優「オセロだと必死に取りにいくもんな」

 翌日、昼食の時間。真奈と夕映に引っ張り回されたおかげで弁当の買い物を出来なかったため、今日は社員食堂にての昼食。弁当が作れなかったのは勇に関しても同様だが、今日は休みだというので好都合だったと言えるだろう。


 しかし、自分の好きなものを選んで食べられるという楽しみは弁当のように中身を作り手である故に知っているのと違って、注文する直前まで未定でいられる。それはとても楽しい事だけれど、しかし社員食堂を利用した事がなかった不安もあった。


 なので、俺はそんな楽しい状況に三浦を巻き込む事にした。


 三浦を誘った瞬間に、俺は「あぁ、確かこいつ弁当だったな」と日常的に見ていた彼の昼食風景を考えれば誘うべきではなかったと後悔したのだが、取り出しかけた弁当らしきカラフルな布に包まれた何かをカバンの中に押し込み、「丁度、いい。今日は弁当を忘れたものでね」と三浦は言った。「なら先ほど取り出していたものは何だったんだろうか?」という疑問はさておき「奇遇ですね」などと言って俺は三浦と共に社員食堂へとやってきた。


 日常的に利用する人や、定期的に、或いは週に一度の楽しみとして利用したり、弁当を忘れた保険に用いる人など様々な事情の人間が入り乱れる社員食堂は随分と繁盛していた。


 ちなみにこの社員食堂、食券を事前に自販機で購入するシステムになっており、調理場とを隔て、料理が提供されるカウンターと自販機の両方にはちょっとした人数で行列が生まれていた。ここで食べなければお互いに昼食は抜きになってしまうため、迷わず列の最後尾に並び、順番が来ると硬貨を投じて俺はとりあえず適当に日替わりランチを選択した。


 選ぶ楽しみとか言っていた俺はどこへいったのか……。


 その後ろに並んでいた三浦は迷う事無く俺と同じランチを選択し、こういう時に即時即決出来るのが彼だよなぁ、と感心にも似た感情を有してしまう。


 それから今度は食券を商品へと引き換えるためにカウンターへと連なる列に並ぶ。ここまでの間、無口な三浦との会話はなかったものの、何だかいつも仏頂面な彼をこういう所に引っ張り出したのは悪くなかったなと思う。


 元の体の時は実家で母親が弁当を用意してくれたので忘れる事はなく、食堂を利用する機会はなかった。この食堂は会社が何割かを負担しているのか、普通の飲食店では考えられないような値段で食事が提供されるのだが、実家の夕飯が翌朝の弁当に繰り越されるありがちなシステムが導入されていた我が家では、弁当を義務付けられていた。そのため、この体になって弁当を作れない事態に陥るまで社員食堂を利用した事がなかったのだ。


 とはいえ仮に当時、利用するような事になって、三浦を誘っていただろうか?


 もしかすると、再び仲良くなりたいという意思が働きかけて誘ったのかもしれない。


 俺と三浦は数分後、今日のランチを受け取った。焼き魚がメインで、みそ汁とご飯に卵焼きと漬物が付属したオーソドックスな和食タイプの定食だった。


 テーブルを挟んで二つずつ椅子を配置した四人掛けの席が整列する食堂内において、そこは人間心理の構成した光景なのか角や壁側の席に人間が集中しており、徐々に真ん中へと埋められていくような奇妙な光景。


 角とか端って人間好きだよなぁ。オセロだと必死に取りにいくもんな。

 まぁ、当然か。


 俺と三浦は適当に開いている席を選んだ。俺が座ると、開いている隣の椅子――そう、俺の隣に腰を下ろした三浦。


 普通は正面に座るのではないだろうか?


 そう思いつつ、何食わぬ顔で隣に着席した三浦に今更、「普通は正面に座るものじゃないですか?」とは言えないので閉口する俺。


 随分といい性格というか、いい度胸だと思う。好きな人の隣にも平気でしれっと座ってしまうような人間だろうか、三浦は。


 まぁ、そんな事はさておき食事だ。


 俺達は「いただきます」を言って食べ始める。まず何から手を付けたものかな、などと思っていると不意に三浦が「あぁ、そうだ」と呟くような声をぽつりと漏らす。


「僕の焼き魚、君の卵焼きと交換してあげよう」


 三浦は箸で焼き魚を掴み、俺の皿に移動させようとする。


「焼き魚をあたしにあげてしまうと、三浦さんがランチを注文した意味が分からなくなりますけど……」

「でも、君は卵アレルギーじゃないか」

「あぁ、確かに――って、今は違っ……いえ、何でもないです。大丈夫ですよ。私、卵は普通に食べられますけど?」


 俺はあやうく三浦のあっけらかんと語ってきた「昔の俺のアレルギー」に対して、迂闊な言葉を漏らす所だった。


 そういえば、俺の弁当に対して「定番の卵焼きなんかは入ってないのだね」などと言ってきた三浦に対してアレルギーの話をした事があったような。


 でも、よくそんな事覚えてたよなぁ。


「おっと、すまないね。何故だろうか。やっぱり君が勇に似ているからか、彼の卵アレルギーを彷彿としてしまってね」


 三浦は焦りを表情に浮かべる事もなく淡々と言い、箸で持ち上げていた焼き魚を自分の皿に戻した。彼に対してある意味、証明するように卵焼きを一切れ食べて見せ、そんな俺を見て三浦は「本当だ、食べているね」と呟く。


