付喪神蓮華草子 / 立春蓮華

あきらつかさ

始章

 高野れんげは、夢を見ていた。

 夢、と認識できた。

 妖怪――付喪神つくもがみたちが集まっていた。

 とある山の中、人里に近い所に拠点を構え、町に下りては人を襲い、田畑を荒らし、家畜を奪っていたものたちだ。

 れんげの見知った、れんげが造化の神の力で娘の姿になったのと同じ時に過去の身を捨てて妖物となったものたちだ。

 その輪を、れんげは上空から見下ろしていた。

 輪から外れた所にいた華奢な娘――れんげ自身の姿も見えていた。

(これは……過去の)

 瑞と穹、ふたりの鬼に調伏されるより前の風景だった。


「お前もいい加減、吹っ切れたらどうさね」

 と、地上のれんげに声をかけたのは角力取りのようによく肥えた体型の男だった。

 人のようだが、もちろん妖怪である。

「鉈の――何と言ったか」

 男は少し考え込み、それから手を打った。

「そう、れんげ――蓮華刀か。

 捨てられたんだろうに、いつまでそうしている気か」

(――れんげ、とう?)

 見ていたれんげに何か引っかかる。

 地上のれんげは首を振り、非道な真似は止めるよう諭していた。

「まだ言うか」

 男はがらりと笑う。

 男の足元に、まだら模様の大蛇が近寄っていた。

檜助ひのすけ

 大蛇が男を呼ぶ。

「放っておけ、抹香臭いことばかり言いおって」

 大蛇はそう言って、檜助と呼んだ男を囃し騒いでいる中に誘った。

 その舌が出入りする時に、囃子のような軽い音が伴っていた。

 男はれんげに肩をすくめて見せ、れんげから離れた。


(私、だ――)

 れんげの記憶に断片的に、微かに留まっていたものだった。

 それを外から映像のように見ているのは奇妙な気分だった。

 れんげが妖怪たちと別れ独りで旅に――鉈としてのれんげを使っていた寺に行き、長年使ってもらった恩返しをしようと思っていた時に、どこかの高僧が喚び寄せた護法童子――瑞と穹が降臨してそれも叶わなかった、その頃の事だった。

(でも、『れんげとう』って……?)



 れんげが目を覚ますと、そこはいつもの部屋の、布団の中だった。

 見慣れた天井だった。

 古道具<九十九堂>として、高校に通う学生としての『今』の生活だった。

 時計を見ると、まだ深夜。

 れんげは布団から抜け出した。

 日中は無造作なお下げにしている髪も簡単に括ったのみ、寝巻きに包んだ小柄な少女の体――まったく、いつも通りの『高野れんげ』だ。

 机の上で充電していた携帯電話のランプがちかちかと光っていた。

 友人からのメールだった。れんげが床に就いてから届いていたようだ。

 内容を確認して、くすりと笑う。

 周囲に音はほとんどなく、しんと静まり返っていた。

 れんげは携帯電話を元に戻すと、自分の手をじっと見つけて呟いた。

「れんげ、とう――」

 れんげは、人間ではない。

 付喪神という、長い年月を経た道具が魂を得て、造化ぞうけの神の力で姿形を変え、生まれ変わった妖物の一種だ。

 以前は、腰鉈だった。

 備前長船びぜんおさふね派の刀工に鍛えられた鉈だ。

 その刀工が、ある寺に礼代わりに打ったものだ。

 今のれんげにもその片鱗は残っている。れんげが自身の右腕をすっと撫でると、腕は鈍く光る鉈の刃に変わった。

「れんげとう……もしかして、真名に関わっているの?」

 腕を見て、繰り返し呟く。


 ――付喪神として変化した妖物たちは、捨てられた恨みを晴らさんと、得た力で人を襲った。

 人々を恐怖に陥れ、我が世の春を謳歌していた。

 だが、それも束の間だった。

 天より遣わされた護法童子――不動明王の眷属けんぞくによって倒されたのだ。

 しかし、付喪神たちは改心するなら、と命までは奪われなかった。

 付喪神たちは悪事を省みて、帰依きえした。

 その中でれんげは護法童子に目を付けられ、彼の下で彼に代わり妖物を諫めることを条件に、こうして自由にしている。

 その時、れんげは護法童子に『真名』を奪われている。


 真名、とはそのものの『真の名』だ。

 そのものの本質を表している。

 真名を支配することは、そのものを支配することに等しい。

 れんげの真名は、瑞という護法童子に押さえられている。

 が、真名を支配されていることでの不自由をれんげはさほど感じていない。

 記憶が曖昧で、恩返しに、と使っていた寺へ行こうにもどこだったかも判らなくなってしまい数年彷徨ったことはあるが、それも過去のことだ。

 一つ所の町の、人の中で暮らし始めて一年余、不便を思ったことはないに等しかった。

 だからあまり気に留めたことはなかったのだが――


「どうして今、こんなに気を騒がせるの……?」

 れんげは、鉈の刃をしていた腕を人のに戻した。

 胸に手を当てる。

「それに……なんだろう、それとは違うこの妙な気ぜわしさ」

 れんげの部屋は古道具屋<九十九堂>の二階にある。

 部屋の窓を開けると、冷たい夜気が流れ込んできた。

 窓の外はいつもの風景だった。

「真名、か――」

 かたん、と何かが鳴った。

 振り返ると、夜風で壁にかけていた服が揺れていた。

 すっかり着慣れた制服だ。

 セーラー服を吊ったハンガーが壁に当たって音を立てていた。

 れんげは苦笑をもらす。

「人の暮らしに、慣れてきすぎてるのかな……」

 窓を閉める。

 静まった部屋で、少し乱れた制服を直し、ふとその隣に貼り付けていたカレンダーがれんげの視界に入った。

「そうか――」

 どこか納得したように頷いて、れんげはもう一度時計を確認した。

 寝直すには中途半端な時間だった。

 れんげはカレンダーを一枚めくって翌月を見た。

 見直すまででもないことを見直して、呟く。

「こんな時期だから、胸騒ぎがするのかな……

 大変なことが起こらなければいいけど――」



 年が明けてほぼ一ヶ月。

 立春――二月の節分が近付いていた。

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