差せ!フクナガ

キムラヤスヒロ

PART 1 金のない時に限って出費がかさむ。

 金のない時に限って出費がかさむ。

 タダだからと思って行ったサークルの新歓コンパでは結局三千円払わせられ、飲めないビールをピッチャーで散々飲まされたあげく植え込みに全部吐いた。大崎駅のトイレに買ったばかりの教科書やペンが詰まったクリアケースを置き忘れて一気に酔いが覚めたが、JRに電話しても結局そのクリアケースは見付からず、全部買い直したら一万五千円だった。大学の教科書はどうしてこう気が狂ったような値段なのだろう。

 それでヒイヒイ言ってるところに高一の妹が誕生日だとか何とか言い出すので、言うままにクレージュだか何かのアクセサリーを買ってやったらそれが四千円もした。ばかやろうオレが着てるユニクロは上下で四千円だぞ、と言いたくなったが、オレだって妹はかわいいし(だが妹には中二の頃から続いている坂口健太郎みたいな顔をした男がいて、もう処女ではない)、喜んでいるのを見ると何とも言えなくなる。ホワイトデーからまだ一月も経っていないのに。おふくろもおふくろで母の日と誕生日が二週間しか離れていないし、まったく、オレは彼女もいないのに女から金ばかり吸い取られていて悲しくなってくる。そういや、高校の卒業式の後にそのまま私服に着替えて悪友三人と西川口のソープに行ったが、オレだけ立たなくていまだに童貞だ。こんな浜矩子を少し若くしたみたいな女とおまんこするためにオレのペニスは存在しているのかと思うと虚しくなってきて、体だけ洗ってもらってどうでもいい話をしただけで一万二千円払い、高校も童貞も無事に卒業したエリートコースの連中と一緒に帰ったがオレだけ泣いていた。

 これは間違いないことだが、ギャンブルや酒やタバコにはまれる奴は、確実に金持ちの部類に入っている。そういう連中はよく金がない、金がないと言うが、本当に金のないオレのような人間は馬券を買う金もパチンコを打つ金もないし、酒を買う金もタバコを買う金もない。一回それらを全部やめてつもり貯金でもやってみろ、一年でその辺のサラリーマンの年収くらいの金は貯まるぞ、といつも言いたくなる。

 オレは酒も弱いしタバコも吸わない。悪友と浦和の小さい競馬場に一回学校をサボって平日に行ったが、パドックの馬の臭いで気持ち悪くなってレースも見ずに帰った。パチンコは嫌いじゃない気もするが、タバコの臭いが駄目で店に入れない。そんなオレでさえ金がこうやって逃げていって、まだ上旬なのに財布に千八百円しかない。貯金もないからこれで全財産だ。慶應に入ればセルリアンタワーか六本木ヒルズに勤めているようなOLのヒモになって何もしなくても金が入ってくるとばかり思っていたが、現実のオレは妹と母と浜矩子に金を吸われて餓死寸前だ。

 やっぱりギャンブルや酒やタバコをやる奴は絶対に金持ちだ。


 女もいなければ金もない、顔も大してよくない、これで留年でもしたらオレは本格的に終わりだ、せめて必修だけは皆勤しようと思って、目覚ましを三つ掛けて土曜だというのに六時に起きて必修の一限に行ったら休講だった。休講掲示板の張り紙のスタンプを見ると日付は二日前だ。そういうことを教えてくれる仲間を作ることにもオレは失敗した。男が八割のアニメ研究サークルの新歓コンパの隅っこで性犯罪者みたいな顔の上級生にピッチャーでビールを飲まされて植え込みに吐いているような男と友達になりたいような奴はいない。引きこもりじゃないだけマシだと自分に言い聞かせるが、引きこもらないのは妹やおふくろの視線が辛いからというだけだ。仕方なく家を出て外でやっているのは結局引きこもりと同じで、日本語がおかしいが、要するにオレは外で引きこもっているのだ。

