あなたの味方だよ-3
「開耶……ごめんな……こんなに泣いてしまって……無様だ……」
「そんなことないよ……泣きたい時は、好きなだけ泣けばいいんだよ。かっこ悪くもなければ、情けなくもないよ……」
気が済むまで幼子のように泣いてしまった僕を、開耶はぽんぽんと背中を優しく叩いてくれる。
「双葉は、いつも冷静で、動じなくて、そんなあなたはとても頼もしかった……けど、その反面で、感情をうまく出せなかったみたいだから……いま、こうしてちゃんと、気持ちを素直に出せるようになった双葉は、頼もしいだけじゃなくて、とっても愛しくて、人間らしくて、それまでの何倍も素敵な人になった……わたしはそう思うよ……」
なんて優しい女の子なのだろう。
こんな無様な僕を受け入れて、それどころか素敵だと言ってくれるなんて。
「双葉、いつも一人で悩んでたでしょ? 自分の境遇のことも、未来のことも……それに、今回のことで、わたしと別れようって決めたあのときも……」
「そ、それは……」
だって、他人なんて信用できなかったから。
一番愛していた親に裏切られて、もう誰を信じたらいいのか分からなかったから。
結局頼れるのは自分だけだと、思っていたのだ。
だからいつも、どんなことがあっても、自分だけで考えて、自分の出した結論を疑わず、自分一人で行動していたのだ。
「別れるって結論を出す前に、わたしに相談してくれればよかったのに……『こんなことがあって、開耶と一緒にいるとお前まで傷ついてしまう、だから別れようって考えたけど、どうしよう』って、ひとこと聞いてくれればよかったのに。そしたらわたし、あなたの味方として、一緒に考えて、悩めたのに……」
「う……」
そうだ。僕は自分で答えを出して、開耶の言い分や考えを聞かずに、一方的に話を終わらせてしまって。
そうするしかないと、あの時は思っていたのだ。
「わたし、そのことに対してだけは、ちょっぴり怒ってるよ」
「……ごめん……返す言葉もない……」
面目なさに、視線が彼女の目を離れて少し落ちる。そうしたら、いまだ僕を抱きしめたままの開耶は、背中にまわした腕を上げて僕の頭にそっと触れた。
「双葉、もう一人で苦しまないで……わたしがついてるんだから……わたしは、神崎開耶は、いつもいつも、いつだってあなたの味方だよ……」
「開耶……」
頭を優しくなでられ、気持ちがとろけていく。
目の前には、僕の味方がいる。
全てにおいて信じ合える、愛し合える、心優しい僕の味方が。
「もちろん、一人でぜんぶ背負って苦しんでる双葉は立派だと思うよ。でも、わたしがそばにいるのに、なんでわたしには何一つ背負わせてくれないの? わたしには、双葉の苦しみを分かち合う資格もない?」
「…………」
「そんなふうに、わたしだけ楽な思いをするのが彼女としての務め? わたし、どうしてもそうは思えないよ……痛みも苦しみも悲しさも、ふたりで共有して乗り越えていくのが、彼氏彼女だと思ってた……わたし、間違ってる?」
「まちがって……ない……」
言葉のひとつひとつが、とても優しく沁み込んでくる。そのせいで、あれだけ泣き尽したというのにまだ涙があふれてくる。
「双葉、好きだよ」
「僕も……」
なんとかそれだけを涙声で絞り出すと、開耶はふわっと笑って指先で僕の涙をぬぐって、その指を口に運んで舐めとった。
「うん、おいしい」
「ば、バカ……」
涙を舐めとられるなどといったことが、どうしてこんなに嬉しいのだろう。バカと言ってみるけれど、あまりにも嬉しくて、愛おしくて、声は震える。
「わたし、後悔してないよ。双葉に出会えて、双葉のこと好きになって、こうしていっしょになれて……」
「開耶……」
「なにがなくなってもいい。双葉がいてくれれば、なにを失ってもいい。双葉がいてくれれば、他はなにもいらない」
「バカ……そんな恥ずかしいこと真顔で言うな……!」
何度僕を泣かせれば、この女の子は気が済むんだ。
そんなの、僕だって同じなのに。
この女の子がそばにいてくれれば、もう何もいらない。
開耶がそばにいてくれないと、僕は駄目なのだ。
けれど、開耶がそばにいてくれれば、もう何も恐れるものなどない。
