カエルの鳴く頃に
カザナは不満だった。
国は隣国と戦争状態で、作物を栽培しても無料も同然で軍隊に取られていく。あくせく働いても決して裕福な暮らしができるわけではない。しかも最近では戦局が不利だという噂も流れてきていて、市民に対する締め付けが強くなってきている。
恋人のエリューシャは、それでも生活に困っているわけではないのだから、と言う。
だが、街に近いとは言え田舎のボロ屋ぐらしで、満腹だと喜べるほども食べさせてやれない、新しい服もアクセサリーも買ってやれないのでは、彼女は一体何に満足を覚えて生きていると言うのだろう。
「あなたがそばにいてくれるなら、わたしはそれで十分よ。あなたといることが幸せなの」
エリューシャは無理矢理笑顔を張りつかせたような疲れた顔で言う。
愛があれば幸せ、愛があれば平和、とは彼女の口癖だ。
しかし、国が戦争をはじめてから三年ほどで、元々ふっくらしていた彼女の頬がこけてきていることにカザナは気付いている。
エリューシャといれば楽しいし幸せだ。それはカザナも同じ。だが愛で飯は食えない。この状況を何とかしなければ体力が落ちてきたエリューシャは病気にかかりやすくなってしまう。
「俺、軍に入ろうと思う」
畑に作物を植え終えた日の夜、エリューシャの家でカザナは恋人に告げた。
「どうして?」
「軍に入れば今よりも稼ぎが増える。おまえに仕送りがしてあげられるよ」
「仕送りなんていらないわ。わたしはあなたと一緒に働いて、夜にこうやって二人だけの時間を過ごせるならそれで十分なのに。その方が幸せなのに。それに軍に入るっていうことは、戦場へ行くのでしょう? 死ぬかもしれないのよ」
「それは大丈夫。物資補給の隊に加わってくれる人を募集する、って話だから。戦場近くまでは行くけれど戦うわけじゃない」
「それでも危ないことに変わりはないわ。お願い、行かないで」
どうして判ってくれないの? と言わんばかりの彼女から少し目をそらして、「それでも、行くよ」とカザナはつぶやくように言った。
家の外では、カエル達の求愛の合唱がうるさいぐらいに響いていた。彼らはこれからつがいとなり、卵をうみ、たくさんの子孫を残すのだ。
結婚、か。
結婚するなら、もっと裕福になってからだ。せめて以前ぐらいの生活を送れるようにならないと。
「俺はおまえを幸せにするから。絶対に戻ってくる。だからおまえもここで待っていてほしい」
カザナは決意を覆すことなく、エリューシャにしばしの別れを告げた。
彼は軍に入り、事前に聞いていたとおり前線への補給物資運搬の隊に配属された。
入隊してすぐに任務に就くのには驚いた。人手不足が深刻ということは、巷の噂通り、戦局がおもわしくないのかもしれない。
幸いなことに手当はきっちりと支払われている。
カザナはエリューシャへ仕送りをはじめた。休暇などもらえないので軍に出入りしている知り合いの男に頼んだ。
男はエリューシャからの手紙を預かってきてくれた。
仕送りに対する礼と、それよりも会いたいという彼女の願いが書かれてあった。
カザナも彼女に会いたい。今まで毎日のように顔をあわせていたのに、もう二ヶ月もの間、会えていない。
今度休みをもらって会いに行こうとカザナは考えていた。
しかし、隣国との戦争は苛烈さを増し、休暇などと言っていられない状況になってきた。
戦場へと運ぶ物資は少しずつ減り、その代わりにあえない最期を遂げた同胞の亡骸を持ち帰ることが増えてくる。
遺体のあまりのむごさに、また、運んでいる途中で始まる腐敗の臭いにカザナは隠れて吐いたりもした。
さらに不穏な噂が聞こえ始める。
元々戦士不足だったところに戦死者が増え、下手をすれば非力なカザナでさえも武器の扱い方だけを教えられて戦地に送り込まれかねない。
こんなはずではなかった。
食糧や武器を戦場に運ぶだけの仕事だったはずだ。
エリューシャを残して死ねない。だがもし戦地へ行けば生き残る事は難しい。
戦場へ行くぐらいなら除隊する? いや許されないだろう。
ならば戦火のどさくさにまぎれて逃げてしまう? 見つかれば処刑され、下手をすればエリューシャも巻き込んでしまう。
あなたがそばにいてくれるなら、と言っていたエリューシャ。
彼女の言葉通り、つましく暮していればよかったのか。
激戦地まであと一日というところで野営する。カザナは夜中の見張りに立った。
そこへ。
「おい、おまえ、ちょっとこっちへ来い」
同僚が手招きをしている。
ついて行くと、駐屯地から外れた森の中に、敵兵が!
