第二話 噂の彼女

 

 結局、いつまでもプリントと格闘していてもしょうがないので後で職員室に行って恥じを忍んで先生に聞いてみるという結論にいたった。


宿題をどうするかの問題が解決した俺はプリントを鞄にしまい机にうずくまる。

寝てはいないので教室内で喋ってる人達の声や音は嫌でも耳に入ってくる。高校に入ってもやることは変わらない、初めから分かっていたことだ。

それでも昔は休み時間がこんなに長いとは感じなかった、今は少しでも早くチャイムが鳴りこの時間が過ぎてくれと思わずにはいられない。そう考えている間に扉を開く音が目立って耳に入ってくる。

やっとか。


 次の授業は男女別々なので女子達は着替えるために他の教室へ移動する。

手短に会話を終わらすと順に次々と教室から出ていき出す。

俺はそれを見計みはからい顔を上げる。


ああ、今週も来てしまった...... とうとうこの時間が。


 女子が全員教室から出たのを確認し、男子は次々と体操服に着替え始める。

 俺もそれに習い着替える準備をする。二時間目が終わった、それはつまり時間が近づいてきているということ、水曜日にある一番嫌いな授業。 

また苦痛の時間が始まるのか、そう思うと少し気分が悪くな――



「俺さぁ、告ろうか悩んでんだけどさぁ」


 少し静かになった教室で男子の一人が発した声によって俺の思想がかき消された。そして後ろから聞こえてくる男子達の会話に引き寄せられるように耳を立てる。


「はぁ? 告る? 誰にだよ」


「もちろん芽森に決まってっだろ」


「いや、決まってねぇし、っかマジかよ」


「ああ、可愛い過ぎくね? 入学した時から狙ってたんだよ! おまけにクラスも一緒だしよ!」


「まぁ確かに可愛いけどよ、つか少し落ち着けよ」


 そいつは興奮しているのか、息づかいが少し荒い、もう片方の男子はさほど驚いていないようだ。興奮が冷めやらないのも無理はない、彼女が、芽森さんが相手なら......

俺は男子達の会話を聞いているのもあってか一人の女生徒の姿を頭の中に浮かばせる。


 この学校に入学して僅わずか三週間しか経っていないのに関わらず男子達の注目を集めている。 


 芽森文音めもりあやね


綺麗な響きで人の名前をなかなか覚えられない俺でも印象に残ってる。

それになんといっても、クラスの自己紹介で初めて彼女を目にした時あまりの可愛いさに驚愕きょうがくしたことは記憶に新しい。

色白の肌で整った顔立ち、二重で宝石が埋め込まれているかのような瞳、癖のない艶やかな長い黒髪。誰が見たって可愛いと連呼するだろう。



――もう誰かと付き合ってるんじゃねぇの。


 俺が思想を終えるとまだ男子達の会話は続いていたらしく自然と耳に入ってきた。


「次々と告白を断わってるらしいぜ」


「そんなのわかんねぇだろ、まぁ確かに...... けどよ、それに付き合ってる奴がいたとしてもだ、長続きするとは限らねぇって」


 男子の一人が告げた言葉に一度は落胆の声を漏らすが、まだ諦めてはいないようだ。


「だよな、まだ望みを捨てるのは早いよな、希望を捨てちゃあいかんよって安豆腐先生も言ってたし」


「ああ、マジ付き合いてぇよなぁ...... 学校帰りの放課後デートしてそんでもって、あんなことやそんなことや......」


「ははキメェ、まぁお前じゃあぜってー無理だろ」


「いや、誰かつっこめよ!」



 女子、もとい芽森文音がいないのをいいことに意気揚々いきようようと恋話に花を咲かせるクラスの男子達。

いや、むしろ欲話よくばなと言う方が正しいかもしれない。恋話はしたことないので分からないけど、よく読む少女漫画の女の子達がするような乙女チックな中身ではなく、聞いてる限り男子の願望と欲望が詰まってる。


 その気持ちは同じ男である俺も分からないでもないけど、当の本人が聞いたら怒るに違いない...... 

