主人公殺しの悪役令嬢

うろこ雲

主人公殺しの悪役令嬢


「そ、そんな……ティラミスまで作れないなんて!」


 とある学園の調理室に少女の悲痛な叫びが響き渡った。

 両手を調理台に押し付ける柔らかな栗毛の主人公ヒロインはその端正な顔を悲愴で歪ませていた。

 少女の目の前にはクッキーをはじめとした数々のお菓子が並んでいる。

 だがどれもその出来はいまいち……というかなんともいえない残念な雰囲気を醸し出していた。

 焦げたクッキーは歪な形であり、型崩れしたプリンにはが入っている。その他の料理も全て見た目が悪い上にその味もお世辞にも美味しいとは言えないものばかりだ。

 砂糖と塩を間違えたというならまだいい。それならうっかりドジっ子で済まされるのだから。

 だが彼女は料理は得意な方であり、今回の調理でもきちんと分量を守り手順を飛ばすこともなく丁寧に作ったのにも関わらず、出来上がったものは全て失敗作。

 今までに一度だってこんなことはなかった。主人公ヒロインは自分の料理にまるで何か別の力が働いているようにしか感じられなかった。


「ふふふ……どうやらお困りのようね?主人公ヒロイン


 突然、背中を襲った聞き慣れた嘲笑に少女は振り返った。


「その声は……悪役令嬢!!」


 そこにいたのは輝く金髪の縦ロールが眩しい美女だった。

 切れ長の目と手に持った扇で口を隠す彼女を見間違える筈もない………悪役令嬢だ。


「何かお困りのようだけれど、どうしたのかしら?」


 余裕たっぷりの見下した微笑みを浮かべる悪役令嬢に主人公ヒロインは焦燥を滲ませて震える桜色の唇を開いた。


「料理が………得意だったお菓子作りが上手くいかないの。何回繰り返してもどんなに正確に作っても美味しいお菓子が作れない。出来上がるのは見た目が歪で不味い失敗作ばかり。昨日までそんなことは無かったのに!」


 悲しみを湛えた表情で俯く主人公ヒロイン

 

「ああ、そのことね」


 主人公ヒロインの身に起きた異変に心当たりがあるようで、悪役令嬢はその口端を吊り上げた。


「まさか!まさかまさか!!」


 悪役令嬢の反応に、最悪の予感が脳裏をよぎって、主人公ヒロインはその澄んだ緑色の目を大きく見開いた。

 それを見た悪役令嬢は堪えきれないとばかりに口を大きく開いて高笑いした。


「ふふふ…あははははははは!!そうよ。あなたの"美味しい料理を作る力"は私が頂いたわ!!」

「私の……私の"力"をよくも!!」


 目にいっぱいの涙を浮かべて悪役令嬢を睨む主人公ヒロイン


 悪役令嬢の持つ能力、それは『女子力喰いヒロインキラー』である。

 この力は触れた相手の持つ"女子力"に類するものを文字通り食べて奪い、自らの糧としてしまうものだ。

 まさに恋愛物語ラブコメ主人公殺しヒロインキラーといえる恐ろしい能力である。


 そして主人公ヒロインには心当たりがあった。

 それは今朝のこと。

 いつものように登校していた主人公ヒロインは校門前でリムジンから降りた悪役令嬢に出くわし、肩を軽く叩かれたのだ。

 その時何か大切な物が体から失われた様な気がしたのだが、特に変わった様な事もなく体調が悪くなったりはしなかったので、気のせいだと思ってやり過ごしたのだった。

 だが恐らくその時に、悪役令嬢は主人公ヒロインの"料理を美味しく作る力"を奪ったのだろう。それ以外に考えられなかった。


「この能力で奪った女子力は、あなたの"料理を美味しく作る力"は不可逆的なものとして永遠に戻らないわ。例え努力しても無駄よ。いくら頑張ろうとあなたが料理を美味しく作ることは出来はしない。メシマズ女になって想い人に幻滅されなさい!」