 リストラされた公園のじじいみたいに朝っぱらから学校で時間を潰すのもあまりに情けないので、まだ朝だが東横線と埼京線を乗り継いでさっさと帰る。帰ると言ってもまだ家に帰るには早いから、乗り換えるついでに大宮のアニメショップでエロ本を買っていく。こういう店はクレジットカードが使えるから千八百円しか持っていなくても大丈夫だ。しかし、オレはこうやって実在しない女にまで金を吸い取られるんだから始末に終えない。

 外に出る必要がない日に外に出てしまうのはそれだけで辛い。外に出ると、外でメシを食わないといけなくなる。その分だけ使わなくてよかった金が減る。友達がいないから休講情報を当日まで知らず、その結果無駄に外出してエロ本やメシに金を使ってしまった。エロ本は残るからまだいいが、メシは違うし、そのくせ抜くこともできないんだから割に合わない。そして、そのくらいのことで辛いなんて思っている自分が情けなくなってきてますます辛くなる。こんなに情けない大学新入生が他にいるだろうか。

 今のオレが入ったら、店員のお姉さんに、あら、情けない男が来たわ、なんて思われそうでマクドナルドに入る気も起きなくなり、半ば自暴自棄になって隣の定食屋みたいな古臭い店に入った。店内はやっぱり古臭いが朝からそこそこ賑わっていて、高い位置に置かれたテレビには競馬中継が映っている。

 丸椅子に腰掛けると、店員のババアが注文を取りに来るより先に、隣の席のじじいがオレに話しかけてくる。よう元気か、なんて言ってくるが当然面識もない。オレが、ぼちぼちです、と言うと、おいおいぼちぼちって何だよ、若えんだからさ、と笑ってきた。もう酒臭いそのじじいは歯がスカスカで何を言っているのかよく聞き取れない。ババアが注文を取りに来たとき、オレは何を思ったか、そのじじいに、何かおすすめないすか、と聞いてしまった。それが運の尽きだった。そのじじいが何を言ったか聞き取れなかったが、ババアが、はいよ、と伝票に赤鉛筆で数字を書くと、そのババアが酒瓶を持ってきて、オレの目の前に置いた小さいコップに茶色い液体を注いだ。明らかに酒だった。おい、酒かよ、と思ったが、注がれてしまったものは飲むしかない。アテにシュウマイを頼んで一口飲むと、アルコールの強烈な臭気が口に広がる。

「うわ、焼酎っすか、これ」

「梅割りってんだよ。焼酎をな、梅のシロップで割るんだよ、うまいだろ」

 そう言って笑うじじいに悪びれる様子は全くない。

 最初は酒臭いとしか感じず一瞬吐きそうになったが、二口目は確かに梅の味がして、まあうまい。でもこれは強い酒だ。学校に行くと言って土曜の朝から食堂で酒を飲んでるのをおふくろが知ったらどう思うだろうか。情けなさが加速してくる。

その梅割りをちびちび飲んでいると、じじいがまた近寄ってきて何かを差し出してくる。

「アンチャン、どれだ」

 競馬新聞だった。

「きのう競輪で四万勝ったからさ、アンチャンが選んだのが勝ったらその梅割りとシュウマイと、もう一杯おごってやるからさ。どれだ、一頭選べよ」

「適当でもいいんすか」

 何だ競馬知らねえか、まあいいよ適当で、とじじいはスカスカの歯でまた笑う。オレはさっき言った通り、高校の頃に浦和の競馬場に行ってレースを見ないで帰った時しか競馬と接点がない。競馬新聞の読み方なんて分からないから見たって仕方ない。四万も勝ったんなら普通におごってくれよ、やっぱりギャンブルする奴は金持ってるじゃねえか、と思いながらも、オレは適当に3を選んだ。3は高校生の頃に好きだったクラスの女子、アカリちゃんのほくろの数だ。左の頬と、右の耳たぶと、右の太ももに目立つほくろがあった。オレはその太もものほくろにフェティシズムを感じて、よくオカズにした。それを悪友に言ったら、お前気持ち悪いよと言われたが、白いきれいな太ももに一点だけ目立つほくろがあって、それがおまんこの時に小刻みに揺れるのを想像すると、オレはやっぱり欲情する。

