トンネル

ラーメン

トンネル

 僕は今、長いトンネルを独りで歩き続けている。暗くてじめじめしたトンネルだ。ヒンヤリとした空気は、僕の身体から容赦無く熱を奪う。ナトリウムランプの灯りは頼りなくて、暗闇は次第に僕を蝕んでいった。


 歩き始めてから、もう何日経っただろうか。ここには朝も昼も夜もないから、時間の感覚が曖昧になってくる。あてずっぽうみたいに夜を感じて、僕は眠る。すると毎回同じ夢を見る。トンネルに入る前のことを、鮮明に描いた夢だ。


 場所は飛行機の機内で、一番真ん中の列に座っている。周りには誰も知り合いが居なくて、そのくせ周りの人たちには知り合いがいる。そして楽しそうに談笑している。五月蝿いウルサイうるさい__僕は手で耳を塞ぐ。人は集団の中でこそ孤独を感じるというけれど、まさにその通りで、僕は不安と孤独に押し潰されそうになる。


 飛行機は、全く動いている気配がしない。もしかすると、まだ地上なのか?窓が近くに無いから、外を見ることも出来ない。全然前に進む感じがしない。そもそも行き先はどこなんだ__


 決まって、そこで目が覚める。


 随分前のことだ。飛行機の中で、僕は自分が何か大切なものを見失っていることに気付いた。その瞬間僕は、この機体がどこへ向かっているのかをハッキリと理解した。そして飛行機を飛び降りた。窓から乗客が僕に何かを叫んでいたけれど、必死に聞こえない振りをした。



 僕は見知らぬ夜道に着地した。まるっきり知らない道なのに、どこか懐かしい感じがして、僕はこれからしばらくこの道を歩き続けるんだと思うと、何だか人知れず笑いがこみ上げてきた。


 「僕は歩けるんだ! この足で、自分の行きたい場所へ向かって!」


 僕はこの足でどこにでも行けるような気がして、そしてどこまでも行けるような気がした。


 地上は雨が降っていたけれど、僕はぐっしょりと濡れた身体にある種の心地よさを感じた。それはちょうど、真夏にアイスを食べた時みたいな幸せだった。張りつめていた緊張感やどうしようもない怒りを、雨は程よく洗い流してくれた。


 僕はそれからしばらく歩き続けて、気が付くとこのトンネルの中にいた。

トンネルの中で、僕は色々な声を聞いた。


__頑張れだとか、頑張り過ぎるなだとか。

__諦めるなだとか、お前には無理だとか。

__大丈夫だとか、本当に大丈夫なのかだとか。


 僕は自分とたくさん会話をして、たくさんいろんな事を考えた。でも考えれば考えるほど、僕は色々な事が分からなくなっていった。歩くためには、右足を出した後に左足を出さなくちゃいけない。それはとても単純なことだ。だが、それを考えすぎるとかえって歩けなくなる__そんな風に、次第に僕は上手く歩けなくなっていった。


 靴は次第に擦り減っていき、氷が溶けたみたいにいつの間にか姿を消した。裸足で踏みしめるコンクリートの冷たさが、悪魔みたいに微笑みかける。一歩歩くたびに、悪魔は僕から魂みたいなものを吸い取っていく。


 歩き方を一生懸命思い出そうとしても、歩くことへの恐怖がそれを阻んだ。


 歩きたい。

 歩きたくない。


 自分の中に矛盾する二つの感情があって、それはどっちも本当の気持ちで、だから僕は僕を理解する事が出来なくなった。


 僕はそれでも、下手クソな匍匐ほふく前進みたいにして何とか前に進み続けた。それはもはや「歩いている」とは呼べず、僕は自分がちっとも前に進んでいないことに焦りを感じるようになった。1日の終わりには今日自分がどれだけ進んだのかを知るのが怖くて、後ろを振り向く事が出来なかった。


そして明日も明後日もその先も、帰納的に同じような苦しみを味わっていくのだと思うと、僕は言葉にならない感情の渦に飲み込まれた。言葉にならない、どころか声にさえならない呻き声を上げたところで、トンネルはちっともその音を吸収してはくれなくて、反響する自分の『汚さ』や『弱さ』がむなしくこだまするだけだった。


そうやって、僕は日々を過ごしていった。


僕はある日、ついにトンネルの一番奥まで辿り着いた。そこには見るからに重そうな、暗い銀色の扉があった。それをみて、僕に出来ることはもう何もないと悟った。僕に出来ることは、待つことだけだ。


僕は待った。

……しかしどれだけ待っても、扉が開くことは無かった。

扉は無言で僕を見下ろしていた。


完。

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