驚き、声を上げそうになるカザナの口を同僚がふさいだ。カザナは振り払おうともがく。
「落ち着け。おまえ、生き残って故郷へ帰りたくないか?」
故郷へ。
その一言でカザナは動きを止めた。
話を聞いてみると、こうだ。
戦争はもう終結へと向かっている。自国の敗戦が色濃くなってきたのだ。だが上層部は抵抗を続けるつもりで。このままでは無駄に人死にを増やすだけだ。
そこで、敵軍と、戦争を早く終わらせたい自軍の一部の兵士が狙いを定めたのが、補給部隊だ。
奇襲を受けたと見せかけて、物資をもって逃げてしまおう、というのだ。
……魅力的な話だ。とカザナは思った。
決行は明朝、奇襲を受ける形で行われ、抵抗せずに逃げる者は逃がしてくれると敵国の兵が言う。おそらく一週間もあれば本戦に決着がつくだろうから、その間は身をひそめていてほしい、と。
戦勝国となっても我々は無碍な政策は取らない、と付け加えられ、カザナは決心した。
戦争は早く終わった方がいい。そうすればエリューシャとまた暮らせる。
争いなどない、愛と平和に囲まれた暮らしだ。エリューシャの言っていたことは正しかったのだ。
カザナはうなずいて、作戦の内容を確認した。
戦争は終わった。
作戦通り、武器を捨て食料だけを持ち去り一週間身を潜めている間に、自国の首都は隣国に占領された。
聞いたいた通り、隣国の軍人や政治家達は自国に対して寛大な措置を取った。監視つきだが自治権は認められ、国民の暮らしは戦争前と変わらないように努めると勝利宣言された。
カザナは喜び勇んで、エリューシャの待つ家へと戻った。
しかしそこで彼が見たものは。
惨殺された、恋人の亡骸だった。
どうして、どうして……!
カザナは家を飛び出した。泣き叫びながら隣街へと駆けこみ、真相を知る者をさがした。
知り合いの商店に駆けこむと、数日前に敵兵の姿を見た、いや、あれはうちの国の兵士の残党じゃないか、という話だった。
皆、まさかエリューシャが殺されているとは思わなかった、というが、カザナはどこか空々しさを感じた。
みんな、なにかを隠している。
善政を
それとも、自分が軍を裏切ったのを知った者が見せしめにエリューシャを殺したのか。
何もわからない。
わかるのは、もうエリューシャはいない、ということだ。
カザナは、ただただ、嘆くしかできなかった。
カザナはエリューシャを彼女の家のそばに埋葬し、彼女の家に住んで畑を耕し、作物を育てた。
愛があれば、あなたがいれば、と願っていた彼女の墓を守り続けること。それだけがカザナにできる罪滅ぼしとなってしまった。
今年もまた、カエル達が鳴く季節がやってきた。
あの夜、彼女の言う通り、思いとどまっていたら、今ごろ二人で幸せになれていただろうか。
彼女の面影が少しずつ薄れて行く家の中で、カエルの求愛の声に包まれながら、カザナは朽ちかけのベッドで声を殺して、泣いた。
(了)
お題:ラブ&ピース アマガエル
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます