優「決まってねぇよ」

 十五時を過ぎた頃、俺は勇の部屋にあるアニメを全話見終えた所だった。そのままリビングのソファーにぐったりともたれかかってぼーっとしているのは他でもなく、「これから勇との間に生じた不和をどう解いていこうか」という事だった。


 ちょっと不遜な態度な発言に聞こえるかもしれないが、口を滑らして出てしまった失言ならば謝って済む話なのだ。発言を取り消す事はもう過去の事なので出来ないにしても、撤回の意思を表明して心からの謝罪を口にすれば丸く収まる。そういった行動を意地や羞恥心が邪魔しているだけではない。


 言葉は悪いが、謝って済むならば幾らでも謝る。

 しかし――。


 今回、俺はアニメという作品に対して抱いている感覚――即ち、勇の趣味への嫌悪が本人に対して露呈するという結果。そちらの方に頭を抱えているのだ。勇の友達であり、俺が片思いをしていた只野と他数名に対して「あんな奴ら」と言った事に関して詫びたい気持ちだけで終わる「不和」ではないのだ。


 相容れない――そんな事実が明確になったのなら、今度勇と会う時には何らかの言葉を携えていかなければならない。


 アニメを視聴している間、愛衣ちゃんはずっと俺の隣にいて一緒にテレビの画面へと視線を注ぎながら俺の価値観のようなものを聞いてくれた。それを聞いて、「もし、それをおねーちゃんが知ったら、もうそれ以上進めなくなるかも知れない」と言ったので、俺は返答した。


 きっと勇はそれを知ろうとするし、今日……皮肉にも知る機会がある。


 そう語ると、そこは情報にある程度通じている愛衣ちゃんだからか、「確かにそうですね。そして、おねーちゃんはきっと知ろうとします」と同意して、寂しそうな表情を浮かべた。


 そんな彼女はアニメの視聴を終えると、「そろそろ学校が終わる時間なので家に帰ります。学校に居るべき時間は外で消化しないと家族に怒られちゃいますけど、学校が終わってから帰宅する時間も平常どおりでないと不自然ですから」と言って帰宅した。


 でも俺は何となく、愛衣ちゃんが勇の所に行ったんじゃないかと思っている。


 あの子は――そういう子だと思うから。


 ……さて、俺はどうしようか?


 そんなセリフを何度、脳内で浮かべて思考の皮切りとしただろうか。そのまま愛衣ちゃんが予言した勇の思考停止、それは俺にも訪れて皮肉にも身動きが取れない状態にあったのだ。アニメを視聴して得た感想は結局、俺の価値観を大きく変える作用は持っていなくて。いい意味でも悪い意味でも、人間は簡単には変わらないのだと悟った。


 そう、体が例え入れ替わっても、本質は変わらない。


 だけど、変わらなくても人間の思考は柔軟で多様性に富んでいる。自分の本質は変わらなくても、その姿勢だとか傾き、方向くらいは変えられる。もしくは「代えられる」ようには思うのだ。


 一つの意見しか持てない生き物じゃないから、俺の胸中はもやもやとして数多ある動向から選べずにこうして、家の中で留まっている。


「あー、もう。こんなにウジウジしてんのもガラじゃねーし。つっても、どうしたらいいのか分かんねーし」


 リビングで一人、脳内で処理しきれなかった混乱を口に出してしまう俺。


 悩むにも随分と飽きてきた。そんな思考を合図に俺はもたれていたソファーから跳ね起きて、気分転換がてらに外へと出かける決心をする。


 無論、行き先は決めていない。しかし、じっとしていると余計な事を考えたり、思考が良からぬ方向に脱線しそうな気がしたため、環境的に閉鎖的な屋内を脱しようと考えたのだ。自宅であるマンションを出て住宅街を少し歩き連ねると商店街へと接続される。昼下がり、買い物に勤しむ主婦層がすれ違い、闊歩する商店街を抜けて無意識にも足はあの噴水のある公園へと向けられていた。


 どこか遊べる施設で気分転換、というテンションでは勿論なく、しかしどうしても屋外に出なければ精神的に沈んでしまうような気がした俺にとって、噴水の小気味よい流水の調べだけが鼓膜を震わすあの公園は、考え事をするにも、そして逆に払拭するにも最適だと思ったのだ。


