第十話 甘い香りがする部屋
「えっと、ジュースでも飲む?」
「あ、さっきお茶を頂いたから大丈夫」
「そ、そっか。あ、じゃあ、お菓子でも」
「それもさっき」
――さて、困った。
この空気、非常に異様に、ヤバい!
部屋に入れたはいいものの、どう対応すればいいか分からない。
とりあえず座布団に腰かけてもらい、無難に話かけてはみたものの僅か九秒で会話が終わった。
このタイムで会話が途切れる速さならあのボ〇トにすら負けないと断言できる。思わずそんな冗談が頭に浮かんだがすぐ切り捨てる。
この次どうすれば......
対面の彼女を見ると物珍しそうに部屋を見渡している。その視線になんとなく誘導されてみる。
ベッドや本棚、テレビにハンガーラック(掛け)、部屋の中はどこにでもあるような家具しか置いてない。
隅の方にある机にはノートパソコンが一台あるけど、今や珍しくはないだろう。
いたって普通の男子の部屋だ。けど今日は違う。
女の子が俺の部屋にいる、それもクラスの、男子の憧れの的である芽森さんが......
考えるだけで頭が沸騰しそうだ。それに身体がどこか熱い、こんなことがあってもいいんだろうか。
――ダメよ、だめだめ。
うん、最近見ないけどいいと思う。
それにしても、女の子を部屋に入れたのは何年ぶりだろうか。
あの頃は小さかったから男と女という自覚はなかったとはいえ、気軽に家に誘ってたっけ。
過去の俺って凄いな、けど小さい頃と今じゃ心境が違う。今は恥ずかしいという自我がある。
それに女性との接し方は母親のそれと訳が――
「ねぇ、黒沼君って少女漫画読むの」
静まり返った部屋に先人を切って話しかけてきたのは芽森さんだった。
俺はとっさに思考を切り替える。
「え、あ、うん」
彼女はある一点の場所を見つめている。
そこは本棚が置いてある場所だ。棚には確かに女の子が見るような漫画も入れてある。
「ちょっと見てみてもいいかな」
俺が返事を返すと芽森さんは半歩前に進み本棚に近づいた。
「男の子でも読むんだね。あ、これ小学生の時に読んだことある。懐かしい」
言いながら芽森さんが手に取ったのは年齢層が低い女の子が読むような漫画で、表紙の主人公の見た目も幼い感じが出てる。芽森さんが懐かしむくらいだから絵も少し古い。
だけど、ページをパラパラとめくる様子を見ていると少し気恥ずかしさを感じる。
「そうそう、こんな感じだった。確か最後は大好きな幼馴染の男の子と――」
よっぽど懐かしかったのか彼女は漫画に見入ってる。ノスタルジックに浸ってるんだろうな。
俺だって昔読んだ本とか玩具を見ると同じ気持ちになる。
でも女の子に少女漫画を見られるのはどうなのか......
それに彼女が見ているのはマーマレードコミックや蕾と空みたいな中高校生向けの少女漫画とは違い、小学生の女の子が読むような奴で、下手したらロリコンに思われるんじゃない――
「あ、そうだ! 目的、目的。私が今日黒沼君の家に来たのはね」
「えっ」
途端、何かを思い出したように本を戻すと、こちらに振り向く芽森さん。
思わずビクッと動揺し、彼女の背に当てていた視線を下に向ける。
「昨日の返事を聞きに来たの、黒沼君の気が変わらない内にね」
自信満々といった様子の声、俺が首を縦に振ると思っているのを確信めいてる。
「え、でもそれは断って......」
――ない。
そうだ、断わろうとした所に楓さんが来て言えなかったんだ。
月曜日に断ろうかと思ってたけど話かけるタイミングが合うか分からないしで悩んでたっけ、
なら来てくれたのは逆に―― 来てくれた? あれ、、そもそも芽森さんは何で家の方向が分かったんだ......
「あの、そういえば、な、何で家の方角知ってたの」
「へ? 普通に、名簿見て住所確認したんだけど」
あぁ......
