22代:テリオット帝紀 -仮想現実皇帝と銀河帝国計画-

 22代皇帝テリオット・インドクヴァル・ベンザール・アバドン・ロード・ハンバルサード・バス・バロンティ・ド・フンダは、ヴァルゴンスの三男に当たる。

 つまり、皇統としてはグレンブル-ヒュールベイン系ではなく、ベリゾン系に当たる。

 父親で皇位継承目前にあったとみられるヴァルゴンスが急死したのを受けて、即位した。

 二人の兄を差し置いての即位だったが、兄弟間の争いには至らなかった。

 即位に至る事情はよくわかっておらず、様々な憶測の物語が作られることになる。

 テリオットは、即位すると、その二人の兄のことをあからさまに悪く言った。

 即位してまもない頃から、悪口雑言を口にするようになった。まだ少年である。重臣たちは顔を見合わせた。

 更に彼は、自尊心が異常に強く、誰に対しても横柄な態度を取った。

 大貴族の重臣であり、このときすでにいい歳でもあったゴーラ侯爵は、少年皇帝に対し、子供に対する態度で優しい声をかけたところ、それに腹がたったのか、テリオット帝は、ゴーラ侯爵に向かって、

「おい、余を誰だと思っておるのか。きちんと挨拶をせよ」

 そう言い、侯爵が驚いてひざまずき挨拶をすると、

 テリオット帝はその額をピタピタと叩いて、

「おまえは何を勘違いしておるのだ。余は皇帝ぞ。おまえなどより遥かに高貴な身分なのだぞ。そのような態度で許されると思ってか。額を床につけて這いつくばって謝罪せよ。おまえ如き殺すのはわけないのだからな」

 温和な初老のゴーラ侯爵が、内心「このクソガキ」と瞬間怒りに震えたほど、少年皇帝の言動は癇に障るものだった。幸い、侯爵は自制し、言われたとおりに謝罪して事なきを得た。そして帰宅後、この先の行方に暗鬱たる気持ちを抱えた。彼の日記には、このときすでに、「これは遠からずして暴君を招来するか、帝国の行く末や如何」と書き記されている。

 成長するに伴い、皇帝の態度の悪さには拍車がかかるようになった。

 口を開けば、他人の悪口か、自分の自慢か、そのどちらか。しかもそのどちらとも、品がなく、なんの感動ももたらさない、つまらないものであった。

 それでも、言葉だけで済むなら、大した問題にはならなかっただろう。

 ところが、皇帝は権力を徐々に行使するようになった。出し惜しみをしてたわけじゃなく、成長して、権力を知るようになったのだ。

 周囲に、皇帝におもねって権力を手に入れようというものがいなかったため、皇帝に権力を教えるものもいなかった。そのため、それまでは、偉いのだぞ、くらいのものだったのが、実際行動へと移し始めたのだ。

 真っ先に狙われたのは、周囲に仕える後宮の老人や中年の女官たちであった。皇帝は以前からわがままを言っては、物を投げつけるなどしていたが、ある時、気に食わない執事長にクビを言い渡したのだ。執事長をしていた老子爵は宮中を去った。すると、皇帝は次々と気に入らない人間を辞職させるようになった。

 どうも、一人の若い女官が、皇帝に権力のなんたるかを教えるようになったらしい。

 彼女は、皇帝にうまく取り入って、あわよくば、ということを思いついたらしかった。子爵か男爵の娘だったと言われている。伝聞調になっているのは、彼女の記録が残っていないからだ。

 存在の記録が抹消された事自体も含めて、推測されているのが、彼女が皇帝の初夜の相手を務めたからではないか、ということにある。

 少年時代に皇帝となった彼は、思春期を迎えたものの、異性に対してどういうふうに接してよいかわからなかった。周囲には若い女官も多数いたが、彼女らに対して、ヒステリーを起こし、殴ったりと言った暴力に走ることはあっても、いわゆる性行為の強要とか、性暴力と言ったことにはならなかった。

 ところが、その一人の女官が、皇帝に性行為のことを自ら教えたのである。

 そしてその結果、彼女は自分の運命を閉ざしてしまった。

 少し経った日のある朝、彼女は無残な遺体となって見つかったのだ。

 前の晩、皇帝とベッドをともにしたらしい。ところが、そのあと、皇帝の怒りを買い、直接殺されたとみられる。絞殺された跡があった。

 なぜそのようなことになったのか。

 どうも彼女は、性行為に関して、皇帝の心情を傷つけるような言動をしてしまったようだ。もっと露骨に言えば、初夜の時、皇帝がうまく行かなかったことに対して、それを笑うような、上から目線の態度を取ってしまい、皇帝を傷つけた。それが関係のたびに繰り返されたために、とうとう皇帝が怒りを爆発させた。彼女としては、心理的に優位に立つことで皇帝を手中にしたつもりだったのだろう。悪意があったわけではないのかもしれない。だが、彼女は皇帝の心理を読むことができなかったのだ。

 以上のことは、その後の皇帝の態度などからの推測である。

 真実は闇の中だ。

 当時の首相らが、事態を隠蔽したため、記録には一切残っていない。

 噂としても広がらなかった。一部関係者の日記などに僅かに記載が見られる程度である。

 ただ、皇帝の暴君としての本性が、徐々に顕れるようになったことは、権力中枢にいる人々に深い危惧の念をもたらしたのは間違いない。

 皇帝の周囲には、側仕えのものが大勢いたが、彼ら、彼女らも、この事件を知っていた。何も言わず、なんの記録にも残さなかったが、皇帝の性格を理解しただろう。そのせいか、殺された女官以降、皇帝に近づいて権力を握ろうというものが一人も現れなかった。佞臣を生むためには、皇帝側にも、相応の「まともな部分」が残っていなければならないものだ。

 テリオット帝は、10代後半にして、すでに人として壊れ始めていた。その後、周囲の人間に対し、前以上の暴力を振るうようになり、重傷者も相次ぐようになる。

 そしてまたしても女官に対し、事件を起こしてしまった。

 寝室の清掃をしていたイサベルという女官に対し、押さえつけて性暴力を振るおうとしたのだ。

 ところが、先のトラウマがあったのか、うまく行かなかった。

 悪いことに、気が動転したイサベルは、うまく行かないことに動揺している皇帝を突き飛ばして部屋から逃げ出してしまった。

 皇帝は、おそらく行為に失敗したこともあって、激怒し、何があったかは言わずに、ただイサベルを死刑にせよと命じた。

 数日後、イサベルが処刑された旨、報告があった。

 皇帝は、何事もなかったような顔で「そうか」と頷いただけであった。

 この話は重臣らの間にも漏れ聞こえた。もちろん、皇帝がイサベルに何をしようとしたのかも含めて。

 重臣らは考えた。

 これはもう、廃位するしかないのでは。

 だが、一つ問題があった。

 帝位継承者がいないことである。

 テリオット帝の二人の兄はすでに亡くなっており、跡継ぎもいなかった。

 皇族の血を引くものはいたが、いずれも傍流か、臣下の貴族へ降嫁した王女の子孫であった。

 血統で一番正統に近い皇位継承者は、皮肉にも現在敵対しているランズドーバー政権の君主である。彼らもフンダ皇帝家の皇族であった。

 重臣らがどうすればいいか、頭を抱えている最中に、ある一つの思わぬ事態が起こることになる。


 その日、テリオット帝は、オーデ首相を呼びつけて、色々諮問した。近頃は政治にも興味を持ち始めており、帝国の政策方針についても、色々口を出すようになってきていた。そのことで首相に意見を押し付けたらしい。オーデ首相が後に語ったところでは、現実を見据えたものではなく、理想主義でもなく、なんというか話が噛み合わない。荒唐無稽も甚だしい内容だったという。