 こちらとしては卵焼きを食べてそんなセリフを吐かれる日が来るとは思わなかったが。


 それから、黙々と俺と三浦は食事を続け、あっという間にお皿は空になった。


 セルフサービスのお冷を俺は後輩という事で二人分、率先して取りに行って三浦に手渡す。そして、お冷を片手に食後という事もあってすぐに動きたくない感覚に忠実になり、暫くはその場に座っていた。


 特に何かを話す事もなく――そんな状況を打ち破ってきたのは、三浦だった。


「君は彼氏の一人や二人、いるのかい?」

「人として一人に限定すべきだと思いますけどね……。ちなみに、いませんよ」


 俺は三浦のちょっと天然っぽい発言に対して呆れっ面を浮かべながらも、嘘をついた。


 彼氏というか旦那がいるものの、その詳細を問われた時、この会社にとってちょっと問題のある人間となっている勇の事を思えば伏せておくのが正解だと思ったのだ。


「そうか……僕もいないんだ。同じだね」

「いえ、それが当然だと思いますけどね」

「そうだね、当然だ」


 さらりと言い切る三浦。


 何だろう。これは三浦なりのギャグなのだろうか。今までに俺は男の体で三浦と数年に渡って付き合ってきたものの、こんな発言をされた事はない。


 俺が女性だからだろうか?

 男女の間に友情なんて成立しないという、アレか?


 だから彼氏がいるのか、なんて冗談めかして聞いてくるのだろうか?


 それでも――俺は三浦とは友人でいたいと思う。社会人になって、歳を取れば本当の意味での友人を作る事は難しくなる。固くなる頭と同様に、心も密閉して閉ざせば泣かされる事が少なくなるのに比例して、笑う機会も減っていく。自分を守って保守的に生きていくのが、大人。そんな社会の象徴的存在になったにも関わらず、三浦は俺の友達だった。


 今日までの日々で俺に何度も勇を重ねたように、大事に思ってくれている友人だ。


 まぁ、だからといって三浦が俺を特別女性として意識していると思っているわけではない。ただ、女性と男性ではいくら三浦でも反応が違ってくるのかな、という事だ。


 もっと言えば今の俺は、三浦の友人でもないのかも知れないが。


 ――何だか、そう考えると寂しい。


 ずっと、仕事をする上で一緒にいた三浦。同期で入社して、最初は隣の席に随分と気難しそうな奴がいると思ったものだ。俺は折角、近くにいるのだからと思って声を掛けた。いつも素っ気なく、突き放したような反応で俺は面白くなさを感じたが、話しかける度に、苦手な機械について質問する度に、少しずつ心を開いてくれる彼と過ごす日々。それは仕事で失敗した時や、内心で抱えている性の問題について心をいつにも増して圧迫されているような時に、それらの暗雲を払拭してくれるくらいに爽快なものだった。


 そんな人間を裏切った事実が心に圧し掛かる。


 しかし、こんな人間をまだ想ってくれる優しさが、俺には嬉しかった。

 だから、もう一度三浦と友人になりたいと今は思う。


 そんな風に――思ったからだろうか?


 三浦は俺の目を見ず、眼前の食器類に視線を落として言う。


「優さん。今日、仕事が終わったらちょっと、話したい事があるのだけど時間を作れないかな? 場所はどこでもいい――誰もいない所なら」


 俺だけの鼓膜を震わす、小さな声で言った三浦の言葉はどこか儚げで……しかし、何らかの決心を秘めた芯の通った発言。


 瞬間――心臓が、口から吐き出されるのではないかと思うくらいにどくんと脈打ち、その後を連なる鼓動の連打が普遍的とは言い難い速度でビートを刻む。


 今のままでは居られず、昔のようにもならない気配がした。


 男女の友情なんて事を考えていたからだろうか。妙な意識で三浦の言葉を受け止めてしまった俺だったがその意識、つまり予感はそのまま杞憂に終わるのか。


 しかし――何だろう。三浦の話したい事が瞬間分かってしまったようなこの感覚は?


 時間はただ前へ、未来へと前進して後悔や悔いを置き去りに駆け抜ける様はあまりに残酷で。三浦の言葉から何となく、何かを悟っていた俺は俯きその場で「分かりました」と、彼とは違う意味での小さな声で言った。

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