勇「こんなチャンス、逃してはいけないでしょう!」
何とか私の職場への連絡を彼に済ませて頂きました。念入りな打ち合わせをしたにも関わらず、私の上司に対して好き勝手な発言をアドリブ的に交えてくる彼女を時々小突いたりして、何だか傍から見れば女性に手を上げている髭面男子なわけですが、まぁ、自分の体ですから自虐という事でいいでしょう。
それにしても、入れ替わり――ですか。
「これからどうしたものでしょうか。色々と大変ですよ? 私はこんな様相ですから、あなたの家に帰らなければならない――とはいえ、何十年も共に暮らした家族を欺けるとは思えませんし。肉体に対応した家に帰るのはどうかと思いますよね」
私がそう語る言葉には、ついつい嘆息が交じってしまいます。
互いの身辺状況を話した私達。どうやら実家暮らしというのも同じだったようでして、それは共感して喜ぶような事ではもちろんなく、互いに帰る家がないという事です。
「そうだよなぁ。俺としても見知らぬ家族の中に紛れて暮らすってのは厳しいし。いっそさぁ――互いに家を出ちまわないか?」
彼はあっけらかんと提案しました。
随分と楽観的に家を出ようと言ってくれる彼女。とはいえ、その提案は存外に悪いものではないですね。寧ろ、現状はその一択に限るとさえ言えるでしょう。
家に帰れないならば、新しく家を持つまで。
単純な彼女の思考が功を奏したと言えるでしょう。
「そうですね。それがいいかも知れません。入居が決まるまでは適当にウィークリーマンションかホテルでも借りて過ごせば、何とでもなるでしょう。貯金が心許ない私ですが、それでも暫く暮らすには不自由しない蓄えはあります」
私が大まかな「これから」を述べている最中、彼女の顔がどんどんと青ざめていくのが分かります。流石に血の気が引いた彼女を可愛い――とまでは言いませんが、何だか背徳的なものを感じますね。
「ちょ、貯金も、やっぱり……入れ替わるのか?」
ガタガタと震え、それ故に言葉も少し歪められていた彼女。
その反応だけで彼女の貯金に対する姿勢が分かってしまいましたね。
「嫌なら別に構いませんが。しかしその反応、もしかして――貯め込んでました?」
「だって、楽しみといえばそれくらいだったし」
彼女、零が増えるのが快感だとかいう人種の方でしたか。
「いや。だったら、別にお金は本人に帰属って事でいいじゃないですか」
私がそう語ると、彼女はほっとした表情で胸を撫で下ろしました。
まぁ、確かにこのズボンの後ろポケットには財布が入っているようですから、中にキャッシュカードが収められているとすれば引き出す事も不可能ではない……いえ、案外と不可能ですか。本人の様相に、同じ指紋、声門を有していようと――暗証番号を知らなければ、筆跡もきっと違うのですから、やはり同一人物として成り済ますのは不可能のようです。
家族の所へ帰る判断をしなかったのは正解でしたか。
「で、実家を離れて暮らすわけですが……どうしましょう?」
「どうしましょうっていうと、何をだ?」
首を傾げ、懐疑的に問いかけてくる彼女。
「端的に言って、軒数ですかね。一緒に暮らすという事にも金銭面などメリットはあるでしょうし、長年付き合ってきた自分の体を監視下に置けます。とはいえ、別々に暮らすという選択肢もまた、他人と一緒にいなくていいという気兼ねなさがあります」
私がそう問いかけると、彼女は「そんなの決まってんだろ」と言ってしたり顔を浮かべました。ちょっと小悪魔的な表情がたまらないですね。
「一緒に住む――それ以外にあり得るってのか?」
「言い切りましたねぇ。でも私達、今日会ったばかりですよ?」
すると彼女は外国人風に肩を竦めて、「分かっていない」とでも言いたげに嘆息しました。
「ずっと思い描いてきた理想の異性が目の前にいるんだぜ? 正直、一緒に居たいと思わねーのかよ。俺としてはこんなにワイルドで胸筋の発達したがっちり体型の男と同棲できるなんて、胸が高鳴って仕方ねーけどな」
「な、なるほど。字面だと最低のセリフですが、賛同せずにはいられませんね」
「だろう? なら決まりだな」
快活に話しをまとめ上げる彼女。
何だか、顔が紅潮して熱を有していくのを感じます。羞恥に炙られた胸中が鼓動を早めて、私の内部で反響するこの感情はやはり――彼の提案に歓喜しているのでしょう。
だって、考えてもみてくださいよ。
私がずっと「こんな女の子と付き合えたら最高なのになぁ」と、思い続けて手入れしてきた、繕ってきた様相の女性が眼前にいて。しかも「一緒に住まないか?」などと語っているのですよ?
今日まで、不幸の方が多かったとしか言えない人生。自分の性に、趣味に正直になれず、理解されなかった日々を越えて――今、最高の自分と最高のパートナーが目の前に。
正直、そんな人物と出会う事なんてもう二度とないのではないでしょうか?
ならばこんなチャンス、逃してはいけないでしょう!