「そ、そんな!」


 悪役令嬢の能力のえげつない効果を聞いて絶望の表情を浮かべる主人公。

 だが彼女は"主人公ヒロイン"。"悪役令嬢"に屈する訳にはいかなかった。


「で、でも!私にはまだプロ顔負けの裁縫スキルが!!私は"主人公ヒロイン"!あなた悪役令嬢に負けるわけにはいかないの!」


 目のはしに光る雫を浮かべながらも不屈の精神を燃やして立ち向かう健気な主人公ヒロイン

 だが悪役令嬢は凄惨な笑みを浮かべて扇をパチリと鳴らした。


「あら……まだ私の知らない"女子力"を持っていたのね。流石は"主人公ヒロイン"といったところかしら?でも残念。その"女子力"も私が美味しく頂いてあげるわ」


 ゆっくりと近づいてくる悪役令嬢に恐怖を感じながら主人公ヒロインはじりじりと後ろに後退した。


「さ、さすがに裁縫スキルまで奪えるはずはないわ!」


 主人公ヒロインの精一杯の抵抗に悪役令嬢は笑みを深めることで答えた。


「聞いてなかったの?私の能力は『女子力喰いヒロインキラー』よ?それが"女子力"であれば食べられないものはないわ。だからその"女子力"も直ぐに食べてあげる」

「渡さない!私の裁縫スキルは絶対に!」

「無駄よ。それが"女子力"である限り、私の『女子力喰いヒロインキラー』から逃れることは出来ない」

「くう……どうすればいいの?!」

「あなたにはどうすることも出来ないわ。さあ、大人しく私に食べられなさいな」

「いや、こないで!イヤァアアアアアアア!!」



 空気を切り裂く少女の悲鳴が響き渡った。



「ふふふ………ご馳走さま。これで私も女子力を持ったスーパーヒロインよ!この力を使って夢の逆ハーをつくって人生を謳歌してやるわ!!!あ、あれ?ちょっとお腹が………お昼の生牡蠣があたったのかしら………う、自然が私を呼んでいるわ!!!」


 突然襲ってきた大きな波にお腹を押さえた悪役令嬢は、額に玉のような汗を浮かべてある方向へと駆け出した。



ナレーション《しばらく美しい自然の景色をお楽しみ下さい》



「危なかったわ……もう少しでお茶の間には流せないスーパーヒロインの痴態を晒す所だった。まあ流すものはきっちり流したんだけれど……」



ナレーション《今の台詞はさらっと流しましょう》



「ふふふ……まずは美味しいお菓子を作って甘いものに目がない皇太子殿下に差し上げ様かしら?それとも愛らしい刺繍のハンカチを可愛いもの好きの騎士団長様に持っていく?他にもいろいろ出来そうでどうしようか迷うわね」


 主人公ヒロインから2つの"女子力"を奪った悪役令嬢は自分が紡いでいくであろう甘い恋物語に思いを馳せて笑った。


 だが………


「なぜ!何故できないの?!!」


 出来なかった。

 美味しいお菓子を作ろうとしても可愛らしい刺繍をハンカチに施そうとしても失敗ばかり。

 いくら頑張ってみてもただ無駄になった材料が積み上がるだけだった。


「まさかあの子ヒロインから奪えなかったの?」


 そう考えるが、すぐにそれがあり得ないということが分かる。

 能力を行使したのは今回が初めてだが、料理が上手かった主人公ヒロインはきちんとその能力を喪失していたし、朝校門前で奪った瞬間に確かに"女子力"が自分の中に流れ込んでくる感覚があった。


「それならなぜ………まさか!まさかまさか!!」


 悪役令嬢の脳裏に思い起こされるのは、いつか聞いたとある約束事。

 恋愛物ラブコメ主人公ヒロイン不文律レゾン・デートルその7、『ヒロインは絶対にお腹を壊さないし、ましてやお花摘みの描写などありはしない』。

 間に美しい自然の描写を入れたとはいえ及びを口走ってしまった事で『人ならざる力』が働いたのではないか、と悪役令嬢は考えた。


 だがそれは違う。


 この物語を作った者はそんな面倒な制約を設けたりはしていない。というか考えるのが面倒というか細かい描写を丸投げしたという方が正しいのかもしれない。


 悪役令嬢の考えは半分正しく半分間違えていた。


 彼女悪役主人公ヒロインから奪った"女子力"がその身から消えた理由。それは自身の能力に起因していた。

 悪役令嬢の持つ能力『女子力喰いヒロインキラー』は文字通り触れた相手の"女子力"を食べて奪い、自分の糧にするもの。

 だがその能力が、奪った"女子力"が持続するのはあくまで食べた物がその身にある間だけ。

 つまり食べてからトイレに行くまでの間だけである。

 ゆえに先ほどヒロインらしからぬ描写を欠片でも匂わせた悪役令嬢は主人公ヒロイから奪った能力もろとも全てを下水道に流してしまって、その身にはもう奪った女子力は存在しなかったのである。

 「え?消化されて自分の糧にならないの?!」と考えた方もいるだろう。


 だが世の中はそんなに甘くない。


 労せずして手に入れた物が本当に自分の物になるのはご都合主義の物語の中だけである。


 『高い能力に代償は付き物』


 これが手に汗を握る物語の不文律なのである。


 …………この話に手に汗を握る場面などありはしないが。


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