勇「しょ、証拠はあるんですかっ!」

 ……えーっと、事態は最悪でした。


 突如、帰宅した優が私達を見かけた瞬間に「俺というものがありながら!」と激怒しつつ詰め寄り、私の胸ぐらを掴んできました。確かに私は家に一人の少女を入れるという誤解されても仕方ない行動を行いましたし、その少女も制服を着ている高校生。絵面としては危険なものという風に解釈されかねません。


 ですがそれでも、もう少し冷静に立ち回ってくれたらよかったのに、優の第一声でその少女に対して私達が「特異な事情」を抱いていると勘付かれてしまったのではないでしょうか?


 もの凄い剣幕で歩み寄ってくる優に対して「お姉ちゃん!」と言った少女。


 そう。私と向かい合うようにテーブルを挟んで座るこの少女――私の妹なのです。優の姿を見れば当然、自分の姉だと思い込んで「お姉ちゃん」と呼称するでしょう。


 久しぶりの姉との再会に明るい笑顔の我が妹。

 しかし――。


「……ん? もしかして、この子は俺の妹なのか?」


 私と、妹である「愛衣」を交互に見つめ、そしてぽつりと疑問を漏らす優。

 その瞬間、息を飲んだ風に驚く愛衣と、優の発言に呆れかえって思わず深い嘆息をしてしまう私。


 ――三種三様の感情によって全員が口を噤む状況。


 なんとなく事情を察したのか、優は掴んでいた私の胸ぐらから手をそっと離すと、気まずさを紛らすに頬を人差し指でポリポリと掻き始めました。


「あー。俺、もしかして……やっちゃった?」

「ええ。やってしまいましたね」


 私は短く、少し冷淡に答えました。


 仮に私の妹かも知れない、と思うのならば「もしかして、この子は俺の妹なのか?」なんて愛衣の前で聞いてはいけないではないですか。愛衣からすれば「自分の事を認識していない姉」という印象を一瞬で植え付けてしまう事になるのですから。


 さてさて、少し話を整理しましょう。

 ――そもそも、愛衣が訪れたのは優が帰宅する少し前の事でした。


 優よりも早く帰宅したという事は真奈達との食事がまだ終わっていないという事なので、私はその事実にまたもや不安感を抱きました。そりゃあそうです。時間を掛ければ掛けるほど、違和感を露呈する可能性は高くなりますから。優にはなるべく早く帰宅して欲しかったのですが、きっと真奈と夕映が再会を喜んで解放しないのでしょう。


 そのように納得していると突如、インターホンが鳴り響きました。この家を知っている人間は多くないため、きっと優が鍵を持って出るのを忘れたのだろう、と思ったのです。


 しかし――鍵を開けて、扉を開く瞬間に思いました。

 あれ? 今日の朝、鍵を締めたのは優ではなかったでしょうか?


 そう思った時には遅く、扉の向こうには私の妹、愛衣がいました。「初めまして」と言って挨拶をした愛衣に新鮮さを感じつつ、「どちら様でしょうか?」と実の妹に対して問いかける奇妙な感覚。簡単な自己紹介を経て「自分の姉がこちらで暮らしていると思うのですが」と語る愛衣。


 何故、知っているのだろうか?


 そう思う私でしたが、その瞬間――巡らせた思考が瞬時に行き着いたのはあの「尾行をしていた人間の正体」でした。そこから組み立てられる思考は単純に、愛衣が優と歩いている私をこの一か月間の間で見かけ、そして今日――自分の姉と共に歩いていた男を発見して尾行した。振り切ったように思った私だったのですが、しかし実際はまだ尾行されていて。カラオケ屋から出てきて、帰宅する私を再び追跡したのでしょう。あの後、安心しきったのと遊んで気分が高揚していた事もあって背後を気にしなかったものですから。


 そんな経緯を経て愛衣がここを訪れ、この場所を知り得ていた理由まで何となく察する事が出来たわけですが――この現状はどうすればいいのですかね?


