大変記

よろしくま・ぺこり

第一話 銛太郎見参

 箱根の山は天下の険、函谷関もものならず……。

 世に険阻を謳われる箱根山。その険峻を一人の若武者が闊達に登っていた。大柄な体型を苦にもせず、トントンと行く様は、羚羊を思わせる。その姿形を見るに旅塵にまみれているとはいえ、案外と良質の服を着、当然の如く左腰には大小の剣を佩いている。しかし奇妙なことに右腰に大きな斧を抱え、背中には長大な銛を背負っている。これだけの荷を背負って楽々と急道を行くとは余程の剛力であろうことが推察される。

 やがて若武者は、手頃な岩を見つけ、それに腰掛けた。疲れが出たのであろうか。竹筒を取り出して水を口に含む。爽やかな風がその身を包み、鳥たちのさえずり、草木のささやきが、彼に一時の安らぎを与え、思わず午睡する。どれくらい、うとうとしたであろうか? 突然、

「キャー」

と言う女の悲鳴が浅い眠りを破った。

「はて!」

 若武者が立ち上がり、四方を見ると、少しばかり上に行ったところに山小屋があり、五人の男たちが一人の女を抱えて、そこに入ろうとしていた。おそらく乱暴目的であろう。

「それっ」

 若武者は強烈な跳躍力で、男たちの前に立ちはだかった。

「お主ら、山賊か。お女中を置いて行け。命だけは助けてやる」

 若武者は大言を吐いた。

「はははー」

 山賊たちは多勢に無勢と笑った。そしてそのうちの一人が前に出て来た。

「山賊風情と甘く見るな。我らは前の源平合戦で功をなしたものの末裔ぞ」

 と大声をあげる。

「つまりは、その後所領を召し上げられたということか。お主ら、今流行りの悪党と言う輩だな」

 若武者は男たちを挑発する。

「何を! 名を名乗れ」

 前に出た男が若武者に吠える。

「馬鹿め、悪党に名乗る名前などない」

「くそ、やっちまえ」

 男たちが一斉に若武者に襲いかかる。すると、若武者は、剣ではなく大斧を右腰から取り出した。

「やあっ」

 大斧が先頭切って走ってきた男の脳天を捉える。

「グワサッ!」

 強烈な音がして男の顔面が真っ二つになってしまった。思わず怖気付く男たち。それに対し、若武者は、背中の銛をとって、

「ヤーッ」

と男たちの胸に突き立てた。心の臓を一撃され即死である。

「うぬう」

 最後の一人が討ち込んで来た。それをさらりと避ける若武者。

「お主ごとき匹夫に、この名剣を使うのは心苦しいが、お主も武士の端くれよな」

 若武者は言うと、剣を抜き、正対した。

「うぉりゃー」

 突進してくる男。

「腰が甘いぞ」

 そう言うと、若武者は男の胴をなで斬り、返す刀でその首級を跳ね上げた。

「うりゃはらば」

 意味不明な言葉を放ち、首級は飛んで行った。

「益体も無い」

 捨ぜりふを吐くと、男は懐から布を取り出し、武具の手入れを始めた。女のことなど、すっかり忘れた風情だ。

「あ、あの」

 女が若武者に声をかける。

「あ! ああ、そうでした。貴女を助けるために悪党を倒したのでしたな。どうも、野蛮なものを見せてしまい、申し訳ない。夢見に悪いであろうな。許せよ」

 若武者は自分のド忘れを恥じて顔を赤らめる。

「い、いえ」

 女が何か言い淀んだとき、

「ああ、外がうるさくて、昼寝が覚めてしもうた」

 山小屋から恰幅の良い男が、あくびをしながら出て来た。それを見て、女は、

「又太郎様、やっぱり、またこんなところにいらっしゃったのですか。早くお館にお戻り下さい」

 と男、いや又太郎に叫んだ。

「おや、おともではないか。如何した」

 呑気に尋ねる又太郎。

「新羽の勢が足柄の庄を襲撃するという話でございます。皆迎撃の支度にてんやわんやでございます」

 それを聞くと又太郎は、ふふふと笑い、

「おとも、よく考えてみい。足柄は相模国、新羽は武蔵国。どうして攻めてこられよう。どのみち、新羽の小次郎が騒いでおるだけだろう。それにことが鎌倉に知れたらどうする。宝条家、ことに得宗家は新羽家を目の敵にして、潰したがっている。奴らに目立つ行動は厳禁だ。それに新羽小次郎の父上、島太郎様はしっかりとしたお方。心配ない、心配ない」

と鷹揚に答えた。そして、今気付いたかのようにくるりと若武者に翻り、

「お主は誰じゃ」

 と若武者に問うた。すると、若武者は平伏し、

「貴方様は足柄又太郎様とお見受けいたす。私は又太郎様の曽祖父に当あたられる、平大将軍の家来、大斧大吉の玄孫たる、大斧銛太郎おおおの・もりたろうと申します。長年、平大将軍の目的であった『四海の平和』を守る為、海で働いておりましたが、最近、海賊討伐も一段落し、父より、『これからは陸に上がり、平大将軍の子孫である足柄家か新羽家に奉公せよ』と言われ鎮西より陸路、板東にやってまいりました。そこで箱根の険峻を見て、力試しに登ったところ、又太郎様にお逢いすることができました。なんたる奇遇。つきましては私を家臣にしていただけないでしょうか。伏してお願い申しあげます」

と名乗りを上げ、仕官を請うた。すると又太郎は、

「良いぞ。なかなかの武者と見える。しかしな、新羽を見ずに決めて良いものかどうか。もしかすると島太郎様や小次郎の奴の方が器量持ちかもしれぬぞ。どうだ、偵察がてら新羽に行ってみてはどうだ。その上でどちらに仕官するか決めれば良い。どうかな」

 と銛太郎を諭した。

「はい、かしこまりました。新羽の庄に行き、島太郎様と小次郎様の御器量を見定めてまいります。では」

 と早速行きかけた銛太郎を、又太郎は引き止め、

「今夜くらい、泊まっていけ。海の話など聞きたい」

とねだった。その時、

「兄上、兄上」

 と山の下から声がした。

「おう、三郎か。迎え、ご苦労」

 相変わらず、呑気に答える又太郎。又太郎の弟、三郎が山を登ってくる。

「兄上がいなくて、館はひと騒動でしたぞ。しかし、新羽来襲は単なる噂話でした。新羽にも出入りしている商人が小次郎の与太話を間に受けたものらしいです」

「だろうな」

 又太郎は銛太郎を見て笑った。

「さあ、帰ろう。今日は素敵な知己を得た。酒盛りといこう」

 又太郎は、上機嫌で下山した。

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