鬼と巫女

 なんということだ。この俺が、俺様が、巫女などに心を奪われるとは。

 人間の世界には「鬼の撹乱かくらん」なる言葉があるそうだが、そのままではないか。

 地獄でも一、二を争う実力者と謳われる俺が、人間の、しかも神に仕える巫女に惚れるとは。

 気まぐれに人間界を覗きに行ったのが俺の運のつきだと言うのか。


 俺達、鬼は、ずっと地獄にとどまっているわけではない。死ねば地獄に来るような人間を見定めに、時々人間の世界に行く。人の世界で言うところの「営業」だな。

 ひと月前に俺は人間の姿に化けて営業に出た。

 訪れたのは「京都」と呼ばれる土地であった。なぜそこなのか、と言うと、どこにすればいいのか皆目見当がつかないので適当に選んでのことであった。

 京都駅という、人間達の乗り物が集結するところでは、たくさんの愚かな者どもの姿を見ることができた。

 なぜに人というものは、同胞が多ければ多いほど行儀の悪さを露呈するものなのか。

 まぁ俺とすれば、地獄に落ちてきた悪しき者を叩きのめすのが仕事であるからして、将来の獲物は多けれ暇を持て余すこともなくてよいのだが。

 しかし、そこまで性悪の者は、さすがになかなか見つけられん。

 要らぬものをそこらに捨てたり、行列に割り込んだりといった「ちょっとした迷惑」ならそこらに転がっておるが。

 ……ん? この邪気は、なかなかの上物だ。

 体の内からにじみ出る悪者の気を感じて俺はその人間を探しだした。

 一見、人当たりのよさげな顔立ちの若い男だ。

 だが彼を観察していると、おいおい短時間でそこまでやるのか、と鬼である俺すら舌を巻く悪行っぷり。

 他の人間から財を盗み、若い女の後をつけ卑猥な行動をとる。

 なるほど、なんとなくこの地にやってきたのは、この男の邪気に惹かれたのやもしれぬな。こやつ、邪気をどんどん膨らませ、そのうち何か大きな罪を犯す予感すらする。

 よしよし、おまえが地獄に来たら最上級のもてなしをしてやろうぞ。

 俺は密かに男に近づき、あたかも人ごみに押されてそうなってしまったかのように男の左の手の甲に触れた。

 これでおまえの行いは地獄からでも監視ができるぞ。今後も罪を重ねるようであれば、死後は確実に俺の元にくることになるだろう。

 さて、一仕事終えた。どうするかな。このまま帰ってもよし、もう少し見て回ってもよし。

 考えて、俺はもう一回りすることに決めた。

 今度は駅を離れ、観光地に行くとするか。そこにも種々様々な人間が集まっているからな。

 ……しかし、人間の邪気も感じるが、何やら異質な気も感じるな。

 ん? なるほど、神社と呼ばれているところか。

 正も邪も混じるところというのは、どのようなものか。俺は興味をひかれて、ふらりとそちらへ向かった。

 たくさんの人間が訪れている。その中によこしまな気を放つ者がいくらかいる。だがそれよりも何よりも、何だか気になる気配を全身にひしひしと感じて歩いて行く。

 あれだ。あの女だ。

 白と赤の上下の着物、袴を身にまとい、凛とした表情で人々の話に耳を傾け、札やお守り――神の加護があるという代物だそうだが、本当か?――を金銭と交換している。

 巫女だな。神主ほどではないが、神に仕えるもののうちの一人だ。

 その女のしぐさ、表情、なんともいえぬ雰囲気に、俺は不覚にも見惚れてしまった。

 女が、つぃとこちらを見る。目があった。

 目が離せない。なぜだ。たかが人間の女ごときに。

 巫女は笑みを浮かべた。彼女の前に居並ぶ参拝客達に断りを入れ、その場を離れる。

 見られていることに不快になって逃げたか?

 しかし俺の予想は覆された。

 女はしっかりとした足取りでこちらに来るではないか。そう、あからさまに視線を俺に固定して、用事があるのはあなたですよと言外に、雄弁にその表情が語っている。

 俺は、きびすを返し、逃げた。

 なんということだ。地獄でも最高峰の実力者である、この俺が。


 それ以来、あの女のことが気になって仕方がないのだ。

 あの時は気押されて逃げたが、あ奴は何をしたかったのだろうか、何かを伝えたかったのだろうか。

 どうにも気になって仕方がない。

 これは、やはり直接確かめて見なければならないか。

 俺はもう一度、巫女を訪ねることにした。


「そろそろいらっしゃるのではないかと思っておりました」

 宵闇迫る神社に足を運ぶと、まるで待っていたかのように巫女が佇んでいた。

 この時間は参拝客もいない。なのに俺が来ると思っていたということは。

「あなた、人間ではありませんね? ……人の姿にやつした鬼、ですか」

 ばれていた。なるほどあの時もすでにばれていたということか。

「なかなか立派なお姿ですこと。さぞ位の高い鬼様なのでしょうね」

「……俺の本来の姿が見えているというのか」

「背はすらりと高く、髪は金色、邪気を含みつり上がった目、口から覗く立派な牙、肌は褐色。ふふ、腰蓑だけかと思いきや、衣服はもうちょっとしっかりなさっているのですね」

 本当に見えているのだな。

「……それで、わざわざ俺のところに来ようとしていたのは、何か用があったのか」

「あなたとなら、いいお仕事ができそうだと思いましたので」

 仕事? 訝る俺の前で女はにやりと笑う。

 その顔も、雰囲気も、気配も、とても神に仕えるそれではないぞ。むしろじゃに近い。

「あなた、ここに祀られる神様が、どのようなお方かご存じでないのですか?」

 そう付け足す彼女の後ろに、急速に膨れ上がる気配。

 これは……!

「日本の神社に祀られる神は、祟り神が多いのですよ」

 巫女の後ろで悪神がケタケタと笑った。


 それから、奇妙な協力関係が成り立っている。

 そのままでは罪を犯すか否か不安定な者を、俺がこの神社に導き、神の加護を十分に施された御札を巫女が売る。

 その邪気にあてられ、罪に落ちた者に、地獄行きの烙印をおす。

 ……何かが違う気がするが、あまり深くは考えないことにしておこうか。


 人間どもよ。自分達が祈りをささげる相手は、しかと把握しておくとよいぞ。


(了)



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 お題:人間以外が主人公の話

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