即興小説トレーニング集
ほしさきことね
第1話 孤独を分かちあう。
「おじいさん、ドーナツを輪を崩さないで食べる方法って、知っている?」
目の前の少女は微笑んだ。
「はて?八十年間も生きてきて、それはわからんなあ」
わしは首を傾げた。
「道具を使ってもいいのよ、簡単よ」
少女はいたずらっぽく笑う。
「年の功とかいうが、さっぱりわからんなあ」
少女はドーナツとナイフを取り出した。
綺麗にドーナツの端を数センチ残して穴を大きくするようにして食べると、あとは大きな残った端を綺麗に折りたたんで食べてしまった。
「あら、これはいらなかったみたい」
少女はナイフを放りなげた。
「なるほど、そういう方法もあったんだな。わしは頭が固まっていたのかもしれない」
ある日、庭の椅子に座って本を読んでいると、妖精のようにかわいい少女がやって来た。名前は知らない。どこから来たのかもわからない。面白いクイズを出して、わしが、わからないと首を傾げると、次々と難問を出していく。
「お嬢ちゃん、どこから来たのかい?お父さんとお母さんは?」
笑顔ばかりだった少女が悲しそうな顔を見せた。よく見ると、腕や足にあざがついている。
「このあざは、どうしたのかい?」
わしの質問には答えず、少女はクイズを出したり、歌ったり、おしゃべりを続けている。
「わたしね、オトナとあまりしゃべったことがないの。だからおじいさんが相手してくれるのが嬉しいの」
屈託のない少女の紅潮した頬につい見とれてしまう。若さというものはいいものだ。失ってからやっとそれに気づく。
「わしも暇だから、いつでもおしゃべりしにおいで」
すると少女は泣きそうな顔になった。
「ううん。今日ね、もう行かなければならないの?」
「どこに?」
「とっても遠いところなの」
「もう会えないのかい?」
「うん」
それを聞いてわしも寂しくなった。孫以上にかわいい少女だったから。
「お嬢ちゃん、どこから来たのかい?」
寂しくなって、わしはもう一度訪ねてみた。
「あそこから」
少女が指差した先を見て、わしは驚いた。
ゴゴーっと音を立てて、屋敷が燃え上がっている。火の勢いで今にも倒れそうだ。
「火事じゃないか!大丈夫だったのかい?」
少女は寂しそうに微笑んだ。
「私はね、お父さんにもお母さんにも叩かれたり、殴られたりしていたの。それはね、お母さんの「つれご」ってものだったから」
「つれご?」
「お父さんとお母さんの間にできた妹だけすごく可愛がられていたの」
少女のあざの意味がわかり、わしもかわいそうになる。
「つらかっただろうなあ。大変だっただろうに」
齢のせいか、涙腺が弱くなり、涙があふれてくる。そんなわしの肩に手をあてて、少女は微笑む。
「大丈夫よ、おじいさん。もう、そんなことはないから」
「えっ?」
今度は少女が冷たい微笑を浮かべていた。
「私、もう何もかもいやになって、家に火をつけたの。お父さんもお母さんも妹も、暑いともがきながら、死んでいったわ」
「えっ・・・・・・」
びっくりして口が聞けなくなった。
「天に召される前にね、オトナと話しておいでって、空から声がして気づいたらここにいたのよ」
だんだん少女の姿が薄くなっていく。
「おじいさん、さようなら。とても楽しかったわ。これで悔いがないわ」
どんどん少女のシルエットはなくなっていく。
次第にわしの意識も朦朧として、椅子の横にある机に突っ伏して、寝てしまったようだ。
空が橙から藍色に変っていくときにわしは目を覚ました。
「夢だったんだろうか?」
しばらく状況が飲み込めずに、呆然としていた。
近所の奥さんたちの噂話が、耳に入ってきた。
「日野邸が火事にみまわれて、一家四人がなくなったそうよ」
「なんでも、そのうちの連れ子が火をつけたとか、つけないとか」
「皆、亡くなってしまっているから、真相はわからないけど」
あの少女のことだろうか。オトナと話したことがないという思いを昇華して、天に昇っていったのだろうか。そういうわしは・・・・・・。一度でもいいから、かわいかった孫に会いたいと思っていた。孫のような少女にも会った。ということは・・・・・・。
近所の奥さんの噂話はまだ続いている。
「そういえば、角のうちのおじいさんも亡くなっていたんですって」
「庭で本を読んでいるときに、意識が朦朧として倒れたみたいだわ」
「脳出血かなにかかしら?」
わしのことらしかった。気づいてきたら、どこか知らない真っ白な空間にいた。
「また、会えたね。おじいさんが遅いから先に来ちゃったわよ」
「そうか、お嬢ちゃんが迎えに来てくれたんだね」
「これからオトナといっぱい、お話ができて、嬉しい」
「わしも嬉しいよ」
こうして、まっしろな空間で、次に宿る肉体が見つかるまで、わしは少女と過ごすことになった。
「おじいさん、お風呂の蓋を開けないで、お風呂に入る方法、知っている?」
相変わらず、すっとんきょうなクイズを出して微笑む少女がかわいい。
「それはね、あらかじめお風呂に入っておいて、蓋をしめてお湯をいれればいいのよ」
かわいい少女の答えに今日もわしは笑みを漏らす。
「次はもっとオトナとお話できて、かわいがってもらえる世界にいきたいな。おじいさんみたいなひとが、パパだといいな」
「願っていれば叶うものじゃよ」
「じゃあ、一生懸命、お願いするわ」
少女は手を合わせて、今日もお願いする。
わしの人生も孤独だった。でもこの少女に最期に救われた。自殺したいと考えたときもあったが、人生、生きてみなければわからないものじゃ。80まで生き抜いてみて良かったと思う。次はどんな人生が待っているかわからんが、孤独だからって死んじゃいかんと今なら不思議に思える。
妖精のようにかわいかった少女にも、次に宿る肉体が決まったみたいだ。
「あんなにお願いしたから、きっといいオトナに恵まれていると思うよ。さあ、行っておいで」
わしは、少女の背中を押した。
「おじいさん、また会おうね。待っているからね」
少女は飛び去って行った。白い空間だけがそこには残されていた。わしは一人だったが、もう心は孤独ではなかった。
(お題:少女の微笑み 制限時間:1時間 文字数:2551字 )
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