 オーデ首相が理解しないのを見て腹を立てた皇帝は、首相の解任を決めてしまった。内閣も総辞職である。

 そして後継の首相をどうするか、その話し合いも始まらないうちに、皇帝は一人の男を首相に決めてしまったのだ。

 選ばれたのは、ブリオール男爵の嫡男、アズレード・ブリオールであった。

 この年、まだ22歳。宮中に仕えていた。皇帝の近侍だった人物である。

 たまたま、首相が解任された直後に、庭園を散歩する皇帝のお供を命じられ、その途中で皇帝から「馬鹿な臣下」に対する愚痴を聞かされた彼は、機嫌を損ねないよう、とっさにうまいことを言って取り繕ったのだ。

 そしたら皇帝が、

「おまえはよくわかっているではないか。名前はなんと言った」

「恐れ入ります。アズレード・ブリオールでございます」

「よし、ブリオール、おまえを首相に任ずる」

「おそれいり……は? あの、首相……でございますか?」

「そうだ。貴族共にもそう伝えておこう。いや、おまえが直接伝えて来い」

「いえ、あの、大変光栄ではございますが、私は、男爵の息子であり、地位も経験もありませぬ。年齢もまだ22歳で」

 皇帝は早くもムッとした表情をして、

「年齢は関係ない。余はまだ20歳であるぞ。位なら好きなのをやる。なにがいい。公爵か?」

「そのような、恐れ多いことでございます」

「恐れ多いか、そうだろう。男爵の息子だったな。ならとりあえず子爵にしてやろう。それで文句はあるまい」

「ま、誠にもったいなきことでございます。しかし、その、いきなり私を首相と申されましても、私の話を貴族の方々が信じますでしょうか」

「なるほど、あのバカどもには理解できまい」

 いや、そういうことではなく、とおもわず言いそうになった。陛下のおっしゃっていることが無茶苦茶なのです。ブリオールは賢明にも言わなかった。

「よろしい、余が一筆買いてやろう、ブリ……、ブリオールだったな。おまえを首相に任じた、と書いて渡すので、それを持って貴族共のところへいくが良い」

 そう言われると、断ることも出来ない。

 皇帝の機嫌を損ねて、自分が処刑されてしまう。

 ブリオールもまだ若く、人生も達観してないので、命は惜しい。こんな訳のわからないことが、国家にとって良くないこともわかってはいるが、それをどうこう意見するほど責任感もない。

 ようするに、流されるままに行動するしか無いのだ。

 それでも彼は、考えた挙句、当時の一人の有力貴族の邸宅を訪ねた。

 アゾバード侯爵である。

 アゾバード家は古くからの名門だが、いつの時代においても、表舞台に出ての華々しい活躍はしていない。その代わりに、どの時代においても大貴族であった。

 大戦のさなかも、アゾバード家は逃げも隠れもしなかったが、活躍もしなかった。その後のベリゾン摂政大公の時代も、またザールヴァン帝やヒュールベイン帝の時代にも、アゾバード家は地味な役職を歴任しただけで、大した活躍もしていない。

 ところが、ヒュールベイン派の貴族と、ヴァルゴンス派の貴族が、権力を巡って入れ替わった際に、帝都に残っていた大貴族のアゾバード家は、多数の中立貴族の中心的立場として重要視されることになった。

 この時の当主は、28代ボーローン・ドーラ・アゾバードで、すでに55歳だったが、彼はヴァルゴンス派の貴族らによって政権交代を成功させるために起こされた賢人会議の議長に選出された。本人としては決して望んだことではなかったが、逆らうわけにも行かず、中立派貴族の要請もあって渋々就任した。

 そしてその日、アズレード・ブリオールの訪問を受ける。

 宮中からの使者としてきた男爵の息子の若者に対し、ボーローンは気さくに応接間に通したが、それは皇帝の使者だと思ったからではなく、単に人が良いからであった。暗殺者が訪ねてきても疑わずに通したであろう。

 明らかに様子の変なブリオールに、いささか不審を抱き、事情を尋ねたボーローンは、話を聞いて呆気にとられた。

「陛下は、そなたを首相にすると言ったのか」

「はい。これが陛下御自らお記しになられた任命書でございます」

 形式もへったくれもない文書であった。ついでにアズレードをブリオール家の当主とし、子爵にする旨の文書もあった。どちらも皇帝の署名入りである。

「正直、どうして良いものやら」

 ブリオールは困惑しきっていた。そりゃそうだろうな、とボーローンも思った。陛下も訳のわからないことをする。

「いっそ、国を出奔しようかとも思ったのですが……それでは家族に罪が及ぶかもしれぬと思いまして」

「であろうな」

「そう考えると、自殺することも出来ませぬし」

「であろうな」

「進退窮まりました」

「やれやれ」

 さてどうしたものか。

 ボーローンは考えてみた。

 沈黙が漂う。ブリオールがいたたまれなくなってきた頃、ボーローンは生真面目な表情で口を開いた。

「うむ。いいアイデアがまったく浮かばん!」

 堂々と言われて、ブリオールは力が抜けそうになった。

「それにしても困った皇帝陛下だ。話は色々聞いておる。気に食わないことがあると、側近連中に暴力を振るったりしておるそうだな」

「はい。毎日、気が休まる暇もありません」

「先日も、女官の、なんと申したか、その女を襲おうとして失敗したとか」

 ブリオールは少し表情を固くした。

「その挙句に、その女官を死刑にしたというではないか」

「……」

「大きな声では言えんが、歴史上の暴君そのままだの。困ったことだ」

「……」

「ん? どうしたのだ?」

「いえ、実は、その女官の件なのですが……」

「なんだ?」

「実は、その、内密の話なのですが」

「なにかあるのか?」

「死刑にはしてないのです」

「なんだと? だが皇帝陛下には死刑に処したと、そういう報告を聞いているが」

「死刑にしたことにしたのです」

「嘘だというのか」

 ブリオールは頷き、真相を語り始めた。


 イサベルは、皇帝を突き飛ばして逃げたあと、実家に戻ることも出来ず、広い宮中の中を逃げ回って隠れていた。あとになり、自分のしたことの恐ろしさにおののいていたが、激怒した皇帝がイサベルを処刑しろと騒ぐと、宮中で働くものたちの間に知れ渡ってしまった。

 誰もが彼女を気の毒に思い、同情した。

 隠れているところを見つかり、使用人らの集まっている部屋に連れてこられた彼女は、泣きながらに事情を説明すると、いくらか落ち着いてきたのか、死刑に処されても仕方ありません、と頷いた。

 それを見ていたブリオールは、咄嗟にあることを思いついた。

 皇帝のそばに仕えている彼は、皇帝の性格をよく見知っていた。

 皇帝は、自分の思い通りにならない事には、しつこくネチネチ言い続けるが、思い通りになったことについては、あっさりと忘れてしまう。

 ならば、イサベルを処刑したことにして報告すればごまかせないか。

 大それた考えであったが、彼女を救うにはこれしかない。

 ブリオールはそのことを、みなに提案してみた。

「そのようなこと、バレてしまったら、我々みな命はないぞ」

「だいたいそのような嘘が通じるのか」

「わからない。けど、皇帝自ら処刑に立ち会うわけではないのだから、事後報告だけで良いのではないか」

「証拠を見せろと言われたらどうする」

「何か写真でも偽造すればいいと思う。でもおそらく確認もしないと思う」

「……」

 人々は、顔を見合わせた。イサベルのことは救えるものなら救ってあげたい。彼女は明るい性格で、皆から好かれていた。

「報告は自分がします。皆さんはこの話は知らなかったことにしておいて、イサベルを何処かに匿ってくれませんか。ほとぼりが冷めた頃を見計らって、国外にでも逃しましょう」