 立ち尽くしたまま、作り出した現状に茫然としている優と愛衣を交互に見つめ、どうしたものかと考える私。


 しかし、こうして二人を並べてみると他人同士なのに妙に似ているな――などと実際、肉体的には同じ親から生まれている二人の血縁関係を信じられない奇妙な感覚。


 ちなみに愛衣は髪も学生なので黒いですし、夕映と同じくらいの低い背丈です。しかし、顔の造りはやはり姉妹だなと思わせる可愛らしい顔つき。ブレザータイプの制服を身に纏っており、可愛らしさに上品さが伴っています。


 あーそういえば現状、血の繋がりもないわけですからね。人間は近親交配を避けるために親族の匂いを避ける性質があると言いますが、確かにこうして近くで愛衣を感じてみると、他人感がしてちょっと変な気を……起こすわけないじゃないですよ。


 他人感、なんて――寂しいだけに、決まってるじゃないですか。


 まぁ、それにしても妙に愛衣の反応が淡々としているというか。そう、「お姉ちゃん、私だよ!」とか取り乱したりという状況もあり得るかと思っていたのですが「妹の存在を認識していない姉」を不思議そうに見つめているのです。


 衝撃的な状況に陥るとそういうものなのですかね?


 とはいえ現状、優に下手な事を話されると厄介ですし、ここは私が率先して会話のイニシアティブを握っておくことが重要ですかね。


「えーっと、愛衣ちゃんでしたか。驚かないで聞いて下さい。実は君のお姉ちゃんは記憶喪失、なんですよ。ある日、遅刻しそうになっていた所、バナナの皮を踏んで転び、地面で後頭部を強打してしまって……」


 咄嗟に作り話を展開する私。


「今時、ギャグ漫画でも出てこねーだろ、バナナの皮とか」


 引き攣った表情と共に、優は呆れた呟きを漏らします。


 私の即興である故、低クオリティな言い訳なのは分かっていますが、出来れば優にはその指摘を我慢して欲しかったです。バレちゃうじゃないですか、嘘だって。


 一方、疑うような言葉を発するだろうなと思っていたのでしたが愛衣は突如、強い視線で私を見つめて言います。


「いえ。私が『お姉ちゃん』と呼んだのは、確認しただけですから」


 きっぱりと言い放った愛衣の言葉。

 ……確認?


 引っ掛かりを感じますね……。まるで、予め抱えていた推測を現実と照らし合わせて、この現状を意に介するほどの衝撃的事実ではなかった、と言っているかのような。


 いや。そう、言っているのでしょう。

 だから――愛衣は取り乱さなかった。


 姉が「自分を認識しない」という事実を衝撃的ではなく、ただ不思議そうに見つめているのは端的に、推測と現実の合致という神秘的現状に対して、浮かべるべき心情を決めかねている……そんな風でした。


 でも、何故――?


「確認とは、どういう意味ですか?」


 あくまで見知らぬ年下の女の子と接するかのように優しい口調で言う私。


 向かい合って座る私と愛衣に、立ち尽くす優。そんな三人を包む張りつめた空気を生み出した愛衣の「確認」という言葉。その――意味。


「その人がもう、お姉ちゃんじゃないって事を私、もう何となく知ってます。大体の事情を把握して、私はここに来ているつもりだから」


 優を指さして、愛衣は臆する事なく言いました。

 それはまさに、断言。


 ――とはいえ、自分の姉と相違ない外見の人間。それに対して私が「記憶喪失」などという低レベルな理由付けをしてしまったものの、入れ替わりという事実よりは幾分、現実味のある要因だと思うのです。


 姉が妹を認識しなかった理由としては。


 しかし、愛衣は優を指さして、「姉ではない」と言いました。

 愛衣の言葉に硬直し、時間が止まったような感覚になる優と私。


 何故、そんな断言が出来てしまうのだろう――と。


 とはいえ、言葉を失えば失うほど愛衣の語った事実に対して容認しているようなものですから、何かを語らなければ。


 家族にこの障害が露呈する事を、私は心底恐れているのですから。


「お、俺が記憶を失っているから、自分を覚えていない姉を『お姉ちゃんだと思えない』って事か?」


 優は自分なりの解釈で質問をしましたが、愛衣は首を横に振ります。


「違います。そもそも、あなたはお姉ちゃんの外見をしていますが、記憶を失っているわけじゃないと思います。だって、お姉ちゃんの記憶はそこにあるんですから」


 そう言って私を指差し語る愛衣。


 言葉を受けて、心臓が破裂しそうなくらいの脈動が体の内面を反響するのを感じます。


 ……どうして、愛衣がそんな事を知っているのでしょうか?


