この掌とその掌の間

有馬佳奈美

第1話 最後の転校

 父親が転勤族のため、小学校から転校という行為を繰り返すこともう5回。まなみは中学3年生の一学期をようやく終えようとしているところ。

 今は、最後の転校の中学校の校門をくぐって母親に連れられての初登校している最中だった。桜が咲いていることも、にぎやかな雰囲気の一切ない校庭。初夏の日差しにまぶしく、季節が変わり熱気を放ち始めている。目につくところに人影は一切ない。今はおそらく授業中なんだろう。

 校門をくぐって職員玄関へ向かう途中に、カーテンが外に向かってなびいている教室が目に入った。吹き込む風に自由に踊らされ、膨らむベージュ色のその薄汚れたカーテン越しに、ふと視線が合ったのを感じた。それは一瞬で、こちらからというわけではなく、向こうが外を眺めていたところに私たち親子が通りかかったというところだろうか。


 視線が一度バチッとあっただけで、相手が男子か女子かは分からなかった。交わった視線は向こうから一方的に逸らされてしまい、わたしはようやく建物の影に入った。

「これが最後の転校だからね」覚悟が決まった言い方で母はまなみに言い聞かせる。

 言い訳の悪い子供に言い聞かせるように、何度も何度も、母は繰り返していた。それはもううわごとのようであり、母が母自身に言い聞かせているようであった。 もうそれは本当に耳にタコができるほどに。どうやら母は、転校がこれで最後で済むことを、まなみが喜んでいると思っているらしい。

 当の本人であるまなみには、どうでもよかった。もう本当に5回目ともなるとどうでもよくなる。もう中学3年生にもなっているのだから、初登校日に保護者同伴で来る意味なんてないんじゃないかと、正直に言えばこの場に母親と一緒にいることは不快に感じていた。もう15歳になるのだ。挨拶もできるし、分からないことが多少なりにあっても、自己で解決できる年齢になったと自分では思っていた。


 しかし、最後の転校先になる理由でもある高校受験についての話し合いをするらしく、学校側も保護者同伴を希望しているらしかった。確かにこれからの進路をどうするかは親子供、その両方にとって、また今回の転校を受け入れる学校側にとっても最重要課題であったからだ。

 修学旅行は先週まで在学していた他県の中学校で済ませてしまったし、何なら卒業アルバムの個人写真だって先月に取ったばかりだった。何もこんな時期に転校させなくても、というのが学校の本音なのかもしれない。しかもだいぶん遠い他県からの転校ともなれば余計面倒くさいであろう。

 

 まなみだって転校が好きなわけでは決してない。そのたびに感慨もなく見送りの会が開かれた。そして、歓迎の会も同じように経験してきた。そのたびに、「家庭の都合で仕方なく」と言われることが大嫌いだった。転校して、仲が良い友達ができても、ようやく学校の全体行事に参加できると思うと、父の転勤話によってまなみは心地よくなりつつあった環境から離れて、また一からやり直さなければならなかった。それも近場での転校ならまだしも北は東北から南は北九州まで、日本地図を縦に横断してきた。

 小学校低学年の頃は方言に戸惑ったり、いじめてくる男子がいたりしてつらい学校生活を過ごした期間もあった。高学年、中学生になってからは、その転校先の学校の勉強の進み具合や雰囲気に、自分を順応させなければならず、また部活動や人間関係も複雑になってくる年頃だけに一時期学校に行けなくなってしまった時期もあった。誰しもが通る思春期。そんなときでも、父はまなみの話なんて一言も聞かなかった。理由なんて聞かれることのないまま一方的に言葉の矢が、まなみに降り注いだ。


「なぜ学校に行かないんだ!?」まなみが学校に行っていないことを母の口からきくや否や、まだ夕食の最中だというのに

「何が不満なんだ!?」と怒鳴り散らした。まるで学校に行かないまなみが、自分の顔に泥を塗っているかのように。我が家の恥であるかのように、訳も分からず怒られた。

 これに対してまなみは、

「転勤族のお父さんのせいで嫌な思いしているのよ!!」

「家族のことを考えて一人で単身赴任すればいいじゃない!!」と反抗した。

持っていた箸と茶碗が、食卓から放り投げる勢いで机を強くたたいた。


「お前は家族というものを何もわかっていない!」

「自分の主張だけで家族が動くなんて思い上がるな!」と、激昂した父に顔をはたかれた。今時、自分の子供に手を挙げる親がどれだけいるかは分からないが、まさか自分が殴られるとは思っていなかったまなみは、起こったことへの理解が追いつくのに時間がかかった。そして、その一件があってからは父に話しかけることも、同じ空間にいることさえも嫌になってしまった。


