第20回 落城
翌朝。
順慶はまんじりともせず一夜を過ごし、差しこむ朝日に目を細める。
「殿、ずっと起きておられたのですか」
「左近、朝菊は」
「無事、落ちられたようにござりまする」
まだ戦の最中ではあったが、その報告だけで胸のつかえがおりるようだった。
自分の中で朝菊の存在が日に日に大きくなっていく。
それが良いことなのかどうか分からない。
包囲していた軍勢は初日よりもかなり距離をあけていた。奇襲のあと焚かれる篝火は増やされていた。
軍勢は昼頃から動き出す。
堀を埋め立てる手にでたようだ。燃やした城下町の残骸を堀に投げこむ。その間も銃の撃ち合いはつづいていたがそこでも火力負けは否めず、どんどんと堀は埋められていく。
「一気にくると思うか」
「昨日、打撃を与えたせいか動きは緩慢のようですな」
左近の言う通り、押し寄せた兵に昨日ほどの勢いはなかった。さもこちらの反応を計るようだ。
昨夜の奇襲がかなり功を奏している。しかしそれでも敵が攻めることをやめることはない。堀が埋められれば鯨波は間断なくこだまし、兵が城壁に殺到する。
「城壁に寄るな。相手が姿を見せた時に槍で突き倒せッ」
侍大将が叫ぶ。
城郭の一部を兵に乗り越えられる。
筒井方は必死に押しかえすが、綻びは徐々に大きくなりつつあり、その数はところどころに目につくようになる。
「殿は城内へ」
「馬鹿なことを言うな。ここにいる。お前は早くいけ。前線が崩れるぞ」
「しからば……御免」左近は駆け去った。
侍大将が先頭を切って斬りこみ、押し返す。
梯子を蹴飛ばせば、しがみついていた敵兵が蟻のように落ちていく。
わずかに相手方の攻めがないあいだに煮立った湯が運ばれ、のぼってこようとする兵めがけぶちまける。
手に掴めるものはなんでも武器にした。城内の小屋を崩し、材木を投げつけた。
しかしそれは時間稼ぎにもならない。敵は数の力を生かして新手を次々と押し出してくる。こちらは満身創痍の兵が相手をし、わずかな隙をつかれて槍で貫かれた。血飛沫が城を濡らす。
櫓にいる順慶の元にはひっきりなしに戦況の報告が入る。
逃げるべきではなかったか。負けると分かって将兵の命を散らすことなどなかったのではないか、大和を守ると言いながらこうして大和の人間の血で落ちる運命にある城を濡らすことにどれほどの意味がある、久秀に降伏したほうがこの国のためではないか、胸をよぎる問いかけを必死に押し殺す。
空が血のように真っ赤に染まった頃、敵陣より太鼓の音がひびく。それを潮に敵兵は退いていく。
櫓を下りる。硝煙と血のまざった臭気に思わず鼻に皺を刻んでしまう。
篝に火が入れられる。乾いた血と泥とで兵たちは顔を黒くさせている。
呻きは昨日よりもずっと少ない。それだけ多くの兵が死んだのだ。
うずくまる兵がほとんどで、二本の足でなんとか立ってる者も茫然自失で、その目は生気を失ってうつろだ。
鉄砲が定期的に打ち鳴らされている。こちらの精神を摩耗させようというのだろう。
重臣たちからの報告を聞いても、明日、この城が落ちるのは明らかだった。いや、今日一日保ったことが奇跡といっても良かった。
しかし相手に相当な痛手を与えたこともたしかだ。
あとは状況を見守る国人たちがどう判断するかだ。
順慶は遺体置き場になっている一角へ向かう。兵士の身内なのか年配の男が手をあわせている。
順慶に気づくとかすかに震わせた唇をひらきかけ、結局なにも言わないまま立ち去った。
積み上げられている遺骸を前に順慶は手を合わせた。
「殿」
左近がやってくる。その表情は普段とほとんど変わらず、目にも冷静な光を浮かべる。
初日に打って出、夜襲までこなしたとは思えない静かさだ。
「敵は夜に打って出ると思うか」
「そうであれば鉄砲など撃ちかけますまい」
順慶は兵たちの前に出ると、声をかける。
「みんな、よく戦ってくれた。これより城を捨てる。しかし敗北ではなく、再起を期すためだ。悔しいと思うが耐えて欲しい」
順慶は手傷を負った侍大将たちに命じる。
「もし敵が総攻めをしかけた場合には小屋に火をかけ、内より扉をひらけ。女や怪我人をひとところに集め、守れ。民には一切、抵抗させるな。久秀は以前もそうだったが、民を虐げる真似はしないだろう」
「殿、死なせてください。久秀に降れなどと」
兵の誰かが声をあげ、賛同する声が重なる。
「だめだ。ここで無駄に死ぬのは許さない。生き残る方策を探れ。私は必ず再起する。その時、もう一度、その気があれば私の掲げる旗の下に集まって欲しい」
兵の一部は泣き崩れ、一部の兵は早々に動き始める。
順慶は数人の馬廻りに囲まれながら城を出る。
左近はぎりぎりまで残る。
敵陣は今ごろ夜襲を警戒し、陣を固めているはずだ。
「落ちるだけだ。負けではない」疾駆する馬上で順慶は独りごちる。
風のうなりが耳に届く。順慶はまっすぐに前をみすえていた。
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