その後の賞金首と懸賞金

その後の賞金首と懸賞金

 コントラルトは努めて外部の音を排除しようとしていた。

「髪は伸ばした方がいいと思うんですよ」

 つまりは、無視しようとしていた。無心になるように努め、コントラルトは剣を持って素振りを続ける。

 ここは、広い王宮の一角。騎士団のために割り当てられた区画だ。その一角には、宿舎や事務仕事をするための管理棟、訓練のための施設が一通り揃っている。コントラルトは、非番の今日を利用して、訓練場に来ていた。外へ出掛ける用事がない非番の日は訓練をしていることが多く、今日もそうだった。コントラルト以外にも訓練場で訓練に励む者は多いが、そのほとんどは見習いの騎士で、彼らは業務の一環で訓練をしているので、コントラルトは彼らの邪魔をしないよう、隅の方で素振りをしていた。

 そのコントラルトのすぐそばに、問題の男がいるのである。雑音の生産元だ。なるべく視界にも入れないようにしているが、男は巧みにコントラルトの視界の内へ移動する。しかし、決して積極的に邪魔をする意志はないようで、いるのは常に視界の隅っこだ。どうしてこちらの視界の限界が分かるのか不思議であるが、きっとそれは奴が変人だからだ。コントラルトは断定する。この男に対しては、大概それで済む。奴の行動に少しでもおかしいところがあっても、それは奴が変人だからだ、の一言で解決する。

「多少長くとも、まとめてくくれば問題ないじゃないですか。現に、髪を長く伸ばしてている騎士はいることですし。男ですけど――。でもあなたが伸ばせば、似合うと思うんですよね。俺個人としては、伸ばしてほしいんですが」

 コントラルトが無視していることなどまったく気にした様子も、それどころか気が付いてもいないような様子で、男はしゃべっている。しかしコントラルトも、男が自分に向けて話しかけているのは分かっていたが、敢えて無視して素振りを続けた。

 男の声が途切れ、剣が空を切る音ばかりが耳に届く。コントラルトが無視し続けたから、とうとう男が口をつぐんだのか、単に話すことがなくなっただけなのか分からない。しかし、唐突に男の声が途切れたので、逆に落ち着かなくなってしまい、コントラルトは素振りをやめて男に向き直った。結局男の話を無視できなかったことになるが、それでもあまりの唐突さが気になってしまった。

「急に黙って、なんだ」

 自分の感じる居心地の悪さが、険のある声となって表れる。

「急にって?」

 男は目をぱちくりとさせ、コントラルトを見返した。しまった、と舌打ちしたくなる。男の話がやんだのは、単に話すことが終わってしまったかららしい。しかし、悔しいのでそれだけで終わるのはいやだった。

「さっきまでしゃべり倒していたくせに、急に黙ったのは何故だと訊いているんだ」

 語気がつい荒くなってしまう。この男の前では、いつもそうだ。初めて会った時から変わらない。コントラルトはいつもの調子を崩され、男の調子に巻き込まれる。

 男の顔に、喜色が浮かんだ。

「俺の声を聞いていたいというのであれば、そう素直に言えばいいものを。照れ屋ですね、相変わらず」

「違う!」

 声は思いの外大きく、離れたところで訓練に勤しんでいた見習い騎士の数人が、こちらに顔を向ける。

「……オイセルスト。貴様、今日は非番ではないだろう。さぼるんじゃない」

 コントラルトは、今度は平静を装うように声を落として、男――オイセルストを睨め付けた。

 修正すべき箇所を見出せないほど整った容貌。それに相応しい堂々たる雰囲気を身にまとい、決して容貌だけの男に終わらせない剣の技量を持つ騎士。

 一年前まで、この国最大の賞金首だった男である。ひょんなこと――本当にひょんなことから、男は騎士団へ入団し、彼にかけられた懸賞金は解除された。入団したオイセルストは見習い騎士をあっという間に修了し、駆け上がるような勢いで昇進を続けている。たった一年で、分隊長の副官に就任した。間もなく分隊長に昇格するだろうと噂されている。

「貴様の稀に見る昇進の速さを妬む者も少なくない。そんな連中は、おまえの些細な失敗も見逃してはくれないぞ」

 今ここでさぼっているところを見咎められただけで、何を言われるか分からないだろう。オイセルストの場合は、それを跳ね返すだけの実力が備わってはいるのだが。彼の入団以来、無謀にもオイセルストを実力行使で排除しようとして、あっさり返り討ちにあった者も少なくない。

「俺の心配をしてくれるんですか」

 オイセルストの顔を彩る喜色がより濃くなる。コントラルトはますますしまったと思い、内心舌打ちした。さもこいつの味方をしているような物言いをしてどうする。

「嬉しい限りです。あなたに出逢って一年ほど経ちますが、ようやくここまで来たのだと思うと、喜びもひとしおです」

 オイセルストの言葉を、できることなら右の耳から左の耳に素通りさせたい。そして、そのままなかったものとしたかった。

「嬉しいですが、これ以上あなたに心配をさせるのは本意ではありません――。コントラルト。あなたの心の平安のため、俺は職務へ戻ります」

 腰を折り、頭を下げる姿は実に様になっている。かつては魔物が多く潜む《沈黙の森》へ隠れ住んでいたくらいだから、貴族などではないだろうと思っていたのだが、オイセルストはこれでも歴史ある名家の子息だった。

 そのわりに破天荒で素っ頓狂なことを言う変人であるが、それでも身に付いた所作は洗練されている。容貌も実力も優れていて、家柄も決して悪くはないとなれば、世の姫君たちが放っておくはずがない。彼の姿を一目見ようと、宿舎の周りにうら若い娘が現れることも最近では珍しくなくなってしまった。

 わたしではなく、そういった姫君たちに目を向ければいいものを。さり気なく自分の手を取り、甲に軽く唇を落とすオイセルストをなんとも言えない気分で見下ろしていた。

「それでは、しばし俺の姿がなくとも、悲しまないでください」

 流れるような一連の動作で、オイセルストは手ばかりでなく、コントラルトの頬にも軽く口付け、悠然と身を翻し職務へ戻っていった。先程コントラルトが声を荒げたせいで、こちらの様子をうかがっていた見習い騎士たちが、なにやらささやき合っているのが気配で分かったが、コントラルトは振り向くことができなかった。

 こんなことをされて、恥じらうような育ちではない。騎士団へ入団するという、世の姫君たちには決して真似できない親不孝をやってのけたコントラルトであるが、貴族としてのたしなみも一通り心得ている。こんなことは、軽い挨拶だ。なにも初めてではない。幼い頃から慣れているし、初めてだからといって恥じらうような歳でもない。二十歳はとっくの昔に越えてしまっている。

 それなのに、触れられたところはそこだけ熱を持っているような気がした。それが顔に表れているのが分かっていたから、コントラルトは振り向けずにいた。振り向く必要もないのだが、隅の方にいて更にその隅を向いている方が、少しは心が安まった。安まるのだが、なぜ自分の心がそもそも安まらなければならないというのか。

「違うんだ!」

 いったい何がどう違うのか、自分でもよく分からなかったが、コントラルトはがむしゃらに素振りを再開し、肩で息をするまで振り続けた。

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