「あれ、黒沼君はもらわなかった? そんなはずないよね」
「も、もちろんもらったよ」
そういえば入学初日にクラス全員の住所と名前が記載されてる紙を渡されたんだった。
クラス名簿なんか気にしたことなかった。普段見ることないし。
そんな単純なことだったなんて、あぁ、恥かいた。
「あー やっぱり驚かせちゃったかな? そうだよね、突然家に来たらびっくりするよね。でもどうしても早く聞きたかったから」
「あ、いや別に。むしろ嬉しいかなぁ、なんて思っちゃったり......」
「え?」
「いや、何でもない、です!」
確かに芽森さんが家にいたのはびびったたけど、だけどそれ以上に内心は幸福感に包まれてる。
芽森さんが家に来た、これはもう学校中に自慢できるレベルの内容なんじゃないか。
意外にも男に免疫がないであろう芽森さんはおそらく、男子の家に上がったことがないはず。たぶん。
だとしたら俺は芽森さんの初めての男ということになる。
家に上がっただけ、それだけのことなのに、ふふ、勝った。なぜか分からないけどそんな気持が沸いてくる。
もちろんこんなこと口には出せない。
幸いにも委縮してしまい、しどろもどろな俺の声は聞き取られてはいないようだ。
だけど、当たり前に俺に会いに.....来たわけじゃない。
好きな人の変わりか、前にも思ったけど俺にそんな代役――
「ぬ... くん... 黒沼くん!!」
「はえ!?」
「さっきから下向いてぼーっとしてるけど大丈夫?」
「えっ、あ、うん」
しまった、ついトリップしていた。
芽森さんが家にいることに対してどうしても意識してしまう。
「じゃあもう一回いうね、私の――」
「ストップ! ちょ、ちょ、ちょっと待ってよ」
な、何か少し物まねみたいになってしまったけど、ニュアンスが違うのでセーフ。
「え、そのセリフ......」
「それは言わないで!」
やばい、マジかコイツと言わんばかりに芽森さんが引いてる。
下手こいた、あ、いや、これもアウトか......
ってそんな場合じゃない。
「あ、あの、さっきのセリフは頭の端っこに置いといて欲しいんだけどそ、そんなことはどうでも良くて、彼氏を演じて欲しいってことだよね?」
頷く芽森さん。
「思ったんだけど、わざわざそんなことする必要ないと思う、ほかに方法はいくらだってあるし。た、例えば、想像とか、じゃないにしても妄想とか......」
言いながら芽森さんを見ると、またしても真顔だった。これでこの表情を見るのは二度目だ。
でも何か気に障った発言をしたわけじゃない、至極真っ当な意見を述べたつもりだったんだけど。
少し固まっていると彼女はあからさまなため息を吐き出した。
「例えばだよ黒沼君、気になっている料理店があるとしてね。どうしても食べたい物があった場合は下調べする? 私はしないかな」
「え? するか、しないかで言われたら、多分すると思う」
「それならね、口コミやレビューで誰かが美味しかったぁ、と書かれていたら本当に美味しいと断言できる?」
「それは、でもそう思ってる人が多いんじゃ......」
万人が感想を述べているならそれは美味しいんじゃないか?
いや、でもどうなんだろう。確かにそう言われれば。
「うん、私もそう思う。だけどね、それと一緒で自分自身で体験してみないと分からないと思うんだよね。記事やブログに感想を書いてる人だって、直接お店に足を運んで料理を実際に食べてみたから感想を述べることが出来るわけでしょ?」
「そ、そうだね」
うっ、グイグイくるなぁ。
少し説教気味に問いただしてくる芽森さんに頷くことしか出来ない。
芽森さんの新たな一面、何日か前に学校で言っていた。自分自身....で体験したことしか参考にしないってこういうことだったのか。
いや、言いたいことは分かるんだけど理屈がおかしい気が......
「それは恋愛だって同じだと思うんだよね。自分で触れて、感じて、思って、そうやって育んでいくものだと――」
「ちょ、ちょっ待てよ!」
お、思わず出てしまった......
だけどこの場合は仕方ない、止めざるを得なかった。
芽森さんは俺が叫んだことに意表を突かれたのか、少し微動だにした。
「あ、ごめん。でもあまりにうる、長引きそうだったから」
「へ? あ、わ、私も少し語っちゃってたかな......」
視線を下に向けると同時に、少し乾いた声で笑う芽森さん。
そりゃそうだ。自分でも知らない内に話に入り込んでいたんだから、少し恥ずかしんだろ。
俺だって芽森さんがあんなにグイグイ来るなんてびっくりしたわけだし。
だけど芽森さんの思うことは分かった。
「芽森さんの言い分は分かったよ、だけどやっぱり俺は――」
「...... でも...... って、言ったら」
え?
