勇「よくクビになりませんねぇ!」

 口論に口論を重ねて時刻は九時三十分を過ぎた所。あんな奴ら、そう表現した優に対して怒った私は勢いで家を飛び出してしまいました。


 とはいっても家から出た瞬間、急激に後悔し始めた感はありますけれど。果たして、元の鞘にきちんと収まるのだろうか……などという不安に煽られて、「あぁ、もう少し冷静な大人であれたらなぁ」と非生産的な後悔を連ねてしまう私。


 しかし、それでも「あんな奴ら」という偏見的な言葉を用いたのは許せません。


 胸中に渦巻く怒りが、後先考えなかった自分の軽率さ、それが生み出す後悔によって混沌なものとなりつつも、苛立ちがそれを必死に抑え込んで素直に自分を殺してしまう感じ。 


 あー、どうしたらいいんでしょう。


 ――などと悩みつつも家を飛び出しました。


 そんな状況で突如、奇妙な光景……というか「奇妙な行動に及ぶ人物」と鉢合わせしたために、驚愕して扉の前で硬直してしまっているのです。異変を察知して来た優に「何してるんだよ?」とか言われたらちょっと恥ずかしいですけど、それでも眼前の人物に対しての第一声がどうしても思い浮かばず。しかし、無視するわけにもいきませんので。ただ、ひたすらにあちらからの言葉を待つしかない現状なわけでして。


 とりあえず、優にバレるとややこしい事になる。


 そんな思考で慌てて扉を閉めました。結構な音がしたものですから、屋内にいる優には私がもの凄く怒っているように聞こえたかも知れませんね。


 眼前の男性は倒れ、側頭部を押さえて僅かに震えていたという状況から文字通りゆっくりと立ち直ると語り始めます。


「随分と派手にやらかしたみたいだね。話は聞かせて貰ったよ」

「格好いい風に言ってますけど、それ犯罪ですからね」


 私が勢いよく扉を開くと、何故かドアに耳を押し当てて内部の会話を聞いていたと思われる優の同僚――そう、三浦さん。彼を勢いよく開け放った扉で殴打する形になってしまいまして。とはいえ、三浦さんがこんな所で私達の会話を盗み聞きしていたなどという事実を鑑みれば自業自得というものでしょうけれど。


 地面に倒れ込んだため、服を手でぱんぱんと払う三浦さんを見つめる私の視線はただ単なる凝視でした。本来ならば素直にドアをぶつけてしまった罪悪感から謝罪の言葉と共に頭を下げるべきなのですが、状況が状況ですからね。


「何から質問したらいいのかと思いますけど、どうしてここに?」

「ああ、その事か。今日は会社の機械系統の入れ替えでね。会社が休みなのだよ」

「いえ、それは優から聞いてます。機械の入れ替えでしたっけ」


 そう言いつつ、休みなのに三浦さんがスーツ姿なのは何故だろうかと思う私。

 ――私服がないのでしょうか?


「ちなみに、機械系統の入れ替えは主に優が機材を破損したからだ」

「優、よくクビになりませんねぇ!」


 優の会社は彼女に一体どれだけの価値を見出しているというのか。機械を軽々破壊する優が凄いのか、それを「仕方ない」とばかりに許して在籍させる会社が凄いのか。


 ――まぁ、この場合はどちらも「おかしい」が正解でしょうか。


 それにしても三浦さん、あの一件以来ですけれど「優」と呼び捨てなのですね。元の友人という鞘に収まったようで何よりです。


 それはさておき。ここでの立ち話が聞こえて不審に思った優がドアを開けると、三浦さんと私が話していたなんて状況をどう説明したらいいか分かりません。なので、三浦さんに場所の移動を申し出る事にしました。


 まぁ、三浦さんの方も目的は私ではないでしょうけれど、だからといって今の優に対して「家の中にいるので会っていって下さい」と言うのもどうかと思いますし。


 優には一人の時間が必要でしょうから。


 一応、私の方は友人である只野君、彼と約束を取り付けてしまっています。優とあんな事があった手前、会うかどうか考えものですが、しかし友人との約束をすっぽかしてまで三浦さんと時間を過ごすつもりも、ありません。


 冷たい表現ですが、私には無関係な人ですからね。


 ですが、只野君に会う会わないは別として、待ち合わせ場所として指定している例の噴水のある公園。そこに至るちょっとした距離を気持ちの整理として歩きたい気持ちが私にはあります。加えて、勢いで家を飛び出してしまったので時間潰しもしなくてはならないのです。その時間を三浦さんとの会話に使うのは構わないでしょう。


