第77話 ひよこまんじゅうウォーズ
ひよこまんじゅう。鳥の形をしたまんじゅうだ。東京駅ではおなじみの名産品であり、我輩と花江殿は1パック21個入りを購入した。
長屋へ帰るなり、二人でひよこまんじゅうを堪能していく。うん、名産品として通るだけあってうまいな。我輩と花江殿は夢中になって食べた。だが途中で21個という数字に重要な意味が隠されていることに気づいてしまう。
奇数だ。
二人で割り切れない。
ちゃぶ台には、可愛いくて美味なひよこまんじゅうが一個だけ残っていた。
空気が張り詰めていた。我輩も花江殿も最後の一個を狙っていた。
「今日はいい天気だな、花江殿」
我輩は、けん制の言葉を放った。どうしても最後の一個を食べたかった。ひよこまんじゅうは初めて食べたのだが、思いのほかうまかったのである。
「ええ、とってもいい天気ですね、暮田さん」
花江殿は、けん制をさらりと受け流した。彼女の雰囲気からひしひしと伝わってくる鋼鉄の意志――最後の一個を絶対に食べるという食欲の発露だ。
しかし負けるわけにはいかない。だってひよこまんじゅうはおいしいから。
「そういえば、長屋の中庭で水漏れがあったらしいぞ。管理人として……大事なお仕事だな?」
さりげなく花江殿を中庭に誘導した。彼女がちゃぶ台を離れた瞬間、最後の一個をいただくという寸法だ。
しかし花江殿はちゃぶ台の縁を掴んだ。
「とっくに業者を呼んであるので気にしないで大丈夫ですよ」
鋼鉄の意志はより強固になったらしく、彼女の目線はひよこまんじゅうへ収束していた。絶対に目を離さないつもりだ。
やるな、花江殿。戦いに集中力は大切だ。
そんな食べ物に執着する花江殿の反撃。
「そうそう、先日暮田さんがおでかけしたとき、お兄さんが遊びにきたんですよ。たしか押入れのあたりを漁っていたような」
なんだと!? もしかして我輩の私生活を探って給料を減額するつもりじゃ!?
押入れのある背後へ振り返ろうとした――しかし上半身がねじれたところで気づいた。これは花江殿の策略だ。我輩が押入れを調べる隙に最後の一個を食べるつもりだろう。慌てて視線をちゃぶ台へ戻したら、花江殿が可愛いひよこへ手を伸ばすところだった。
「ちっ……気づきましたか……」
花江殿が舌打ちしながら手を引っこめた。
あぶない、あぶない。まったく我輩としたことが初歩的な策略に騙されるところであった。
だが裏を返せば花江殿とて初歩的な戦略に弱いはず。
「あ、いま花江殿の母上殿が管理人室に入っていったぞ」
「え! まさかまたオタクグッズを勝手に捨てるつもりじゃ――」
花江殿は急いで立ち上がると、ちゃぶ台を離れた。
いまだ! 我輩はひよこまんじゅうに手を伸ばした。
しかし手首に強烈な痛み! なんと花江殿がナギナタでぶっ叩いていた!
「ふー、あぶない、あぶない。騙されるところでしたね」
花江殿は額の汗をぬぐうと、ナギナタを肩に引っかけた。
むぅ、一筋縄ではいかないようだな。しばらく硬直状態になるだろう。
我輩と花江殿は、ちゃぶ台に残されたひよこまんじゅうを凝視すると、お互いの隙を探り続けた。
一秒が一時間に感じられるほどの緊迫感。つーっと汗が垂れていく。
長屋の外では、なにやら大騒ぎが起きていた。だが我輩たちは無視していた。もし屋外を気にしたら、その瞬間にひよこまんじゅうは相手の胃袋へ消えてしまうからだ。
ひよこまんじゅう。絶対に食べるのだ、おいしいお菓子を。
室内の酸素が煮詰まるほど、こう着状態が長引いていると、何者かが玄関を破った気配がした。パリンっとガラスが割れて木材が折れる破砕音が響く。
しかし我輩と花江殿はひよこまんじゅうから目を離せないため、誰が入ってきたのかわからなかった。
やがて玄関を破った主が、ちゃぶ台へ獣くさい前足を伸ばした。
ライオンである。屋外の騒ぎに聞き耳を立ててみれば、どうやら動物園から逃げ出してきたらしい。だがそんなことはどうでもいい。大事なことは、ライオンだろうとなんだろうとひよこまんじゅうは渡せないということだ。
そう、ライオンは小生意気なことに、ひよこまんじゅうを食べようとしていた。
「それは我輩のだ!」「いいえわたしのですっ!」
我輩と花江殿が一喝すると、ライオンはびっくりして逃げていった。
ふー、ようやく邪魔者が消えたな。ふたたび睨み合いが再開となった。
しかし長屋の外がまたもや騒がしくなった。だが我輩たちには関係ない。騒音など気にしないで隙をうかがっていると、いきなり長屋の天井が消失して、四色の光がちゃぶ台へ降り注ぎ、ひよこまんじゅうがふわりと浮いた。
なんと宇宙人のUFOがトラクタービームでひよこまんじゅうを奪おうとしていた!
「それは我輩のだ!」「いいえわたしのですっ!」
我輩と花江殿が一喝すると、宇宙人は不利を悟って逃げていった。
まったく、なんで遠路はるばる宇宙から旅してきたのに、ひよこまんじゅうを欲しがるかな。自分で買え、自分で。
とにかく我輩と花江殿の戦いは再開した。
しかし苛立つことにまたもや長屋の外が騒がしくなった。だがもはや意地になっている我輩と花江殿にとっては馬耳東風であり、ひよこまんじゅうしか目に入っていなかった。
――――強烈な衝撃波が到来して長屋が木っ端微塵に吹っ飛んだ!
我輩と花江殿とちゃぶ台とひよこまんじゅうが荒地となった都内をゴロゴロ転がっていく。
転がりながら空を見上げれば、なんとゴジラみたいな巨大怪獣がひよこまんじゅうを狙っていた!
どうやらあいつがブレスを吐いて長屋を吹っ飛ばしたらしい。というか都内には避難警報が流れていて、長屋の近隣にあったはずの高層ビルや道路がぺちゃんこに潰れていた。
なんてやつだ、町を破壊してまでひよこまんじゅうが欲しいのか!
「それは我輩のだ!」
我輩はお返しに高熱のブレスを吐いて巨大怪獣の上半身をこんがり焼いた。
「いいえ、わたしのですっ!」
花江殿はナギナタで巨大怪獣のスネを全力で叩いた!
ぎゃおおおおんっと悲鳴をあげた巨大怪獣は、ひよこまんじゅうを諦めて東京湾へ逃げていった。
ふぅ、一件落着。さてひよこまんじゅうを…………あ、砕けてる。さっきのブレスで。
「なんてことだ……あんなおいしいひよこまんじゅうを壊すなんて……」
我輩は落胆した。
「もったいないことをするんですね、最近の怪獣は……」
花江殿も落胆した。
一夜あけて、なんだか納得できない我輩たちは追加でひよこまんじゅうを買うことにした。
だが店には、21個入りのパックしか残っていなかった。
またもや奇数。どうやら我輩と花江殿は、最後の一個を巡って争う運命にあるらしい――冒頭に戻る。
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