 ブリオールがそう言うと、みなもそうしようという気持ちになってきた。

「皇帝のことは、ブリオールならよくわかっていると思う。彼の言うとおりにしてみよう」

「同感だ。そもそも、悪いのは陛下なのだ。イサベルに罪はないのだから」

「匿う場所ならありますわ。皇帝陛下が来ないところは宮中にいくらでもありますし」

「彼女の家族に類が及ばないだろうか。確か男爵家だったはずだが」

 イサベルが頷く。

「特に領地もありませんが、爵位だけは……」

「帝星にお住まいか?」

「いえ、邸宅はありますが、普段はフンベントの方に」

「それなら、時間は稼げるでしょう。連絡を取り、事情を説明して、国外脱出の準備を進めさせておきましょう。まだどうなるかわからないですが」

 話はまとまり、偽造写真まで用意した。毒杯を無理やり飲まされている様子(演技)の写真、飲んで倒れた彼女の写真など数枚を撮り、それを持って、翌日皇帝のもとへ行った。

 皇帝の様子をうかがうと、不機嫌なままだったが、積極的に騒ぎ立てるような様子はなかった。下手に報告して藪蛇にならないかと不安になったものの、ブリオールがイサベルが処刑された旨報告すると、

「ふん、そうか。ならいい」

 とそれ以上は何も言わなかった。写真を見せる必要もなかった。

 どうやら皇帝は、この件を騒ぎ立てて、自分のみっともない話を広めたくはないようだ。なら、彼女の実家に対する圧力もないだろう。

 そう推測したブリオールは、それ以上余計なことは言わないようにして、その日の予定についての話に切り替え、そのあと退出した。


「ふーむ。それでそのイサベルとやらは、どうした」

「まだ、この星におります」

「大丈夫なのか? ちゃんと匿っておるのか?」

「……実は」

「実はなんだ?」

「私の家に匿っておりまして」

「そなたの家?」

「私の実家の、男爵邸に……」

「……はー、なるほどなー」

 やや曰く有りげに頷いた侯爵閣下に対し、ブリオールは慌てて付け加えた。

「匿っているだけです。べつにそれ以外の下心など何も」

「わしは何も言っておらんぞ」

 そう言って含み笑いをしたあと、

「ま、それはそれで良かった」

「……」

「しかし皇帝陛下は、今後ますます暴君と化していくかもしれぬ。早いところなんとかせぬとな」

 そう言ってから、ふとボーローンは何かを思いついたように表情を変えた。

「今の話、使えるかもしれんな」

「は、と申されますと?」

「お主が、その女官を匿って、皇帝に嘘の報告をしたことよ」

「どういうことでしょう」

「皇帝は要するに、自分の思うとおりになっておれば満足する。ということだな」

「ええ、そういう性格をしておられます」

「ならば、そう見せておけばよいのではないか」

「え?」

「周りのものや、政府が、皇帝にとって満足できる話だけを聞かせておき、政治は皇帝のご意向とは関係なく別に行う」

「そ、それは」

 女官一人をごまかしたときのように行くだろうか。

「どうだ? うまくいかないと思うか?」

「それは……」

 考えてみると、案外行けそうな気がしてきた。

「やりようはあると思わぬか?」

「そうですね……」

 皇帝に真実を教えず、臣下が国政を壟断する。

 まるで典型的な悪政のように聞こえるが、

 暴君に真実を教えず、臣下が善政を壟断する。

 そうなると話は別だ。しかし前代未聞の話でもある。

「私達だけで決めるわけにも行かないのでは。他の貴族諸侯、あるいは政権に関わる平民たちにも伝えないと」

「そこはわしがなんとかしよう。賢人会議に諮ることにする」

「よろしくお願いします」

「ただ、条件が一つある」

「は、なんでしょうか」

「そなたが、首相をやれ」

「え?」

「皇帝がそう望んだのだ。早速だが、そのとおりにしてもらう」

「いや、それは形だけで」

「形だけでも首相には就いてもらうぞ。もちろん我々も政策については補佐をするが」

「しかし……」

「なによりわしは、そなたの話を聞いてて思ったのだ。そなたは頭がいい」

「いや……」

「度胸もある」

「それは……」

「何より、皇帝の考え、心理を読むのがうまい」

「そうですけども……」

「そなたしかおらぬ。わしはその件も含めて、重臣らに諮る。そなたも、覚悟を決めておきたまえ」

「……はい」

 こうして、事態はますます思わぬ方向へと展開を見せることになった。

 ボーローンは、賢人会議にこの件を諮ることにしたが、結論は最初から出ているようなものだった。

 本来はだれも皇帝の意には逆らってはならない。しかも、皇帝は暴君だ。

 だが幸いに、まだ、宮中の中だけの暴君でもある。

「こういうことをされるようでは、真剣に皇帝の廃位も考えねばなるまい」

「幸いと言ってはなんだが、皇帝の意のままに動く佞臣もいない。やろうと思えば可能だ」

「さよう。我々が皇帝に逆らったからと言って、皇帝は実力で我々を排除することは出来ぬ」

「むしろ、皇帝を変えないと、いずれ佞臣が現れかねないしな」

 そういう意見には皆、賛同するのだが、いざ廃位を実行するためにはどうすればいいかの段階で躓いてしまう。

 後継者がおらず、有力後継候補がランズドーバー政権にはいる、という点だ。

 有力でない後継候補を出そうとすれば、貴族同士の争いに発展しかねない。いずれにせよ、自分たちの権威は弱まり、ランズドーバー政権の思う壺となってしまう。

 ボーローンは頭を抱える有力貴族らを見て、内心思わずにはいられない。

「結局は、皇帝などどうでも良い。皇帝制というシステムと、その権威にしがみついて権力を謳歌したいだけなのだ。義務も責任も果たさずに、権利だけはほしい。相も変わらず、これまでの何百年かを繰り返している。だが、この者らの脳内にある思考をメディアで放送できたら、一夜にして帝国はおしまいだな。平民は認めまい」

 だからこそ、この奇策が使える。

 彼は、提案した。

 皇帝の意には従う。しかし、それは皇帝の知覚する範囲内においてのみ。そして実際の権力は我々が行使する。皇帝のあずかり知らぬところで。

 それ実現させるために、貴族らは、めったに使わぬ頭を駆使した。

 単に、皇帝の前でうなずき、嘘の報告だけをしておけばいい、という話ではない。

 それではいずれ発覚し、皇帝の怒りを買い、あるいは隙を狙う佞臣の台頭を招いて、自分たちは破滅する。

 そこで考え出されたのが、皇帝にだけ見せる、架空の政治状況、世情を演出する仕組だった。

 まず、子爵となったアズレード・ブリオールが首相に就任し、彼のもとで内閣が編成された。内閣の人事について、皇帝は特段何も言わなかった。そこまで考えてなかったからである。この内閣は国民に驚きをもって迎えられたが、アズレード子爵が若いが将来有望な政治学者であったかのように作り上げ、それを老練な専門家たちが補佐するという宣伝が為された。

 そしてアズレードが皇帝に直接上奏をし、皇帝が政治政策に極力興味を向け無いよう話題を変え、また与える情報も制限する。それでも皇帝が何かを求めてきた場合、その意に従うふりをして、意に添うような話の展開を創作し、それを皇帝だけに報告する、という方針で進められた。もちろんそのための証拠も作る。写真や映像だけでなく、皇帝だけに見せる専用のテレビ番組や、インターステラネットワークの情報サイト、各種出版物なども用意した。

