3. 16:25 高等部校舎3F
中等部校舎、教職員・部活動用校舎、高等部校舎の三つのうち、高等部校舎は最も新しく建てられた校舎である。特に内装は何をとっても新品で、壁に灰色のアザも存在せず、床のタイルが割れているわけでもない。点滅する蛍光灯が点いているわけでもなく、天井に雨漏りのシミがあるわけでもない。ありきたりな小汚い校舎で過ごすよりは、これくらい整っている校舎の方が身も心も若く華やかな高校三年間を過ごすのにはうってつけだ。
担任の高崎にいきなり連れ出されたかと思ったら、「先生の机に置いてある課題持ってきて」と図々しく頼んできた。さすがにありえないと思う。教室の中にいろって言われてるのに取りに行けって馬鹿なんじゃないの。マジでうざい。死ねばいい。他の先生に何か言われたら全部擦りつけてやる。大勢の先生がいるっていうのに、なんでこんなことさせるんだろう。
学級長の私は、教職員・部活動用校舎に向かうため高等部校舎三階と繋がっている連絡通路を越えなければならない。他のクラスの状況を見ると、廊下にいることがばれればたちまち大騒ぎだ。先生たちの罵声が飛び交い、生徒が無理やり教室に連れ込まれていた光景を見た身としては絶対に見つかりたくない。本当あいつは死んでほしい。
「あっ、どうしよ。トイレ行ってもいいかな」
目の前の女性のマークなんて普段ほんの一瞬見るだけなのに、今それを凝視している。さっさと課題を取りに行くのがのが先か、用を足すのが先か。当然、選択の余地はない。廊下には陽の光はあまり入ってこない。だから時間に関係なく廊下の雰囲気は一定だ。ずっと電気が点いている。ずっと同じ明るさだ。トイレは色温度の高く明るい照明が設けられていて、少し目がチカチカする。私は静かに個室に入り、なるべく早く用を済ます。
念のため周囲を確認しつつ、手を洗い始める。前傾姿勢になると、面前に映る自分が視界の中で大きく映る。そしてハンカチで手を吹きながら、映る上半身をなんとなく眺める。制服が変に着崩れてないか確認したり、後ろ姿は大丈夫かと体をひねったり。視点が自分の顔に落ち着くと、鏡の自分と目を合わせたまま肩を竦めた。
そろそろバッサリ髪を切ろう、切ろうと思っているのになかなか美容室に行けていない。肩甲骨くらいまで伸びた髪をうなじから緩めに結ぶスタイルを割と気に入っている。でも、イメチェンしたい願望もある。同性のクラスメイトは運悪く可愛い人ばっかりで、自然と対抗意識というか、もっと自分を磨かなきゃと焦っている。
曲がっていたブラウスの襟を直してトイレを出る。連絡通路の入り口とトイレの距離は近い。いないとは言っていたが、さっき怒鳴ってたような見回りの先生がいないか注意しつつ連絡通路を進む。通路の窓からはこの辺一帯がよく見える。妙に綺麗に見えると思ったら、案の定通路の窓が全開になっていた。夕暮れ時の肌寒い風が吹きかかり、伸びきったセーターの袖の中に手を隠した。今日は焼き付くほど鮮やかな夕焼けが空全体に広がっていた。まだ太陽は沈み始め。青空は柑子色に染められていて、太陽に近づくほど空は鮮やかな色を見せる。
街の景色が見える窓の反対側にはだだっ広い校庭がある。その先には中等部校舎が見えるが、同じように閉じ込められているのだろうか。今日は部活動の声や音が聞こえず、いつも何気なく歩いている連絡通路が薄気味悪く感じる。怖い怖いとマイナスに傾く思考からか自身の足音でさえも過剰に反応してしまう。考えすぎなのかもしれないけど、怖いものは怖い。暗いところが怖いなんて、自分から見ても恥ずかしすぎる。
私は全力で渡り廊下を走り抜ける。普段ここを走って渡ることがないため体が追いつかず躓きそうになる。
幽霊なんていないのに。私は、まるでいつでも近くにいるようなこの感覚が大嫌いだ。ホラー映画を見た後に感じる視線と一緒だ。幽霊なんて絶対信じない。本当に大嫌いだ。今まさに甲高い女性の声が聞こえてきた。こんなの幻聴だ、考えすぎだ、変な妄想をしているだけなんだ。
「──く入れ!」
次に聞こえたのははっきりとした男の声だった。
「えっ!?」
叫び声の聞こえた校門に近づこうとした。だが、あの大きな校門が開き始めたとき、歩みを止まった。開いてすぐ女性が飛び込んできたからだ。女性はそのまま端の制御装置に乱暴に手を打ち付ける。
「早く!閉まんなさいよ!!」
「おい
「いいいいッ、今行く!!」
男性と女性それぞれが遅れて入ってきた人を強引に引っ張る。きっと二人がいなければ死亡事故になっていたかもしれない。確か非常時は障害物があっても