それにもし彼女に付き合ってる人がいないとしても付き合うのは無理だろう。どう見たって釣り合わない、それは俺自身も含めて。


美女と野獣、なんて言葉があるが所詮はれ言だ。

人間というのは誰であれ美しいものに惹かれる。

つまりはそういうこと、テレビの中ではそういった組み合わせの男女を見たことがあるが実際では見かけたことがない。だから期待するだけ無駄なことだと思う。

我ながらひねくれてると思うけど事実だ。 


 男子達が会話してる最中、着替え終えた俺は一足先に教室を出た。




――――



 この時間はいつも億劫おっくうな気持ちになる......


  今はまだ休み時間だけど次の授業は体育なので教室に残る人は少なく、ほとんどの生徒が校内の西側にあるグラウンドに移動している。

グラウンドは中学とさほど変わらないせいか広さは感じられない。

俺は片隅で一人佇たたずみながらグラウンドにいる人達に目を向ける。


友達と会話している者、サッカー、キャッチボールをしている者、声を掛け合い冗談まじりにどついたりと皆それぞれ楽しそうだ。それに比べて......


 俺はいまだにクラスに馴染めずにいる。喋ることが苦手で話しかけられてもどう返せばいいのか分からない。コミュニケーション能力が低いせいで。

だから授業が始まるまで片隅で時間が過ぎるのを待つだけ、教室に残っていてもそれはそれで辛いだけだ。

それにしても。皆がはしゃいでる中に一人突っ立ているだけっていうのは、がある......


その場にいるのが嫌だった俺はグラウンドから少し離れた位置にある体育館に向かった。そして歩いて数分の距離で雑草が少し生えているだけの体育館に着いた。



いつも俺は何してるんだろう、こんな場所で一人で、かといってグラウンドにいるのも気が――


「っと、来て...... れ...... は二年......」


 さらに半歩進み裏側へと回りこもうとしたとたん、話し声がした。

誰かいる!? 俺はビクッとし、寸前のところで足を止める。

危なかった...... もう少しで足を踏み入れるところだった。先客がいたのか、それもそうか、いつも人がいないとは限らないか体育館だし。


 先客がいた為、俺はきびつを返し裏側へ行くことを諦め仕方なくその場に腰を下ろす。

 いつものベストポジションには座れなかったのは残念でならない。

体育館裏、俺はこの時間いつもここで身を潜めて授業が始まるのをまっている。

グラウンドに一人でいる姿を見られるなんて耐えられない、誰も気にも留めてはいないだろうけど、

教室には自分の机という安堵できる場所があるがグラウンド内にそんなものはない。

 その点、誰もいない体育館裏は俺にとってのもう一つの机みたいなものでチャイムがなるまで本を読むなりして悠々ゆうゆうと過ごせるから助かる。

俺は風を受けて冷たくなった壁に背を任せ目をつむる、ここに座ってると安心でき......


「あの!」


...... っ!


突然大きめの声が聞こえ驚き、壁から背を離す。


裏から? 声からは判断出来ないがさっき聞こえた声の持ち主に違いない。

俺の身体は自然と声がした方へいく。

俺が行こうとした裏側、壁の反対側にバレないようにそっと顔を覗かせる。


 あれは......


 覗いた先には、さっき話題にされていた芽森文音その本人がいた。

そしてもう一人、少し離れた距離で男子生徒が彼女と面と向き合っている。芽森文音、教室では見るけどまさか今こんなところで。


「俺と付き合ってくれないかな」


 彼女の正面にいる短髪で少し爽やかそうな男子生徒が少し声を張り上げて告げた言葉に俺は「え?」と驚く。

一般的に見てもかっこいいと言われる分類だろう。

 並々ならぬ雰囲気だと思っていたけどまさか告白現場に遭遇するなんて、こんなことは生まれて一度も見たことがない。だけど人の告白を覗き見しちゃあ悪いよな、と思いつつも二人の会話に耳を傾ける。なぜか目を離せられない、こんな光景は初めてで......