 さらにどうしても、皇帝が参加することになる伝統的な儀式や宮中行事、政府との対話についても、それに合わせた演出を行った。

 そのための部署が用意された。

 皇帝は、臣下たちが作った、嘘の番組を見、嘘のネット情報に触れ、嘘の書籍を読み、嘘で塗り固めた儀式を謁見した。

 皇帝は時折、政治政策について、私見を命じたが、それらは慇懃に受け入れられ、そうなったかのような結果だけが報告された。私見というのが、大抵は荒唐無稽で、しかも大したことではなかったため、捏造されたデータを見せればそれで済んだ。

 ときに皇帝は発作的に感情をぶちまけて、臣下に死刑を言い渡したが、事後に、死刑執行した旨の報告を上げて、実際には刑には処さなかった。大臣も何人か勅命によって更迭され、処罰され、死刑にされたことになったが、実際には死刑どころか、更迭すらされず、引き続き政治に当たった。

 これらの工作は、皇帝の移り気な性格もあってなんとかごまかせたが、どうしてもごまかしようのない問題が発生した。

 それは、皇帝の婚姻のことである。

 皇帝は即位した際まだ子供だったため、当然、結婚はしていない。

 皇帝がその件について、何も知らぬままにおれば、どうにか出来たかもしれないが、愚かな女官のせいで、皇帝は「性」というものを知ってしまった。いや、女官がいなくても、二次性徴を越えれば自然と知ることになったであろう。

 それに、皇帝の子孫を残さなければならない問題が残っていた。

 ランズドーバー政権に付け込まれず、皇室の縁戚にある貴族同士の争いを招かぬためにも、ここは皇帝に子供を残してもらわなければならない。

 そうなると、いくらかでも歴史を知っている知識人は、みな同じことを思った。

 歴史上に血塗られた残虐非道な暴君は数多くいる。その中には、滅んだものもいるが、案外、子孫を残し、その子孫が滅びずに権力を握った例も多い。なぜそういうことになるのか。暴君だけでなく、臣下側の事情も大きく影響したのではあるまいか。

 とはいえ、これだけは流石に難しかった。嘘の演出が出来ないからだ。

 重臣たちは、お后候補を探す一方、それ以外の手段がないか模索した。

 皇帝の性格の破綻ぶりは臣下に知れ渡っており、だれも皇帝に娘をやろうなどとは考えないだろうと、危惧したためである。

 色々と検討した結果出てきたのが、皇帝に電子的疑似体験をさせ、採取した精子を使って体外受精を行う、という科学的手法だった。

 体細胞から採取した遺伝子を直接操作して精子を作るという手法も、あるにはあったが、それは流石に悪い前例を残すとして除外された。臣下が都合よく皇帝を創造できてしまうからである。

 それよりも、コンピュータを使って皇帝をバーチャル世界に取り込む方が、まだ問題は少ない、と判断されたのだ。またこの方法がうまく行けば、政治的にも、皇帝に対してより嘘を演出しやすくなる。今はブリオール首相が皇帝にうまく取り計らっているが、彼の負担は重く、また彼に何かあった時どうするのか、という問題があったからだ。

 ここで彼らが頼りにしたのが、クエラである。

 量子コンピュータネットワークの超複合体であるクエラは、人間によって開発されたシステムだが、人間以上の知性を持っている。すでに人間社会から独立しているものの、人間との関係は至極平穏であり、破綻はしていない。それはクエラが、量子的ゆらぎの中に、無数に分けた自身の中枢を置くことで、外部からの物理的力によって存在を消滅させられるリスクを抱えていないからだと考えられている。有り体に言えば、無敵だから余裕があるのだ。

 クエラは人間社会の様々な場面で協力関係にあり、共存関係にある。即物的利益は人間が享受するが、クエラもまた、人間社会から膨大な情報を得られる。クエラは人間に比べ多様性に乏しく、単独では生み出す情報に限界があるからである。両者は一種の生態系を組んでいると言っても良かった。

 フン帝国でも、社会のあらゆる場所で、クエラを始めとする高度な科学技術が導入されている。特に宇宙航路、植民星の開拓、軍事関係、医療分野ではそれが強い。クアンタムテクノロジー(量子技術)をビジネスにしている巨大企業も多数存在する。

 一方で、社会の多くに復古調なところがあった。

 特に宮中では、コンピュータやロボットで出来る仕事を、人がやっていた。それが権威というものであった。貴族の私邸や荘園でも同様である。

 そのため、皇帝を操るためのシステムは、一から開発しなければならなかった。

 そのために、それまで工部省に属していた科学部門の行政機関が拡充されて独立し、科学省が創設された。そのもとで、クエラと共同で専用プログラムを開発するための研究所「第4077開発室」が起こされ、多数の科学者が招聘された。他国の同様のシステムも研究対象となった。

 そしてほどなく、一つのシステムが出来上がった。

 皇帝を睡眠剤を使って眠らせ、頭に装置を取り付け、脳神経に刺激を送り、電子的に夢を見させ、精子を採取する。それを「皇后」の卵子と体外受精させて、皇后の子宮に戻し、出産させる。

 このシステムを応用して、重要な案件の報告も、夢の中で行い、夢の中だけで、皇帝は皇帝としての権威を保つ。

 この技術をさらに発達させれば、覚醒している状態でも、嘘の現実を見させることが可能になるという。

 ブリオール首相は、出来上がったシステムの報告を受けると、導入の是非について、流石に逡巡した。皇帝をこういうふうに扱うのはいかがなものか。これはいわば「電子的傀儡」である。良い前例とはいえないだろう。そもそも人の尊厳を犯すやり方は気持ちの良いものではない。

 だが、暴君を野放しにしておくのも弊害が大きすぎる。

 もう一つ、この方法で問題なのは、皇后をどうするかである。

 バーチャル世界での、皇帝のお相手をするキャラクターは電子的に創作すればいいとして、実際に卵子の提供者と、妊娠出産する女性は必要である。皇位継承に絡むため、安全性にやや疑問の残る人工子宮は使えない。

 皇后となるべき女性の、遺伝子、性格、家柄も考慮する必要がある。精神的な面も考慮すべきだ。暴君の子供を、処女懐胎しなければならないのだ。状況は正常とはいえない。

 前途多難なことを想像して、ブリオールらは胃に穴が開くような日々を過ごしたが、

 そんな中、一人の女性が皇后候補に名乗りを上げた。

 ゲブデ子爵の娘、クライシュラである。皇帝より2つ半年上の24歳。

 彼女が皇后になろうとしたのは、皇統の継続に危機感を抱いたからでも、犠牲的精神の発露だったからでもない。

 彼女は他に候補者もいないので、すんなりと皇后に内定したが、その際に条件を出した。皇帝にではなく、臣下の面々に対してだ。その条件とは、実家のゲブデ子爵家の保護。そして実家の領地拡大、実家の公爵位、一族の高官への登用、莫大な皇后歳費と莫大な年金、その他もろもろであった。すなわち財政的優遇策を与えよ、というものである。一説には、美術品や、専用の料理人、希少価値の高い純地球血統種の犬猫に至るまで求めたという。金銭欲、物欲、権力欲、おおよそ性欲以外のすべてを要求したと言う話もあり、いや、記録にはないが、性欲を満たすためのいろいろなことも求めた可能性すらある、という研究者もいる。

 その代わりに、皇帝の子孫も残す。さらに臣下らが行う「演出」にも合わせて演技をする、というのである。

 彼女がそういった即物的要求を求めたのには、背景があった。

 ゲブデ子爵家のお家事情である。

 ゲブデ家は、帝国の第一拡張期に傘下に入った惑星ルーベンの領主の一人であった。ルーベンの併合時に、当時の当主ローグルは政党を率いていて、経済停滞にあえぐ故郷を救おうと、帝国の併合に協力したと言われ、その功績で子爵の地位を得た。貴族としては古い方だが、帝国創業時からの「原貴族」ではない。

