第6話 マイクの向こう【三吉千里】

 新しい学校、制服にもようやく馴染んできた。

 不安だったクラスにも徐々に打ち解けてきたと思う。うちのクラスの担任は定年近くの優しそうなおじいちゃん先生だ。短い白髪に眼鏡をかけていて、年の割には飄々と私たちに話しかけてくるチャーミングな人だった。名前は山路先生というのだけれど、みんなからは既に”やまじい”という愛称で親しまれている。

 それと、クラスには同じ放送部の藤城君がいるのも心強かった。まだクラスで男子たちと仲良く話すなんて芸当は私には出来ないけれど、知った顔がいるのはそれだけで頼もしい。出来るなら、楠見さんとも同じクラスが良かったんだけどな。

 そして部活動の仮入部期間も終わり、私たちは正式に放送部の一員になった。正式入部してからまず変わったのは、これまで放課後にしていたような発声や滑舌などのアナウンス練習に加えて、放送部ならではの”仕事”にも任されるようになったことだろう。

 つまり、放送部と言えばまっさきに連想される”お昼の放送”だ。



 ピンポンパンポーン♪校内に軽快なベルの音が響く。

「生徒に連絡します。2年4組、大崎香奈子さん。職員室、三田村先生のところまで来てください。繰り返します。2年4組、大崎香奈子さん。職員室、三田村先生のところまで来てください」

 かっこいい!お昼休みの放送室で、初めて日野先輩が呼び出し放送をしているのを見たときは感動してしまった。本物のアナウンサーみたいだった。

 ミキサー室では榊先輩が部屋の名前にもなっている”ミキサー卓”を操作して、校内放送が流れる場所の設定や、先ほどのベル、放送される先輩の声の音量などを調節していた。ふたりのスムーズな放送にはプロフェッショナルという言葉がぴたりと当てはまる。

 無事に放送が終わり、日野先輩がスタジオからミキサー室に戻ってきた。私たち5人の1年生を前にして、日野先輩は説明を始める。

「どうだった?お昼休みはこうやって、放送室に先生方から電話がかかってきて、呼び出し放送の依頼があるの。これからは1年生にも当番になってもらうから、みんなしっかり覚えてね。基本的にアナウンス部はアナウンサーを、技術部はミキサーを担当してもらいます。ただし、忙しくて人がいない時は両方やらなきゃいけない事もあるから、最初のうちは全員どっちも経験してもらうようにします」

「あの、質問いいですか?」

「はい、なんでしょう藤城君」

 こういう時に質問するのはいつも藤城君か楠見さんだ。藤城君が少し遠慮がちに尋ねる。

「この放送、もしも失敗したらどうなるんですか?」

「んー、よっぽどでなければ先生に怒られたりはしないけど、全校放送されちゃうからちょっと恥ずかしいかな。ま、大丈夫よ。慣れたら滅多に失敗はしないから」

 慣れたら失敗はしないって慣れるまでは失敗するってことですよね先輩。しかもそれ、ちょっとじゃなくてかなり恥ずかしいです。

 楠見さん以外の一年生も顔が強ばっていた。先輩を見ている分にはかっこよかったけど、自分にそれが出来るかと言われれば即座にノーだ。

 目立つのは苦手だ。3人兄妹の真ん中で、優秀な兄の影に隠れ、手のかかる妹のために身を引いてきた私は、我慢と遠慮ばかり上手になって、前に出るという経験が極端に少なかった。

「それじゃあ試しに今の原稿で誰かやってみましょうか。音はこの部屋にしか流れないようにするから大丈夫よ。んー、じゃあ…」

 日野先輩が私たち5人をじっと見回す。当たりませんように。でも、きっとここは楠見さんじゃないかな。なんたって彼女は中学のときにもやっているんだから。しかしそんな希望的観測はものの見事に裏切られた。

「じゃあ、三吉さんお願いできる?」

「へぁ!?」

 驚きのあまり変な声が出てしまった。恥ずかしい。

「わ、私ですか?」

「大丈夫、私たちにしか聞こえないから。ほらほら」

 日野先輩に背中を押されて、スタジオにあるマイクの前に座らされてしまった。スタジオのマイク席はミキサー室と繋がるはめ殺しの窓の目の前で、向こうのミキサー室にいるみんなの顔ががよく見えた。ほっとした反動もあってか、他の一年生のみんなは私がどうするのか興味津々で見ている。無理だ。無理だけど、先輩相手に強く抵抗することも出来ない。

「向こうのミキサー室で榊君がキューを出してくれるから、そしたらそこにある原稿を読んでね。大丈夫、リラックスリラックス」

 日野先輩が一旦ミキサー室に戻り、みんなに何か話している。どうやら放送中はミキサー室いても静かにしてね、ということを言っているようだ。放送室と外、学校の廊下は防音扉で句切られているが、ミキサー室とスタジオは玄関前のスペースを挟んで普通のドアで句切られているうえに、はめ殺しの窓があるため意外と音が聞こえるらしい。放送を流すときスタジオのドアを閉めて防音はするけれど、放送中はみんな口を噤んで静かにする。声をマイクに拾われないようにするためだ。

 日野先輩が、それじゃ行くわよーと最後通告を出す。いえ、行くと言われても私まだ心の準備が…!窓の向こうで榊先輩がなんの情けもなくミキサー卓の操作を始める。先ほども聞いたベルが鳴る。普通の放送だ。普通に聞こえるからこそ、これは本当に放送室の中だけなの?なんて疑問も浮かびあがってきて、ますます声を出せなくなった。

 私は結局、一言も声を出す事が出来なかった。

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