第14話
翌週、木曜日。
登校途中に拓海を見かける。しかし、彼女と楽しそうに喋りながら登校していたので、話しかけはしなかった。
お相手はサッカー部のマネージャー。俺がサッカー部を辞めた去年の秋にはすでに付き合っていたので、まだ続いてたんだ、と少し感心した。
拓海は明るく、人柄が良い。一言でいえば良いやつなのだ。その上、恭介のように妄想狂ではなく、節度を守った下心を持っているため、女子からの人気も高い。
なんだかムカついてきた。
◇ ◇ ◇
放課後、ジャージを着て部室に向かう。
月曜日から一日に一回以上、部長は
「こんちはー。あれ?」
カラカラと音が鳴る扉を開けて部室に入ると、緑色のジャージが目に入る。
ちなみにだが、うちの学校には学年カラーが3色あり、学校指定のジャージはその学年カラーを前面に押し出した色合いになっている。今年の三年が青色、二年が緑色、一年が水色である。なぜ青系統の色が二つあるのかは謎だ。
俺は二年なのでもちろん緑色。普段俺と同じ学年で部室に顔を出す部員はいないため、俺以外に緑ジャージはいないはずだが、
「森崎じゃん。珍しいね」
今日は珍しく彼女が来ていたため、思わずそう声をかけた。
「…………なに、私が来たらダメなわけ?」
「いや、そんなこと言ってないじゃん」
森崎は露骨に顔を顰めると、不機嫌そうにそう返事する。相変わらず、
しかし今回はそんなムカつきが、その直後に訪れるそれ以上の困惑によってかき消された。
なぜなら、
「あ、先輩。こんにちはです」
「…………」
なぜか、森崎の近くに椅子を持って行ってまで話している水色ジャージ、つまり小日向の姿が目に入ったからである。
俺が知る限り、二人は初対面のはずだ。それ以前に小日向と森崎。バカとトゲ。全く
「わたし驚きましたよ。森崎先輩って、あの森崎先輩だったんですね」
「…………なに、あのって」
しかしそんな俺の様子を
「え? あれ?」
すると今度は小日向に俺の困惑がうつったようで、おろおろと俺と森崎を見比べる。森崎はずっと俺を睨んでいたが、俺が目を向けると呆れたようにため息を吐いて、目をそらされる。一体なんだというんだ。
「あれー。先輩、知らなかったんですか?」
「だから、なにがだよ?」
苛つきから、俺の口調は少し厳しくなる。小日向はそのせいで少し怯んだようだった。
しかし、怯みつつも恐る恐る口を開くと、
「えと、森崎先輩が私たちと同じ中学だってことです……」
衝撃の事実を言い放った。
「………………は?」
一瞬、小日向が何を言ったのか理解ができなかった。理解不能な「オナジチューガク」という単語を反芻し、なんとか「同じ中学」という単語にかみ砕き、理解した俺は、あわやギギギと音が鳴りそうなほどぎこちなく動く首を、なんとか森崎に向ける。
俺に首を向けられた森崎はそっぽを向いたまま、もう一度露骨にため息を吐くと、
「呆れた。本当に忘れてたのね」
と、小さく漏らした。
彼女のその小さな呟きに、俺は大きな引っ掛かりを覚える。
彼女は「忘れてた」と言った。「知らなかった」ではなく、「忘れてた」と。
それはつまり――
「あのさ……」
「あらー、もうみんな揃ってますねー。用意できたんで、みんな花壇の前に移動しますよー」
「…………」
俺がその引っ掛かりについて言及しようと口を開いた瞬間、俺の後ろからそんな声と共に部長が現れた。そのおかげで、話の腰が完全に折られる。部長が居ないなぁとは最初から思っていたが、どうやら今日の活動の準備をしていたようだ。
シリアスな雰囲気に突然入ってきた間延びした部長の声にみんな反応できず、ただただ固まって部長を見つめ返す。そのなかで、部長の間の悪さに呆れたのだろう、清水先輩のため息だけが静寂に大きく響いた。
部長はそんな雰囲気にきょろきょろと部室を見回したあと、
「……もしかして私、空気読めないことしちゃいました?」
微妙に察しの良いことを、困ったように笑いながら言う。
「……いえ、急に声がしたんでびっくりしただけですよ。で、今日は何するんですか?」
しかし、元はと言えば明らかに部活中にすべきではない話をしていた俺らが悪い。俺は潔くさっきまでしていた話を切り上げて、部長は何も悪くないということを含んだ言い方で今日の活動に話題をシフトさせる。実にスマート。我ながら惚れ惚れとしたのは秘密である。