 ところが、理由はどうあれ、故国を売ってその地位を得たわけだから、地元ルーベンでは悪評紛々たるもので、いたたまれなくなった一族はフンベントに移住し、領地には代官を置いて統治させた。

 故郷で嫌われるのなら、帝国で評価されよう、と考えたのも無理はないが、ルーベンでの領地を巡る訴訟が帝国政府の目にとまると、ゲブデ家は統治にとって邪魔な存在と思われ、当時の政府によって圧力がかかり、帝国の別の惑星クズヴォルトに領地替えをすることでルーベンの領地を失うことになった。しかも新領地が更に辺境の惑星であったため、経済的にも困るようになり、動的財産の多くを手放し、付き従ってきた家臣らも一部解雇せざるを得なくなった。

 時が流れ、クズヴォルトの開拓も進み、人口も増え、ゲブデ家の資産も再び増えたが、その時の当主ベイオンが違法なギャンブルに手を出してしまい、領地を乗っ取られるという手痛い不始末を犯してしまう。領地の乗っ取りは、違法によるものであったとして帝国政府によって無効とされたが、それを招いたベイオンのギャンブル依存も問題であるとし、領地は没収され、当主交代を余儀なくされた。

 ゲブデ家はこの件で痛いを思いをしたせいか、暫くの間、残ったささやかな領地を守りながら、静かに時代を経ていった。歴代当主は省庁に勤めて、地味な役職を転々と歴任した。冒険をしない、無難な生き方を家訓としたのである。

 ところが、大拡張時代に、血筋の断絶という危機を迎える。当主アゼルに子が出来ず、やむを得ず子爵家に嫁いだ妹リズナに生まれた二人の娘の下の方を養子に貰い受け、その養女レニアに有力伯爵家の次男坊コベルトを婿に迎えるという手段を講じた。

 この次男坊コベルトが次の当主になるのだが、これが家訓など無視して、精力的に家の財政改善に乗り出した。その手段が金融である。

 当初は一族から猛反対を受けたが、この家を継いだ伯爵家生まれのボンボンが、どういうわけか金融方面の才能があったようで、新規植民地の資源取引や辺境の有力流通企業の株を売買して成功を収めてしまう。拡張時代ならではの変化の激しさ、複雑な情勢の中での情報収集の上手さ、そしてどの資産が伸びていくか、その先見の明が活かされたのだろう。ゲブデ家は莫大な資産家となった。コベルトは手堅く資産を土地や、巨大星間企業株、権利に対する投資、希少金属などに置き換えていった。

 この次の当主オムルスからあと数代は、配当金や、様々な権利から得られる利益だけで暮らせるほどだったが、それでも資産運用会社に委託して、財産運用を進めていった。

 ところが、これもまた終りを迎えてしまう。

 大戦が勃発したのである。

 ゲブデ家の持っていた数々の金融資産は戦火の中で紙くずとなり、各惑星の不動産は武力で奪われていった。この時のゲブデ家の当主サンテルフは何も出来ずにいたが、大戦末期には、敵に寝返ることも画策していたらしい。追い詰められてしまったのだ。

 ところが、ベリゾンの活躍で帝国が救われると、最後まで帝国に臣従し続けた貴族らが、裏切り者探しを始めた。ベリゾンはそういうことをあまり良しとはしなかったが、吊し上げはしないものの、裏切った人々が戦争で失った資産にまでは補償はしなかった。やはり国家統治のためには、最後まで味方したものを優遇するのは当然であろう。

 ゲブデ家も、あっさりと裏切り行為が発覚し、その結果、彼らの資産はほぼ失われた。

 以後、ゲブデ家は没落貴族として、時代の片隅に追いやられていた。

 代を経て、さすがに裏切り者の目では見られなくなったものの、領地もなく、財産も乏しく、貴族とは名ばかりのみじめな人生が、歴代当主、一族らの間を吹き抜けていった。

 そういった境遇を見て育ったのが、クライシュラである。

 彼女は無気力な親や兄弟を見て、なぜ立ち上がって歩こうとしないのか憤懣やる方ない思いでいた。自家の歴史を言い訳にして逃げているだけではないか。自分が男だったら、もっと上手くやれるのに。

 彼女は、ゲブデ家の歴史の中で、時折、思い出したように出現する積極果敢な人物の一人だったのだろうか。

 しかし、さほど開明的とも言えない帝国の実情では、貧乏貴族の娘が大成功を収める場など殆どない。

 そんな中、一つの噂が流れてきた。

 政府中枢の連中が、皇帝の子を産んでくれる奇特な貴族の娘を探している。

 貴族界では、皇帝が暴君となりつつあることは知れ渡っていた。

 クライシュラは、暴君の夜の相手をしろというのは、いささかリスクが高すぎはしないか、と思ったものの、それとなく探りを入れてみると、どうもそういうことではないらしい。要は、皇帝から採取した精子で妊娠しても良い、という話らしいのだ。

 これも人生をかけた決断を要することだったが、ちょうどこのタイミングで、ゲブデ家に危機が訪れた。

 当主である父親のバンベンが、よからぬ愛人を作って、トラブルに巻き込まれ、犯罪組織のチンピラ構成員と見られる男に殺されてしまったのである。

 みっともない失態であった。子爵家の地位を失う恐れもあり、また一家は経済的に破綻寸前であった。たとえ取り潰されずに済んでも、クライシュラの兄のゲホンは、力量に乏しい男。跡を継ぐことにはなっても、果たしてお家を維持できるのか。

 自分がこの話に乗れば、政府に子爵家の維持と、莫大な財産を要求することも出来るのではないか。

 そう考えると、千載一遇の好機、とも言えなくもない。

 誰か他の女に先んじられてはならない。

 彼女は急いで、首相の元へと赴き、この件について申し出をしたのである。

 そんな裏事情も知らず、性格破綻した皇帝と、欲深な皇后候補者の出現を見て、これはもう帝国の行く末は終ったも同じ。

 と多くの貴族が思ったであろうが、これが不思議なことに、重臣らとの間で妥協が成立してしまったのだ。彼女は皇后となったのである。

 なぜ重臣らが妥協したかというと、彼女があまりにもはっきりと要求をしたためであった。

 表向きはいい人を演じつつ、裏で何かを企み、陰謀の根っこを張り巡らせるような陰湿さが、彼女にはなかった。もうこれしかないと覚悟を決めていたせいもあってか、明快かつ快活な態度であった。ちなみに立候補した時点で処女でもなかったが、それはまあ、皇帝以外の子を妊娠していなければそれで良いのである。

 彼女は明快に言った。

 欲しいものをくれ。

「あなた方はこの国を存続させ、発展させていきたいのでしょう。そしてその恩恵を自分たちで独占したい。そうではなくて?」

 そう言われると、「そんなことはない!」と声高に言うのもわざとらしい。

 なんとなく黙って頷いた閣僚らに、

「だったら、お互い美味しいところをいただきましょう。私も、国家をひっくり返すような馬鹿な真似はしたくありません。権力は相応の財産を得るためのものと考えています。ですから、あなた方の演出にも乗ります。皇帝にうまい具合に嘘を真実のように見せて時間を稼ぎ、私の産んだ皇子が成長した暁には、皇位継承をさせる。その代わりに、あなた達には、わがゲブデ家を救ってもらいます。それで帝国が安泰なら安い買い物。これでどお?」

「まあ、そういうことなら……」

 というわけで妥協が成立したのだ。わざわざ契約書まで交わしたと言われているが、現在のところ、そういった史料は見つかっていない。

 ちなみにこの件は、平民には全く知られていなかった。そこらへんの貴族の徹底した秘匿主義は驚くべきものである。

 皇帝を取り込むバーチャルシステムについては、必要な時にのみ、使用するということで話がまとまった。その時の「内容」を皇后や重臣らも共有し、演技しなければならないが、普段はシステムは使用しないことにした。

