淋漓堂

第1話

「なんで俺、こんなもの欲しかったんだろう」

 宅配便で届いた荷物を解いて部屋に置いたとき、英二はひどく後悔した。

 狭いワンルームマンションの一室。その窓際の壁に立て掛けられた一枚の鏡。前に立てば全身がほぼ入るほどの細長い姿見。その枠は、錆びた銅のようなアンティークな風合いを醸し出していた。男の一人暮らしの部屋には、どう見ても不釣合いな家具だ。

「あの店の前を通ったとき、どうしても欲しくなっちゃったんだよな」




 数日前、英二はいつも駅まで自転車で出るのだが、その日はタイヤがパンクしていた。仕方なく駅まで歩いて行き、仕事を終えてまた駅から歩いて帰っていたときのことだった。

 普段は素通りしていた町並みも、のんびりと歩いてみるといろんな店があることに気付く。花屋に本屋、金物屋まである。特に買いたい物があるわけでもなく、その通りを眺めながらぶらぶら歩いていた。そんなとき、英二の目にふと留まったのが、骨董屋の店先に置いてあった鏡だった。

「これ――いいな……」

「兄ちゃん、それ気に入ったかい?」

 後ろから声をかけられ、英二は振り向いた。そこにはコンビニの袋を手に提げた老人が、白いひげを撫で付けながら立っていた。

「安くしとくよ」

「おじさんの店?」

「ああ、ちょっと買い物行って留守にしてたけど、取られるものないしな」

 その老人は鍵のかかっていない引き戸を開け、中へと入っていった。英二も続いて中へと進んだ。ところ狭しと並べられた商品は、ガラクタと呼んだほうがピッタリかもしれない。たしかに取る人もいないだろう思わせるものばかりだった。

「あの鏡、売り物?」

「ああ、正真正銘売りもんだよ。買うかい?」

「んー、なんか気になるんだけど……。とりあえず、いくら?」

「えっと……今回はいくらだっけな。ちょっと待ってくれよ」

 老店主は奥へと引っ込み、すぐに戻ってきた。

「399円だ」

「えっ? そんなもん?」

 英二はあまりの安さに驚いた。

「送料は別だがな」

 そう言われて、少しだけ考えて「持って帰っていいなら、抱えて帰るけど」と言ってみたが、老店主は首を横に振った。

「いや、これは宅配と決まってるんだ。悪いが買うなら住所と名前をこれに書いてくれ」

 そう言いながら、一枚の紙を差し出した。英二はなんとなく不審に思ったが、もともと店自体が変わっているのだし――それにどうしてもあの鏡が気になるため、その紙に言われたとおりに記入した。そして、鏡の代金と送料を払い、店を後にした。

「毎度どうも……兄ちゃん選ばれちまって気の毒になぁ……」

 出て行く背に向かって呟いた老人の声は、英二の耳には届かなかった。




 英二は鏡の前に立ち、全身を写してみた。

「うーん……本当になんで買っちゃったんだろうな」

 首を傾げながら見ているうちに、自分の背後に写っているものにふと違和感を覚えた。

「ん?」

 振り返り見ると、特におかしい箇所もなくいつもの部屋だ。

 再び鏡を見つめる。反転して写っている室内。あるものはあり、ないものは写らない。それなのに……。

「なんだろうな、なんか――」

 英二は釈然としないまま、鏡の前から離れた。

「この違和感は……なんなんだ……」

 現実の風景とどこか違う気がする。しかし何度も振り返り見比べるが、どこが違うのかさっぱり分からない。

「なんか……気味が悪いな。鏡は夜見るもんじゃないな」

 英二は近くにあったタオルケットを鏡にかけて、見えないようにした。

「うん、これでよし」

 やっと落ち着いて、布団に入り眠った。その夜は初夏にしては蒸し暑く、やけに寝苦しかった。



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