闇と光07

①-2 食料


 この場合の食料とは、農場を確保して、食料を生産するという意味ではなく、『光』の世界に生きる生物を物理的に狩って食す意味である。

 生きてきても、死んでいても(この場合は死肉喰い、などというのだろうか)構わない。

 物理的に摂取し、エネルギーとする場合である。


(なお、精神を喰らうというパターンもあるが、こちらについては、対象外として扱う。……そもそも、精神てなものが何だかよく分からないのだから、同様に扱う事が出来るかどうかが、そもそも不明である)


 この場合でも、『闇』の生物にとって有益となる条件は明確である。

 消化し、吸収できる事だ。

(もちろん、さらに栄養価が高ければ高いほどよいだろう)


 とすると、①-1と同様の問題が発生する。

 『闇』の生物がどのような進化を遂げた生物であろうと、炭素系生物であるだろうということである。



②憧れ


 侵略する動機が『憧れ』のような感情で有る場合は、少しアプローチが異なる。

 といっても、今まで出てきた内容となんらかわらないだろう。


『憧れ』の構図として、

・(その生物にとって)暗く冷たい世界 と 光溢れる温かい世界 が存在する。

・(その生物は)暗く冷たい世界で不自由を感じている、もしくは、光溢れる世界によりよい活動ができると想像できる。

・実際、『光』の中でも十分な活動が出来る。

斯様な構図が見て取れると思う。


 先ほどから述べているように、『闇』で生まれた生物で有れば、『闇』に不便を感じないよう最適化して進化するはずである。

 であるのに、『光』に上記のような考えをもつとはどういう事なのだろうか。


 もっと、端的にわかりやすくたとえを出して説明してみよう。


 たとえば『飛んで火にいる夏の虫』

 虫は太陽の方向を見て動作を決める性質があるという。

 暗い場所にいて明るい方向が見えれば、虫は明るい方向へ向かっていく性質がある。

 さて、昼間は戸外で思う存分満喫すればいいが、夜になると辺りは暗くなる。

 そこへ、火が焚かれる。闇の中からその炎はとても明るく映るのだろう。

 戸外へ飛び立つのと同様の行動を起こして、火の中に飛び込んでしまうと言うわけである。


『闇』から見て、『光』の世界は火のように見えるのかも知れない。

 しかし、飛んでいって『燃える』事を知っていたなら、『燃える』ということを知るだけの知識があるとすれば、飛び込もうとはしないのではないだろうか。


『深海の熱源』

 海底火山の噴火口付近は、高圧による300度という高温を保ちながら、ミネラルも豊富で、低酸素状態でもあることから、硫酸をメインに据えた酸化還元反応によりエネルギーを取り出す生物がいるという。

(ご存じの通り、地球上のほとんどの生物は、酸素を主とした酸化還元反応でエネルギーを捕りだしている。)

 人間から見れば、その熱水は、栄養豊富でとても魅力的ではある。

 しかし、硫酸をメインに据えた反応を起こす生物を摂取しても、消化・吸収は難しいと思われるし、そもそも、研究以外の目的でその水域に行きたいとは思わない。


 大して、同じ海底であっても、沖縄などの水深の浅い海底は、ダイビングスポットとして人気がある。

 住む事はできないのだからしょうがないとしても、観光として訪れ、一部の心ない人により珊瑚が傷ついてしまったりする。


 メリットが大きければ、侵略することは十分考えられるが、メリットが少なければ、様子見以上の行動はなかなか起こさないモノなのである。


 話を戻せば、『闇』の生物にとって、『光』の世界にメリットがあり、しかもそのメリットが大きい場合は、侵略もあり得ると考えられるのである。


 また、メリット・デメリットという、ある種明確な見方以外でも、『憧れ』の理由を考える事ができる。


 それは、世界に、もしくは固体自身に、コンプレックスを持っている場合である。……これもおかしな話だと、また書かせて頂く。


 人は、人の形を、最上級のもののひとつと捉えてはいまいか。

 これは、この形が、この世界で生きるのに適した形の一つであり、ムダがないからである。

 大して、生物の形を『醜い』と感じるのはどんなときであろうか。

(生理的に受け付けないモノはこの際除きましょう……)

 それは、『美しい』と思われる形から、遠い形である場合と考えられる。


 たとえば、『美しい顔』の傾向をご存じだろうか。

 ある集団の顔のパーツの位置、大きさなどの形状的な情報を集め、それぞれのパーツの平均を算出。平均により、『平均的な顔』を描き出すと、大抵の人が言う『美しい』顔になる、と言う。

 逆に、『美しくない』と判断された場合、よく、『ユニークな顔』などという表現が使われるが、言い方を変えれば、『平均から遠ざかった特徴的な顔』とも言える。


 無意識に求める基準が美しいのであって、その基準から大きく逸脱した形状については、『醜い』と感じるモノなのである。


 つまり、人は、人の形状をベースとして、『闇の生物』を見る。

 闇の生物は生きる環境も何も異なるのだろうから、当然、形状も『光』の下で生きるモノとは異なる。

 よって、『闇の生物』を醜いと判断するのである。


 ここでまた、逆を言えば、『闇』から『光』と見た場合も同様である。

なのに、彼らは『憧れる』のである。

 つまり、自分たちの世界が劣っていて、『光』が優れていると思いこんでいる事になる。

 ……この価値観は、どのようにして生まれたのであろうか。


『光』の世界にて、メリットが最大となる条件と言えば、『光』の世界で生まれた生物であることが、もっとも単純で確実な理由といえよう。

 そしてまた、『光』の世界を知っているので有れば、それとは異なる『闇』の世界を、劣っていて醜いモノであると考えても、何ら不思議はないのである。

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