優「言い訳を聞いてやろうじゃねーか」

 憧れていた、とすら言えてしまう数々の服を購入した俺だけれど、正直満足はしていなかった。何せ、今日まで男物の服を着ている事が屈辱的で……自分の理想の男性に似合う服装を、と思っていてもやっぱり耐え難いものだったのだ。


 そういう意味では女が男性の服を着る事を世間はボーイッシュなんて好意的に解釈してくれるかもしれないけれど、男でありながら女性の服を着る事を半ば強いられていた勇なんてのは本当に屈辱だっただろうな。


 そういう意味では俺が服をこうして購入した事に対して満足してないって感情、もしかしたら勇は理解してくれてるのかも知れない。


 というわけで俺達はブティックを出るとその足で今度は彼の服を購入するために街を歩く。勿論、俺は男性用の衣服を購入していた過去があるので、勇を案内する事が出来る。


 ここで勇が、どうして俺は女性の服に憧れていたのと同じように「男性の服に対する執着心」の派生で、男物の服を売っている店を知らないのか、と思ったが――どうやら勇は女性の衣服には興味あっても、男性の服装には興味がない。


 つまり――他人の服装にしか、興味がない。


 俺の感覚からすれば、論外だな。着られればいいとか、そんな事を男性になった喜びを感じながらも言ってしまえる勇の感覚には共感出来ない。


 そういうわけで俺の知っている店を何軒か回り、服を勧める。勇はその度に「こんな服着たら知能指数が下がってしまいますよ」とぼやいていた。


 どんな服だ、知能指数が下がるって。


 ただ、勇の衣服を買い求めて街を歩く合間の出来事は特筆するまでもない、盛り上がりのないものだった。それは端的にいって、男性の衣服の幅にあるのかも知れない。そう思うと、女性って得だよなとか、思ってしまう。


 女には生まれられなかったけど――女でいてよかったと思う。


 そして、勇の衣服を購入し終えると休憩という事で商店街から少し外れた所にある喫茶店に入った。ちなみに勇はこの喫茶店をよく友人と利用していたらしく、俺も高校生の時にはちょくちょく訪れていたので、もしかしたら会っていたかも知れない。それに加えて、どうやら学校は違ったらしいので接点と言えば本当にこの場所くらいだと思われる。


 ちなみに、どこの学校に行っていたのかと聞くと気まずそうに視線を逸らし、バツの悪そうな表情を浮かべながら答える勇。俺が通っていた高校も大したレベルの学校ではないのだが、それよりもランクが下の学校に通っていたらしい。


 自分で言うのも変だが、ちょっと意外だと思う。勇の方が何となく、頭がいいのかと思っていた。まぁ、落ち着いた挙動とか、その辺から勝手に判断したのだけれど。


 喫茶店の中は珈琲の香りが充満しており、独特の気持ちが安らぐ感覚に緊張がほぐされる。いや、何も緊張はしてないのだが、珈琲の香りに包まれた時の俺の個人的な感覚が「緊張が解ける感覚」なのだ。


 向かい合って座り、珈琲を注文する俺と勇。暫くすると届けられた珈琲を勇は躊躇いなくそのまま口に運んだため、「へー。無糖で飲む派なのか」とか思っていると、すぐさま反射的行動であるように――口に含んだ珈琲を噴き出した。


 その飛沫は俺の顔面に噴射され、表情を引き攣らせて不機嫌を露わにしつつ提供されていたおしぼりで顔を拭く。おしぼりで顔を拭くなどと中年男性のような行為……それを女性にさせた勇の罪は重い!


「言い訳を聞いてやろうじゃねーか」


 怒りに震えた声で俺は言ったものの、勇は何故か真面目そうな表情である。反射的に俺の顔面へ、ブラックコーヒーを吹き付けて罪悪感の一つも感じないとはどういう事だろうか。自分の体だったんだからいいだろ、みたいな理由だろうか?


