雪が見せる境界線

 わー、雪だ、積もってる。

 このセリフを喜んで言ううちが子供。嘆くのが大人。

 誰だったか、そんなことを言っていたっけ。

 そして、その定義に基づくとわたしは大人のようだ。朝起きて、なんだか窓の外が白いのに気付いて、窓を開けてげんなりした。そんなに高々と積もっているわけではないけれど、都会の雪は五センチでも脅威の対象なのだ。

 だからいつもより急いで出勤の準備をする。雪だ雪だと無邪気にはしゃぐ小学生の弟をしり目に、いつもより十分、早く家を出た。

 十分違えば大丈夫。朝の十分は大きいのだ。

 と思っていたがわたしの計算はあっさりと、家を出て数分先のバス停で覆された。

 駅までの路線バスが来ない。

 バス停で、身を縮めながら傘を持って立ち尽くす人の列。

 待って、待って、待ってー、さらに待ってー。

 寒いよ冷たいよ。早くバス乗りたいよ。

 そうして佇むこと約十五分。やっとバスが来た。

 しかし超満員。列の真ん中辺りの人達まで乗ったところで運転手さんから「次のバスをご利用ください」のアナウンス。

 いや、待って。次のバス来るのいつ? この調子だとまた遅れてくるでしょ。そして次に乗れなかったら……。

 わたしは意を決して、列を外れて歩き出す。駅まではバスで十分弱。歩いても三十分以内にはつくだろう。

 最初からこうしておけばよかったのかもしれないと軽く後悔しつつ、歩き出す。

 歩道の上にはたくさんの足あとがある。みんな考えることは似たようなものなのかもしれない。

 ちょっと凍っているところもあるけれど、人が歩いた上をたどっていけば大丈夫。ちょっぴり急いで、でもあわてないで。

 ようやく駅まであと半分はきったと思われるところで、後ろから、がりがりがりがりとひときわ大きなチェーンの音が聞こえてきた。

 まさか、と振り返ると、やっぱり、路線バスだった。しかもさっき見送ったのよりも客少ない!

 これなら待っていたら乗れたのにっ。

 そう思った瞬間。足を滑らせた。

 あっと思った時にはもう遅い。シャーベット状になった雪の上に派手にしりもちをついていた。

 呆然とするわたしの傍をバスが通り過ぎていく。しかも窓辺にいた高校生二人組に笑われた! あの子達、わたしの後ろに並んでいた連中だっ。

 なんかもう悔しいやら恥ずかしいやら。会社行くのやめようかなとか思っちゃったよ。

 でもここで引き返すのはもっと悔しいので、立ち上がって雪を払って、また駅に歩き出す。

 引き返さなかったわたしを、誰か褒めて頂戴。

 雪の中をえっちらおっちら歩いて、やっと駅にたどり着いた。寒かったけど、電車に乗ればあったかい。やっとたどり着けるぞパラダイス。

 と思っていたが甘かった。ここでも長蛇の列だった。


 結局、会社に着いたのは始業時刻より三十分遅刻。

 しかもわたし以外の課の人みんなそろっていて、白い目で見られてしまった。上司からは「雪だから遅刻したは理由にならないぞ」と怒られるし。

 ついてないなぁ。

 朝からこんなついてない日は、とことんタイミングが悪いことが続く。

 取引先のミスをこっちがかぶったりとか、伝票計算があわずに残業になったりとか。

 オマケに、疲れた体を引きずって帰って来たら、家の近くで、傍を通り過ぎた車に泥雪を引っ掛けられたりとかっ。

 あぁもう、どこかに引きこもってやりたくなったよ。

 周りを雪に閉ざされた、嘆きの塔につながれた憐れなる姫君なんて、かっこよくない?

 ……なんて、バカな妄想なんてしたからか。

 家の門を開けて玄関にたどり着くほんの数歩のところで、また足を滑らせてしりもちついちゃたよっ。

「いったー! もう、最悪!」

 思わず叫んで、近くの雪を掴んで投げ散らかした。

「おかえり、おねえちゃん、何やってるの? ひとりで雪合戦?」

 玄関のドアが開いて、弟が顔を覗かせた。

「うるさいわね、あんたには関係ないでしょ」

 思わず八つ当たりしてしまった。

「ねーねー。あれみてー。僕が作ったんだよ」

 弟は、わたしが不機嫌なのを気にしていない様子で、玄関脇の小さな庭を指差した。

 そこには雪ウサギが四羽。大きいのが三羽と小さいのが一羽。まるで芸術的な置き物よろしく、綺麗に並べられていた。

「お父さんとお母さんと、おねえちゃんと僕だよ」

 弟は屈託なく笑った。いつものことながら、その笑顔に毒気を抜かれる。

「うまく作れたね」

「うん。ねぇ、明日まで雪残ってたら、雪合戦しようよ」

 こうやって純粋に雪を喜んでいられる弟も、あと十年もすれば大人の仲間入りをするのだ。

 明日は土曜日。会社は休み。

 休日ぐらい、雪が見せた大人と子供の境界線を取っ払ってみるのも、いいかもね。

「うん。残ってるといいね、雪」

 わたしの答えに弟は嬉しそうに笑った。

 見てろよ、雪め、今日困らせてくれた分、明日は思い切り投げつけてやるから。


(了)


 お題バトル作品

 ルール:お題一覧の中より3つ以上使用。1時間に執筆。

 提出お題:嘆きの塔、雪、姫、星座、置き物、異種族婚、棺

 使用お題:嘆きの塔、雪、姫、置き物、

 執筆時間:1時間

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