些か唐突な気もしますが、私は一世一代の決心を胸に「ある提案」をしようと考えていました。私としてはこの提案が不当なものには思えないのです。こんな奇異な現象で始まった因果ですけれど、その始まりがそもそも奇怪なものならば、これから続いていく私達の関係性も少々、奇妙な縁で結んだっていいじゃありませんか。
ですから、こういった事は――男である私から!
「ならば、えーっと……」
私がある提案をしようとした瞬間――重大な情報を互いに開示していない事に気が付きます。言いかけた言葉を中断して、急に懐疑的な表情になった私を彼女は不思議そうに見つめています。
そう、彼女が。
しかし――彼女としか呼べない事に、どうして気付かなかったのでしょうか?
「そういえば、その肉体の名前は知っていますが、あなたのその内面のお名前は何というのでしょうか?」
意外にも気付かなかった部分だと思いましたが、考えてみれば納得なのです。
私達の共通点。そう、きっと彼女も自分の名前というのはコンプレックスだったのです。何故なら、名前というのは性別が色濃く出るものですから、私達の心情としては「それを認めているような感覚」になってしまうため、あまり語りたくないのですよね。
だから――互いに名乗らず、名を聞かずだった。
その証拠なのか、彼女は随分と自分の名を語る事に抵抗を示しているようでしたが――しかし、私達は昨日とは違います。新しい体に付随した自分に適した名を交換すれば、悩みは霧散する……そう思考したのか軽く頷いて、彼女は語ります。
「俺の、そしてその体の名前は、勇だよ」
彼女は私を指さし、名乗りました。
勇――ユウ?
私の中に奇妙な感覚が生まれます。
まず思ったのは、「どうして私の名前を知っているのだろう?」という事でした。私を指さし、「ユウ」と語ったという事はつまりそういう事です。しかし、私はきちんと「内面の名前」を問いかけました。それに「俺の」と彼女は言ったのですから、「その体と、俺の精神は勇という名前だ」という意味で言ったのでしょう。
ならば、ならば、ならば――。
私も彼女を指さし、そして名乗ります。
「私の名前も、優です」
こんな皮肉な事があるでしょうか?
声を合わせて「えーっ!」と驚愕を口にする私達。
確認してみた所、漢字が異なるようで私は勇で、彼女は優です。そんな彼女――優が、混乱と驚愕に胸中を席巻された表情を浮かべるのも無理はありません。
ユウ――英訳すれば、「あなた」であり、勇ましき人と優しき人。
因果な、ものですねぇ……。
「お互いに同じ名前、そして性同一性障害同士……こんな事ってあるんですね」
「そうだよなぁ……こんな奇跡の連続。まるで、神が俺達に対して行ってくれたアフターケアって感じだよなぁ」
優はベンチの背もたれにゆったりと体重を預けて、空を見上げます。そんな横顔は様になっているのですが、もう少し女性らしく両足は閉じて座って欲しいものです。
まぁ、それはさておき。
「おや。そう言うという事は、欠陥品だったという自覚が?」
私が問いかけると、優は嘆息しつつこちらを向きます。
「そりゃそうだろ。他にも数多いるであろうこの障害を有した人はどう考えているか知らねーけど、後ろめたさを感じてたから親にも隠してたんだろ」
確かに、そうかも知れません。
――いえ、そうだったのでしょう。
私達は、両親に悲しまれると思ったのです。自分が性について悩み、そんな苦しみを生まれながらに与えた親としての責任を感じさせる事が、辛くて。きっと責任を感じてしまう両親だって分かっていたからこそ。
せめて、産んでもらった喜びを素直に伝えられなくても――産んでしまった悲しみなんて感じさせちゃいけない。
そう思ったからこそ私達は自分を偽ってきたのでした。
そんな事を思い出させる言葉を語った優の表情は何だか曇り、今日までの日々を思い返して陰鬱になっているようでした。
分かります。それは、私だからこそ――分かるんです。
分かるからこそ。そして、分かってもらえるからこそ、そんな相手を独り占めしたい気になったのでしょうか。もしくは他にまたとない、自分にとっての理解者に出会えた感動が後押ししているのかも知れません。
ならば――ここで踏ん張らなきゃあ、男じゃねぇ!
「ならば優、私も家族に後ろめたさを感じて、苦しんできた日々は同じです。そして、心と体のすれ違いに苦しんできたあなたの日々は誇張抜きで私にとって共感に値するものです。ですから、私はあなたの気持ちを理解し、和らげるだけの存在でいられます。……などと、生真面目な事を言いましたが、実際はもっと欲望に忠実です。金髪にロングヘアの西洋人形みたいな様相とか、傍からみれば情欲掻き立てられて仕方ないその異常に発育しちゃった胸とか全部! 全部! 全部! そもそもは私のものですし、この体も元々あなたの物です。ですから――あなたの好きになんかさせません。私が好き勝手に好きにするために約束をしましょう!
優――私と結婚してください!
あなたにとって最高の旦那が、私にとっての最高のお嫁さんに向かってプロポーズしたんです。断るなんてありえないでしょう。自分が好きすぎて、相手が好きすぎるナルシスト夫婦に、一緒になりましょう」
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