第11話

 フードコートに着いたときに携帯で時刻を確認したところ、すでに15時近くになっていた。理想的なおやつタイムである。

 結局三人ともたい焼きを購入し、適当に空いている席に座る。もちろん中身はつぶ餡だ。

 もそもそとたい焼きを食べながら周りを見遣みやると、やはり土曜だからか、15時とはいえ結構な席が客で埋まっている。それを見て、先に昼食をとっておいてよかったと今更ながら思う。おそらく12時だったら全く席に空きはなかっただろう。結果として、バスを逃してよかったと言える。結果オーライというやつだ。


「で、琴音お姉ちゃんがいいなって思ったのはどこにあったの?」


 甘味の力によって完全に機嫌が直ったらしい妹は、おもむろに口を開くと国分寺にそう訊ねる。


「えっと、三階にあったお店かな」

「三階……あの可愛らしいところ?」

「う、うん」

「あそこか……」


 それに対する国分寺の返事は、俺が一人では絶対に足を踏み入れることはないであろう、外装からしてとても可愛らしい雑貨屋を示した。

 言われてみれば確かに、その店の滞在時間は他の店に比べて長かったように思う。めぼしいものを見つけて、すぐに買ってしまおうか葛藤していたのかもしれない。


「じゃあ、食べ終わったらそこに行こう。で、次は私の文房具ね!」


 妹はそう言うと、また一口、たい焼きにかぶりつく。もう尾鰭おひれしか残っていない。もうすぐに食べ終わるだろう。


「たい焼きって、結構お腹ふくれるな」


 もう既に食べ終わった俺は、さっきよりも少し膨らんだ気がする腹を撫でながらそう言う。さすがにまだ時間があるから大丈夫だとは思うが、夕食がちゃんと入るか、今から少し心配だった。


   ◇ ◇ ◇


「これっ! これがいいなって思ったの。可愛くないっ?」


 店に着くや否や、国分寺は一直線に店の一角に向かうと、ひとつのぬいぐるみを手に取り、俺らの方へずいと差し出してくる。

 感想としては、結構大きい、かな。国分寺くらいの背丈であれば、両手でうまい具合に抱き締められそうだ。


「かわいい…………?」


 しかし、そのぬいぐるみの姿形すがたかたちは、お世辞にも可愛いと手放しに誉められるものではなかった。

 一言で言うならば、いびつなウサギ、である。デザイナーの娘が3歳になった記念に、その子が描いたウサギの絵をぬいぐるみにしてみました、と言われれば素直に納得できるような造形である。


「い、今、こういうゆるい感じのキャラクターが流行ってるもんね……」

「うんっ、そうなの! あぁーどうしよう。こっちも捨てがたいなぁ……」


 完全にかたまって言葉が出てこない俺とは違い、表情はぎこちない笑顔になりつつも、ちゃんと模範的な感想を返す妹。正直、助かった。

 国分寺は同じコーナーにある色々なぬいぐるみを手当たり次第に物色している。見れば、キリンやネコもいるようだ。ちなみに、やはりどれも形は歪である。キリンなんて、足が六本あるように見えた。もはや昆虫である。俺の見間違いであることを祈る。


「ねぇ、お兄ちゃん。ちょっと……」


 思わず苦笑いで国分寺を見つめる俺の袖を引っ張って、妹は少し離れた位置まで俺を連れていく。物色に夢中になっている国分寺はそんな俺らに気づいていなさそうである。


「……なんだよ?」

「あのぬいぐるみ、買ってプレゼントしてあげなよ」

「はぁ? なんで?」

「なんでも!」


 どうやら、国分寺が買おうとしているぬいぐるみを、俺が買ってやったらどうか、という提案らしい。なるほど、確かに、スマートにそれが出来たらカッコイイかもしれない。しかしである。


「そもそも、俺が稼いだ金ではないんだが……」


 それが、ちゃんと自分で稼いだ金であったら、という前提も込みである。ついでに言うと、一月ひとつきの目安として渡されているお金にも限りがある。そのため、娯楽費用として俺の財布から出してしまうと、そのぶん妹も俺も遊ぶことが出来なくなる。その辺をこの子は理解して言っているのだろうか。