「ごめんなさい」


 次の瞬間、芽森さんは目を伏せ申し訳なさそうな表情で頭を下げる。それを見た男子生徒はショックを受けたようで、ここからだと停止しているように見える。


ごめんなさい。


告白をされた、した経験がない俺には分からないけどきっとその一言は、言葉に言い表せられないくらいの衝撃なんだろうな。単にぶつかって謝られるのとでは訳が違う。


「えっ、なんで? 芽森さんは今誰かと付き合ってるの?」


 男子生徒は彼女の返答を受け入れられなかったのか、芽森さんに質問を投げかける。

当然の返しだ。断られたっていうことはもう他に付き合っている男がいるということになる。いない場合もあるけど、


「えっと、誰とも付き合っていない...... ですけど」


 言うや否いなや芽森さんが誰とも付き合っていないと知ると彼はほっとしたのか、安堵した表情に変わったように見えた。まるで海中に沈められていた船が救い上げられ、水面から顔を出したみたく。分かりやすい人だ。

だけど意外だ、誰とも付き合っていないのか。

彼女ほど可愛いければ彼氏の一人や二人いそうなのに。いや、見た目で決めつけるのは良くないか。


「ほんと! じゃあさ、一度俺と付き――――」


「ごめんなさい――」


 先ほどとは違い今度は表情に余裕が見えて伺うかがえる男子生徒は再び告白の言葉を言おうとしたが、芽森さんはきっぱりと断わりの返事を返した。

二度目のごめんなさい、その威力は計りしれないだろうな。

その男は今度こそ諦めたのか芽森さんに何も問いたださず間を置き、『そっか』と儚はかなげなさそうに告げんばかりに彼女に背を向けた。


...... こっちにくる。



 その男子は俺がいる方向へ歩いてきた。

バレると思った俺はすぐさま顔を引っ込め、焦りながら隠れる場所を探したが周りには雑草だけが生えてるだけで、隠れられる場所なんかない。なら平穏をよそおって寝た振りでもするか......

 

 そう考えたのもつかの間。心配は杞憂きゆうだったようで、男子生徒が角を曲がってきたのが目に入ってきたが俺には目もくれず横を通り過ぎていった。

知らない間に発動していたのか俺のミ〇ディ...... この思考は痛いな、存在感が薄いならあるいは、その俺自身が薄いんだけど。

 俺に気づかなかったってのはよほどショックだったんだな、自身があったように思えたし、なおさらか。でももし気性が荒かったらどうなっていたことか、想像したくないな。


 ふぅ、それにしても。

俺は再び座り込み壁に背を預ける。

ドラマなどで見る告白よりもよっぽどリアルで見ていたこっちまで冷や汗をかいてしまう。胸を手で押さえるとまだ脈打ってる、あの臨場感りんじょうかんはそうそうに味わえるものじゃない。

 しかしよく告白なんか出来ると思う、俺が髪を切りに月に何回か行ってる美容院に行くよりも遥かにいると思う。それとこれではまた別か。


 けどこれだけは分かる。ああやって彼女を呼びだす男子達に対しただ眺めることしか出来ないクラスの男連中に芽森さんは落とせないだろう。

当然ながらその男連中の中に自分自身も含まれてる、俺もその眺めるだけしか出来ない一人だから。


 と、のんきに座り込んでる場合じゃない、ここから移動しないと彼女もこっち方向に歩いてくるかもしれない。それにそろそろ次の授業が始まる時間だ。

俺はチャイムが鳴る頃合いを見越し、グラウンドに戻るため重い腰をゆっくりと上げた。

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