 色々と尋問する必要も、ありますしね。


 というわけで、歩き連ねるは閑静な住宅街。平日という事もあって、人の声よりも各住宅で飼われている犬の鳴き声が先行して鼓膜に触れる朝。休みといえど優は早起きを強要してきますから、実家ではあり得なかったような時間でも私は起きているのですよね。


「――で、どうして僕が君達の家の前にいたか、という疑問について『休みだから』という回答を求めていない。そんなやりとりの流れで会話が中断したのだったね」


 閑話休題とばかりに話し始める三浦さん。


「そうですよ。我が家のドアに耳をくっつけて内部の会話を聞いている人がいたら、怪しむのは当然だと思いますけどね」


 私は視線だけを三浦さんに配り、呆れと侮蔑の籠った意思表示としました。


 しかし、そんな私の胸中のひけらかしには目も暮れず「まぁ、確かにそうだね」と、自分の行いに対する良心の呵責は全くない事が傍から見ても明らかな三浦さん。


 なんか、変な人ですねぇ。真面目な方と思ってたんですが。


「とはいえ、不可抗力であったとしか言いようがないね」

「不可抗力?」

「端的に言って、僕は盗み聞きをするために君たちの家を訪れた訳じゃないという事だよ。優の伴侶たる君の手前、どうかとも思ったのだけれど折角の休みだからね。外出のお誘いを、と思って尋ねると扉越しに言い争いが聞こえたもので。何事かと思って興味本位で聞き耳を立てていたんだ。激化した際には仲裁に入るのも辞さない覚悟でね。すると、君が現れて扉で僕は側頭部を殴打されてしまったよ」

「何故でしょう。結局、盗み聞きされていたのには変わりないはずなのに、扉で殴打した事実で中和されている感じは」

「気にしなくていいのだよ」

「それをあなたが言うんですね」


 私は呆れ交じりで語ると、嘆息します。


 納得出来ない感じもありますが、とりあえず三浦さんがいた理由は分かりました。


 まぁ、聞かれて困る事ではないのですから、怒る必要もないのです。


 それに、もっと言えば第三者に話が通っているならば、相談というほど大事ではないにせよ、愚痴こぼしくらいの相手にはなってくれるかも知れないではないですか。


 そう思うと、三浦さんが事情に奇しくも通じている事が自分にとって好都合であるように思えてきました。


「三浦さんはどう思いますか、今回の件。どっちが悪いとか、そういう話ではなくて私の趣味ですよ。優は結局、その部分を受け入れきってなかった、って事だったんですけど、この趣味が仲違いする原因になるくらいなら、例えば……やめるとか?」


 私は進行方向をただ見つめ、何を目視するでもなく。しかし、逆に言えば三浦さんの目を見てそれを語る事だけは出来ない心境で問いかけました。


 誤った質問を自覚的に行った故、でしょうか?


 三浦さんは「そうだねぇ」と言って手で顎に触れ、考え込み始めました。しかし、そんな挙動も瞬間的なもので「いや、答えは明瞭じゃないか」と言って、熟考しようとしていた自分をあっさり否定する三浦さん。


「好きなものをはっきり好きだと言えないならば、きっと優は君に対して愛想を尽かしてしまうだろうね。でも、ここでややこしいのはその趣味を好きだと素直に主張される事においても、優は君を受け入れきれないという矛盾しているような、そうでもないような微妙な部分だ。ただ、それでもこの時点で自分を偽るような真似はすべきではないという事に関しては、明確に答えが出ているじゃないか」


 三浦さんの言葉に「やっぱりか」と確証を得る私。そんな思考は至極、当然なもので。しかし、卑怯な事に私は彼からその言葉を引き出すために、あのような質問をしたのかも知れません。


 優は自分に正直である事に対してこだわりを持っています。好きなものを好きだと言える、そんな姿勢が大事だと。それは私も同様ですし、三浦さんに至ってはその点を優に指摘されて目が覚めた一件がありますからね。


 そういう意味では、確かに当然な判断。


 それでも、趣味と人間関係を天秤に掛けるべきでないとしても、反発するならば一方を取り除くしかないのだ。もしくは、どちらか一つを選び取るしかないのだと、そんな二極化した思考にもなってしまうのです。


 それを一度、誰かに否定して欲しかったのかも知れません。


「そもそも、これまでから優は君の趣味を理解していない。そんな意思表示をしてきていたのかい? 今日、僕が聞いたのは君と趣味を同じくする友人に対して彼女が偏見的な形容を行った。そして、その友人が奇しくも優の片思いしていた相手であり、そういった趣味を否定する発端となった人間だった。どうやら、君の中に『理解されていない』という感覚はありながら今日までを過ごして、とうとう露呈した。そんな風に感じ取れるのだけれど?」


