魔王社長と極上珈琲

 静かな部屋に、紙ずれの音が響く。

 おれが一番緊張するのは、命がけの護衛の任務じゃない、秘書として社長に書類を提出してチェックされているこの時間だ。

 社長は四十過ぎの仕事人間で、平日の勤務時間はもちろん休日までもを仕事に充ててもおかしくない、もうワーカホリックと呼べる域に達してる男だ。

 鮮やかなライトブロンドをかっちりとセットして、顔の作りもよくて銀縁の眼鏡も似合ってる、リア充の側にいてもおかしくないはずなのに、いつもしかめっ面で人を寄せ付けない雰囲気だから奥さんどころかカノジョもいない。愛想振りまかなくたってフツーにしてりゃモテるだろうに女の存在を、ってか人がそばにいることをあまり嬉しく思ってないイヤミ男。

 おれはって言うと、彼の下についてから、かれこれ十年以上は経つ。雇われたというか拾われた時は十代半ばだったのに今はもう二十代。それなりに世間の渡り方ってのも覚えてきたつもりだけど、この人だけは、読み切れねぇんだ。いろんな意味で。

 っと、眉がかすかに動いた。なんか気に入らないところでもあったか?

 社長がペンを取って、眉間のしわを更に深めて書類に何か書きこんでいる。

 あー、緊張で喉がからからだ。掌に汗かいてきた。

 おれはこの人の秘書であり、護衛だ。元々路地裏生活者で喧嘩慣れしてたのもあって社長が護衛として拾ってくれたんだ。でも表向き秘書って名目だからとデスクワークにも従事させられて、今や立派な、って思っていいよな? とにかく社長秘書なんて肩書きの方がメインになっちまった。

 小汚いガキをよくもまぁ拾ってくれたもんだと感謝してる。もちろん社長に利があるからなんだろうけど。

 そんな訳ありのおれを雇うこの人も、もちろん訳ありで……。

「チェックを入れたところを直してください」

 社長の冷ややかな声が飛んできておれは我に帰った。

「はい」

 突き返された書類には数か所、訂正が書きこまれている。

 うわー。ちょっとぐらい省略してもよさそうなところまでしっかりと書けだってさ。

「どうかしましたか?」

 まずっ、めんどくさって顔に出てたかな。

「いえ、……ん、雨ですね」

 顔をあげると社長室の窓の向こうはいつの間にかどんよりと曇って、大粒の雨がガラスに当たっては滑り落ちている。

 ごまかすために話題を替えようと意図しなくても話題がそれたのに気づいて、後からほっとした。この人、怒るとハンニャ真っ青、まさに魔王様だからな。くわばらくわばら。

「おや、本当ですね。いつの間に」

 社長も窓の外に目をやってつぶやいたが、天候などどうでもよさそうなのが醒めた表情で判る。

 その彼の顔が一瞬、まばゆい光でくらんだ。

 稲光だ。

 音はシャットアウトされてるがいきなり光られるとさすがにびびる。

「随分荒れてますね」

 社長が笑う。そこ笑うところか? 実は天気が荒れるとひそかに喜ぶタイプ?

「少し休憩しましょうか。いい豆が手に入ったのですよ」

 唐突に社長は席を立って、部屋に置いてあるコーヒーメーカーを手なれた手つきでセットする。

 もしかして、と時計に目をやると、三時だった。

 ほんと、かっちりしてるよな。

 でもこの人の淹れる珈琲は、おれもひそかに好きだったりする。

 珈琲好きの人が淹れる珈琲はうまいって、本当だよな。

「後は私がやりますよ」

 セットしてしまえば、あとは出来上がったのを注ぐだけだから、社長には社長らしくソファにふんぞり返ってもらって、おれがカップとスプーンとかを用意した。

 部屋に珈琲の香りが漂い始める。

 思わず、大きく呼吸して香りをたっぷりと吸い込んだ。

 おれはそんなに珈琲に詳しくないけど、いつもよりなんだかまろやかな気がする。

 出来上がった珈琲をそっと注いで、社長の前に持っていく。

「ありがとうございます」

 社長が微笑した。穏やかな顔だ。いつもそんな顔してりゃいいのに。

 でも、まぁ無理か。

 裏社会に通り名があるほどの訳ありの社長が警戒心を解いた顔を見せるのは、周りに正体を悟られないようにいつも付けてる仮面を、無防備に外すようなものだからな。

 ……でも今こんな顔をするのは、おれのそばで休憩する時ぐらい、警戒を解いてもいい時間だって思ってるってことかな。

 いや、まさかなぁ。単にうまい珈琲飲める幸せに浸ってるだけだよな、人嫌いはなはだしいこの社長は。

「何か?」

「うぇ? あ、いえ」

「おかしな方ですね。今さらですが」

「何気にひどっ!」

 言ってしまって思わずはっと口を押さえる。

 つい飛びだしたフランクな物言いを咎めることなく、社長は微笑して優雅に珈琲を飲む。

 魔王タイムでなくてよかった。ありがとう極上珈琲。

 外は雨。相変わらず稲光がピカピカでいつ落ちてくるやら。外を歩くのはちょっと怖そうだけど、社長室の中は平和でなによりだ。

 これからちょっと珈琲のことに詳しくなって、社長の珈琲の棚にいいのを並べておくようにしようかな。


(了)



お題バトル参加作品

お題:省略 茶 雪 雷 魔王 珈琲 仮面

使用お題:省略 雷 魔王 珈琲 仮面

執筆時間:1時間

関連作:

 「後ろ暗い晴れ舞台」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054880613370/episodes/1177354054880935441

「感情なんかないと思ってた上司がくれた記念品」

 https://kakuyomu.jp/works/1177354054888986463

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