「いいでしょ、別に。お兄ちゃんも私も、そんなに頻繁に遊びに行かないし。こんな風にお出かけするのだって、かなり久しぶりじゃない?」


 しかしどうやら、妹はその辺りをちゃんと理解した上で提案してきたみたいだ。さすが、俺よりも成績が良いだけはある。心配するだけ無駄だったようだ。

 確かに妹の言うとおり、俺も妹も友達と遊びに行くようなことはなかなかしない。あっても月に一回程度である。おまけにまだ中学生と高校生。そんなに金のかかるような遊び場もないため、一度の遊びでそこまでの散財はしない。これからの出費を予想して考えても、かなり余裕のある計算となるだろう。


「いや、でもさ……」

「あぁもう、行った行った! ちなみにだけど、ちゃんと声かけるときは『琴音』って呼ぶんだよ!」

「えぇ、それはキツい。ムリムリムリムリ……」

「やらなきゃ、しばらくご飯抜きね」

「うぐっ」


 そんなキザなことが出来る気がしない、と抗議しようとした俺の言葉を遮ると、妹はさらに一つの無茶ぶりを俺に突きつけて、未だ複数の歪なぬいぐるみを手に取り、迷っている国分寺の方へぐいぐいと押しやる。

 断固拒否、という意を俺が示せど、妹は全く取り合ってくれない。それどころか、俺の胃袋を人質に取る始末である。これはどうやら、覚悟を決めるしかないようだ。


 おとなしく妹の手を離れ、自分の足で国分寺のもとへ歩く。一応、途中で一旦足を止めて振り返り、マジでやるの? という意味を込めた目で妹を見る。ところが、もう既に妹は他のコーナーに目を向けていて、こっちを見てすらいなかった。

 はぁ、とため息をひとつ吐く。やれやれ、という意味と、覚悟を決める深呼吸の代わりだ。


「うん、よし。この子にしようっ」

「ここ、こく、こっここ、こ、琴音?」

「え?」


 なにやら目の焦点があってないコアラのようなぬいぐるみをまっすぐ見つめ、決心した様子の国分寺に、妹に言われた通り下の名前で、声をかける。

 緊張から顎関節がくかんせつが壊れたロボットのように動いたせいで、鶏のような声が出た。声も上ずった。ちょっと誰か、潤滑油じゅんかつゆ持ってきて。すから、顎関節に注すから。


「えっと……何、かな、じゅんくん?」


 俺がひとりでにテンパっていると、国分寺は困ったように上目遣いでそう訊いてくる。反則的な仕草である。ドキッとする。

 そういえば、かなり久しぶりに、この子から名前で呼ばれた気がする。と、一瞬、嬉しいとも懐かしいともとれる感情が沸く。

 しかしとりあえず、そんな彼女に返事をするために、大きく深呼吸をして色んな感情を一度追い出すことで、自分を落ち着かせる。


「……そのぬいぐるみ、プレゼントするよ」

「えぇ?」

「今日来てくれたお礼とか、なんかそういう意味も込めて」

「で、でも、悪いよ? 安いわけじゃないし……」

「いいから、いいから」


 早口にそう言って、なかば強引にぬいぐるみを国分寺の手から取ると、振り返らずにレジに向かう。

 顔が熱かった。きっとすごく赤くなっていることだろう。レジの店員さんが、俺の顔を見てこないことを祈る。

 それにしても、それなり、いやかなりうまくいけたんじゃないだろうか? 妹から常にヘタレとバカにされる俺にしては、相当スマートだったと自負できる。そう考えると、なんだかまた恥ずかしく思えて、顔が熱くなってくる。でも、悪い気はしなかった。なぜか、恥ずかしがっている自分も含めて、とても愉快に思えた。