 優の「あんな奴ら」発言を皮切りに巻き起こった口論にて、


『優の片思いの相手は只野君で、そんな彼の趣味を過去に否定したのでしょう? 彼の趣味を――私の趣味を本当はよく思ってないのではないですか?』


 と突きつけると、彼女は渋々ながら首肯。その事実を認めて「こういった趣味に対して、よい感情を抱いていない」という明言を優はとうとう行ったのでした。


 私達の意見、その相違が――共有された瞬間。


「そうですね。今日までの事情はそれでおおまかにはあってます。私は今日まで『この趣味を優は好ましく思っていない』という、そんな事実を彼女の友人――只野君というのですけど、彼から聞かされたというか……偶発的に露呈してしまったというか。体の入れ替わりの件がありますからね。彼にとっては私は高校時代の同級生、『勇』です。そんな『勇』が彼の趣味を過去に否定した事を『忘れたのかい?』と問われて、そこから発覚する形になったんですよね。優本人には確かめられなかったんですけど」

「怖かった、かい?」


 三浦さんは薄っすらと浮かべた微笑みと共に言いました。


 その語りは、その恐怖がどういった発生源であり、どういった性質を持ち、そしてどれだけ立ち向かう事が困難なのかを熟知した上での問いかけだと無根拠に伝わってくるようでした。


「ええ、お恥ずかしながら」


 私は小さく首肯し、俯いてしまいます。


「ですから今日までその詳細は誰にも聞きませんでした。優にも、只野君にも。優はきっと、そういう共通の趣味をもった友人が出来る喜びを手にした私を尊重するための我慢をしていたのだと思います。ですから、趣味を理解していない彼女との間に生まれた不和。それを、私も我慢すべきだと思ったのです」


「しかし、何となく苛立ちを互いに重ねた結果、何気ない一言からそれは露呈した、という事なのだね」


 三浦さんはそう経緯をまとめると、ゆっくりと嘆息して「ふふふ」と笑いました。


 その笑い声は嘲笑というほどではないにせよ、随分と物事を軽く捉えている風な性質を帯びており、妙に重く受け止めていた私はびっくりして三浦さんの方を過敏に見つめ、そこから連なる言葉に何らかの期待を抱いてしまいます。


「なら、簡単な話。君が優の、そういった趣味へ理解を抱けない事情を知ればいいんだよ。僕のような同性愛者に対しても偏見を抱かない優が、アニメを趣味としている人間にそこまでの嫌悪を抱くのは何か理由がある。それは確実だとは思わないかい?」

「そ、それは――」


 至極当然の事でありながら、私にとってその言葉が持つ響きは意外性という言葉でしか表現できない代物。


 同性愛とアニメ趣味の二つで、認知されやすさを競うのもおかしい気がしますが――しかし、優はそういう人間なのです。三浦さんの事も、愛衣の事も受け入れて否定しなかった。そんな偏見を持たれがちな二人を許容出来る、ある意味境遇が育てたとも言える懐の広さに対して、私の趣味が受け入れられない。


 それって、どういう事なのでしょうか?

 どうして――そういう風に私も考えられなかったのか?

 もしかすると、自分の趣味が偏見を持たれて当然と思っていたから? 



 だとすれば、一番差別的に物事を見ていたのは――私なのではないでしょうか?



「答えは行き着くところ本人に聞いてしまえばいいのだよ。互いの腹の内は露呈してしまったのだから、今更恐れる事など何もないだろう?」

「確かにそうですが……しかし、今の私はちょっと優には会いづらいというか。まぁ、あんな家の飛び出し方をしておいて、まだ心の整理がつかないというか」


 私は羞恥を紛らすように後ろ頭を掻いて、気まずそうに語りました。


「なら君が知りたい彼女の過去を知っているもう一人の存在に、話を聞けばいいんじゃないのかい?」


 そう締めくくるように語った三浦さんの言葉。


 それを合図とするように私は眼前の光景へと目を向けます。


 優と入れ替わり、これからを話したあの公園。噴水の小気味よい音が響くその場所では、優の過去を知る只野君との待ち合わせが取り付けてあるのでした。


「実は偶然にも、そんな只野君と昼食を頂いて、喫茶店でゆっくりする。そんな約束を本来取り付けていたんですよね」


 私がそう語ると、三浦さんは「ふふっ」と笑って、


「最早、運命的な流れを感じるね」


 と――私の背中を押すような言葉を発します。


 恋敵であるはずの、私の背を。

 この人は、変な人ではあるけれど――あるけれど。


 私はそこで思考を留めて、続きは自然に零れた微笑みに委ねます。


 三浦さんの言葉を受けて、私は只野くんと今日――大義名分を胸に会う事を決意しました。

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