勇「私もあなたの体――返しませんから」

 目の前で奇声にも似た叫び声を上げる女性を目視し、私は素直に思います。


 綺麗な顔に似合わずはしたない、と――。


 ですが、私としても彼女の叫びが歓喜を伴っていた事には同調せずにいられない心情ですし、何だか一緒になって叫んでしまいたい感じがしないでもないです。


 だって、だってですよ?


 まだ自分でも信じられないとはいえ、確定的に明らかな現状――私、男の体を手にしちゃってるんですけど?


 まぁ、流石に目の前の彼女がさっきから行っているように自分の体を急に抱きしめたり、自分の頬を引っ叩いたりなどまで真似しようとは思いませんが……。

 恐らく後者は「夢じゃないのか」と自分を痛めつけて確認しているのか、もしくはかなりニッチな性癖の持ち主である、のどちらかでしょう。


 しかし、そんな彼女の行動を見つめて、「私の体を痛めつけてんじゃねーですよ」って思うこの感覚。はしたいないと感じた彼女の、あの端正な顔立ち。加えて特徴的なあの豊満な胸、金髪のストレートさらさらロングヘア、私のこだわり抜いた数々のパーツを有する超絶可愛い女の子。


 あんな完成度の女子、例を見ませんから間違いありません。

 信じられませんが、証拠が揃い過ぎていますし。


 どうやら私達――入れ替わってしまったようですね。


 お恥ずかしい話、これは現状のような入れ替わりが発生しなければ笑い話にすらならず、ただ羞恥を撒き散らすだけのベタベタなお約束。仕事へ行く最中だったのですが、偶然にも目覚まし時計が壊れてしまいまして。そうです、遅刻という奴をしてしまい、焦って駆け足で職場まで向かっている最中に目の前の彼女――いえ、その時は男性でしたね。そんな眼前の人物と衝突してしまい、瞬間の眩暈の後に冷静さを取り戻してみると、この現状です。


 ――私、男性ですよ?


 電柱を非常用トイレとする事を黙認されている男性になってるんですよ。


 彼女に同調して歓喜したくなるのは、つまり――私が男性の体を欲していた、男になりたいという願望が不意に達成されたからに他ならないのです。そして、そんな願望を抱いてしまう特殊な「ある事情」を抱えた私ですので、混乱すべき状況であるのに胸中は歓喜と幸福感で満ちていました。


 とはいえ、入れ替わりだなんて非現実的な現象は私のような特異な事情を有していない限りは迷惑極まりないもの。すぐに取り乱す彼女を見る事になると……そう思ったのですが、顎鬚を蓄えて「きっとワイルドな男を演出しようと背伸びをしたんだろうな」と思わされるこの体の元々の持ち主である彼女は突如、叫びだすじゃないですか。


 よっしゃああああ、とか――可愛らしい声で。


 入れ替わった事実に慌てるよりまず、喜んでいる様子ですからもしかすると私と利害が一致するタイプの人間なのでしょうか。とはいえその利害も、私と同じ悩みを抱えているという事かも知れませんし――もしかすると女性の体に純粋に興味がある変態なのかも知れません。


 後者だとすると、自分の今日まで二十数年間使ってきた女性の体を彼女の欲望のために差し上げてしまうのはどうかと思いますが……。でも、その代わりに私もこの肉体を得ていますからね。


 まぁ、譲渡だとか以前にまだ会話すらしていませんからね。

 とりあえず、話かけてみましょうか。


「あ、あの……それ、私の体ですよね?」


 恐る恐るといった感じで言葉を発した私。


 うーん。それにしても随分と低い声ですね。喉を介して外界へと声が発せられる時のどっしりした感じがたまりません。


 とはいえ、自分の体に対してこんなセリフを吐く事になるとは。


 ちなみに、「これ、私の体なんですよね?」と独り言で呟く事は多々ありましたよ。


 ――私、そういう「悩み」を抱えた人間でしたので。


「そんな質問をするって事はやっぱりそれは、俺の体か?」


 私と同様、こちらを指差して問いかけてくる彼女。


 甲高く、澄んだ声で言う彼にセリフと声質の相違を感じないわけにはいきませんね。


 そんな声で「俺」だなんて……。


「なるほど、私のあの問いに対してこの返し。これは認めざるを得ないですね……どうやら、私達が入れ替わってしまったという事を」


 私の言葉に目を丸くして驚く彼女。

 流石は、私。きょとんとした表情が可愛いです。


「入れ替わり……やっぱりそうなのか?」

「そうらしいですね。だってお互い――目の前に自分がいると、認識しているでしょう?」


 私が分かりやすく、かみ砕いた説明をすると「やっぱりかぁ」と腕組みをして、思案顔で呟く彼女。そして、数秒の思案を連ねると古典的に手をポンと叩き――私に背を向けると、全力疾走で逃げ出しました。


 いやいやいや、どうしてそうなるんですか!


 そんな驚愕に出遅れの原因を作ってしまい、その間も逃走を試ている彼女は長い髪を揺らしながら走り続けて私との距離を開いていく――のですが、歩いてもきっと追いつくと思われる彼女の残念な後ろ姿に呆れを感じ、私は嘆息してしまいます。


 体が入れ替わったのです。運動に向いた体型をしていませんでしたし、普段からランニングに興じたりなどという事もしてませんから、あの体が早く走れない事を私はよく知っています。そして、それ以上に私は入れ替わる先ほどまでハイヒールを履いていたのです。


 ついさっきまで男性だった人間がハイヒールで悠々と逃走出来るとは思えません。それに加えて、この肉体のポテンシャルが如何ほどなものなのか、持ち主である彼女はよく知っているはずです。そして、私にも分かります。


 この体、結構しっかりと鍛えてあるようですから「革靴とハイヒール、男性と女性」という対戦カードにおいて、逃げ切れると思った彼女の判断は間違っているとしか言えません。


 呆れ、引き攣った表情のまま私は彼女に歩み寄ります。


「いやいや、どうして逃げるんですか?」


 私が問いかけると悪戦苦闘しながらも、ぎこちない前進をやめない彼女は首だけをこちらに向けて言いました。


「いや、だって折角、女性の体を手に入れたんだぜ? 返せって言われる前に姿を暗ませちまおうかなと思ってな」


 歩行に苦戦しているのか、息も絶え絶えにそう豪語する彼女。


 この場合、肉体の窃盗として彼を警察が逮捕してくれるのかとも思いましたが、私の肉体その手首を銀の手錠が束ねる光景は見たくないんですよね。


 まぁ、そんな事はさておき――彼女、妙な事を言いましたね。「折角、女性の体を手に入れた」と。それはどういう事なのかという疑問がすぐさま、ある答えに結び付きます。


 ――利害の一致?


 だとすれば、私は彼女にとって逃げるべき敵ではないという事でしょう。

 返せなんて言いませんし――返したくない気持ちは同じです。


 なので、こう言っておきましょうか。


「大丈夫ですよ。私もあなたの体――返しませんから」


 髭面の長身、フォーマルな衣装を身に纏った男性が重低音ボイスで口にしたそのセリフ。やはりというべきか――かなり犯罪染みていました。

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