2020年5月17日 11:42
ランキングを擁護する。への応援コメント
藍豆と申します。この度は自主企画への参加ありがとうございます。阿井上夫様自身の見解とは異なる内容とのことで、敢えて逆の立場での論理展開を試されるというのも実に面白い視点だと思いました。とりあえず私なりの意見を述べさせていただきますね。 私のエッセイに共感しコメントをくれた人や他の同意見の方々のエッセイを読む限り、批判的な立場の方の多くは不正そのものを非難されているようです。彼らが口にするランキング掲載や良作が埋もれることへの不満というのは、不正行為の結果という前提がある上での話。それが正当な結果であれば、批判する人の数はかなり減るでしょう。なぜなら不正問題を提起して意見を述べるくらいの書き手であれば、真っ当な理由のない批判はただの嫉妬であることや、そもそも作品の面白さというのは個人差が大きいことはわかっているはずですから。阿井上夫様が「読者や市場はクレバー」と考えるのと同様に、「書き手もクレバー」だと思います。書き手のほとんどは、同時に読み手でもあるわけですし。 また彼らの多くは自主企画に掲載されたエッセイを読んだり、自身のエッセイを自主企画に参加させたりしている方々ですので、正当な手段の範囲で宣伝努力をされていると言って差し支えないでしょう。阿井上夫様自身がそういった意見を目にされてきたという事実から判断しても、少なくとも動かずにじっと待っているだけの人たちではないことはわかります。阿井上夫様が言われている「サイト批判を他作品への誘導に利用する意図」もあって然るべきこと。なぜかといえば、ある作品をきっかけに別の作品も読んでみようと読者に感じさせられるかどうかは、作者の才能と努力によるものですから。 繰り返しになりますが、「ランキング掲載作品の中に面白くないと感じるものがある」ことや「良作が埋もれてしまう」のは、それが正当な審査の結果であれば仕方のないことです。批判的な立場の書き手の多くもそれは理解している。彼らが問題視するのはそこに不正が絡んでいることであり、すなわち書き手側の論点は「不正行為」ということになります。 それを念頭に置くと、全般的にややズレた論理展開がなされてしまっていると感じます。例えば市場における広告宣伝を例に挙げておられますが、「市場原理に則した広告宣伝を批判するのはおかしい」とか「生産者側が目立たせる努力をするべき」という主張は「広告宣伝の有無」についての話。カクヨム上のことに言い換えると「作品のアピールをするかしないか」ということ。一方で、批判する側が問題としているのは「広告宣伝手段の違法性」、すなわち「作品のアピール手段が不正であること」です。 ちなみに私がグレーゾーンと称する「仲間や友人同士による相互評価」については、人間社会で暮らしている限り仕方のないことだと思います。ただそれが実害を及ぼすとなれば、やはり批判されることは避けられない。実害とは、カクヨムコンなどの読者選考におけるランキングにおける悪影響です。読者選考は一定期間内の累計評価によって行われるので、ここで人間関係による相互評価が横行すれば、作品の良し悪しよりも作者の交友関係がものをいうコンテストになってしまう。 ダラダラと長くなりましたが、論点をしっかりと見定めた上で論理展開をし直せば、面白い着眼点の読み物になると思います。
作者からの返信
藍豆様 ご意見ありがとうございます。 これだけの論理展開を行うこと自体、かなりの労力を有することと思いますので、その点にまずは敬意を表します。また、論理展開そのものも妥当と思います。異論はございません。ただ、立脚点が異なるので、その点のみ補足いたします。 * 単に私が実情を知りえていないだけかもしれませんが、私はカクヨムのような投稿サイトのランキングを組織票のみで左右することは「無理」と考えております。 不正行為として問題になるのは、「システム上で架空の評価を上書きする」ような行為であり、それはさすがに犯罪です。しかし、組織票程度のことは、いくらやったとしてもそれが最終的な評価につながるほどの影響を有するとは考えておりません。(それゆえ「市場はクレバー」という発言になるわけです) もちろん、組織票も確か規約で禁止されておりますので「不正」ではありますが、それは実効を伴わない不正だという意味です。 そのため、事実としてそのような例があり、市場の健全性をゆがめているということでであれば、私の不見識を謝罪するしかありませんが、「組織票」の影響を許容するほど、企業の担当者もバカではないと思います。 また、それではどうして「一見たいしたことのない作品が評価されるのか」を考えてみましたが、現時点で私は「もしかしたら、ランキングの評価をしている層の問題ではないか」と思っております。 *以下、ただの推測ですし、かなりの暴論になりますが、理解可能な方と推察いたしましたので、脚色をせずに申し上げます。 一定レベル以上のリテラシーを有する人は、カクヨムのようなサイトを始終利用することはないし、そこでいちいち評価をしているほどの時間的な余裕もないのではないでしょうか。 となると、ランキングを成立させている「評価者」の大半は、単純な「面白さ」を求めて、ここで暇つぶしをしている層であり、そして、その層が求めている面白さの質がランキングに反映され、それがコンテストにも影響しているのであれば、市場原理としては正しいのではないでしょうか。(例えばYouTubeのように) ごめんなさい。となると「市場はクレバー」ではありませんね。「市場は欲望に忠実である」と言ったほうが正しいです。