「お前なんか、保険金残して死んじまえ」父に対する不満が積もっていくたびにそう心の中で唱えることで、自分を慰めていた。母に話しても、お父さんの言っていることが正しいの一点張りだった。

 それ以上反抗することができなかった恨みが心の中に積もっていった。全く持って父親に抱く感情の類ではないそれは、まなみが幼いころから父に接してきて積み上がってきた感情だった。


 反抗心が強くなればなるほどに、他人の親のことがうらやましくなる。「ほかの家庭に生まれたかった」という感情が、吐き出すところを知らずに積み重なっていく。テストの点も、学校での生活ぶりにも興味すら示さない両親を次第に他人目線で見るようになってきた。まなみは兄弟がいないので、身元の分かる親戚くらいの他人と共同生活を送っているような、そう思うくらい会話の少ない両親とまなみ。


 父は昔から自分以外の人のことを全く大事にしない人だとまなみは思っている。どんな時でも自分の都合が最優先の冷酷な人間。自分の娘の学校行事など一度も参加したことなどなかった。何度そのことで父と母に詰め寄ったことか。一言も口にしたことはなかったが、何度寂しい思いをしたことか。


 小学校3年生の時、運動会にもピアノの発表会にも来てくれなかったことに対して文句を言った時には、「誰が働いているおかげで生活できていると思っているんだ!?」と謝罪や名草絵の言葉一つなく、まなみはひどく落ち込んだ。そういう場面での母というと、自分は対岸の火事を眺めているようにまなみを慰めたり、かばったりすることは決してなかった。母はもちろん必要最低限の学校行事や役員などはこなしていた。だけれども、私の教育方針に対しては父に言われたとおりにやっていればそれでいいといった感じであった。


 その教育方針はいかほどか、これから話し合われるであろう進路について、まなみが思うことなど1つもなかった。どうでもよかった。両親が何を望んでいようが、自分の今の成績で入学可能な高校がどの程度あろうが。言われたとおりに生きていれば、文句を言われない程度に成績を残して、勉強しているふりを見せれば何も問題はないだろう。

 普通だったらこんな風にしがらみがあったり、逆に不干渉過ぎればそれをどうにかしようとこの年齢の少年少女だったら思うだろうか。言われるがまま、決められた道を進むのには抵抗があるだろうか。でも、まなみは思う。逆に自分で決めた進路に向かって努力して、得られるものが自分にとってそんなにもプラスになるんだろうかと。


 だったら初めから自分の意見など、くみ取ってもらわなくてもいい。その代り責任の押し付けはごめんだ。これから行われる進路面談において、まなみはこのスタイルを突き通すことを前の学校を去る前に決意していた。今までほとんど自分の意見など見向きも、考慮もされてこなかったと感じている。この両親に今更何を求めようとは思わない。


 ガラスでできている職員玄関のドアを押し開けて、小さな玄関に入る。すぐ脇にある巨大な下駄箱の、来客用とシールの張り付けてある扉を開けてうすピンクのぺたぺたのスリッパに履き替える。と同時に下駄箱の反対側には事務室と小さい看板のついている小窓の中にいる人に向かって母がガラス戸をたたいて呼びかけている。ゴンゴンとかなり強くたたかれたそれに素早く反応して小窓は開き、中から中年の事務員らしき女性が顔をのぞかせた。座っていたデスクのチェアごと受付のようなスペースへと移動してきた彼女に向かって、

「あのぅ、2時に進路面談でお約束していた安齋ですが・・・」ガラス戸をあんなに強く叩いたくせして、ずいぶんと遠慮がちな声色で話しかける母。

「少々お待ちください」と言って椅子から立ち上がり、どうやら中でつながっている職員室の先生に話しかけているらしい声が聞こえた。


 することもないのでロビーにこれ見よがしに飾られた、ガラスケースの中の茶色くなったトロフィーや盾を真剣に眺めていた。もしかしたらこれを見るのは今回が最初で最後になるのかもしれないのだから。

 母のほうはというと、携帯電話を操作している。それも旧式の携帯電話だから開いたり閉じたりとせわしなく、手元が動いている。「そんなに真剣に連絡を取る相手でもいるのだろうか?」そんなどうでもよい疑問が浮かんだところでようやく今日の話し合いの相手が職員室の重いドアを開けて姿を現した。

「お待たせしてどうも、すみません。こちらの学校で進路指導を担当しております、今井と申します」そう言って男は、まなみと母親に向かって深くお辞儀をした。そしてこちらもつられる形になり、「よろしくお願いします」と言いながら親子で頭を下げた。


「では、早速ですが進路指導室のほうへご案内します。どうぞ、こちらです」そう言って今井は前を歩き始めた。見た目はいかついが話しやすそうな雰囲気に少しの安ど感を覚えながら、ペタペタとスリッパを鳴らしながら、彼の後をついていった。

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