マインド・ボム

平野武蔵

復讐の現場1

1.


九一きゅういちが人を殺そうとしているのは太陽のせいではない。そこには条理がある。


しかし、この瞬間の太陽は、誰かを殺したい程、熾烈な熱射を放っていることも確かである。


もっとも飲食店や風俗店が密集するこの一画は車一台がやっと通れるほどの道幅しかないため、炎天下にさらされることはない。ひしめき合う建物が、背は低いけれど日射しを遮るからだ。


九一は電柱の影に身を隠し、ゲイバー「つぶらな瞳」の裏口に目を凝らしている。

真夏の最中にもかかわらず黒い長袖のジャージを着込んでいる。

キャップを目深にかぶり、途切れなく煙草を吸い続けている。すでに9本の吸殻が足元に転がっている。のちに犯人逮捕の重要な遺留品となるに違いない。


背負っているバックパックの中にはサバイバルナイフ、ロープ、ビニール紐、ガムテープ、口枷くちかせ

ジャージパンツの後ろポケットにスタンガン。


頭上で窓が音を立てて開いた。

九一は反射的に見上げた。

顔を出した男と目が合った。

焼き鳥屋の前に立っていたのだが、そこの店主だった。何度か見かけたことがある。店主はすぐに顔を引っ込め、九一は再び「つぶらな瞳」の入口に視線を凝らした。



黄昏たそがれのレンガみち」と名のついたこの一角がにぎわいを見せるのは、まさに黄昏時からである。

それまでにはまだ時間があった。

夜の喧騒が嘘のように今は静まり返っている。

人通りも少ない。

時折、抜け道で人が通る程度だ。


九一は誰かに見られるのを恐れて人通りの少ないこの時間帯を選んだわけではない。

「つぶらな瞳」のオーナー、サキがスタッフの誰よりも早く出勤し、静かな店内でコーヒーを飲んだり、雑誌を読んだりしてひとり過ごすのを知っていたからだ。

1日のうちで最もリラックスできる時間だとサキが言っていた。

そこを狙うことにした。


煙草の吸殻を無造作に捨て、白昼堂々待ち伏せをする。

計画的犯行と呼ぶにはあまりに杜撰ずさんだった。しかし、サキさえ殺すことができれば、後のことはどうでもよかった。

誰かに目撃され、警察に通報され、その結果、逮捕されたとしても。

なぜなら九一は放っておいても近いうちに死ぬからだ。


車のエンジン音が聞こえた。

九一は建物の間にとっさに身を隠した。

顔だけ出して、エンジン音のする方に視線を向けた。

タクシーがスピードを落として通りに入ってきた。こちらに向かってくる。サキに違いなかった。サキは車を運転しない。出勤するときはいつもタクシーだった。

九一は再び建物間の隙間には入り込みしゃがんだ。


タクシーは予想通り「つぶらな瞳」の裏口前で停車した。

後部席の自動ドアが開き、サキが降りてきた。

白のキャミソールにジーンズ生地のショートパンツ、とんぼの眼のように大きいサングラスをかけ、金色に染めた髪を後ろで束ねている。露わになった両耳には大きなリングピアスがぶら下がっている。

細長いタバコを指にはさみ、深紅の唇をすぼめて煙りを吐き出す。

どう見ても女にしか見えない。それもとびきり美しい女だ。


九一はスタンガンを取り出し、スイッチを入れた。


タクシーが走り去る。

サキはバッグに手を突っ込み、鍵をさぐった。


九一は足音を忍ばせてサキの背後から近づいた。

裏口のドアが開き、サキが中に入ろうとしたそのとき、スタンガンを背中に押し当てた。

セミの断末魔のような音に続いて電流が走った。

短い悲鳴が上がり、サキが地面に崩れ落ちた。


九一はサキの脇の下を抱え、建物の中に引きずり込んだ。

ドアを閉めて内側から鍵をかけた。


(つづく)

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