旧態依然の既存物語

蚊帳ノ外心子

1話―お約束―

 夜が更けるビルの街並み。煌めく車のランプにオフィスの灯り。繁華街は酔いが回った会社員が千鳥足で梯子し、商店街は店仕舞いの準備をし出していた。


 そんな薄闇の中、ビルの屋上を二人の男が驚異的な脚力で屋上から屋上へと飛び回り、追いかけ合っていた。



「こらぁ! 待てい!」



 追いかけている男は子供だろう。年齢に似合わず、訛りが酷い。長袖に長ズボンで手には木刀を持って、逃げている大人の男を追いかけ回している。


 子供に追いかけられている男は息も絶え絶えながら必死の形相で追いつかれまいと逃げているがその距離は縮められる一方。


 一瞬、大人の男が後ろを振り向いた時だった。丁度ビルの屋上から飛び出して次の屋上に移る時、振り向いた先の少年はニマァと笑っていた。そして眼下を見て気付く。


 そこにはビルの屋上は無く、屋根瓦が一面敷かれた平屋の建物。足を着けるにも相当の落下が必要であり、その間は無防備と言って構わない。



「取ったぁ!!」



 少年は落下する大人の頭上から渾身の一撃で振りかぶり、大人は本能で目を瞑って腕を顔に持ってくるので精一杯だった。

 大人の脳天に木刀がクリーンヒット。そして落下の勢いで屋根に衝突し、瓦を全身に浴びた。すると相当の力が入ったのだろう、衝撃で屋根が抜け落ちた。



「あ――」



 瓦礫と化した元屋根と共に平屋の屋内に侵入。悲鳴と衝撃音と粉ホコリが舞い上がり、一面の大惨事を広げた。



「ちぇ……やり過ぎた。死んでないよな……? 生きとるわ」



 逃走してた男の生存を確認。意識を失っているだけだった。そこで今置かれている現状に目が行った。

 床はタイル張り、湿度が異様に高い。空間がやけに広いのが分かり、静まり返った部屋には水の音が木霊した。



「ちょっと……何してるの……」



 怒り気味の震え声、しかも女性の声だ。反射的に振り向いてしまったのが一番まずかった。

 たわわに実った果実が二つ。腕で隠して頬を赤らめた赤毛の美女は眼だけは殺意に、いや殺すと書いてあった。


 ――これはヤバイ


 山で熊に会った時の対処法よろしく、ジッと見つめたまま少年は気絶している男の胸倉を掴んだ。


 最初に動いたのは美女、炎のとぐろを自身の周りに巡らせ、湿気があっという間に無くなる高温を生成せしめるとそれを津波の如く少年と気絶中の男に浴びせたが、それは大量の蒸気に変わり女湯が一面の濃霧となった。