目を細め彼らがどういう人物なのかを確認した。校門前は日陰ではっきり見えるわけではないが、なんとなくは見える。この施設に高等学校は二つしかないが、ここ以外のもう一方は学ランとセーラー服が制服として定められている。彼らは上半身に同じブレザーを着用していることから、この学校の生徒だと特定できる。まず、校門が閉じている時に進入できるのは五敷の生徒を含めた関係者だけのため部外者ではないだろう。扉の隙間から漏れる光に照らされる三人は、なぜかその場を動かない。三人が見る先には四つん這いの男性。動かない原因はすぐに分かった。
「入ろうとしてる人いるのに!ダメ!!挟まる!!」
たどり着いた職員棟の階段を駆け下りる。手すりを持ってバランスを取りつつ、全力で。
「なにしてんのあいつら!!」
近づけば近づくほど扉は閉まっていく。差し込む夕日がだんだん狭まってくる。懸命に這いずって入ろうとしている男性は、なんとか入ろうと手を伸ばす。しかし、走り始めたときにはすでに閉まりつつあった扉は、ついに当人の身体を挟み始める。体を横にしてわずかでも進もうとするが、今度は身体全体が壁の隙間に嵌る。嵌るということは、動けなくなるということ。なのにすぐ先にいる人たちは背丈の低い女の子がただ叫んでいるだけ。目の前で死にそうな人がいるのに。
「ダメだって!ダメだって!!」
女の子は必死に、助けようと動く男の子二人の腕を引っ張っていた。男の子たちは女の子が怪我をしてもおかしくないくらい強引に振りほどこうとする。
「バッカじゃないのッ!?早く離せ!!」
間に入り両者を引き離す。男の子たちはすかさず目の前の男性を引っ張り出そうと行動し始める。
「ダメ、だって……言ってる、のに……」
がむしゃらに叫んでいた、泣きじゃくる彼女と目が合ってしまう。一瞬、彼女の表情が真顔に戻った気がしたが、また泣き出した。一瞬、何かが揺らいだような奇異な感覚が頭を透過した。身体も動かなくなる。女の子は私を見上げたまま、わずかに口を動かし聞き取れない言葉を発する。そしてそのまま、私の胸に倒れ込んでくる。受け止めたものの、予想以上の負荷にバランスを崩しその場にへたり込む。
その間にも、ゆっくりと、ゆっくりと、扉は閉じていた。軋む機械音が響き渡る中、身体を前後から圧迫されて漏れる悶え苦しむ声はかすれ始める。男の子たちは門を叩いたり蹴ったり伸ばされた当人の腕を引っ張ったり、考えつくこと全てを行っていた。胸元からのすすり泣く声は鳴り止まない。目の前で何が起こるか、予測できてしまう。
「……ちょっ、待ってよ…………」
全身が戦慄く。震える右腕が弱々しく伸びる。届くはずのない距離なのに。
視界に映る右手があの人と重なると、耳に入ったのは扉の閉まる機械音。そして液体を叩きつけたような音と、木材が割れたような音。
脳みそや血が飛び散るのを初めて見た。人が潰れる音を初めて聴いた。人がすぐ近くで死んだのは初めてじゃない。手首まで出た右手はベトベトする。日陰に入って目が段々と慣れていた。右手をよく見ると真っ赤っかになっていた。秋風に吹かれてひんやりする。
筋肉質な男の子は門に手をつけ立ったまま、一歩も動かない。痩せてて背が高かった男の子は私と同じように尻もちをついてさっきの私みたいに震えている。二人とも千切れた腕と血の海を見つめている。
「……え?」
ふと疑問に思った。なんで冷静でいられるのだろう。この状況を俯瞰することができていた。
「あの、大丈夫……ですか?」
自分の世界に入ってしまう寸前に聞こえた声の主は胸元に身を寄せていた女の子。鼻水を啜りながら、流れた涙を制服の袖で拭っている。私と同じくらい髪が長いが、酷く乱れている。
「ぁえっと、うん……──」
今、一瞬……。気のせい、かな。
「そう、ですか。八頭司は……大丈夫?」
未だ立ち上がれない男の子の元へフラフラと歩く。
「……はぁ?ふざけんじゃねえぞテメェッ!!」
「ままッ、待って!話を聞いてよ!ちょっ、痛ッ!!」
激昂した
「待って、お願い──」
「てめえッ、人死んだんだぞ!もうこんな死体見ることなんて一生ねえと思ってたらこうだッ!!」
女の子は歯を食いしばる。眉も吊り上がって、顔全体に力が入っている。
「違ッ、あれは……ッ!人じゃ……人なんかじゃ…………ッ!」
ネクタイを掴む腕を両手で包み込むと、力なく座り込んだ。口を開こうにも言葉が詰まる。嗚咽する。拭いたばかりのはずの涙はまた同じ頰の軌跡を流れる。ネクタイを掴む腕は離れても、姿勢は一切変わらない。
「だって、あれさ……人食ってたんだよ?普通の顔した、普通の人が……映画で見るようなゾンビとか、そういうんじゃ…………なくて。きっと、心の底から笑ってた。美味しいって……言ってた。私と、目が合ったら――」
か細い身体を両腕で強く抱きしめる。
「笑顔でさ、『一緒に食べよう』って、男の子の……頭を、差し出してきたの…………」
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