かりそめの街

陽鳥

第1話 かりそめの街(1)



 赤の絵の具を薄く塗り広げたような空に、幽かな雲がたなびいている。肌を灼く日の光もゆるみ始めた季節に、蜻蛉が一匹、滑るように飛んでいく。

 一面の夕焼けの中、調子の悪い自転車のチェーンがきいきいと鳴っている。『今日』が始まってから何度この音を聞いただろう。何度この赤い光に目を眇めただろう。空は薄くグラデーションしていて、どこまでも美しい。

 私は学校へ向かっていた。行きの道も帰りの道も、空はずっと赤く染まったままだ。


 明日になれば世界は終わってしまう。はずだった。


 その予言が発見されたのは、私が中学生の頃だった。私の誕生日の一日前に世界が終わるらしいんだって。それを聞いて、私は親と笑っていた。その頃は今までに何度かあった世紀末の大予言と同じように、人々は面白半分で話題にしたものの、本気で恐怖する人はいなかった。

 だが、今まで観測されなかった未知の惑星やいろんな異常気象が次々と現れるにつれ、予言は真実になっていった。このままだと、地球にはたくさんの隕石が降ってきて、全人類は滅びるだろう、と。

 残された猶予は少なかった。一部のお金持ちは、核戦争のために開発されていたようなすっごい地下シェルターを競って建設したけれど、国が全国民を救うことはどう考えても不可能だった。私たちのような庶民にはどうしようもない。最後がくる前においしいものを食べるくらいしか、私たちにできることはなかった。

 ……だが。

 結果は、世界から夜が消え、人々は明日を失った、だけだった。夕暮れのような太陽が、沈むことなく影を落とす世界。昼でもない、夜でもない世界。

 もしかしたら隕石は奇跡的にどこかへ行ってしまって、私たちは助かったのかもしれない。夜のない世界、明日のこない世界、それともこれが終わるってことなんだろうか。

 蝉の声がうるさく響いていたこの川にも、気づけば音はなくなっている。川縁に咲いた向日葵たちもみんな首を傾けて、戸惑ったように咲いている。



 最後の日を迎えてから、終わるはずだった学校はずっとそのまま、授業が行われることもなくただ放置されている。学校だけじゃない、郵便局も銀行もコンビニも全部。隕石こそ飛んでこなかったけれど、大規模な停電や電波障害が起こっているらしかった。ケータイも繋がらないし、テレビもラジオも点かない。液晶に表示された時計もあり得ない時刻を示している。どうすることもできない宙ぶらりんの不便さに、溜息ばかりが積み重なる。


 学校にはそこそこの生徒が集まっている。親が心配するから家にいる子もいるんだろうけど、おそらく多くは家にいても何もできず、とりあえず学校に出てきたクチだと思う。私も最初は親に危ないと引き留められたけれど、少ししたら帰ってくる条件で折れてくれた。そのうち、私は支給されたヘルメットを被って家と学校を自転車で往復する生活になった。

 自転車を綺麗にとめ、籠からすかすかの通学バッグをとる。駐輪場には同じように登校してきた生徒が数人いる。夕方に登校してるみたいで違和感があったけど、いつの間にか慣れていた。いつものように自分のクラスに入る。

 教室にはだいたいのクラスメートが揃っていた。教室の後ろのほう、いつものようにたまっている友人たちのもとに駆け寄ると、彼女たちはちょっと笑って挨拶を返してくれた。


 ……ねえ、結局全人類滅びちゃうと思う? もう地震も竜巻も来ないかなあ。

 さあ。私たちが勝手に信じて事実に昇華してただけかもしれないし。わかんないよ。

 暴動とか、割とあったらしいよ。

 あかりちゃんとかいつも通りに過ごしてたっぽいよね。動じないっていうかさ。

 別にそんなこと無いけど。そういや、瑶子は来てないの?

 わかんない、一旦帰るって言ってたけど。私もそろそろ一旦帰んないと心配かけるかなあ。ケータイ使えないって不便だね。

 そっか。あ、そういえばね……


 ただの雑談。少なくとも表面上は。好きなアーティストや最新ドラマの話は減ったけれど、なにか話題さえあればいい。図書館で図鑑見て笑ったり、落書きしたり。退屈も静寂も、ここにはない。余計なことは考えずに済む、それで十分だ。


 例えば帰り道、例えば自分の部屋にいるとき、思い出すのは暗い廊下や誰もいない教室。いつも仕切り屋な松尾ちゃんが声を震わせていたこと。ちっちゃくて可愛い瑶子が制服に顔を埋めていたこと。委員長の細い三つ編みが揺れていたこと。数々の歪められた顔、儚げに震えた言葉。そして、真っ直ぐに訴えられた恐怖に対して、私は髪を撫でてあげるしかできなかった、あの胸の小さな痛み。



 私は今日も律儀にヘルメットを被ってきいきいと自転車を漕ぐ。通学途中には仕事を再開しようとするお店もちらほら現れ始めたが、いつまで経っても電気は復旧せず、あるいは既に商品は盗まれていて、商品もお客もないから仕事にならないことは明らかだった。気づけば学校からは人の声が減り、代わりに砂や落ち葉が溜まっていた。


 暗黙の了解みたいにクラスにはいつでも代わりばんこで誰かがいるようになっていた。お留守番。いつか映画で見たようなバリケードが作られ、不審者撃退用の箒だとか、乾パンの容器に投げ込まれたお菓子とかが用意されている。教室はもう、私たちのホームルームというよりも要塞だった。

 適当なタイミングで、私も帰ることにした。教室を残った男子二人に任せ、数人の友達と一緒に自転車を押しながらクラスメートの話をする。いつもと同じ光景。私だけ方向が逆なので、またね、と手を振ってから重いペダルを踏み込んだ。

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