罪深く、強く。

雛咲 望月

第1話 逃亡

 息切れが激しい。目が眩む。自分の吐息する声しか、聞く余地はない──

 鬱蒼とした緑が、自分の肌を切る。鮮血が飛び散る。痛みが脳裏を掠める。それでも、彼女は走り続けた。いつも微笑んで自分を見下ろす、森の木々たちが、自分を追いかける男たちのようにしか見えない。


 恐怖だった。それは、本能が察知する悪寒だったのだろう。後ろから聞こえてくる別の吐息たちを、認めない訳にはいかないのだ。これは現実である。皮肉にも、現実は決して悪夢ではないのだ。


 起こり得る事こそが、実体となり得る。

 我が身の危険と共に。

 僅かな時間と共に、迫ってきている。


 突然、彼女の視界が暗転した。衝撃。思わず、舌を出す。土の味がする。いつの間にか、根に足を取られてしまったらしい。

 そんな事を、ぼんやりと考える。とうの昔に酸素が欠乏した脳では、現実を虚ろに受け入れる事くらいしかできなかった。終わったのだ。全てが。

 真後ろから、同じように息切れが二、三ほど聞こえてくる。ただその吐息には、微妙に悦楽が混じっているように思えた。「手こずらせたな」、という男の声が、やけに頭に響いてくる。そして前触れもなく、彼女の服に一人の男が手をかける。絹の裂ける音。白い肌が露出する。下卑た笑いを浮かべる男たち。


──逃げたい。


 彼女は祈った。果てしなく、神でもない、何かに必死に祈りを捧げた。


──逃げたい。逃げさせて。厭厭厭厭


 スカートが千切れ、布が彼女の髪に絡み付く。


──厭。助けて。もうこんな所、いたくない──


 その瞬間。

 男たちは、一斉にこちらへのし掛かった。

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