本州

 勉強机で頭を抱えていると、頭の上を観光客の行列が歩いていった。右を見て、左を見て、異国の言葉で何か感想を漏らしては通り過ぎて行く。耳障りな声だ。何を言っているのかは判らない。言葉は通じないので頭の上からどかそうにも、そうは上手くいかない。ギルビー・ジンのボトルで軽く撫でてみても、頭の上を踏み荒らす足の数は変わらない。右足、左足、右足、左足。ぞろぞろと列をなして頭の上を踏んで行く。顔も見えないそいつらが、ただ頭を踏んで歩いていくのだ。

 窓に張り付いた伯母の表情は暗い。暗闇の先を見つめる眼差しで、しかしその口は現在のことだけを語る。夢の中で首を絞める洗濯機のように。あるいは、魚市場に並ぶ掃除機のよう。夢の中で起こったことの責任は誰が取るべきなのかと伯母にしがみ付く何かが訊ねるが、返事はない。そこは大きな間違いが倒立しているからだ。

 ようやく頭の上の観光客がいなくなったが、今度は別の団体がやってきた。唇に針を。唇のどこかに闇色をした爪が突き刺さっている。それを見つけなければ未来はない。ここには現在だけが残る。過去もない。

 引出の中の彼女は爪切りを差し出して口を開いた。

「永遠に生きるのをやめろ」

「永遠に生きるのをやめろ」

「永遠に生きるのをやめろ」

 三度唱え、五度祈り、七度死ぬ。

 彼女はどこまでも彼女だった。彼女の背が割れて彼女が出てきて、その彼女の腹を裂いて彼女が出てきても彼女は彼女という名の彼女のままだ。

 白い錠剤を齧った時だけ真実は見えなくなるが、またその時だけ真理が見える。必要なものは見えない。必要のないものと区別はつかない。必要なものは時として不要なものに見え、不要なものは時として必要なものに見える。

 どこからきたのかわからない老人が、コップ一杯に水を汲んで一気に呷った。

 カウンターでそれを見ていた彼女はただ、何も言わずにかさかさと引出に隠れた。



"Honshu" Closed...

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