 というのも、科学者の話では、あまりに常日頃から、この種の装置を使い続けると、脳細胞ネットワークの萎縮を引き起こす、というのである。

 ブリオールは皇位継承の問題がとりあえず避けられそうなので、装置は極力使わない方針に改めた。

 貴族らからの反対意見も出たが、

「本来、こういうことはすべきではない。倫理的にも問題が多い。人がすべきことではないのです。また将来にも禍根を残す。できるだけ急ぎ皇位継承へと話を進めていきましょう。なにより、我々がしっかりしていれば良いのです。そして皇帝のワガママに耐えられるだけの国家を作るほうが重要ではないですか」

 ブリオールはそう言って、貴族らを説得した。

 ボーローンは、その様子を見て、世間知らずの貴族のボンボンが、経験を積むことで一端の事を言うようになってきたか、と感慨深げに思った。

 そんなある日、皇帝はブリオールを呼び出すと、こう言い出した。

「我が帝国はますます繁栄しておるようだな。よきことよ」

「仰せのとおりでございます。陛下の徳のお陰でございます」

「であろう」

 皇帝は満足げに頷いた。

 帝国の繁栄は全くの嘘ではないが、皇帝への報告は、誇張している。しかし皇帝の脳内では、嘘も現実も変わらない。バーチャル上の体験は、そうと知らなければ現実と区別がつかないのは誰でも同じである。

「だが余は思うのだ。我が帝国はさらなる高みを目指すべきではないかと」

「と申されますと」

「帝国はわがフンダ一族だけのものではなく、より遍く銀河人民のための国家となるべきではないか? どうだ?」

「申し訳ありません、臣は無能なるゆえ、陛下のおっしゃっている意味がわかりかねます」

「やれやれ、そちほどの明晰な男でも、余の言うことが理解できぬか。ま、さもあろう」

「臣に理解できるようお伝え願いまする」

「よかろう。いいかよく聞け。我が帝国は、始祖アレクサンドル大帝陛下の御代に興されて以来、今日に至るまで、フンダ家の国家、すなわちフン帝国として存在してきた。今我が帝国は、無数の星系を支配し、億兆の人民を従えておる。ここまではわかるな?」

「はい、誠におっしゃるとおりでございます」

 ウム、と皇帝はうなずき、

「支配されておる人民は、我が国臣民となって、安寧と幸福を得られた。そうであるな?」

「さようでございます」

「ならば、未だ、支配に属しておらぬ蛮族・賤民共もわが傘下に治め、余の恩徳に浴すべきではないか? そうなれば、その者共らも、豊かになり、安寧を得られ、文化文明の民となるであろう」

「なんとも、誠に畏れ多き御慈悲、もったいなきお言葉にございまする」

 そう言いつつ、首相は嫌な予感が頭のなかに広がった。まさか他国を併呑しろとかいうのではあるまいな。

「そうであろう。もはや我が帝国の歴史の流れを止めることは出来ぬ。だが、もちろん。余もそれが今すぐにできるとは思ってはおらぬ」

 そういうので、ほっとしかけた首相であったが、

「そこでそちらに命じる」

「なんでございましょうか」

「余の存命中の間に、我が帝国をして、銀河を統一するのだ」

「は?」

 ブリオールは思わぬ声を出した。そして慌てて、

「銀河統一……でございますか」

「そうだ。そして我が帝国は、国号をフンダ王朝銀河帝国と改める。余は銀河帝国初代皇帝となるのだ」

「そ、それはまた、気宇壮大な陛下のお考え。臣は恐れ入りました」

「よいな、これより、我が帝国は一丸となり、銀河帝国樹立に邁進するのである」

「ははっ……」

「この神聖なる義務を、そちらに任せる。毎年、進捗を報告するのだ。わかったな!」

「はーっ……」

 ブリオールは平伏して答えるしかなかった。

 賢人会議では、ブリオールからの報告に、一同揃って呆れた顔をした。

「なんともはや、銀河帝国と来たか」

「妄想の気宇だけは壮大だな」

 出席者は顔を見合わせ、首を振った。

 しかし、知らん顔も出来ない。

 この件についても、皇帝にだけ、嘘の情報を伝えるという手段でごまかすことを考えた。しかしバーチャルシステムをつかったとしても、現実と皇帝の理想の差は拡大していくだろう。それをどう整合させるか。

 そこで皆が頭を悩ませていると、一人が口を開いた。

「皇帝の言っている銀河帝国云々は荒唐無稽だが、我が帝国が、そろそろ再び栄華を取り戻す方向へ向かっても、それ自体は悪いことではあるまい」

「勢力の拡大、ですか」

「大変なことだぞ。ランズドーバーの連中も健在なうえ、分国もまだ残っている。まずは国内統一からであろう」

「だが、目標として定めることは良いのではないか」

「目標?」

「政策としての目標だ。国内統一を行い、周辺宙域へと領土を拡張するとして、どういうことが必要か、その研究をしてみてはどうだ」

「たしかに、皇帝の言動を実現する義務はなくても、研究の過程で、国力の回復、国内統一の政策は実行しやすくなるだろうな」

 賢人会議のメンバーは、そのことで一件の一致を見た。

 フン帝国は、再び拡張への第一歩を踏み出すことになる。


 この奇妙な体制が変質を余儀なくされることになったのは、唐突に起きたある出来事からであった。

 すなわち、ブリオールが急死してしまったことは、政権中枢の人々にとって、想定外の事態であった。

 歴史というのは常にこういう繰り返しでもある。予定調和というものはなかなかない。

 彼はある日、小さな怪我をした。

 本人は大したことはないと放って置いたのだが、それが急速に悪化した。

 どうも壊死性細菌感染症にかかってしまったらしい。非常に稀な症状であった。数日で皮膚や筋組織、脳膜、腹膜などが炎症を起こして壊死していくのだ。急激に高熱を発し、全身の痛みを伴って倒れた時、すでに全身性炎症反応を引き起こしていて、もはや手遅れであった。

 意識が朦朧とする中で、ブリオールは自分の死が早すぎることを懸念した。皇帝を抑えるものがいなくなってしまう。死の間際、彼は何かしらの方策も考えたかもしれないが、それを伝える能力も失われてしまった。

 この出来事は、政治的要因から来たものではなかったが、政治的に重大な結果を引き起こすことになった。

 彼の予測通り、状況を利用しようというものが現れたのである。

 状況とは、皇帝を操るバーチャルシステムの存在であった。

 さらに、皇帝の精子が保管されている。

 これも利用しない手はなかった。

 宮中で、この装置を操作していたジャランギュールという医療技術官、近衛軍士官のオフルート中佐らが、権力手中を狙うコーダ子爵の命によって、皇帝に再びバーチャル装置を取り付けてしまったのだ。しかもこの際に、プログラムを改造し、更に都合よく皇帝の意志をコントロールできるように仕向けた。

 コーダ子爵らは、そういうシステムのことをもともと知らなかったが、賢人会議のメンバーから密かに話を聞いて知った。その瞬間から、彼の頭のなかには、権力への計画が動き始めたのである。知らなかったら、動機付けにはならなかったかもしれない。

 さらにコーダ子爵には、命脈を繋いでいた分国のひとつデブダ王国の工作員と接触していた形跡もあり、その資金工作もあったらしい。おそらくデブダ王国の安全保障などに関する密約があったのだろう。

 コーダ子爵は、皇帝に勅命を出させると、近衛軍を使って宮中クーデターを敢行し、ブリオール死後の混乱の中にあった賢人会議のメンバーを解任させ、権力を掌握した。そしてバーチャルシステム応用して、「理想的な」皇帝の姿をメディアに登場させ、国民に対し、コーダ子爵を首班とする新内閣成立を公表させたのだ。コーダはこの後、伯爵、侯爵と順調に階梯を進めていく。