 もし、根拠を持って「優が記憶を失っているわけではない」という事実と、「私が姉としての記憶を有している」という二つの要因を抱えているならば……それはもう、入れ替わりを実証されたようなものではないですか。


「ど、どうして、私の中に君のお姉ちゃんの記憶があるなんていう風に思うでしょうか? そんな事は起こり得ない事だと思いますけどね。だって実際、愛衣ちゃんのお姉ちゃんはそこにいるじゃないですか」


 私は優を見つめて言いましたが、その声は焦りと恐怖で震えていました。


「お兄さんは私の事を『愛衣ちゃん』と呼んでくれますが、おかしいですよ。私はここに来た時、お兄さんに対しては苗字しか名乗っていませんから」


 優は訝しむような視線で私を見つめます。

 ……そういえば、苗字だけだったでしょうか?


「お、お前、またそんなミスしてんのかよ!」


 優は声高に、私を咎めるような口調で言いました。


 果たして、愛衣の前でそれを言っていいのでしょうか……。でも、軽率だと指摘したいですが、今の私には説得力を込められる自信が生憎ありませんのでやめておく事にしましょう。


 しかし、これもまた優にとっての真奈や夕映と同じく、人間の性質上の問題です。自分の親族であるという意識があるからこそ、そんな家族を苗字で呼ぶなんていう生きている内でまず行わない行動を取れなかったのでしょう。


 仕方ない、とは言いませんけどね。


「で、でも。それは、君のお姉ちゃんから愛衣ちゃんの事を聞いていたから、知っていたのであって」

「――お姉ちゃんは記憶喪失、だったのではないですか?」


 あぁ、そういう設定でしたね。


「そうだぞ、俺はバナナの皮で転んで、後頭部を地面に打ち付けたんだろ?」


 優は何故か、愛衣の発言を弁護するように咎める口調で言いました。

 あなたは一体、誰の味方なんですか。


 とはいえ。私が愛衣の名前を知っていた、という事に関して説明を述べられる余地はないものの――こうも言えるのではないでしょうか?


「愛衣ちゃん。君の名前を知っていたからといって、私の中にお姉ちゃんの記憶があるだなんて証明には成り得ない。そんな非科学的な事って起こり得ないと思うんだけど、証拠はあるのかい?」

「なんか逮捕される寸前の犯人みたいな発言だな」


 優は面白がるように私にそう言いました。

 何故、優はこうも緊張を解いてしまっているのでしょうか?


「そうですね、確かに非科学的な現象です。でも、一人称が『私』というのはお姉ちゃんを彷彿とさせますけど――お兄さんは男性ですよね?」


 盲点を突かれたとばかりに私は瞬間、表情で図星を描いてしまいます。

 しかし。それが愛衣の思うツボ、でした。


「あれ? どうして図星を絵に描いたような表情をするんですか? 別に男性が自分の事を『私』って言ってもおかしくないと思いますけど」

「すげえ! 愛衣ちゃん、探偵みたいだ」


 優は愛衣をキラキラとした表情で見つめ、褒め称えます。


 一方、愛衣は真剣な表情の中に薄っすらと不敵な笑みを忍ばせ、何だか困惑する私を弄んでいるようでもあります。もう確証は掴んでいるから、あとはゆっくりと論証するだけ。そんな余裕が感じられました。


「結局、私はお姉ちゃんとお兄さんの内面がそうですね……それこそ、非科学的な話ですけど入れ替わっている――そう思っているんですよね。俄かに信じがたい話ですが、『すべての不可能を消去して最後に残ったものが例え、どんなに奇妙なものであってもそれが真実だ』なんて某探偵の名言がありますけど、まさにそれですね」

「で、ですから――証拠。証拠はあるんですかっ!」


 私は堪らなくなって、愛衣に対して叫んでしまいました。


 優はその様にくすくすと笑い、愛衣は不敵に笑んでいます。愛衣はともかく、優は私達の秘密が露見する事に何の躊躇いもないのでしょうか?


 私の情けない、それこそ捕まる直前の犯人のようなセリフに対して、愛衣はポケットから一枚の薄っぺらいプラスチックのケースに収められたディスクを取り出して答えます。


「証拠ですか? いいですよ。私、今日はそのための証拠をこのディスクに収めてきました。お姉ちゃんが家から持ち出したパソコンがあるはずですから、それで再生してみましょう。――で、そのパソコンは……どちらの部屋にあるんですか?」

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