「何でもしてあげるっていったらお願い聞いてくれる?」
「はっ?」
いやいやいやいや!
何言っちゃてるの? え、何でも?
「め、芽森さん......」
「お願い聞いてくれる」
問いただしてくるその顔は俯いて、泣いているのかどうか分からない。
だけど鼻水をすするような声はどこか悲しさが伝わってくる。
それほどに大事なことなのか......
「あ、あの、とりあえず顔上げてっ」
「お願い聞いてくれる――」
続けて同じことを言ってくる。
イエスと答えるまでループを繰り返すつもりなのか?
こうなったら力づくで......
だめだ、俺にはそんなこと出来ない。なら出来ることは一つしかない。
「分かったよ、彼氏の振りでも何でもするからとりあえず顔上げてよ」
しょうがないか。こう言わないと顔上げる気配ないんだし。
「フフ、黒沼君ならそう言ってくれると思ってたよ」
「えっ」
顔を上げた芽森さんの顔には、涙の一滴さえこぼれていない。
あれ、さっきすすり泣いていたんじゃ。
「やっぱり女の武器は涙だよね。まぁ泣いてないんだけど」
「あ、嘘泣き......」
演技上手! じゃなくて。
「な、何でもってそんなこと簡単に口にしたらダメだと思う。もし仮に僕がそれを承諾して芽森さんをお、襲ったら、どうす...... の」
何でもってことは、つまりはそういうことを連想、してしまうわけで。
「黒沼君は私を襲うの?」
「そ、そ、そんな滅相もない! そんなことこれっぽっちの欠片も......」
「なら結果オーライってことだよね」
平然とした声、口元をつり上げ微笑んでる。
だけど身体を少し震わしてるのは見てとれる。
いくら俺がチビだとはいえ苦手な男と話してるんだ、当然といえば当然か。
「それに、黒沼君がそんなことする度胸ないってことは話していて感じられたし。俺様系男子とは程遠いもんね。どっちかっていうとなよなよ系かな? なにより背が」
うっ、意外と毒を吐くんだ......
それを言われると男としての自信が打ち砕かれる。
けど芽森さんの言う通りだ、俺にはそんなことする勇気なんてない。
性格的にも無理だ。腰抜け精神は筒抜けだったのか。
まぁ、四六時中おどおどしてたら分かるか。
「あ、引き受けてくれるんだよね。それなら私も頼みを聞かないとね、何でも言って」
「え?」
「私だけじゃ不公平でしょ、そ、そんなに大したことは出来ないけど出来そうなことなら――」
男と話すのが苦手なはずなのに。
こんなに必死になってまで一生懸命になれるなんて、その人が少し羨ましい。そんな気持ちさえ芽生える。
たぶん、俺はその人には一生かなわない。所詮はただのクラスメイトで話したのだって最近だ。
だけど少しでも彼女の力になれるなら。
「じゃあ、欲しい漫画があるから買って欲しいんだ。あ、今すぐってわけじゃないけど」
返事を返すと芽森さんは優しく笑ってくれた。
とそこで、何かの音楽が鳴りだす。
「あ、着信」
どこから鳴ってるのか、それはもう決まってる。
芽森さんは服のポケットからスマホを取り出すと、誰かと話し始めた。
俺の携帯は百%鳴ることはない、家にいるからなおさらに。
「ごめん、そろそろ帰るね。要件も伝えられたし」
「え、あ、うん」
――――
階段を下り、芽森さんがリビングにいる母さんに声を掛けると、来なくていいのにわざわざ玄関まで見送にきた。
男としては家まで送っていきたいけど、それはストーカー行為に値するのでやめておく。
芽森さんが来て二時間ほどしか経っていないせいか、
扉を開けると外はまだ夕日が出ていて明るい。
これなら帰る分には支障はないので安心だ。
「芽森さん、今日は助かったわ、これからも有真と仲良くしてやってね」
そんなこと言わないでいいんだよ、恥ずかしい......
「はい。いえ、本当に大したことはしてませんから、じゃあ黒沼君またね...」
「あ、うん」
まぁ今さらだけど乃なんだけどね。
静かに扉が閉められた途端、気持ちが現実に戻っていく。
数秒前まで芽森さんがここにいたということが嘘のようだ。
確かにいたのはいたけど、と思考を重ねる俺に母親が茶化してくるが適当にあしらう。
未だ信じられない思いで二階に戻ると、俺の部屋は少し甘い香りがしたような気がした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます