過去:解放, 現在:勇気(逆), 未来:善良, 援助:誓約(逆), 敵対:生命, 目的:秩序

 鬼瓦くんは雪国育ちのふわふわガール。あんまりふわふわしているものだから、うっかりしているとふわふわ浮いて、お空の彼方に連れてかれちゃいそうになるんだ。一度目はお風呂上がりに湯あたりで足下がもつれた時、「あ、」と気付いた時には全裸のままうっかりふわふわ(UFWFW)、いつの間にやら自分の住んでいる街の上空50mくらいまで浮いたところで、カラスに右の尻たぶを突かれたところでようやく我に帰れたよ。二度目のUFWFWは、日曜日の朝のこと、テレビの前でプリキュアと一緒に一生懸命EDのダンスにいそしんでいたところ、うっかりトランス状態に入っちゃって自分を見失い、気が付いた時には衛星軌道までふんわりふわふわ。その時は人工衛星に左の尻たぶを突かれたところで我に帰ったけれど、次も戻ってこれるとは限らない。心配でオクラ以外のものが喉を通らなくなった鬼瓦くん、必死に考えた。そうだ。身の回りのものに全部自分の名前を書いて、自分を繋ぎ止めておこう。


 そうと決めたら行動が早い鬼瓦くん、まずは全裸になって油性ペンで自分の着衣に名前を書いていく。

「これは鬼瓦くんのパンツ」

 一枚書いては順番に着直します。

「これは鬼瓦くんの靴下」

「これは鬼瓦くんのパンティーストッキング」

「これは鬼瓦くんのガーターベルト」

「これは鬼瓦くんのパニエ」。

 あれ、もしかして、大きな文字で名前を書いておいた方が、いざという時に自分のことを強く呼んでくれるのではないかしら。ああなんてことそうだそうに違いない。気付いてしまった鬼瓦くん、着直した着衣をまた脱ぎ脱ぎ、パンツに一層大きな文字で書き直します。

「これは鬼瓦くんのパンツ」

「これは鬼瓦くんの靴下」

「これは鬼瓦くんのパンティーストッキング」

「これは鬼瓦くんのガーターベルト」

「これは鬼瓦くんのパニエ」。

 これで安心です。名前が書いてあれば連れて行かれずに済むはずですもの。


 服に名前を書いた後も、次々と自分の身の回りのものに名前を書いていきます。いつも抱いて眠るカバのぬいぐるみ、いつも抱いて眠るトーテムポール、いつも抱いて眠る釘バット、いつも抱いて眠る蝉の死骸、次々に大きく「これは鬼瓦くんの、」と大きな文字で記しては、指を指して大声で確認します。

「これは鬼瓦くんのです! これは鬼瓦くんのです!」

 そうして鬼瓦くんは、鬼瓦くんの財布から出した鬼瓦くんの千円札と引き替えに無洗米を手に入れてはそれに一粒一粒に記名してから食し、鬼瓦くんの財布から出した鬼瓦くんの千円札と引き替えに月の土地を手に入れては月の大地に記名してから、満月の夜に月と微笑みながら暮らす、そんな生活を始めました。ああ、これでもう大丈夫だ。鬼瓦くんのUFWFWに心怯える日々はもう終わったのです。


 そしてある冬の朝のこと。その年の冬は鬼瓦くんの住む街にも沢山の雪を積もらせていたのですが、その日はちょうどからりと晴れて、陽を受けた積雪がきらきらと輝いていました。意気揚々と自分の住む住宅街を闊歩する鬼瓦くん、そこでなんと、生きている雪だるまに出会ったのです。


 恐らくそれは一目惚れだったのでしょう。その雪だるまの、顔面に刺さった鼻代わりの人参から漂う腐臭が、崇子と名乗るそのハスキーヴォイスが、顔の雪玉と体の雪玉の微妙な不釣り合いなバランスが醸すフェロモンが、全て鬼瓦くんの心を打ち振るわせたのです。世界中のあらゆる醜い有象無象よりも優先してこの雪だるまのことだけを見続けていられるその権利、世界中のあらゆる下らない事情よりも優先してこの雪だるまのことだけを考えることの出来るその権利、それらが持つ暖かな優しさを、鬼瓦くんはその心の中に自覚しました。


 せっかく得たこの気持ち、早速名前を書かなくてはいけません。そうでなくては、この心に宿したばかりの温かみがまたUFWFWに連れて行かれてしまう。でもどこに名前を書けばいいのかしらん? 迷いに迷った鬼瓦くん、とりあえず、結局、「ふンッ!」と踏ん張った拍子に思いっきりショッキングピンクに発光して崇子ちゃんの目を眩ませた隙に、崇子ちゃんの背中へと回り込み、その白い背中にさらりと鬼瓦くんと崇子ちゃんの相合い傘を大書して、そしてふわりと崇子ちゃんを背中から抱き締めました。


 するとなんたることでしょう、雪だるまの崇子ちゃんに触れたところを経路に、鬼瓦くんの温度が崇子ちゃんに移ってゆくではありませんか。鬼瓦くんは混乱しました。

「ドゥボボボオオオシテェェェェ?????」

せっかくほんのりと灯ったばかりのあの温かさどころか、元々鬼瓦くんが持っていたはずの体温すら吸われていくのです。鬼瓦くんは思い出します。ああ、そういえば僕は、僕の体温に僕の名前を書いていない。これじゃ耳無し芳一ならぬ体温なし鬼瓦くんだ。

「ヴヴヴォォォォォクゥノノノノ熱ゥゥゥゥ!!!」

 鬼瓦くん、急いで懐から油性ペンを取り出して名前を書こうとするのですが、だからこの気持ちと温度と熱と温かさはどこに名前を書けばいいんだと訊いている! 2人の誰のものでもない"熱"が、触れあった2人の0距離の間に存在しているとはどういうことだ!

「グォオオオベォオオオオオ!」

 鬼瓦くんが混乱の極みに咆哮する一方、崇子ちゃんは崇子ちゃんで、自分の体が融けて削れていく痛みに叫び出します。

「ギニャアアアアア私ノノノ体ガガ融ケテルゥゥゥゥ!」

「オオオ前ガガガ熱熱熱ドコロカ僕僕僕ノノノノノノノノノノノノノ存在スラ奪ッテイクゥゥゥゥ!!! UUUUUUUUUUUFWFWFWFWFWFWFW!!!!!」

 混乱で我を完全に失った鬼瓦くんはこんどこそうっかりふわふわ、金星の裏側へと連れて行かれ、他方崇子ちゃんは完全に体が融けて地中深くに染み渡っていき、2人が会うことは2度とありませんでした。初恋とは実らずに終わるものですな。めでたしめでたし。

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