「はい、これ」


 照れ隠しに、少しぶっきらぼうになりながら、店のロゴが大きく描かれた袋を国分寺に渡す。


「あ、ありがとう……」


 国分寺は恐る恐る、といった感じでゆっくりと手を伸ばすと、俺が差し出した袋を受け取ってくれる。

 そんな俺らの様子を、会計が終わるころには国分寺の隣に並んで俺を待っていた妹がニヤニヤと笑いながら見ている。俺と国分寺の仲を取り持つためにやらせたのだと思っていたが、もしかして純粋に面白がってやらせたのでは、と勘繰かんぐれる表情である。


「じゃあ次は、私の文房具ね。もう時間も時間だし、それ買ったら帰る?」

「うーん。うん、そうだね」

「お兄ちゃんは結局、なにも買わなくて良いの?」

「……何も思い付かないからいいや」


 文具屋に行った妹は、色ペン数本とA4サイズの紙が入るクリアブックを買っていた。俺は今までクリアブックなど使ったことはないけど、使ってみたら便利なのだろうか。今度気が向いたら買ってみようかな。なんてことを、妹の隣で会計しながら思った。


「ごめんね、琴音お姉ちゃん。おまたせ」

「ううん、全然」


 ひとり待っていた国分寺のもとへ、妹がそう声をかけながら早足に向かう。


「……じゃあ、帰ろうか」


 なぜかそれから誰も口を開かないので、仕方がないから俺がそう切り出す。

 もう時刻は16時半。帰るころには暗くなっているだろう。

 二人は俺の声に、うん、と短く返事をすると、歩き出す。前を歩いている妹の歩幅が、さっきよりもずっと短い気がする。きっと名残惜しいのだろう。

 外に出て、ちょうど来ていた送迎バスに乗る。動き出すまで誰も口を開かない。ぬいぐるみが入った袋のカサカサという音が、いやに響いた。


「……ねぇ、琴音お姉ちゃん、明日は遊べない?」


 長い長い無言の時間を最初に破ったのは、妹の控えめな声だった。

 いや、さすがに二日連続はキツいだろう、と俺が思っていると、


「うん。夜から予備校だけど、それまでなら」


 予想に反して、まさかのオーケーであった。

 言うまでもなく、おそらくメンバーに俺は組み込まれているのだろう。


「でも、なにやんの? またモール?」

「うーん……」


 俺が訊ねると、妹は顎に手を当てて考え出す。そしてすぐにはっと何かを思い付いて顔を上げると、


「映画。映画見ようよ」


 と、無難な意見を口に出した。


「映画って、今見たいものあんの?」

「ううん。そもそも何が上映してるのかもわからない」

「私も」

「……俺も」


 なんとも残念なことを、三人は口々に言い出す。これは早速、計画は頓挫とんざかな、と俺が考えたときだった。


「DVD借りてさ、うちで見ようよ。それなら安いし、何個も見れるし」


 思わず、マジで? と口に出そうになるような計画を、妹は提案する。

 いや、さすがにうちには来ないだろ、と思っていると、


「私は良いけど、おうちは大丈夫なの?」


 と、何でもないかのように国分寺が了承する。なんだこれは。俺ばかり戸惑っているうちに、計画がどんどん現実味を帯びていく。俺が気にしすぎなのだろうか。この歳になって男の家に行くことに抵抗はないのだろうか。妹もいるから、女の子の家でもあるのだが。


「じゃあ、決定ね! 明日、何時からでもいいから来てね。待ってるから!」

「うん!」


 俺がそんなことを考えているうちに、明日の予定は決まった。女子二人に、完全に俺は取り残されていた。

 それから電車に乗って地元の駅に着くまで、主に女子二人がきゃっきゃと話し、時々俺が合間に感想をいれる、という時間が続いた。妹と国分寺は、なんだかもう昔の雰囲気を取り戻しているように感じる。俺が取り戻せているかは、よくわからないけれど。


「私、映画借りてから帰るね。なんかリクエストある?」


 地元の駅に着いたとき、妹が俺らがいつも使う出口とは反対の出口を指差しながら、そう言った。どうやら、一人で行く気のようだ。確かに、DVDを借りれるような店は、うちから線路を挟んで反対側にしかない。駅からそう遠い位置でもないので、帰りに寄ってから帰るのは得策だろう。