部長は俺の言葉にほっとしたようで、いつも通りのふんわりとした笑顔に戻ると、
「今日は花壇の整理ですー。雑草抜いて、スコップで土を耕しまーす。あと、肥料も混ぜまーす。で、ついに来週、花を植えます!」
訊いてもいないのに来週の予定まで教えてくれる。どうやら部長の「ジャージですよ」攻撃は来週まで続きそうだった。
◇ ◇ ◇
「ぎゃあ! 変な虫出てきました! 先輩! 虫ですよ!」
「なんでこっち持ってくるんだよ!」
「私もあげる」
「森崎! ふざけんな!」
何故か女子から虫攻撃を受ける俺、の図である。
ぎゃあとか悲鳴を上げたくせに、楽しそうに芋虫を指で摘まんで俺のもとまで持ってくる小日向と、軍手越しでも触りたくないのであろう、スコップに芋虫を乗せて、これまた何故か俺のもとまで持ってくる森崎。
なんなのだろうか。さっきの仕返しか。やめてくれ、その攻撃は俺に効く。
部長は微笑ましそうに俺らを見ているし、清水先輩はこっちをチラと見つつも黙々と作業をしている。芋虫攻撃二人組を止めてくれる様子は見られなかった。
「先輩、虫苦手なんですか?」
「…………飛ぶやつと這うやつはダメだ」
「それってつまり全部じゃない」
森崎の鋭いツッコミだった。
◇ ◇ ◇
そんなこんなで花壇の整理を終える頃には下校時間になった。うちの学校の最終下校時間は18時半である。大抵の部活はこの時間に活動を終え、生徒たちは帰り支度を始める。緑化部も例に漏れずにこの時間を守って活動を終えるようにしている。
俺と清水先輩は廊下でジャージから制服に着替えていた。部室は女の子たちが着替えに使っているので、男子は追い出されたのだ。
ぶっちゃけ着替えを覗こうと思えば窓から覗けるのだが、さすがにそんな冒険はしたことがない。唯一、扉にはめ込まれた窓だけはすりガラスになっていて中が見れないので、俺と清水先輩は扉の前で着替えるようにしていた。
寡黙な清水先輩と二人きりなので、当然、会話らしき会話もなく、もうすでに着替え終わり、中から女子の合図を待つだけとなっていた。
「……あとで謝っておけよ」
「え?」
すると珍しく、清水先輩の方から話しかけてくる。突然すぎて、瞬間的には何を言われているのかわからなかった。
「森崎のことだ。あの言い方だと、同じ中学ってこと以上にどっかで関わったことあるぞ、お前」
「あー……やっぱ、そうですよね……」
詳しく聞くと、どうやら、森崎にちゃんと謝れということらしい。さらに、俺が危惧していた事実まで、彼は言い当ててくる。
森崎は「忘れてた」と言った。それはつまり、俺は覚えていないとおかしい程度には、どこかで彼女と関わったことがある、ということを意味するだろう。
それについて言及する前に部長が来てしまったので詳しくはわからないが、まぁそれは間違いないだろうな、と思う。
「……わかりました。ちゃんと謝ります。気にかけてくださって、ありがとうございます」
「ん」
とりあえず、清水先輩にお礼を言う。意外にこの人も気にしいな性格なのかもしれない。相変わらず無愛想だし、話を聞いているのかもよくわからないけど。
「もう入ってきても大丈夫ですよー」
それから少し無言の時間が過ぎると、室内からそう部長の声がしたので、俺らは中に入る。
「せせせ、先輩! 部長が、部長がっ!」
「…………なんだよ」
その瞬間、なぜか涙目の小日向が俺のもとまで駆け寄ってくる。またいつものかと呆れつつも、俺は聞き返す。どうせろくなことは言わないが、わりと風物詩的な楽しみがある小日向のいつもの
すると、小日向はビシッと部長に向かって指を突きつける。失礼だからやめなさい。
「部長が、あのダボダボセーターの下にとんでもないもんを持ってたんですよ!! バインバインですよ! バインバイン!!」
「ぶっ」
思わず吹き出す。それは男子に教えていいことなのか。
どうやら小日向曰く、いつも1サイズ大きめと思われる服を着ている部長は、その下に柔らかい兵器(どの程度柔らかいのかは知らないが)を隠し持つ、隠れ巨乳であるらしい。
「ん? ポインポインですかね? どっちの方がいいですか?」
「いや、そこどうでもいいから」
「いてっ」
俺が戸惑っていると、小日向は何か変なことを気にし始める。擬音などどうでもいい。おかげで冷静に戻れた俺は、チョップと共にツッコミを入れておいた。
