまとめるだけの機能をもつような議会制度は非現実的だ」

 そのうえで、アッシュの学者としての考えは認める。その考えの良きところは積極的に採用させてもらう。ぜひ、今後の課題を話し合う場を設けたい。

 これに対し、ムードは積極的にメディアに出ると、アッシュの構想を激しく批判した。

「理想、理想、理想。綺麗事の理想に過ぎない! 欲望のとどまるところを知らぬ愚かな人民に、政治の権利を認めてしまえば、皆勝手気ままなことをして、まとまるものもまとまらない。それがどうして価値観の共有となりうるのか。共有などありえない。価値というのは権威であり、権威とは積み上げてきた歴史の重み、その経験値、そこから成り立つ責任ある統治機関である。我が帝国を核としなくて、なにを核とするというのか」

 多くの市民にとって、これは侮辱的な発言であったが、意外にもムードの意見に対する支持も一定程度存在した。貴族らは言うまでもないが、知識人や、経済人の中にも支持者がいた。彼らは、自分にプライドを持ち、一般市民とは違うことを自認していた。愚民政策、衆愚政治の問題は、古来から言われてきたことだ。ムードの主旨については全面的に賛同し難くも、人民に権利をすべて認めることには反対する意見も多かった。

 同時に、これも意外なことながら、そういう人々の中から、ジランに対する批判も湧き上がった。

 ジランはアッシュの考えを批判しつつも、評価もしており、話し合いの余地も残す態度をとったが、それを器の大きさと取らず、ご都合主義的に受け取る人が多かったのである。これはジランにとって予想外だったようだ。アッシュの放り投げた爆弾は大きいが、だからといってムードとのライバル関係が消えてなくなったわけではないのだ。両極端な二人の弟の考えを相手に、曖昧な態度は逆効果だったと思い知ることになった。

 そして、多くの市民は、アッシュの考えに賛同した。

 その中には、理想として、あるいは理屈としては賛同するが、現実的には難しい、という意見もあったし、積極的にその考えに賛同を示し、アッシュの即位を支持するものもいた。

 帝国内で、さらには帝国の外で、多くの人々が、アッシュの意見を検討し、賛否両論の意見を戦わせた。この動きはとてつもない勢いで各地に広がっていった。

 あるいはそれこそが、ジランやムードの案と異なっていたとも言える。ジランやムードは上からの政策であり、多くの市民にとってそこに考える余地もない。しかしアッシュの案は、あまねくすべての人に考えを促すものであった。賛成か反対かの前に考える機会を与えた。それはいままでにない新鮮な感覚だった。そして、アッシュに対する見方にも、新鮮な何かを感じさせた。

 大きな潮流が起こり、アッシュを支持する意見は、潜在的なものから、表に躍り出た。

 人々が一つの方向に動き出すと、もはやそれに逆らってまで自らを貫こうとするものはそうそういない。

 それまでジランやムードを支持していた人々も、手のひらを返すように、アッシュ支持派に回った。

 それに危機感をもったジランとムードは、やがてそれぞれの行動に移る。

 ジランは、アッシュの考えに人々が支持を表明していくのを認めた上で、あくまで自分の節を曲げず、人民主体の帝国議会構想は、時期尚早だと述べた。しかしことここに至ってはやむを得ないとして、すべての職を辞し、引退を表明したのだ。ただ含みは持たせていた。

「銀河の人々が自分を必要とするときはいつでも表舞台に出よう。そして私の持てる力のすべてを貸そう。だが、今はその時ではないようだ」

 一方のムードは繰り返しアッシュを批判していたが、ある段階まで来ると、そのトーンを下げるようになった。そして密かに、アッシュの元を訪れて、協力と支持を表明したのである。

「どんなポストでもいい。もらえたら、おまえの、いや新しい皇帝のために働くことを誓う」

 そう言い、呆れてアッシュが黙っていると、

「いや、領地を認めてくれるだけでもいい。私は隠棲しよう。お前の邪魔は絶対にしない」

 そこまで言った。どこまで本心で言っているのか。想像できるのは、彼は人々の支持を失いつつあることを理解しているということ。そしてアッシュに同調することで、これまで支持してくれた人々を裏切ること。その結果、どんなことが起きるのか、そのことを恐れているということだった。表舞台から降りるタイミングを見計らっていたのだ。

 アッシュはとりあえず、ポストの件については保留し、領地の安堵だけは口約束した。

 アッシュにとってはむしろ、穏やかに引退を表明した長兄ジランのほうが恐ろしかった。次兄ムードは口先だけ、だがジランは決して妥協はしない。いずれ自分の前に立ちはだかるだろう。

 世の中の流れが決まってきたこともあり、政府は正式にアッシュを新皇帝に決定した。オゲロー首相らの説得を受けて、ジランとムードの母親もアッシュの即位に同意した。それだけ世相の動きが大きくなったからである。世の中に逆らってもいいことなどない。

 一時は懸念されていた争いもなく、平穏に皇位継承が決定できたことは、政府にとって歓迎すべきことだった。

 こうして、1年前には予想もつかなかった、アッシュが即位することになったのである。

 即位式典には、ジランも、ムードも参列した。両者とも即位に祝意を表明し、支持と協力を約束する旨の発言をして、表立っては、対立や争いの火種は見えないようだった。

 一方で、アッシュが帝位についても、すぐすぐに全てが変わったわけではない。

 実際問題として、帝国議会の創設も、その代議員選挙制度の制定も、簡単には行かなかった。

 今までとは異なる政治体制を作るには、法律も新たに作らなければならないし、運用システムも構築しなければならず、それらのための行政機関も必要であった。

 なにより、権力機構にいるものの多くは、守旧派であり、人々の声に押される格好でアッシュを支持はしたものの、いざとなれば、どんな邪魔をしてくるか予想もつかなかった。すくなくとも業務のサボタージュくらいは当然してくるだろう。

 また、未だ残る貴族層にもアッシュへの不満を抱えているものは多かった。彼らは、ジランやムードと密かに接触を図ろうとするはずだ。

 一部の貴族はアッシュの側室として娘を嫁がせているため、味方に回るであろうが、むしろ逆に、アッシュに翻意を促すよう働きかけてくることも想像できた。

 アッシュにはそれらのことは十分読めていた。だから彼らを敵に回すような安易な行動には走らなかった。

 しかし……。

 それら潜在的反対勢力が、やがて重大な一つの事件を引き起こすことになる。それは長く続いた帝国の体制を揺るがすきっかけとなった。

 その事件こそ、帝国近代史における最大の事件。

 レティオラ事件である。

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