「ひぃ!」



 女湯から飛び出た少年と胸倉を掴まれて引き回されている男は騒動を聞きつけた野次の合間を強引に突破して銭湯から逃げ出し、夜の街中に消えていった。






「強盗は逮捕。その代償に銭湯の屋根と女湯が崩壊。どこのラッキースケベよ。それとも狙った?」


 新聞をざっと見したボサボサ頭の白衣の女性は椅子に深く背中を預けて、ため息まじりに笑った。


「いや……まさかコンビニ強盗捕まえるのがここまでになるとは……」


 黒の学生服に身を包んだ少年、昨晩の追いかけっこは屋根から大々的に侵入した変質者として報道され、一つの盛り上がりを見せていた。


「さすが能力値がゼロなだけはあるわ」


 嫌味の篭った言葉と目つきに少年はただ俯くしかなかった。


「ま、初めての場所だ。力加減を間違えたんでしょ。でも今後物損はやめてね」


「はい………」


 肩をポンと叩いて職員室を後にする女性は振り返って言った。


「授業始まるよ。転校生は初見が大事よ」


 少年は鼻から深いため息を吐くと女性教師の後に続いた。





「もう私銭湯なんかには行かないわ」


「まあまあ、私達もあんなこと初めてだったから」


 教室の一角、赤毛の美女を中心に女子生徒がそのツインテールの美女を宥めていた。


「今度会ったらただじゃおかないわ。消し炭にしてやる!」


 相当ご立腹のようで女子生徒の話は耳に入ってないようだ。


「はーい、授業始めるよー。座ってー」


 チャイムが鳴るのと同時に教室に入ったボサボサ頭の女性教師は教卓に書類を置くと一拍間を置いた。


「今日は転校生来てるから紹介するね。入ってー」


 教師に促されて入ってきたのは短い黒髪に丸眼鏡。冴えない顔立ちも相まって時代を間違えたのではなかろうかと問いたくなるほどに古風が似合いすぎた男子生徒。

 しかし入って一瞥、赤毛の美女は驚愕を隠せず、男子生徒は青ざめた。


「あぁー!!昨日の変態!!」


 立ち上がって叫んだ美女に他の生徒も騒ぎ出した。


「はーい、静かにしてねー。じゃないと鉄拳食らわせるよー」


「よくもあんた……堂々と来れたわね……いい度胸だわ。それだけは褒めてあげる」


「静かにー」


「丁度あなたを消し炭にしようと思ってた所なの。だから大人しく焼かれなさい。それとも命乞いでもする? 対応次第では――」


「静かに!!」


 擬音があればゴツンという文字が出ただろう。

 気が付いた時には美女の隣に教師が立って勢い良く拳を振り下ろしていた。金属バットで殴ったような鈍い音が美女の頭頂部から響き、崩れ落ちる様に頭を押さえて悶絶する姿は先程の威勢を欠片も感じない。