ツッコミのあと、思わず部長に目を向けると、心なしか誇らしげな表情でこっちを見ている。実は自慢の胸なのかもしれない。その表情、妄想が
「森崎は?」
「森崎先輩は大丈夫です」
「やっぱりか」
一応、森崎についても訊いておくと、小日向は「大丈夫」と答えた。答えとして適切だとは思わないが、どういう意味なのかはなんとなく分かるのが小日向クォリティである。
どうやら森崎は服の上からもわかる通りのスレンダー体型のようなので、俺も「やっぱり」と返しておく。
「はぁ。死ねば」
それに対する森崎の反応は辛辣だった。
◇ ◇ ◇
いつも通りの小日向に、今日は森崎も加えて、帰り道を歩く。どこの駅で降りるのかを訊くと、俺の最寄りと同じ駅だった。いよいよ、同じ中学という話は本当らしい。
しかし現在、それよりも不味い事態に俺は直面していることになる。
小日向は俺の最寄りよりもひとつ早い駅で降りる。つまり、そこからどこまでかはわからないが、俺は森崎と二人きりということになる。間が持つのか、俺の心が耐えられるのか、今から憂鬱である。
「森崎先輩、次はいつ部活に来てくれるんですか?」
「わからない。テニス部の休みと重なったらになるから」
「ほへぇ」
俺の前では女子二人がそんな会話をしている。どうやら、今日はたまたまテニス部の休みと緑化部の活動日が重なったため、森崎は来ていたらしい。
駅までの道。三人も横に並べば邪魔になるので、なんとなく、俺は二人の後ろにつく。そうすると当然、横に並ぶ二人の会話には混ざりにくくなる。
大人数での移動では、こんなのはよくあることだと思う。会話に混ざれる人間と、混ざりにくい人間がいるとしたら、俺はどちらかと言えば、確実に後者だと思う。
なんだかな、と思う。こんな状況は慣れっこだけど、やっぱり
「あんたは?」
「……え?」
そんな風に一人いじける俺に、森崎が話しかけてくる。手を差し伸べられる。会話に混ざるチャンスである。
しかし途中から二人の会話に耳を傾けていなかった俺は、森崎が何を訊いているのかわからず、阿呆みたいに目を丸くして黙るしかできなかった。折角のチャンスも物にできない。だから駄目なのだろうか。
森崎はそんな俺の様子を見て目を細めつつも、どんな会話をしていたのか、教えてくれる。
「この子が、自分はいつでも部室にいるから、木曜日以外でも暇があれば来て欲しいって言ってんの。で、あんたはどうなのかなって。いつもいんの?」
「……あぁ、そういうこと」
「先輩もいつでもいますよね。暇人なんで」
「……暇人は否定できないけど、いつもいるかは正直わからん」
先輩を迷わず暇人呼ばわりする小日向はどうかと思うが、否定できない自分をもっと悲しく思う。
「ふぅん」
森崎は俺の返事にそんな声を漏らしてから、
「まぁ、気が向いたらね」
魔法の言葉を使って、この話題を締めたのだった。
この後も森崎と小日向の会話に、ときどき二人から意見を求められたりして、なんとか混ぜてもらいながら時間を過ごす。
意外と言っては悪いのかもしれないが、俺に話題をふってくる頻度は、小日向よりも森崎の方が多かった。もしかしたら、気を遣ってくれたのかもしれない。
やっぱり、物言いに棘があるだけで、良い人なのだろうか。
でも、そもそも小日向と森崎の会話を聞いていると、俺のときのような棘は見られないので、もしかしたら単純に俺が嫌われているだけなのかもしれない。
森崎のことを完全に忘れている(らしい)俺が悪いので、嫌われててもなにも言えないのだが。
結局、小日向が電車を降りてからは、俺と森崎の間に一切の会話がなくなった。
無言で電車に揺られる二人。同じ車両に居る、他校の運動部らしき女子高生の団体の声が、静かな電車内に良く響く。森崎も、テニス部にいるときはあんな風に、もっと活発に話したりするのだろうか。全く想像できなかった。
電車から降りて駅の改札を出た瞬間、森崎は俺が使っている出口と逆を指差すと、
「じゃあ私、こっちだから」
と言って、さっさと歩いていってしまった。別れの挨拶もする暇がなかった。やはり嫌われているのかもしれない。
「…………あ、謝るの忘れてた」
残された俺は、森崎の背中が完全に見えなくなってから、一人そう呟くのだった。
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