 公園内、ベンチに腰掛けてぼーっと景色を眺める。


 かさかさと揺れる木々の音や、鳥の囀り。こういった境遇におかれると自然が奏でる音色を際立って拾ってしまうのは何故だろうか。無意識にはなれず、常に悩み事が放心を許さないからもたらされる微細な情報全てを捕まえて過敏になってしまう。


 あー、俺ってばやっぱ悩んでるんだなぁー。


 深く嘆息して、しかしそれでもどうする事もなく視線を澄んだ青空、深く生い茂った木々に預ける。思考のキャンパスとするには丁度いい無味簡素なそれらの風景が俺の中での悩み事を加速させ、問題を提起する。


 ……気分転換とかいって外に出てきたけど、結局はこの問題って転換しちゃいけない重要な事だもんな。向き合わないと!


 そう思うも、自分の意見と相手の意見の食い違いを、どちらも折る事なく、どちらも我慢や抑圧を行う事なく共存させるというのは不可能ではないのか?


 そんな思考に至ってしまった――最中だった。


「――おや、ここに居たのか」


 不意に掛けられた声に対して、「俺を呼んだのか?」と半信半疑になりつつ呼びかけられた方を向く俺。


 そこに立っていたのは三浦だった。

 休日なのに何でスーツなんだよ……。


「ここに居たのかって、何か探してたみたいな言い方だな」


 俺の何気ない三浦の言葉遣いに対する指摘に対して、彼は眼鏡の位置を修正すると「隣、いいかな?」と言いながらベンチの上、俺の横に座った。


 別に構わないが、俺は座ってもいいとは一言も言っていない。


「さて、僕が君を探していたら何かおかしいかな?」

「いや、俺って三浦に探されて然るべき存在だったっけ?」

「そりゃそうさ。僕は君に好意を寄せていると明言したじゃないか。時間と暇が許せば僕は四六時中、君の姿を求めて東奔西走しても構わないくらいだよ」

「お前さんのその気持ちが捻じ曲がりきる前に新しい恋に出会って欲しいと願わんばかりだが、しかしこの場で会ったのは好都合ともいえるな」


 愛衣ちゃんが帰って一人きりになると、話相手の不在から自分の中での考え事が全て自問自答になり結果、何が何だか分からなくなっていた感はあるのだ。


 そういう意味では、話し相手として交流も深い三浦がここに現れた事は本来ならばぞっとすべき事なのだろうけれど特例として、助かった。そう素直に思うのである。


「そう言ってくれると来た甲斐があったというものだ。さぁ、都合のいい男であるこの僕に、何でも悩みを打ち明けてごらん」

「都合のいい男って……。お前さん、自分が思っている以上に己を捨てた発言だぞ。それ」


 引き攣った表情に呆れたトーンで語る俺だったが、そんな言葉を口にする最中――妙な引っ掛かりを感じた。その引っ掛かりは、三浦の言葉がもたらしたものである。


 さっき三浦の奴、妙な事を言わなかったか?


「そういえばお前さんさ……さっき、俺に『何でも悩みを打ち明けてごらん』って言わなかったか?」

「あぁ、確かに言ったね」


 あまりにもあっけらかんと答える三浦に対して、逆に「そこ」を掻い摘んで語る事自分がおかしいのではないか、と思ってくるが――しかし、三浦が何故知っているのか?


