ナルシスト夫婦の適材適所
あさままさA
【1】ナルシスト夫婦の合縁奇縁
優「目の前に死ぬほど好みな男が尻餅をついて倒れていた」
目の前に死ぬほど好みな男が尻餅をついて倒れていた――なんて言ったら、俺の事を同性愛者だとか、言葉をもっと鋭利にすれば「ホモ」だなんて罵るやつがごまんといるのは分かっている。
ただ、よくよく観察してみると目の前の人物を「好みの男」と称するのは同性愛的なそれとは些か事情が違うという事が分かってくる。
好みの男とか以前に、俺とよく似た男。
鏡でも見ているような気分である。ネクタイを締め、タイトなオーダーメイドのスーツを身に纏ったフォーマルな印象。それを良い塩梅で崩す顎ヒゲは言うまでもなく俺の象徴で。俺自身そういう男性が好きであり、そういう自分でありたかったのだ。
だから目の前に居る男を見た時、好みだと思ったその思考はあまりに正当。
何を隠そう、よく似ている所か俺だった。
そう、俺だった。
いやいや、意味が分からない。
瞬間、停止した思考を再起動するように首を横に振り、ベタではあるが我に返った挙動としつつ眼前の光景をただただ目を凝らして見つめる。
何で俺がそこにいんの?
――ってか、それならここに居る俺は誰なのさ?
そんな疑問を脳内で浮かべるとまず浮かんでくる答えは考えたくもないが、アレだ。
幽体離脱。
無論、双子が二段重ねになって半身を起こす、ギャグ的なものではなくもっと真面目な意味での。
……いやいや、幽体離脱に真面目、不真面目とかないだろ。あるとするならば不真面目やギャグで済んでほしいけど。死んでるって事だし。
という訳で、俺は自分の頬を自ら引っ叩いてみる。
無論、反射的に加減してしまうため痛くはない。とりあえず自分が「死んでいないのか」という確認である。ちょっと考えてみればこの行動は「夢のような出来事」に直面した時に行う挙動ではなかったか、と後々になれば冷静に自分へツッコミも入れられるのだろうが、今はこれでも狼狽しているのだ。
さて、痛みを感じるという事に加えて、叩いた時に感じた肌の質感。柔らかい頬の肉が手の平で叩き付けた衝撃にぶるんと揺れる感覚で確信する。
これは間違いなく、人間の体である。
しかし――。
ベタではあるが、その頬を叩いた瞬間に得られる感覚に「違和感がない事が違和感だった」とでも言うべきか。
あるべき感触が伴わなかったのだ。
肌の感触はもちろんした。しかし俺のアイデンティティである、顎ヒゲの感触が手の平に伴わなかったというのはどういう事だ?
俺は慌てて、今度は引っ叩くのではなくそっと、顎を指でなぞってみる。
先ほど、髭の感触がしなかったという違和感を得ていたからか、顎へと指を触れさせるまでの瞬間的な動向は妙に緊張を伴っていた。それはきっと、俺の顎にヒゲがなかったらどうしようという、この部分だけ切り取ってしまえば至極間抜けな懸念である。
とはいえ俺の胸中は真剣そのもので、結果――触れた顎が伴っていたすべすべとした肌の質感は俺の心中をさらに狼狽させ、焦燥感を駆り立てるには十分なものだった。
え、どういう事なんだろう?
目の前の俺っぽい奴が多分この場合、俺自身で――なら、俺は一体何なんだよ。何か、哲学者の言葉にあったじゃねーか。「我思う故に、我あり」って。我思ってんのに我が目の前にいるんですけど?
急激に襲ってきた恐怖心。
ぞくっと、背筋を撫でられたような悪寒に耐えかねて、俺は自分の身を抱く。それは何の変哲もない身震いに伴う反射的な行動だったのだが――またしても、違和感。
しかし、顎ヒゲの件は「あるべきものがない」という違和感だったが、今回はどうやら違うらしい。「ないはずのものがある」と言うべきか。
手首の裏――端的に言って、俺の胸に触れる部分が訴える。
何だろう……柔らかい。
そんな違和感、もとい異物感にとうとう俺はその時まで考えなかった行動へと、恐る恐る移行する。
そもそも自分と思わしき超絶格好いいワイルド系男子が目の前で尻餅ついているというのだから、警戒もするのは当然だ。そして、警戒すれば忌避して――目を背ける。
――自分の体がどうなっているのか、なんて。
でも、見ないわけにはいかないだろう。違和感はあらゆる意味で俺の感覚を通して伝わってきていて。だからこそ、確認しなければならない。
明らかに自分のものではない――この体の詳細を。
そして、胸部から感じた違和感を辿るように俯いた首の垂れ様で俺はその「男性だったはずの肉体では到底、考えられない胸部の膨らみ」を確認する。
んでもって、確信した。
やべぇ、俺――超巨乳になっちまった。
と、アホな思考をした瞬間、そんな発想はすぐに捨て去る。
自分の胸が急激に発育したとか、そんな理由の伴わないとんでもない現象が起こり得るわけがない。
そういえば、やけに内腿辺りが外界に晒されている感がする。まるで、腰に布を巻いただけの防御性能に一抹の不安が残る衣服、そうだなぁ……市民権を得ている表現を用いれば「スカート」を履いているような感覚。
――ってか、履いていた。何で!
そう驚きはするものの、この状況で俺の驚愕に伴う感情は「スカートを履いている」という事実に対する羞恥や、理解不能の現象に対する恐怖心などではなく――実は仄かな喜びだったりする。
何を隠そう、俺は常々スカートを履きたいと思っていたのだった。
……うーん。こう語ってみれば、俺の趣味が随分と倒錯しているなどと思われかねないが……しかし。俺はそういった願望を抱きつつも欲求を解消出来ない「ある悩み」を抱えていたのだから、喜びも正当なものだろう。
女性的な服装に加えて、女性的な肉体――そして、目の前に俺の体。
ついさっき。そう、ついさっき。
俺達の身に、何があった――?
そう思い、思考の行き着く先を手にすると再び、自分の頬を引っ叩いてみる。
今度は本当に「夢ではないのか」という確認である。
そして思う。
確かに夢だった――、と。
俺が夢にまで見た状況が、夢じゃないという現状。
不可解な現象に対する恐怖や疑問、そういった普遍的な反応を飛び越えて――理解が現実に追いつく様に比例し、歓喜が俺の中で高まっていく。
「マジかマジかマジか! 俺が、女? ……よっしゃああああああああああああああ!」
そんな叫びに対して、俺好みな男――というか俺の体は蔑視とも取れるような視線を送ってきていたが、関係ない。
悲願達成の瞬間には、叫ぶものだろう。
何せ俺は夢にまで見た女性になっているのだから――。
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