開耶は、僕のたった一人の味方なのだから。
ずっとそばで、支えてくれる味方なのだから。
僕はもう、母親も、剛史も、この世界も、未来も、怖くない。
どんなに痛めつけられたって、抗って、立ち向かってやる。
僕のことを思ってくれるこの腕の中の存在がいてくれる限り、僕の心はもう絶対に折れない。
もう絶対に、何からも逃げはしない。
自分自身からも逃げはしない。
開耶と一緒に、生きていくんだ。
そんな僕の背中を優しくさすりながら、開耶は赤子をあやすように語りかけてくれる。
「双葉に会えて、本当によかった……双葉がいてくれて、本当によかった……ありがとう、双葉。この世にいてくれて、ありがとう。わたしと出会ってくれて、ありがとう……」
「…………」
「生きていてくれて、生まれてきてくれて、ありがとう……」
生まれてきたことを後悔していた。
産まなければよかったと言われた。
生きている意味などないと思っていた。
生きていても無駄だと言われた。
そんな僕が、ありがとうと、言われている。
生まれたことに、生きてきたことに、感謝されている。
「あ……ああ……ああ……」
僕の心を縛りつけていた鎖が、音を立てて砕け散り、風にさらわれる砂のようにどこかへと消え失せる。
「……僕は、死のうと思っていたんだ。この世の全てに希望が持てず、してきたことは無駄になり、何もなくなってしまって、生きる意味などとうに見失っていた。でもそんなとき、開耶に会えて、楽しくて、少しだけ生きている意味を見出して……でも、僕自身が弱かったせいで、開耶を手放してしまって……だからもう、本当に何も見えなくなって、真っ暗になって、自分自身を呪いながら、開耶の幸せを願いながら死のうと思っていたんだ……」
「…………うん……」
言葉が勝手に漏れて、止まらない。
「だけど開耶は、まだ僕のことを好きでいてくれたんだな……嫌われようと思っていたのに、嫌われたとばかり思っていたのに、こうやって、救いの手を差し伸べてくれた……開耶は、開耶は僕の命の恩人だ……」
この身体は、もはや僕だけのものではない。
この命も、もはや僕だけのものではない。
だから、決めた。
「開耶、聞いてくれ」
涙を流しながら、目の前の心優しい女の子に誓うように。
「僕はもう絶対に、絶対に命を無駄にしたり、自分を粗末にしたりしない。ちゃんと食べる。ちゃんと寝る……! この体を大事にして、命が終わる最後の瞬間まで生きるから……!」
「うん……」
「だから……だからそばにいてくれ……! 僕は、開耶と一緒じゃなければ生きていけないんだ! 開耶とともに、僕は生きていきたいんだ……! おねがいだ……!」
「うん……うん……」
開耶は泣きじゃくる僕の背中に手を回し、優しく撫でながらそう言ってくれる。
この体は、開耶のものだ。
この命も、開耶のものだ。
捨てようとしていた体と命を拾ってくれた、愛しい女の子のために。
もう二度と、自分自身を粗末にしない。
もう絶対に、自分が無価値だからと体をないがしろにしない。
僕はこれから、開耶のために生きる。
そのためだけに生まれてきたのだ。
そのためだけにこの命はあるのだ。
捨てるなんて、軽く扱うなんて、もう絶対にそんな愚行に走ったりしない。
絶対に。
「あのね、双葉」
布団から顔だけを出して、僕のことを間近で見ながら開耶は言い出した。布団の中で、互いの四肢が互いの身体に絡みつくように抱き合ったままで。
「なんだ?」
「双葉がわたしを知ったのは、あのときぶつかってからだよね?」
「そうだが……」
「わたし、実はもっと前から双葉のこと知ってた」
意外な事実に、少し驚く。
そんな僕の表情を見て何かに満足したのか、彼女はいたずらっぽく笑ってから続けた。
「わたしに友達がいないってことは、前に話したよね?」
「ああ」
「高校に入ってからも友達できなくて、ずっとひとりでいたの。毎日がつまらなくて、高校なんて入って一カ月で嫌な場所になって……でも、そんなあるとき、あなたを見つけた」
ぴと、と指さすどころか僕の鼻を人差し指で優しくつつく開耶。