「俺が悩んでいるって、どうして分かるんだよ。一応言っておくけど、表情が曇ってたとかそういうの無しだぞ?」


 俺がそう問いかけると三浦は突如として「はははは」と尊大に高笑いをし、そしてしたり顔を浮かべると俺の方をもったいぶるように見つめた。


 何だかこいつ、俺に何もかも告白してから明るくなったよなぁ。これが本性だとしたら、元のままでよかったような……でも、一人の友人としては喜ばしいような。


 そんな俺が胸中で抱く友人の変化に対する微妙な心境を他所に、三浦は俺の悩みを知り得ていた理由を語る。


「何故って、決まってるじゃないか。君と勇くんの喧嘩を玄関越しに盗み聞きしていたからさ。はっはっは!」

「決まってねぇよ」


 俺は怒りに任せて三浦の側頭部へ平手を強く叩き付けた。


 今までのクールで理知的な彼のキャラクターからは想像出来ない「うあおっ!」という素っ頓狂な悲鳴と共に俺が叩いた側頭部を押さえて悶絶する三浦。


「か、勘弁してくれよ。丁度、今日の朝に同じ所を強く殴打された所なんだから」

「盗み聞きするような奴には当然の報いだろ!」

「ふ、不可抗力なんだって、まずは話を聞いてくれ」


 涙目で弱々しく語った三浦は両手を突き出して暴力反対を訴える。


 正直、自宅にいる俺達の会話を不可抗力で盗み聞きをしてしまう状況が全く理解できないし、語られる内容も想像できないがとりあえず話を聞く事にする。


「まず今日の早朝、君がもしも暇ならばと一緒に外出でもしようかと思ってね……お誘いのために自宅まで赴いたのだよ。きっと、体の入れ替わりに際して携帯の番号を変えているだろう? 昔の『勇』の番号しか知らないから君とは連絡が取れなくてね……何だか旦那さんの居る手前、誘うのもどうかと思ったがしかしまぁ、変な事には発展しないだろうと勇くんも信用してくれるだろうと考えて、誘う事にしたんだ。――あ、僕としては変な事になっても構わないというか、やぶさかではないというか」

「やかましい」


 俺はもう一度、今度は意図して三浦の側頭部を平手で殴打した。


 三浦はまたしても「おうあっ!」と意味不明かつ奇怪な叫び声を発して痛みに悶絶していたが、「寧ろ、癖になりそうだ」と次回以降は攻撃が無力化されるという遠まわしな事実を口にした。


「――で、だよ。家を訪問すると内部から言い争っている声が聞こえるじゃないか。僕は喧嘩だと思って、扉に耳を押し当ててその内容を失礼ながら聞く事にした。大事になったら止めに入らないといけないからね。そういうわけで事情に通じている。だから、君の悩みを聞こうかって言葉が出てくるのだね」


 三浦はそう語りきると「どうだろう、納得してもらえたかな?」と付け加えた。


「うーん。ちょっと納得できないような気はする。というか、言い争いが聞こえたからって盗み聞きするかって俺は思う。しかし、納得出来ないからといってまたお前を殴打して大事な友人に奇特な人間への道を歩ませるわけにはいかないしなぁ」

「おや、もう攻撃はおしまいかい? こちらとしては望むところなのだけれど」

「何か喧嘩してる最中の挑発文句みたいだけど、言ってる事はかなり気持ち悪いぞ……それ」

「寧ろ、君の殴打に値踏みしてもいいくらいだ」


 したり顔でそう語る三浦。何か返答をしようかと思ったが、彼の妙な性癖を助長しかねないので俺はこれ以上、この手の発言に触れるのはやめておく事にした。


 とりあえず閑話休題。


「で、お前さんは盗み聞きが功を奏して俺達の事情を知ったってわけか」


 俺が確認するように問いかけると、何故か三浦は「そうだね」――とは言わず、首を傾げて「それだけではないのだよ」と言った。


「ついさっき、奇妙な事に僕を知っていると語る、高校生くらいの女の子に道端で話し掛けられてね。君達の揉め事に関して自分の知ってる事を話すから、優の相談相手になってほしいと言われたんだ。僕はそもそも今日、君が勇くんと揉め事を起こしていると知った時点で会うべきではないと思っていたので家に帰ろうとしていたのだけれど、その子に『優が家にいるから会ってくれ』と言われて。しかし、訪ねてみれば留守じゃないか。だから、探していたのさ」


 そう語ると三浦は懐疑的な表情を浮かべて、噛みしめるように「何だか、不思議な女の子だった」とも「親近感を覚える子だった」とも評した。


 あぁ、絶対に愛衣ちゃんだ。

 あの子、もの凄い暗躍してるなぁ。


 にしても、愛衣ちゃんはどうして三浦を知っているのだろうか?


