光源氏には向いてない

キョン子

プロローグ

 『源氏物語』。

 ご存知ないという日本人はほとんど居ないだろう。

 言わずもがな日本で最も有名な古典文学作品のひとつで、およそほとんどの人は『美しい貴公子がたくさんの女性と恋に落ちる話』という認識をしているはずだ。

 それも間違いではない。

 源氏物語においてストーリーの主軸は主人公である源氏の恋愛模様であり、天皇の子として生まれながら臣下の身分に降り、義理の母・藤壷をはじめ数多の女君と恋をする姿は、千年昔から変わらない人気を博している。

 しかし、作品の魅力はそれだけに留まらない。あくまで恋愛小説や出世譚の形を取りつつも、著者である紫式部が繰り返し描いたのは登場人物の絶え間ない苦悩だ。宇治十帖と呼ばれる第三部では厭世観の強い主人公・薫の姿が描かれるが、源氏の華やかさに目が行きがちな第一部、第二部においても満たされない気持ちや言い尽くせない寂しさをそこかしこに感じることが出来る。

 栄華と苦悩。煌びやかな宮廷生活と華やかな恋を描きながら、物語は一貫して世の無情さを見つめ、仏教によって安寧を求める登場人物たちの姿を描き出す。

 特に源氏の正妻格として登場する紫の上は、自他ともに認める源氏の一の人にも関わらず、晩年まで彼の浮気心に振り回され続ける女君だ。愛されながらも子供が出来ないという不安、そして女三宮降嫁により彼女の憂いは最大限に深まり、出家を望むようになる。

 人の世にあって最も権力を持つ男の妻でありながら、彼女が望んだことは煩悩や人の業から遠く離れた心の安寧だった――。



 これは、源氏物語に長い間魅せられた男が研究者として成功する物語……ではない。

 うだつの上がらない男が自分だけの紫の上を見付ける真実の愛の物語……でもない。

 それに近い体裁を整えつつ、次々と降って来る予想外の事態にひたすら右往左往してたまに痛手を負ったりしながら、それでもなんとか回復しながら生き抜いた男の、とある三ヶ月間の記録。


 だと、思う……多分。

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