「何だフクナガの馬か、でもこいつはなあ、オレは買ってないよ」

「フクナガ?」

「3の騎手だよ。まあ下手じゃないんだけどな、こういう足りない馬を持ってくるセンスはねえよな」

 よく分からないが、3はあまりいい馬ではないのかもしれない。まあ、選んでしまったのだから仕方ない。それと、オレはそのフクナガをとりあえず応援すればいいらしい。

 しかしこのじじいは競馬場でもないのに競馬新聞を持ってきて、馬券をどこで買っているんだろうか。気になって、あの、お父さんは馬券買ってるんすか、と聞くと、今はこれがあるからな、と言って、ヴィトンのモノグラムの革のケースに入ったスマートフォンを出してきた。インターネットで馬券が買えるというのはオレも聞いたことがあるが、こんな歯のスカスカのじじいが最先端のスマートフォンで馬券を買うなんて、とんでもない時代だ。そしてこういうギャンブル好きのじじいは、やっぱり似合わないヴィトンのモノグラムを買うような金を持っている。オレはいま、そういう金を持ったギャンブルじじいから富の再分配を受けるチャンスに直面していて、それはフクナガの頑張りにかかっている。

 ラッパみたいな音のファンファーレが鳴って、ゲートに白いゼッケンを付けた馬が次々と入っていく。フクナガの3番は順調にゲートに入った。少し立ち上がるような馬もいたが、全員スムーズに入って、ガシャンという音と共にレースが始まった。

フクナガの3はいいスタートだったが上がっていかない。真ん中より後ろのインコースだ。もう駄目か、アカリちゃんのほくろが3つなのが悪いんだよな、パンツ脱いだら本当はもう一個あったりしてな、なんて思いにふけっていたらもう最後のコーナーだ。競馬のレースなんて初めて見たが、案外早いものだ。

 フクナガは五、六番手くらいまで上がってきたが、内側に入ってしまって前が開かない。じじいは、いいぞ、イワタ、6来るな、なんて小声で言っている。もうフクナガは無理だ。まあ梅割りとシュウマイくらいなら自分で払えるし、せめてこのじじいがこれ以上儲からないでほしい。

 そう思っていると、フクナガの前を走っていた11番が少し外に膨れて、フクナガの進路がきれいに開いた。

 あと200メートル。フクナガの3番はじりじり上がってきて、いま4番手だ。

 あと150メートル。3番手。

 フクナガが来れば、オレはじじいから富の再分配を受け、しかもじじいは外れる。

 あと100メートル、まだ3番手だが、前の二頭との差が縮まってきた。

 フクナガが差せば、オレはきょう少し変われる気がする。

 全財産千八百円で、女に金を吸われ続けている童貞のオレが、小金を持っているギャンブル好きなじじいに、そのギャンブルの予想で勝つのだ。

 フクナガ、勝ってくれ。

 あと50メートル。2番手。半馬身はある。詰めてくれ、勝ってくれ、フクナガ、


「差せ!フクナガ」 


 気付くとオレは店中に響く声でそう叫んでいた。こんなに大きな声で叫んだのは、きっと中二の時に音楽の若い女教師に指で浣腸したら大泣きされて、土下座して謝った時以来だ。

 

 フクナガの3番と先頭の4番は並んでゴールした。そして、写真判定で3番が一着になった。


 じじいはフクナガをセンスがないとか何とか言っていたが、そんなことはないじゃないか。オレは金がなくてできないはずのギャンブルで、そのギャンブルをやる金を持ったじじいに勝ったのだ。きょうは、久しぶりにアカリちゃんをオカズにしよう。


 結局、オレはじじいに梅割りとシュウマイに加えてサッポロラガーの中瓶をおごってもらい、帰りに駅ビルのトイレで吐いた。

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