スケベ親父と吸血女

 世間じゃ午前様なんて言う時間になっちまったが、俺はいい気分で家へ向かって歩いてる。やっぱ酒はいい。美人がいりゃもっといいが、同僚との飲み会じゃ期待できねぇな。その代わり普段は口にできねぇ仕事や家の愚痴を思い切り言い合う同志は気がねしなくていい。

 そろそろ桜が満開って時期だ。梅は咲いたか、どうだかって歌があったっけなぁ。ありゃいい歌だが、桃が忘れられてんのはどうしたんだ。かわいそうじゃねぇか、桃がよぉ。

 っと、そんなこたぁどうでもいいか。蝶にとっちゃどれもメシだしな。

 俺は蝶じゃあねぇから、もっとどうでもいいな。

 んんっと、なんの話だっけ? ってかここどこだ? おっ、もう家の近くの公園じゃねぇかよ。いつの間にここまで帰ってきたんだ俺。すげぇぞ俺。

 あぁ、いい感じに足元がフワフワする。ちぃと飲みすぎたか。このまま帰ったらカミさんが牙向くから、ちょいと酔いを冷まして行くか。ったくいい気分があのガミガミババァのせいで台無しになっちゃあ、もったいねぇ。あいつは怒鳴るととがった歯ぁがむき出しになって、ありゃ鬼婆ってより吸血鬼だな。どうせならもっと美人のねーちゃんにかぶりつかれたいってもんだ。へへっ。

 この前なんざ、あの吸血女は、酔った勢いで若い子とちょいと仲良くしたってだけで炊きたてのメシで作ったにぎりを投げつけてきやがった。熱いのなんのってハンパねぇ。大体、食いもん粗末にすんなバカ女が。

 ちょっくら公園で休憩だ。ベンチに座ってふぅと息をついたら、風がすっげぇ冷たくて、ぶるっと震える。結構寒っ。

 こりゃ五分もいたら酔いざましどころか風邪引くかもな。来たばっかりだがとっとと帰るか。

 俺は立ち上がって、公園を出ようとした。

 ふっと何かが目の前を横切って驚いた。おぉ、こりゃ桜の花びらだ。

 公園の隅っこに咲いている桜の木を見た。枝に群がってるみたいにピンクの花がたくさんついてて、その隙間から空と、月が見える。今まで気にしたこともなかったけどすげぇ綺麗だな。こりゃここで夜桜見ながら一杯やるのも悪くない。美人がいれば完璧だが、あの吸血女で手を打ってやるか? あいつだってこういうの見たら牙をしまって大人しくなるだろうってもんだ。

 しっかし桜がこんなに咲いてるってのに、なんだこの風の冷たいのは。天気予報、こんなに冷えるって言ってたっけかぁ?

 うぉ、桜の木の幹のとこになんかよっかかってる。びっくりするじゃねぇか。さっきこんなのなかったぞ。

 って、人だな。それも、若い女。……しかも美人と来た。

 ヨーロッパかどっかの絵のうまいやつが描いた美人画みたいなのがぼーっとつっ立ってる。色白で、なんかはかなげな顔して、茶色の長い髪をつぃっと手で揺らすのがなんとも色っぽいじゃないか。

「あんた、そんなところでずっといたら、風邪引くぞ?」

 ちょっと、いや、結構下心ありありで声かけてみた。

「心配してくださって、ありがとうございます。桜が綺麗なものだから、つい。そろそろ帰って温まらないといけませんね」

 美女は口を軽く開いて、笑顔になった。ほぅ、桜に負けてねぇ。

「桜、好きなのか」

「はい。もう少し見ていたいのですが、残念です」

 女は軽くうつむいて無念そうなしぐさをしてから、桜を仰ぎ見た。

「ほら、これでどうだい」

 俺は春物のコートをささっと脱いで、女にふらっと駆け寄って肩にかけてやった。美女からなんとも言えないいい匂いがする。香水か? それにしても甘い、それでいてしつこくない。センスいいな。

 吸血ガミガミ女がいたら、あんた鼻の下のびのびだよこのエロ中年。とか言いそうだがいいじゃねぇか。美人に親切にしない男がいたら見てみたいってもんだ。悔しかったらおまえも昔みたいに細くなって肌もピチピチの美人になってみやがれ。

「あら、ありがとうございます」

 コートをかけてやった女が俺に顔を向けた。近くで見るともう絶世の美女っぷりが目の前だ。絵から抜け出てきたみたいだと思ってたが、本当に生物かと思うくらいだ。それに体が冷たい。こんなに冷えるまで桜を見てたってのか。

 女が赤く濡れた唇をかすかに開いて、そっと顔を近づけてくる。

 ……お? これは据膳ってやつ?

 女と真正面に向き合って、いいのか? って確認の意味で首をかしげて見た。

 妖艶ってのはこういうのを言うのかってなまめかしい笑顔で、女が俺の首に腕をからめてきた。積極的だなぁ。

「行きましょう、夜の世界へ」

 女が俺の耳元で囁いた。甘美な声だ。どきっとして、女の目を見た。

 月明かりに照らされた白い女の目は、赤く光っている。そして口元から覗く歯が、あの吸血女みたいに、いやそれ以上にとがってるのが見えて……。

 え? え? なんだ?

 驚いてる俺の首に、女が口を近づけて――。


    ☆    ☆    ☆    ☆    ☆


「ちょっとあんた! 夜勤ばっかりのシフトにしたってどういうこと? 夜の勤務にするならするでいいけど、昼間に一切外に出ないって健康に悪いわよ。最近青白くなっちゃって。食事もあんまりしないし。――聞いてんの? ったく昼は寝っぱなしで、もう」

 うるさいぞ仮装吸血鬼。本物に指図するな。

 食事なら夜に外食してるから平気だっつーの。

 言っとくがおまえは食ってやらんぞ。俺は美人専門だからな。


(了)



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 お題:梅・桃・桜 吸血 おにぎり 絵画 蝶

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