「ヴィオラの奴また食らってるな」


 男子から笑いをもらい、顔を真っ赤にする美女――ヴィオラ――は悶絶をしながらも頭が沸騰するほどには怒っている。


「はいはい。トトセ、名前書いて」


 静観を貫いていた少年はチョークを掴むと黒板に自身の名前を書いた。


十年ととせ一日かずひです。よろしくお願いします」


「ととせかずひ………覚えたわ。覚悟しなさい………」


 起き上がったヴィオラは幸薄い笑い声を上げたが、さすがに教室内の全員が顔を引きつらせていた。


「じゃ、座る場所だけどさっき殴った子の後ろね」


「はぁ!? 聞いてないわよ!」


「生徒に言う義務はある?」


 教師の一言に言い返す材料が無くなったヴィオラは納得行かないもののカズヒが自分の横を通るまで視線を合わせ続け、死線を送り続けた。




 昼休み、生徒にとっては一番の自由時間であり、張り詰めた糸がある程度緩む時間でもある。しかし彼女はそうはさせなかった。

 カズヒが学校指定のバッグから弁当を取り出していた時だった。前の席の彼女――ヴィオラ――はいきなり立ち上がってカズヒの方に振り返り机を叩きつけて言い放った。


「決闘しなさい! さもなくば今ここで消し炭にするわ!」


 いきなり口頭での果たし状と可否を問わない脅迫。カズヒはあまりの勢いに何も言えなかった。


「あら、私が学園能力値トップってこと知ってたのかしら? もう怯えてる? それともあんたが能力値ゼロの旧人類ってこと、知らないとでも思った?」


 カズヒの眉がピクッと動いた。


「『旧人類』って言葉使うなよ」


「能力の無い人間を旧人類って呼んで何が悪――」


「ええ加減にせい。これ以上差別用語連呼すんならキレるぞ」


 カズヒが大声を上げてヴィオラに反抗する様を当のヴィオラ本人は驚くことも更に憤慨することもなく、ただ見下した眼でニヤリと笑った。


 授業中に下ばかりを見て何やらコソコソとやっていたのはカズヒの素性を調べるため。

 差別用語である能力値の無い者、または能力を得ることが叶わなかった者への『旧人類』という言葉。一般人でさえタブー視され、使う者などそうそういない。

 それらを平然とやってのける辺り、身分が高いのか、外国人の価値観なのかは憶測でしかないが、カズヒ自身が憤慨したのは確かだ。


「じゃあ決闘は受けてくれるわね? 昼休みが終わる前には決着が着くし、今からでも問題ないでしょ?」


「てめぇが負けたらその差別用語今後一切口に出すな。ええな?」


「それだけ? 欲が無いわね。フィアンマ家の長女を奴隷にしてもいいのよ?」


 フィアンマ家というのは初耳だったがご身分だけは高いらしい。

 カズヒにとってはとにかくこの傲慢女を黙らせることが出来れば満足だった。

 立ち上がったカズヒにヴィオラは自分の要求を言い放って先に歩きだした。


「私が勝ったら、あなたは奴隷になってもらうわ。それと私が受けた屈辱はそのまま返してもらう。目には目をってね。フフッ」


 不敵な笑みをこぼして教室を後にするヴィオラ。それを廊下で見ていた教師に女子生徒が詰め寄った。


「あの、止めなくて大丈夫なんですか? ヴィオラさんは空理学園で能力値トップなんですよね? それに全国大会の優勝候補で――」


「例え、能力値トップでも、優勝候補でも、それは数字の話で仮でしょ? それにあの子なら大丈夫よ。」


 教師は期待を抑えられないのか口元が緩んでいた。


「面白くなりそうだねぇ」


「喧嘩は止めるべきでは………」


 女子生徒の正論に教師は耳を傾けず、その姿に生徒は苦笑いをするしかなかった。




「ここならどれだけ暴れても問題ないわね」


 学校のグラウンド、百メートル四方の砂場に誘われたカズヒであったがそれは分かりきっていた。

 ヴィオラが銭湯で出力した能力は火。しかも湿度が高く、密閉した空間でも大出力と変幻自在を繰り出せたのはなるほど、能力値に偽りはない。

 ともすればこのグラウンドとという無限とも取れる空間で晴れ晴れとした晴天の元なら威力は最大まで出せるだろう。


 自分のホームに誘ったつもりだろうが、そうは問屋が卸さない。


「で? 能力値の無い旧人類さんはどう闘うのかしら?」


 煽りに煽りを重ねるヴィオラだが、カズヒは沈黙をもって片手間に持っている白鞘の太刀を左手で腰に当てた。


「フッ、やっぱり外見が古臭いと中身も古臭いのね。決闘は受け手が武器を決めるもの。私も剣術は嗜んでいるの。でも日本刀は無いからこれで我慢して」


 ヴィオラの右手に炎が生成され、それは見る間に両刃の剣の形となった。


「炎で形を作るか。あたしも初めて見たね。さすが優勝候補」


「本当に止める気はないんですね………」


 グラウンドに集まった野次の中で女性教師が真剣に考察する傍ら、そのまま付いてきた女子生徒は喧嘩を止めない教師に瞳を暗くして呆れていた。


「速攻で終わらせるわ!!」


 最初に動いたヴィオラはその場で剣を振るうと切っ先をカズヒの横腹まで瞬時に伸ばした。

 瞳を大きくさせて驚きを隠せなかったカズヒだったが、鞘から刃を半分抜刀した状態ながら炎の剣をなんとか防いだ。


「伸ばそうが形を変えようが剣ならフェアよね?」


「いやらしいな」


 ヴィオラの暴論に愚痴と舌打ちを一つこぼして、炎の剣を防ぎつつそのままカズヒは間合いを詰め、鞘を投げ捨ててヴィオラに斬りかかる体勢を整えた。

 しかしヴィオラがそうはさせなかった。長大な剣状の炎を消火すると手を前に出した。


 斬りかかろうとしていたカズヒは心中で「ヤバッ」と叫ぶのと同時に足を引くとその一蹴りで数メートルもの間合いを空けた。

 数コンマ秒でも判断がずれていたら串刺しだった。カズヒが間合いを空けるとそこに何十もの炎で形作った針が出現。


「おめぇ! 俺を殺す気か!?」


 さすがにこの戦術にはカズヒも肝を冷やした。デタラメにも程がある生成と形成の早さ。炎であるが故に距離を無視した攻撃。


 ――どこに剣術要素あるんだよ………


 その思いは教師も同じだった。しかしそれを予想外としながら全て躱しきるカズヒも互角であると確信していた。


「あれ……本当に殺しかねないんですけど、いいんですか?」


「いいねぇ……面白くなってきた」


 教師のその一言に女子生徒は「あぁ……」とこぼして諦めが付いた。


「殺しはしないわ。だけど死ぬ一歩手前までは痛めつけるから!」


 何十と形成した炎の針をカズヒ目掛けて殺すつもりで投げたヴィオラだったが、カズヒは退くどころか向かってくる針を躱し、弾き、足を止めることなくヴィオラに猪突猛進の勢いで迫った。