 更にコーダは、皇帝が発案し、バーチャル上では進められていた銀河帝国建設計画も国民に対し発表した。

 それによって国民の高揚感を煽り、政権支持につなげようとしたのである。

 これは見事に当たった。

 裏の事情を全く知らない国民は、偉大な皇帝と、その皇帝によって任命されたコーダ首相を支持した。

 コーダの巧みな策略は、他にもあった。

 たとえば、宮中クーデターで倒した前政権も、批判せずに持ち上げた。特に直接は関わっていないブリオールを皇帝を支えた賢臣と賞賛し、その閣僚らを有能な人材集団と表明した。

「彼らはブリオール首相を支え、その死をもって全員が辞職した。権力に汲々とせず、実に爽やかで見事な引き際である。私も彼らに教えを請い、その偉大なる政策を実行に移していこうと思っている」

 そう説明した。実際には失脚した彼らを監視下においていたが、大衆を取り込むことで、彼らの反撃を封じようとしたのである。

 コーダは、皇帝を文字通り手中にすると、自分の娘と、姪に、保存してあった皇帝の精子を使って妊娠させた。皇后にはすでに生まれていた皇太子がいたが、コーダとしては、より安定した権力を得るために、自分の娘か姪を次の皇帝の国母にしたかったのである。それでも表向きは、皇后を立てておいた。いま、ここで無用の争いを犯す愚は避けたいと思ったからである。


 コーダは、皇帝を意のままに操り、自分の恣に政治を動かしたが、かといって、贅沢三昧に腐敗した政治を行ったわけでもなかった。

 彼が目指したのは、バーチャルではない、本物の、銀河帝国計画であった。自分の支持基盤を固めるためだけのスローガンではなかったのである。その話を耳にしたときの、その壮大さに感銘し、興奮もして、それを自らの手で成し遂げたい、と考えるようになったと思われる。権力を欲したのもそのためであった。

 しかも、その一見荒唐無稽で、無茶苦茶なその計画を推進するために、手堅い政策を実施したのである。

 それがいわゆる「ニルヴビルム政策」であった。

 コーダがブレーンに据えた社会科学者ニルヴビルムがまとめた政策方針案を元にしたものである。

 その方針とは概略以下の様な基本思想からなっていた。

 ・人が求めているのは、安定した人生である。

 ・安定した人生とは、食事に困らず、争いがなく、子孫を残せること。

 ・その条件をみたすことができれば、市民のほとんどは反乱を起こすことはない。

 ・権力欲とか、贅沢欲などは、その安定した人生の枠からはみ出た部分である。

 ・はみ出た部分を強く持つ人間は、安定した社会では数は限られている。

 ・そして人間は常に誰かに認めてもらうことを望んでいる。

 ・そこで、はみ出た欲を持つ人間を国家が取り込み、その才能を評価して使役する。

 ・その結果、有能な人間は満足し、その能力を国家のために使い、敵対するような行動は起こさなくなる。

 この大雑把な思想の元、国家政策を定めた。

 人に不満を抱かせない政治。

 それでも不満を抱く人を、国家が取り込む政治。

 この2点である。

 最低限、食料だけは絶対に絶やさない。露地作も農産物生産プラントも、あるいは養畜産や養魚施設も、すべてを整え、張り巡らせた恒星間輸送システムに乗せ、どこかで飢餓が起きそうな時はすぐに送れるように調整する図った。

 その他の物資についても、供給できるものは供給し、その一方で、経済活動が破綻しない限りにおいて自由を認める。

 男女の構成比もバランスを考え、出来る限り、産児制限などは行わない。児童保護や女性の出生率の向上に政府が積極的に乗り出す。男女比が偏重している場合は、奨励金を出して移住も促進させる。性風俗は抑制する一方で性犯罪は厳罰に処す細かい法整備も進めた。

 そして、安定した社会を作り上げた上で、それでも国家に不満を抱く人については、敵視するのではなく、取り込んでしまうことで、その能力を活かし、反乱を未然に防ぐ。そのための不平分子探索機関を設置し、情報工作員を多数活動させた。反政府活動を取り締まるのではなく、取り込むための組織である。

 一見、当たり前のようにも思えるこの政策だが、実のところ、歴史上ではこれの逆を行った国家は数え切れない。

 食料生産を軽視したり、農業活動を阻害するような圧政を行った国家、人口抑制のために産児制限を強制して男女比を崩壊させた政権、そして不平分子の弾圧に狂奔し、挙句に一般市民まで敵に回してしまった体制は無数に存在する。いずれも最後は無残に滅びた。

「根本的に間違ってるのです」

 と、ニルヴビルムは主張した。

 正しい政策を行うための努力も、考えもしないで、安易に政治を行うから失敗する。

「しかし、理想はいいとしても、それを現実に行うのは大変ではないか?」

「いいえ! やってないんですよ。やろうとしないだけです。やってみればいいんですよ。考えてみればいいじゃないですか!」

 とニルヴビルムは叫んだので、コーダは苦笑して彼をなだめなければならなかった。ニルヴビルムは収まらずに続けた。

「古代の政治家、管仲は言いました『およそ地を有し民を牧する者は、務め四時に在り、守り倉廩に在り。国に財多ければ、則ち遠き者来り、地、辟挙すれば、則ち民、留処す。倉廩実ちて則ち礼節を知り、衣食足りて則ち栄辱を知る』と。まずは豊かにすることが先なのです。人は礼節などより先に、食べ物を求めるものです」

「まあ、たしかにそうだろうが」

「さらに思想家の孟軻は言いました『一羽の挙らざるは、力を用いざるが為なり。輿薪の見えざるは、明を用いざるが為なり。百姓の保んぜられざるは、恩を用いざるが為ためなり。故に王の王たらざるは、為さざるなり、能わざるに非ざるなり!』と。わかりますか? 出来ないのではない。出来るけどやらないだけだ、と言っているのです。昔からわかる人にはわかってたんです!!」

「な、なるほど、とにかくわかった。やってみようではないか。君の考えを実際に政策にどう活かすか、考えようではないか」

 新体制は、皇帝にバーチャルの理想的状況を見せておき、国民には理想的皇帝のもとに政策を推し進めているようにバーチャル技術を利用した。

 仮想現実的な政策ではなく、仮想現実を使った政策を行ったのだ。

 皮肉にも、この政策を強硬に推し進めるために、コーダは、この政策を利用した。どんな体制でも必ず現れる不平分子を取り込んでいった。それまで政府を批判し、あるいは不穏な動きをしていたものたちも、次々と政府側に寝返った。それを批判したものたちまでが、意外に簡単に取り込まれた。多くは政府が派遣した工作員が、彼らの話をじっくり聞き、その考えに賛同してみせただけである。

 もちろん、従来の無数の政権がやった方法とは、このあとが異なっている。

 政府は、寝返った不平分子を処罰することなく、政策に利用した。その殆どは、反体制だった頃の威勢のいい口ぶりほどには才能もなく、大して役に立たなかったが、それでも解雇などせず、事実上飼い殺しにした。それで満足するのである。

 一部の、限られたものだけが、才能を発揮した。

 人類社会の中で、良くも悪くも、突出した何かしらの異能を持つ人間は限られており、大半はその両極端の間に挟まれる凡人である。

 社会が安定している時は、凡人が集団で力を持ち、異能者は阻害されるが、有事には異能者が力を持つ。

 コーダ政権は、平時にも異能者に機会を与えようとしたのである。

 その成果が徐々に出てくると、彼は思った。

「結局、使える人間はほんの一部だけ……。ちょっと話を聞いてやったら、皆尻尾を振って権力に従う。所詮、反体制などと言っても、それは主義主張などではなく、その本人の不平不満が形を変えただけ、ということか……。そう考えると人類というのも意外につまらん生き物だな」