 そんな疑問が瞬間、浮かんだけれど――考えてみれば愛衣ちゃんにはカメラという情報源がある。三浦が我が家を訪れた時、カメラに映り込んでいたのか。


「不思議な事もあるもんだなぁ。俺はそんな子知らないけど、勇の知り合いか何かかな。まぁ、そんな推測を連ねても仕方ないか。で、俺の相談相手を促されたって事か」


 俺はやや早口になりながらも嘘をついて三浦が愛衣ちゃんを追求しないように繕った。この話題を続けて、愛衣ちゃんの事をうっかり語りでもしたらまずい事になる。


 知らず知らずの内に自分の秘密が露呈してたなんて、ショック過ぎるだろう。

 一方、三浦は突如、表情を真剣なものへと変えて語りだす。


「あの少女は僕に言ったんだよ。『あなたにしか語れない言葉がきっとあるはずです。それを優さんに告げて欲しい』ってね。大まかな事情を聞かされて、かつ僕にしか語れない事ってなんだろうか。そう思ったんだ。そして、まず君の悩みとは何なのか。それを考察した時、自分でも驚くほど簡単に答えが出たんだよ」

「俺の、悩みをか?」

「そうだよ」


 三浦は首肯して、そして続ける。


「事情は大体聞いているからね。君はきっと、相手の趣味に触れても自分の価値観が曲がらなかった。けれど、相手の意見を受け入れたい。尊重したい。そんなものに対して、矛盾を感じていると思うんだ。好きな相手が好きなものを好きになれない、そんな事実で物事を難しく捉えている。そうじゃないかな?」


 俺からの言葉を踏まえずに、しかし正確にこの胸中に宿す悩みを口にした三浦。その事に俺はただただ、驚くのみ。


 何が――何が。


「何が、お前さんにそう判断させるだ? 俺の悩みをお前さんがそうもすんなり推測してしまう理由って、何なんだ?」


 俺の驚愕に振えていた声に「ふふっ」と笑って、したり顔の三浦は語る。


「僕にとっても、似たような経験があったからさ。そう、君の入れ替わりを知る前、それでも優という一人の女性に同性愛者である僕が恋をした時、思ったのさ。折角、抱いた恋心ではあるけれど、しかし見た目が僕の趣向とする男性からはあまりにもかけ離れている。そりゃそうだよね。女性なのだから。でも、考えてみれば単純な事、例えば好きな人の要素を百とした時、その百という数字すべてに対して好意を寄せなければならないのか。そう思った時、僕は女性である『優』に対しての恋心を素直に認められた。まぁ、あの時の僕には普通でありたいという願望から来る、『女性に対する恋心を抱けた事による更生』みたいなネガティブな思考もあったのだけれど、つまりだよ。



 好きな相手の好きな何かが嫌いだったとしても、もうそれは前提として――文字通り、『好きな相手』だと語っているのだから、別にいいじゃないか。



 それが僕に語れる、君に送るべき言葉ではないかなと思うんだ」


 三浦はそう語って、真剣な表情を柔和な微笑みへゆっくりと作り変えた。


 一方、俺の方はというと何だか、圧倒的な爽快感を持って悩みを払拭された気分だった。悩んでいた事が馬鹿らしいくらいに、簡潔な回答。しかし、平面的に物事を捉えていた俺にとっては出せない答えで、立ち上がって地に立った、一歩先へと進んだ三浦だからこそ出せる、立体的に物事を捉えた言葉だと思った。


 だから――だから、だから。


「ありがとな、三浦。俺、何か答え出た気がするわ」


 三浦はそんな俺の言葉にしたり顔を浮かべ、


「まぁ、答えの丸写しといった所だけどね。宿題を写させてくれる友人はやはり持っておくべきだろう?」


 そう皮肉っぽく語る彼の言葉に、俺は素直に声をあげて笑った。

 大丈夫だ……今の俺なら、勇に対して投げかける言葉を用意出来る。


 そう、確信した。


 確信したからには勇と連絡を取らなければ。そんな風に考え、「気まずさで応答しないって場合も考慮してメールの方がいいかな。でも、文字入力って苦手だしなぁ」などと思っている俺を他所に、三浦は「あ、そういえば」と何らかの想起を口にする。


「あの少女、本当に僕の事をよく知ってるみたいでね。『あの二人が入れ替わったおかげで前に進めたのはきっと私達、同じで。だからこそ、今度はあの二人にも一歩を踏み出してほしいんですよ。ちなみにもっと言うと、根本も私達は似ているんです。だって、私も同性愛者みたいなものですからね』だってさ。何者なんだろうね、あの子」


 そう、あっけらかんと謎の存在に対して語る三浦。


 ――愛衣ちゃん、そんな所まで三浦に話してるのかよ!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る