 するとヴィオラはカズヒの持っている刀の異変に気付いた。刃がなぜか波打っているように見えた。いや、表面に何か液体が付着している。

 炎の剣で防ぐつもりだったが、針で攻撃する前からカズヒが何か自分の思っている人物では無いと直感が告げていた。


 考えるよりも手が動いた。剣で防ぐ構えから右手を前に出して手が触れる程に肉薄したカズヒの目の前に大量の炎を出力。

 ロケットエンジンを凌駕する圧倒的火力であったが出力と同時にヴィオラの目の前が真っ暗になってしまった。


「え!? 何!?」


 野次から歓声が飛んだ。ヴィオラが出力した大火は突如として出現した土の壁に阻まれ、しかも土は形状を変えてヴィオラごと手で包み込む様に周りから閉ざして行った。


「なんであんたが土の能力使えるのよ!!」


 咄嗟に目の前の土壁に両手の指を押し込むと土壁から焦げ臭い煙が舞った瞬間には内部から圧力を掛けられたのか、爆発して四散した。


「どこ? とでも言うと思った?」


 土壁の先にカズヒはいなかった。戸惑うフリを楽しむヴィオラに背後から剣撃が迫りくると振り向き様に炎を生成。剣として形成して刃と交えたつもりだった。


「しまっ」


 刃が交えた瞬間、ヴィオラの炎の剣は劈くほどの音と蒸気を出してカズヒの刃の侵入を許した。


「取ったぁ!!」


 全ての人がそう思った。決着が付いたと。しかし次に見たのはカズヒが大きく仰け反り、吹き飛ばされた姿だった。


「痛ってぇ………衝撃波か」


「あなた、何者なのよ」


 形状維持を放棄し、蒸気と成り果てた剣だった物が風になびいてヴィオラを撫でるのを見届け、自身も腹部に受けた衝撃から小休止を余儀なくされる中、ヴィオラの問いにカズヒは鼻で笑った。


「能力値はゼロだ。だけんど、能力が無いって誰が言った?」



「どういう……?」


「十年一日は現在の能力値測定では全項目においてオーバー過ぎる力を出したのよ。その結果が測定不能。だから能力値はゼロにするしかない。ま、嫉妬が多分に入ってるけどね。あ、この事内緒だから口外禁止ね」


 女子生徒以下ほとんどの生徒が疑問に思ったことを教師は簡単に明かした。

 それを聞いた女子生徒は前に向き直り背筋から異様な感覚が這いずり、自分が体の芯から恐怖していることに気付いた。


「そういうこと? じゃあ旧人類呼ばわりしたのは謝るわ。でも! 私を屈辱させた事、帳消しになったわけじゃなんだからね!」


 ヴィオラが言い終わるとカズヒの足元から炎が上がり、瞬く間にそれは旋風となって包み込んだ。


「全力で行かせてもらうわ。さあ、出てこれるものなら――あっ!」


 気付いて頭上を仰ぎ、咄嗟に衝撃波を出力せしめるも跳ね返る感覚を感じ、次の一手に講じる間もなく自分の出力した衝撃波ではない何か圧力を感じて地面に叩きつけられた。

 全身の圧迫から脱出しようと瞑っていた目を開けるとそこには片手間に太刀を持った人が振りかぶり、そしてヴィオラの首目掛けて切っ先が地面を這って迫ってくるのが分かった。




 いつの間にかヴィオラは目から雫が一つ垂れていた。

 太刀の切っ先はすんでで止められ、太刀の所有者は無表情にヴィオラを見ていた。


「俺の勝ちな」


 太刀を地面から抜き出し、地面に伏しているヴィオラを跨いで何事もなかったかの様に鞘が落ちた所に向かって行った。


 歓声も上げず、ただ唖然として決着の瞬間が理解出来ない生徒達は一時の間を置いて純粋な恐怖が込上がるのを覚えて、その場に留まることさえ嫌悪するかの様に各々何も言えずに立ち去って行った。


「はぁ……まーたやっちまったよ」


 鞘を拾って大きなため息を一つ。カズヒはトボトボとグラウンドを後にした。

 カズヒが立ち去り、野次の数も減っていく中、ヴィオラは一向に動くことはなかった。

 それを見ていた教師は不安に思ったのか、ヴィオラに近付いた。


「大丈夫? 保健室行く?」


「私………殺されたわ………」


 頭を掻いて言葉の意味が理解出来なかった教師がしゃがみ込むと今度はヴィオラがムクっと起き上がった。


「でもそれ以上にドキドキした。ワクワクしたわ………フフッ」


 薄気味悪さを醸し出した笑みに教師はまた頭を掻いて立ち上がった。


「昼休み、終わっちゃうよ」


 呆れた表情を浮かべてグラウンドを後にする教師にヴィオラも立ち上がり、砂を払うと後に続いた。


 ――十年一日、今までで最高の相手だわ

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