 コーダは、得られた人材を活かそうとした。確かにこれは国家にとっても、社会にとっても、良い結果をもたらした。これを自国の安定に利用するだけでなく、成果を他国に対してもアピールしてみせた。半分は真実を伝え、半分は作った嘘である。それでも諸国は、フン帝国を理想国家として見るようになった。

 帝国は、残っていた分国も傘下に組み入れ属国とした。彼に擦り寄って支援をしたとみられるデブダ王国も、結局吸収されてしまった。

 一方、ランズドーバー政権に対しては、規模が大きいため、包囲網を強化するにとどめ、すぐには軍事行動に移さず、逆に国境付近の無駄な星域は積極的に手放した。ランズドーバー政権がそこを支配しても、負担が増えるだけであればむしろ都合がいい。

 そして帝国の周辺にある国々を先に取り込んでいった。コーダの方針は、すぐに直接支配するのではなく、先に外交で関係を強化し、経済的に切り離せない関係を築き、そのうえで、あくまで相手側が従ってくるように工作を進めた。もちろん、軍事力は見せつけたし、先に従属した国家を優遇することで、その周辺の国家の動揺を誘うという巧妙な手段も取った。

 作られた権威と、経済的政策の効果であったが、一見温和な政策が受け入れられたというのもある。こうして、かつて大戦前に支配していた領域よりもさらに広い影響圏を築くことに成功した。こうなれば、ランズドーバー政権は放っておいても枯死していくだけだ。

 コーダは事実上、帝国再建を果たした英雄であり、支配圏を広げたという意味でも、評価されてしかるべき人物であろう。

 だが、彼はその業績の割に、歴史上の人物としては不人気である。

 それはひとつに、皇帝を電子的手段という方法で完全に傀儡下に置いたこと、そしてそれを平然と行える精神、それが受け入れられないのだ。彼は普段の言動でも、どこか他人を見下す、あるいは軽視するようなところがあった。人類全体に対する彼の批評でもわかる。

 さらに言えば、歴史上の、人気のある革命家や権力者というのは、国民の理想とするなにかを自ら体現しようとしたから人々に支持された。

 コーダは理想に近い政治を行った。だが彼自身は、その理想を体現する人間ではなかった。それを仮想現実で作り出し、現実に利用した。地球時代から権力者は、自らを理想の君主として演出しようとした。コーダはそれを皇帝を使って行い、その権威のもとで政治を動かした。

 時代を経て、人々が歴史に対し、情熱ではなく現実の目で見るようになると、コーダには、これといった個性や魅力が欠けていた。

 また、光り輝く時代にも影は存在する。

 コーダ政権下の再拡張時代にも、少なからず明らかにされなかった負の歴史が存在している。

 その最たるものは、彼自身の死であろう。

 コーダは権力を握って18年後、まさに銀河帝国計画が軌道に乗り、これからという時に、死亡した。

 帝星の首相府にある執務室で、頭を撃ち抜かれた状態で発見されたのだ。

 銃は部屋の端で見つかった。

 監視カメラにも、その他の探知システムにも、不審な人影は記録されていなかった。

 自殺だろうか。

 しかし自ら頭を撃ち抜いて、その銃を遠くに放り投げて死ぬ、なんてことがあるだろうか。しかも、銃創は彼の右目から後頭部にかけて抜けていた。自殺するにしても、自分の眼球に向けて銃を撃つとは考えにくい。

 他殺という線が濃厚だが、犯人はわかっておらず、現代に至るまで、ミステリーのネタにされている。

 コーダが死亡して、コーダ政権のもとで実力をつけてきたアリストテレス・オゲロー伯爵が跡をついで、銀河帝国計画を引き続き推し進めた。オゲローも仮想現実を大いに利用した。皇帝には彼の望む世界を疑似体験させ、人々には理想の君主を創造して見せた。

 そして間もなく、テリオット帝は崩御した。

 彼の最期は病死であった。

 しかし、皇帝の病死というイメージからは程遠い内容であった。

 彼はその日、狩猟に出かけた。これはバーチャルの話ではなく、実際の狩りであった。バーチャル世界の彼は、行動的な英雄であり、政治にも軍事にもそしてスポーツや狩猟も楽しむ皇帝になっていた。人々は彼を賞賛した。

 そう記憶させておいたのだ。

 皇帝は四六時中装置につながっていたわけではなく、無難な時は彼も覚醒して宮中をうろついたりしていたが、バーチャル時の記憶は残っている。彼はある日、狩猟に出ると言い出し、周辺の人々は、皇帝にバーチャル装置をつけるタイミングを失ってしまった。そこで政府の関係者が狩猟場に連れ出した。歴代皇帝も利用した狩場である。

 皇帝は「いつもと違う」狩猟に文句を言い、わがままを言い、同行者を散々困らせた挙句、この狩猟中に食べた食事で、ノーウォークウイルスに感染し、ひどい下痢で脱水症状を起こし、死亡した。

 ノーウォークウイルスは、どこにでもいるウイルスで、ノロウイルスとも呼ばれる。嘔吐や下痢によって激しい脱水症状を引き起こすものの、治療は簡単であり、これが王宮だったら、ほんの数時間で回復していたはずである。しかし、皇帝の狩猟地は、狩猟中の皇帝の命が狙われないように、人が入れないようにしてあり、怪我などに対応できる侍医は同行していたが、施設も何もなく、皇帝自身が専用テントで寝起きするという本当に自然しかない場所であった。まさかこんなところでノーウォークウイルスに感染するとは思っておらず、皇帝の急激な症状悪化の原因がわからず、皇帝のわがままに振り回されていたこともあって、手当てが遅れてしまったのである。一説には自ら釣った魚を生で食したからだとも言われているが、これは俗説の域を出ない。

 ようやく近衛軍の救助部隊が到着したあとも、毒物による暗殺未遂事件では、と疑われてしまったことから、侍医たちを拘束してしまい、どのような治療を施してよいか判断が付かず、適切な治療が行われなかった。また、皇帝の症状がこの種の感染症にしては稀な重い症状だったことも理由としてあげられる。バーチャル装置の常時接続が脳にダメージをもたらしており、脳の衰弱が体の抵抗力を奪い、悪化させる結果となった、という説もある。

 下痢で皇帝が死んだ、というあまりの事態に、このことは秘され、狩猟に同行したものは、すべて医者も軍人もみなオゲロー政権によって処分されていなくなってしまった。そのため、逆になにかあったな、と世間に知らしめる結果となり、あとを継いだ23代皇帝アッシュ=フール・デラノドルーテ・ロード・クラウディオン・フォルトルーサ・ヘルメセルト・ド・フンダ帝は、しばらく後にこの「帝星某重大事件」の資料を公開して、秘匿の陰謀に関わったオゲローをはじめ、貴族や軍人らを処断し、謀殺された人々を慰霊した。

 その際、アッシュ帝はこう言った。

「クソにまみれて死んだクソオヤジの権威を守るために、クソ貴族どもとクソ軍人どもは、貴重な人々の命を奪って、ごまかそうとした。殺された人々が、皇帝を助けられなかったのは、たまたまであり、彼らにはなんの罪もない」

 なかなか皇帝陛下が口にしそうにない下品な口調だったが、実は、皇帝は、父帝を嫌っていたからなのだ。嫌っていたのには、ちゃんと理由がある。それは、彼がこの情報公開の直前に起こしたある事件、すなわち現代における帝国史上最大の事件、レティオラ事件である。

 この事件については、アッシュ帝紀で詳しく取り上げることとする。

 テリオット帝が崩御した時、フン帝国は銀河最大の国家となりつつあった。

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