 しかし、勇の考えていた事はどれでもなかった。


「入れ替わっても、やっぱり珈琲は苦いままなんですね。私、珈琲は昔から砂糖を沢山入れないと飲めないんですが、他人の体に入れ替わったらあの時に感じていた『苦い』は本当に同じなのかなって思ってたんですよ。例えば赤って色は疑いようもなく『赤』なわけですが、他人の目から見ても同じなのかな、とね。ですから、ちょっと珈琲も飲めるかなって思ったんですけど」


 舌をペロッと出して、軽いミスを謝罪するように自分の頭を小突く髭面の男。


 なるほど……確かに言われてみれば自分の感じている色や味、音は他人の体に入れ替わっても差異なく感じるのか、というのは疑問足り得る不思議だ。


 しかし――しかし。


「だったら砂糖入れて、味を確認したってよかったじゃねーか! それで元の体と感じ方が遜色ないかどうかを確認しろよ!」

「ま、まぁ、でも折角入れ替わったのですから……この体って、なんかワイルドぶってるから珈琲は砂糖入れなくても飲めるし、あとついでに言えばお酒とかも水のように飲んじゃうのかと思いまして」


 ワイルドぶってるとか言うな。


 俺は顔面をあらかた拭き終えたおしぼりを畳んでテーブルの上に置く。


 ちなみに勇の予想の内で半分は当たっている。俺は珈琲に砂糖は入れない無糖派である。しかし、もう半分はハズレである。


「俺は酒好きの下戸だよ。すぐに酔いつぶれて寝ちまうからな……本当にそういう部分も噛み合ってねーなって思ってたよ」

「おや。私は酒嫌いの酒豪でしたよ。どれだけ職場の催し事等で飲まされてもケロッとしてましたからね。つまり、この体で私は酔いを体感できるのですか?」

「おいおい、その言い方だとアルコール耐性は体によって左右されてるように聞こえるが……」

「実際、その通りでしょう」


 勇に言い切られて俺は「アルコールに弱い体質」と自分を評する人間や、「アルコールに対する強弱を調べるテスト」がある事を思い出す。


 言われてみればそうか……体質も交換されているわけなんだな。

 酒に強くなったのはかなり嬉しい事だ。


 ならば――俺は勇に言っておかなければならない事がある。


「そういう繋がりで言えばその体、卵アレルギーだからな」

「ええ! 嘘でしょう!」

「嘘じゃねーよ。つまり逆に俺は卵が食べられるって事だな」


 勇は頭を抱えて「嘘だ」を連呼し始める。ちょっと傍から見ていて気味が悪いが、今は酒に続いて卵が食べられる事実の発覚を喜ぶとしよう。正直、外食しに行って卵アレルギーって申告すると店員さんがもの凄く慎重になって申し訳なかったんだよな。


 そして、勇の落胆ぶり。そんなに好きな卵料理があったのだろうか?

 しかし、不意に沈んでいた勇は表情を途端、したり顔に変えて俺を見る。

 ……一体、どのような感情の変化があったというのか?


「そういえば優、あなたの財布の中に免許証が入っているの見ました。これはあなたが必死に教習所に行って、高いお金を積んで手にした『車に乗る権利』を私が横取りした。そういう事ですね?」

「いや、でも『車に乗る技術』はねーだろ」

「そ、そうでした! それに加えて今気付きましたが私の英検も、漢検も全部、優に奪われてしまったという事ですか!」

「そうなるな。英語も漢字もそこまで巧みに扱えないのに級は持ってるってのは何だか面白いな」

「わ、私の漢検四級と英検五級がっ!」


 もらっても他人にひけらかせない級位だな……。

 中学生くらいで取得を諦めた感じの中途半端さである。


 一方、資格を奪われた衝撃にが何らかの一線を通り越してしまったのか、勇は嘆息して微笑みを浮かべる。


「まぁ、それもこれも入れ替わりの弊害という事なら受け入れられますけどね。だって、そうでなくては互いに、自分の性とすれ違ったままだったでしょう?」

「……勇」


 俺は彼の言葉に何だか感銘のようなものを受けていた。


 確かにそうだ。これから入れ替わりや、性の違いによって発生する様々な問題が俺達を待っているだろう。しかし、そういった苦悩は全部、自分達が今手にした幸福の代償なのだと、そう思えばなかなかどうして愛おしいではないか。


 だから――俺は言う。


「良い事言うじゃねーか。正直、感動しちゃったよ。そう、感動しちゃったけどさ――珈琲俺にぶっかけた事に関して、上手く流したと思うなよ?」


 喫茶店を出た後、重かった服の入った袋二つを勇に抱えさせる事となった。加えて彼は自分の分の服を購入した袋も抱えていた。そんな数になると、まず物理的に手は二本なのだから運搬は負担となる。


 そして、幾ら筋力に恵まれた男性の肉体といえど、持久力に関しては別の話。そんな風には鍛えていないので、ずっとその重い袋を持ち続けるは困難なのだろう。勇は苦悶の表情を浮かべる。


 でも、俺は助けない。


 女の子に物事を強いられるってのは男性からすれば悪い気するものではないだろうし、しばらくはそうしてマゾヒスティックな気分に浸ってもらうのも、いいものだろう。

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