「休み時間に、隣の教室の中で男女混じって盛り上がってるグループを見つけた。あなたはその中にいながら、あなただけがどこかで線を引いて、距離をとってる感じがした。なんだか、もしかしてこの人わたしと似ているんじゃないかな、ほんとうはひとりきりなんじゃないかな、なんて勝手に思ってた。それから、あなたのこと目で追うようになってた」
「そんな……それじゃあ、ずっと……」
僕が開耶を知るよりずっと早くから、開耶は僕を見ていたのか。
ずっと前から、僕に思いを寄せていたのか。
「……全然、気付かなかった……」
嬉しさももちろんあるが、それに気付けなかった自分が恥ずかしいというか、申し訳ない。
そう言ったら、開耶はまたえへへっと笑った。
「そりゃ、わたしは一年生のときも隣のクラスだったし、そうでなくても地味で目立たないもん。でもだからこそ、ずうっと見ていられた。毎日あなたのこと探しててね、ああ、あのひとりきりな男の子だ、今日もかっこいいな、でもやっぱりちょっとさみしそう、仲良くなりたいな、メールとかしてみたいな、なんてこと思いながら、結局ひとこともしゃべれないまま一年が終わって、二年生の秋になって」
「ぶつかったわけか」
開耶は布団に深く潜り込んで、鼻から上しか見えなくなった。
「あの時はものすごく動揺しちゃったけど、あとになって気づいたの。ああ、あの人だ、隣のクラスの、あのさみしそうな人だ……って。だから、せっかくまともにしゃべれたのに、怪我させちゃって、ああ、第一印象最悪だなあって思って一日中落ち込んだの」
それを聞いて、僕はふいに、あのとき――開耶が僕に怪我を負わせたことを謝罪した日の帰り、下校中に木下が僕に言っていたことを思い出していた。
――――もしかしたらあっちのほうは、きみとぶつかるよりもっと前から、ずっときみに想いを寄せていたとかそういう可能性だって無きにしもあらず。
――――上杉くんが自分になにもないって言ったって、その子がきみに何かを見出して好きになってるんじゃないの。
(木下さんの言っていたことは、間違っていなかった……)
彼女は僕の中に、自分と同じ孤独性を見出していて。
そして僕のことを、ずっと想ってくれていたのだ。
「あの時ほど、もうおしまいだって思ったこと、なかったよ……」
「……僕は全然、気にしてなかったのに」
本心からそう言っても、開耶はぷるぷると首を振った。
「うー、好きな人の前ではちょっとでもよくありたいの……なのにあんな大失態、のっけからやらかしちゃったんだもん……絶対嫌われたと思ってた……」
「でも、結果的にそれが転がって、こういう風になれた」
そう言って僕は、腕の中のその存在をもう少し強く抱きしめた。
「うん……」
嬉しそうに、胸にすり寄ってくる開耶。
「なら、それでいいんだ。きっとそれでよかったんだ」
「うんっ」
「開耶のひたむきな想いと、ほんの少しの偶然が、ずっと居場所がなくてもがいていた僕を引き寄せてくれたんだと、そう思う」
どうして今日の自分は、こんなに恥ずかしい言葉ばかり口に出るのだろうと思った。
でもそれが自分の本心で、言いたくて言いたくてたまらない。
大好きな女の子に、格好悪い本心をさらけ出したくてたまらない。
「開耶、ありがとう。本当にありがとう……」
「えへへ……双葉、大好きだよ……」
そこでまた、もう何度目か分からない口づけを交わして。
長い長い接触ののち、どちらからともなく唇が離れ、しばらく見つめあって。
「あ……」
僕を見つめていた開耶は、驚いたような高い声を小さく上げた。
「双葉が笑ってるとこ、初めて見た……!」
「え……?」
思わず、口元に手を当ててみる。
少しだけ、ほんの少しだけ、綻んでいるような気がする。
もう、どれほどこんな顔を作っていなかっただろうか――。
「うれしい……やっと笑ってくれた……いつも怖い顔か、つらそうな顔しかしてなかった双葉が……」
そう言って開耶は、泣き笑いのようなへにゃっとした顔になって涙をぬぐって。
「笑ってる双葉が、いちばん素敵だよ……」
「…………そう、か……」
ずっと忘れていた。
でも、やっと思い出せた。
これが。
笑うということか――。
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