ピュアラブ上等じゃい!
春日園
プロローグ 『小春日和の邂逅』
ずさんな邂逅は本人の意思とは無関係にやってくる。
いつだってそう、巡り合わせとはいつだってそういうものだ。
ひとえに誰が決めたわけでもなく、神様が決めたわけでもなく、ましてや運命が決めたわけでもない。
出会いは突然、偶然の産物、因果関係に導き出された方程式。
かくして恋物語の始まりは唐突に訪れた。それは小春日和の陽光が射し込む暖かな初冬のこと、幸司が昼休みの学校の屋上で、とある少女漫画を読んでいた時の話であった。
「くそッ、くそッ、くそッ、何よ、何なのよ! ピュアラブが面白くないってどういうことよ!? クラスの連中は頭がおかしいんじゃないの! 涼子と優は清純なのよ! 汚れを知らないの、それを展開が遅すぎるだの何だの……あーだこーだ言いやがって、あいつらいったい何様のつもりよ!」
幸司がもたれかけている金網フェンスの反対側方面。簡易プレハブの屋根の上を舞台に、貯水タンクを蹴り回す少女がそう言った。それはさながら猛獣のような咆哮だった。
彼女が今話題さっとう中の大人気少女漫画、『ピュアラブ・ストーリー』のファンであることはまず間違いない。
ピュアラブ・ストーリー、略して『ピュアラブ』とは、健全な男子高校性(主人公)が奥手なヒロインと清純な恋を紡いでいく、という甘酸っぱい物語を売りにした青春漫画だ。いま世間ではストーリー展開が遅いなどとまことしやかに囁かれているが、それはキャラの性格を何ひとつ理解していない読者たちの意見である(幸司談)。
だからこそ幸司には、あの少女の怒りがとても眩いものに見えた。応援したい気分だった。
「うぉりゃあああ! みんなまとめてブッ飛ばしてやろうかクソがぁああ!」
バカ、アホ、ボケ、カス、と鋭い足刀が繰り出されるたびに、鈍い金属音が鳴り響く。
華奢な肢体のどこからあんなパワーが出ているのだろうか。身長だってかなり低い。というより、あれはもはや矮躯の類いである。一言で表せばミジンコだ。
遠目からでも分かるあどけない面立ちに、肩まである艶やかなストレートの黒髪を流して、切れ長の瞼と黒の瞳をここぞとばかりに踊らせている女の子。ミルク色の頬はきめこまやかで、頭の後ろで結んだドデカイ黄色の蝶々リボンが、今は豪快な送風に煽られて揺れていた。
まるで小さな台風。どんな場所だろうと罷り通るエカトリーナ。はたまたあの少女そのものが超天変地異の前触れか。それもそのはずだった。
おそらくこの市立愛西高校で彼女の名前を知らぬ者はいない。
なぜなら彼女は、この学校で一、二を争うと噂される超問題児──夢野叶多その人なのだから。
夢野が歩けば花道が出来上がると言われるほどに、その容姿は凶悪だ。なにが凶悪かって、彼女の眼力がマジでやばい。CoCo壱カレーの十辛が可愛く思えるぐらいにヤバイのだ。
多分その目付きの悪さだけを取り除けば、夢野叶多はかなりの美人であるに違いなかった。
中途半端に顔のパーツがいいぶん、どこぞの
噂では百人以上の舎弟がいるだとか、地元の
掘れば掘るほどお宝のように湧き出る黒い噂。その真相に辿り着いてしまったものは、数日のうちに消されてしまうらしい。
―――――――――――――――――――――――
消される?
「存在自体が抹消されるんだ」
おいおいここ日本だよな。
「やばいだろ。でもマジらしいぞ。お前は転入生だから知らねえだろうけどな」
こええよ、要チェック人物だな。そいつにだけは注意しねえと。
『おいおい、ヤバい奴は夢野だけじゃないんだぜ』
まだ化け物がいるってのか?
『東中出身のキングギドラっていえば夢野叶多だったけどね、なんと西中にもゴジラがいたんだよ』
ゴジラ?
「ああ今では愛校のピッコロなんて言われてる。ちなみに悟空は夢野な」
ぎゃはは誰だよそいつ。
『福家幸司。あいつに喧嘩を売って生き延びた者はいない。なんでも次の日にはオホーツク海に浮いてるんだってさ』
ゴクリ……。
「まあ噂だからあんま気にすんなよ。それにあの二人、学校来てもほとんど寝てるしな」
『だね。そんなことより赤城とブッチは今週のピュアラブを見たかい? 僕個人としてはあの展開はないと思うわけだが』
「
ピュアラブ? なにそれ、名前からしてクソじゃね?
―――――――――――――――――――――――
世の中の人間の大半は、ありもしない噂や誰かれの意見を鵜呑みにして、他人や物の評価をつけてしまう。それはネットだったり、報道番組だったり、新聞の記事だったり。またある時は誤解や価値観の違いだったり。
話したかけたこともない相手に「あいつはこうだ」「知ってる? あいつって実はさ──」などと、自分のことを、分かった風に語られる腹立たしさ。「お前が俺の何を知ってるんだ?」「喋りかけてきたこともないくせに」と言い返せない己の弱さ。ヒソヒソと、陰口を囁かれる億劫さ。
そして何より、ピュアラブ・ストーリーを理解して貰えない鬱陶しさ。
「うおりゃぁあああ──ッ! 誰が東中出身のキングギドラじゃぁあ──ッ! こちとら睡眠不足でクマができとるだけなんじゃあ──ッ!」
誰も気付いちゃくれない。
分かろうともしてくれない。
「あいつ……そうとうキレてんだな」
でもいつかは、そんな全部を取っ払って、本当の自分を理解してくれる相手が現れる。
それは少年にも少女にも言えること。
世界は丸いだけじゃなくて、すべてが上手くいくように、ちゃんと意味を成して回っているのだ。
ピュアラブ・ストーリーもまた──
そんな世界の、歯車の一部なのかもしれない。
これは迷える少年と少女の成長を、気長に見守るものがたり。
ずさんな邂逅は本人の意思とは無関係にやってくる。
いつだってそう、巡り合わせとはいつだってそういうものだ。
ひとえに誰が決めたわけでもなく、神様が決めたわけでもなく、ましてや運命が決めたわけでもない。
出会いは突然、偶然の産物、因果関係に導き出された方程式。
かくして恋物語のプロローグはここに幕を閉じた。それは小春日和の陽光が射し込む暖かな初冬のこと。幸司が昼休みの学校の屋上で、ひとりの少女の憤慨を、目の当たりにした時の話であった。
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