ランキングを擁護する。への応援コメント
藍豆と申します。この度は自主企画への参加ありがとうございます。阿井上夫様自身の見解とは異なる内容とのことで、敢えて逆の立場での論理展開を試されるというのも実に面白い視点だと思いました。とりあえず私なりの意見を述べさせていただきますね。
私のエッセイに共感しコメントをくれた人や他の同意見の方々のエッセイを読む限り、批判的な立場の方の多くは不正そのものを非難されているようです。彼らが口にするランキング掲載や良作が埋もれることへの不満というのは、不正行為の結果という前提がある上での話。それが正当な結果であれば、批判する人の数はかなり減るでしょう。なぜなら不正問題を提起して意見を述べるくらいの書き手であれば、真っ当な理由のない批判はただの嫉妬であることや、そもそも作品の面白さというのは個人差が大きいことはわかっているはずですから。阿井上夫様が「読者や市場はクレバー」と考えるのと同様に、「書き手もクレバー」だと思います。書き手のほとんどは、同時に読み手でもあるわけですし。
また彼らの多くは自主企画に掲載されたエッセイを読んだり、自身のエッセイを自主企画に参加させたりしている方々ですので、正当な手段の範囲で宣伝努力をされていると言って差し支えないでしょう。阿井上夫様自身がそういった意見を目にされてきたという事実から判断しても、少なくとも動かずにじっと待っているだけの人たちではないことはわかります。阿井上夫様が言われている「サイト批判を他作品への誘導に利用する意図」もあって然るべきこと。なぜかといえば、ある作品をきっかけに別の作品も読んでみようと読者に感じさせられるかどうかは、作者の才能と努力によるものですから。
繰り返しになりますが、「ランキング掲載作品の中に面白くないと感じるものがある」ことや「良作が埋もれてしまう」のは、それが正当な審査の結果であれば仕方のないことです。批判的な立場の書き手の多くもそれは理解している。彼らが問題視するのはそこに不正が絡んでいることであり、すなわち書き手側の論点は「不正行為」ということになります。
それを念頭に置くと、全般的にややズレた論理展開がなされてしまっていると感じます。例えば市場における広告宣伝を例に挙げておられますが、「市場原理に則した広告宣伝を批判するのはおかしい」とか「生産者側が目立たせる努力をするべき」という主張は「広告宣伝の有無」についての話。カクヨム上のことに言い換えると「作品のアピールをするかしないか」ということ。一方で、批判する側が問題としているのは「広告宣伝手段の違法性」、すなわち「作品のアピール手段が不正であること」です。
ちなみに私がグレーゾーンと称する「仲間や友人同士による相互評価」については、人間社会で暮らしている限り仕方のないことだと思います。ただそれが実害を及ぼすとなれば、やはり批判されることは避けられない。実害とは、カクヨムコンなどの読者選考におけるランキングにおける悪影響です。読者選考は一定期間内の累計評価によって行われるので、ここで人間関係による相互評価が横行すれば、作品の良し悪しよりも作者の交友関係がものをいうコンテストになってしまう。
ダラダラと長くなりましたが、論点をしっかりと見定めた上で論理展開をし直せば、面白い着眼点の読み物になると思います。
作者からの返信
藍豆様
ご意見ありがとうございます。
これだけの論理展開を行うこと自体、かなりの労力を有することと思いますので、その点にまずは敬意を表します。また、論理展開そのものも妥当と思います。異論はございません。ただ、立脚点が異なるので、その点のみ補足いたします。
*
単に私が実情を知りえていないだけかもしれませんが、私はカクヨムのような投稿サイトのランキングを組織票のみで左右することは「無理」と考えております。
不正行為として問題になるのは、「システム上で架空の評価を上書きする」ような行為であり、それはさすがに犯罪です。しかし、組織票程度のことは、いくらやったとしてもそれが最終的な評価につながるほどの影響を有するとは考えておりません。(それゆえ「市場はクレバー」という発言になるわけです) もちろん、組織票も確か規約で禁止されておりますので「不正」ではありますが、それは実効を伴わない不正だという意味です。
そのため、事実としてそのような例があり、市場の健全性をゆがめているということでであれば、私の不見識を謝罪するしかありませんが、「組織票」の影響を許容するほど、企業の担当者もバカではないと思います。
また、それではどうして「一見たいしたことのない作品が評価されるのか」を考えてみましたが、現時点で私は「もしかしたら、ランキングの評価をしている層の問題ではないか」と思っております。
*以下、ただの推測ですし、かなりの暴論になりますが、理解可能な方と推察いたしましたので、脚色をせずに申し上げます。
一定レベル以上のリテラシーを有する人は、カクヨムのようなサイトを始終利用することはないし、そこでいちいち評価をしているほどの時間的な余裕もないのではないでしょうか。
となると、ランキングを成立させている「評価者」の大半は、単純な「面白さ」を求めて、ここで暇つぶしをしている層であり、そして、その層が求めている面白さの質がランキングに反映され、それがコンテストにも影響しているのであれば、市場原理としては正しいのではないでしょうか。
(例えばYouTubeのように)
ごめんなさい。となると「市場はクレバー」ではありませんね。「市場は欲望に忠実である」と言ったほうが正しいです。