「特にリクエストはないけど……」

「私も、おまかせしようかな」

「でも、一人で行くのか? ついていこうか?」


 俺がそう提案するも、妹は首を横に振ると、


「なーに言ってんの! お兄ちゃんは琴音お姉ちゃんを家まで送り届けるっていう任務があるでしょ。それじゃ、適当に数本借りとくねー。じゃあ、琴音お姉ちゃん、また明日!」


 ニッと笑ってそう捲し立てると、手をブンブンと振りながら行ってしまう。何だか、無理矢理二人きりにさせられた気がする。


「はぁ、行こうか」

「う、うん……」


 仕方ないので、妹に小さく手を振っていた国分寺にそう声をかけて、並んで歩き出す。予想通り、外はすでにけっこう暗くなっている。


「でも、明日、国分寺は本当に大丈夫なの? 今アイツ、国分寺に会えてかなりはしゃいでるから、断るときには断らないと暴走するかもよ」

「…………」

「……国分寺?」


 歩きながら、俺が話す。アイツ、とはもちろん妹のことだ。今日の妹はいつもの態度からは考えられないくらい活発で、茶目ちゃめ溢れていた。もしかして、妹のその勢いに飲まれて了承してしまったのでは、と心配になったのだ。

 しかしなぜか、国分寺から返事は来ない。不審がって聞き返すと、


「……もう、『琴音』とは呼んでくれないの?」


 と、足を止めた国分寺が俺のことを真剣な目でまっすぐ見ながら言ってくる。何言ってんだこの子、と思って、俺も足を止めて、見返す。人通りが少ない道でよかった。端から見たら別れ話をしているカップルである。

 俺がそんな現実逃避をしている間も、国分寺はじっと俺の目を見ている。美少女の視線。一撃必殺の必中アイビームだ。美少女耐性にパラメータを振り忘れていた俺は、もちろん死んだ。


「………………琴音」

「……うん、そっちの方が、純くんって感じがする」


 殺されたからには仕方がないので、名前で呼ぶ。呼ばれた国分寺はニッと笑うと、どういう意味だかよく分からないことを言う。

 いつもはニコニコと、当たり障りのない笑顔をしているくせに、たまに彼女はこんな風に茶目っ気を含んだ笑顔を見せる。それはずっと、昔からだった。変わらないな、と思う。彼女のたまに見せるこの表情が、俺はたまらなく好きだった。


「どうせなら、昔みたく『こっちゃん』って呼んでくれてもいいよ?」

「いや、それはさすがにキツい」

「そっかー……」


 さらにいたずらっ子のような笑みを浮かべたまま、そんなことを言う国分寺。しかしさすがにそれは断る。この歳になって『こっちゃん』は色々キツすぎる。

 断られた国分寺は、声のトーンこそ落ちたが、表情は笑顔のままだった。きっと、からかっただけなのだろう。


「明日の話だけどね。大丈夫だよ。私も二人と久しぶりに遊べて、すごい嬉しいんだよ。だから、私も千歳ちゃんと一緒で、きっとはしゃいじゃってるんだ」


 国分寺はそう言いながら再び歩き出す。俺もその横を、並んで歩く。きっと今、彼女は照れ臭そうな笑みを浮かべながら、その台詞を言っているのだろう。顔は見てないけど、なんだかそんな気がした。


「……そっか、なら、よかった」


 思わず、俺も顔をほころばせながら、そう返す。そのころには、もう国分寺の家まであと少しというところに迫っていた。


「……じゃあ、また明日」

「うん、また明日ね」


 昼に俺と死闘を繰り広げたインターホンの前で、そう言葉を交わしてから別れる。

 しばらく歩いてから振り返ると、もう彼女は玄関の扉を開けて、中に入っていくところだった。

 琴音、琴音、琴音。

 国分寺と別れてから、俺は歩きながら、彼女の名前を頭の中で反芻する。

 名前呼び、頑張ってみようかな、と思う。まだ少し、照れ臭いけれど。

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